神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、.に不思議な業を、したでは、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。
(使徒言行録2:17〜21)
 

ホーム  Home 書簡  Epistle プロフィール Profile 更新 What'sNew 信仰 Religion カトリック教育
宗教教育研究 学校マネジメント カトリック学校宣言 カトリック教育省文書 教会共同体 教会学校
信仰告白 生徒と卒業生 講話集 Lectures 詩情 Poetry 家庭と妻と夫 愛犬 MyPetDog
写真 Photograph ブログ Web Log サイトマップSightMap リンク集 LinkPage MissionNetwork

講話集   Lectures

『この民のところへ行って言え。
あなた達は聞くには聞くが、決して理解せず、
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍り、
耳は遠くなり、
目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、
耳で聞くことなく、
心で理解せず、立ち帰らない。
わたしは彼らをいやさない。』
(使徒言行録28:26〜27)
キリスト教研究 宗教学・教理学・宗教史・哲学・宗教科教育法
前のページ 目次 次のページ
 26     自分の求める「美」について(哲学) 2013年9月3日(火) 
 「美」を観点に神学的に哲学を学んだのも考えたのも初めての経験であったが、ここでは『人は何故に「美」を求めるのか?』という命題のもと自分が求める「美」について述べることにする。
 
 まず、『人は何故に「美」を求めるのか?』ということを考えてみると、それはソクラテスが言うところの本質的在り方である「美善合一(カロカガディア)」やプラトンのイデア論がいうところの人間の魂の憧れや望郷の故なのか、それとも魂の渇望や不完全に対する充足や完全を求める故なのか、いずれにせよ人間は「美」を求めて止まない本質的な欲求というものがあるように思える。
 
 古代ギリシアのアテネにおいて、ペロポネソス戦争の敗退やソフィストによる価値観の多様化と道徳の荒廃によってもたらされた社会の混乱は、一人の哲学者の祖国アテネの再興への情熱を掻き立てた。その人こそが、「人間は、いかに美しく善く生きるか?」を自分の命をかけ世に問い質したソクラテスである。もともと古代ギリシアにおける「美」(το καλον(kalon))とは、我々日本人が考える視覚をたよりとする物事一般に対する感性的・感覚的「美」または形式的な精神性や所作に対する「美」とは異なり、人間としていかに美しく善く真実に生きるかという徳(?ρετ? (aret?, アレテー))を意味するものであって、本来これらの三つは個別のものではなく、人間がより善く生きるためには方切り離すことの出来ない要素としての条件だったのである。
 
 ソクラテスは、このアレテーを自分が愛して止まない祖国(ポリス)アテネの再興のために、身をもって人々に問い質し実践した人物であり、正しく美しく善く真実に生きた人であったと言えるに違いない。 そして、古代ギリシアにおけるソクラテスが求めた物事の本質を探求した哲学の歩みは、弟子のプラトンに受け継がれ、プラトンの弟子アリストテレスによって、反プラトン的な解釈を通して洗練されて、700年の後にプロティノスによって「光と闇、善と悪」というような二元論的な三者の哲学的美から「一者」(存在の根源、非存在、輝きとしての美)という連続性を持った「美」として統合されいくこととなる。
 
 さらに、このようなギリシア的「美」の観念は、紀元後3〜4世紀にキリスト教が確立し神学が考えられるようになると「神と人間との関わり」であるケノーシスとテオーシスという形で、哲学的神学的な立場から神と人間との関わりの中に「美」が求められるようななった。「神と人間との関わり」とは、神が自分自身をへりくだり、人間に近づき生きる姿としてのケノーシス(kenosis)と人間が神に向かって高められていく姿であるテオーシス(theosis)を意味し、神がまず人間を愛し、その愛に応えるべく人間は神に向かって生きるという姿が、神と人との仲介者である主イエス・キリストをとおして実現したとの神と人との関わりの中での「美」が明確化される。主イエス・キリストは、神のケノーシスの具現と人間のテオーシスとしての見本・模範であり、美しく生きるためにキリストの生き方を倣る(ミメーシス)という美的観念が生まれる。こうして、神は人間を引き上げ高めるために御一人子を受肉させ世に送り(ケノーシス)、そこまで神は人を愛され人間のことだけを考え動く神なのであって、人間はその神の愛によって神へ向かって高められていく(テオーシス)という「神と人間との関わり」による哲学的神学がオリゲネス・アタナシオス・カッパドキアの三教父によって確立し、ここにキリスト教的「美」の原点がアレクサンドリアを中心に形づくられることとなる。
 
 そして4世紀、ローマ帝国によってキリスト教が認められ、それを背景に信仰の美学は発展することになるが、大きく分けると東ローマ帝国キリスト教共同体で育まれたニュッサのグレゴリオスを中心とした古代ギリシアの美意識に逆行する形で独自の「美」、つまり他者のために命を与えるほどに人間を愛した御子のむごたらしい姿でさえ、内面的な動機によって「美」は変化するものであり、信じる者にとっての美しさである「逆説美」が主張される。また、西ローマ帝国地域のキリスト教共同体で育まれたアウグスティヌスの「美」は、彼自身の弱さによる罪の告白と共に神への賛美と感謝を綴った「告白録(コンフェンシオス)」によって、「美」そのものが哲学的な追究から神を賛美するための信仰の立場から追求されていくことになる。いずれにせよ、両者には神の愛に満ちた働き、動きの中に「美」を求めていく姿勢が見られ、ここに相手を生かそうとする愛に「美」を見出すというキリスト教の「美」が確立・発展していくことになる。
 
 さて、これら古代ギリシアからの「美」に対する考え方の変遷を前提に、これまでの私の美に対する意識を考えてみるならば、余りにも視覚のみに頼りすぎた貧弱なものであったと言わざるを得ないであろう。幼いことから絵を描くことが好きだったり音楽を聴いたりしていた自分は、五感を頼りにした感覚や感性による「美」が中心であったため、絵画や音楽あるいは伝統芸能や書道や華道など、多くの道に見られる所作・振る舞いに見る「美」が「美」の対象であったように思える。しかも、「美」の対象となるものは、目に見える物質や形として認識できるものである。確かに、ソクラテスの「いかに美しく善く生きるか?」というアレテーを求め生きる知徳合一の考え方は知っていたものの、実は「美しく生きる」ということと「善く生きる」ということが同意の意味で語られることに違和感を覚えていたのである。
 
 しかし、古代ギリシアからキリスト教確立期に至るまでの「美」の考え方を学んだことによって、(το καλον(kalon))という「真・善・美」が一体となった「美」の観念が、紀元後3〜4世紀にキリスト教が確立し神学が考えられるようになると「神と人間との関わり」であるケノーシスとテオーシスという形で、キリスト教やキリスト者としての「美」に取り入れられ発展していったことに深い感動を覚えたのである。つまり、信仰者としての自分自身の生き方そのものに、「美」という生き方が求められているということであるのだから、到底無関心ではいられない。特に、キリスト教的「美」という考え方が、「神と人間との関わり」の観点から述べられていることは、キリスト教の「美」そのものは信仰そのものであり、学問対象としての信仰や神学ではなく、信仰者として主イエス・キリストと出会い信じて受け入れ、自分の今ある現実に主イエス・キリストを証ししてこそ初めて主イエス・キリストを体現し、信仰者としての「美」が実証されるのである。つまり、キリスト者としての「美」とは単なる学問研究や美的対象にとどまるものではなく、神に信頼を寄せ信仰し希望するという人間の信仰の姿勢が問われるものなのであって、自分自身を神に委ね明け渡すという神に対する絶対的信仰と信頼を前提として培われていくものなのである。トマス・アクィナスの言った「人間は神の本来的光、智恵を分有している。」という人間の本来的神との連続性が約束されていることを前提に、神を闇を照らす光であると受け止め、キリスト者を世の光りとして重要視したその信仰姿勢によって確立された神学は、現代のカトリック教会の神学の正当な基準となっている。トマス・アクィナスによる「美」は、アウグスティヌス以来1000年以上の「美」の流れを、見事に理性の行使によって神学および哲学として体系づけたのである。
 
 われわれキリスト者が一信仰者という立場で「神と人間との関わり」の観点から「美」といものを考えるのならば、言うまでもなく主イエス・キリストは学問研究の対象としてこの世に来たのではないのだから、私にとってイエス・キリストは私とどんな時も共にあり、私を捨てず助け信頼できる方であるとの信仰が前提としてなければ、聖書のみ言葉も神学も無味乾燥なものとなってしまい何も響いてこないものとなってしまうのである。われわれキリスト者にとっての「美」とは、あくまでも父と子と聖霊の神に対する絶対的信仰とそれに基づく信頼と希望、そして神体験があって初めて養われ浮かび上がってくるものなのである。
 
 確かにバウムガルテンの功績である、感性的・感覚的な美の探求を通して真理を認識することを体系づけた「美学」における「美」の理由づけも意味深いものがあるだろう。また、ドイツ観念論の創始者であるカントの批判哲学(三批判書)による真・善・美という真理の徹底した識別による人間の「美」の認識への挑戦と現代の「美」の確立がみられるが、カント自身は結局「認識」とは自分の立場に立って(自分のフィルターを通して)しか見ることは出来ないと言っている。つまり「美」とは主観的なものであり客観化できないものであるということなのだ。
 
 このような観点からも、「神と人間との関わり」における「美」とは、信仰者ここの信仰体験を土台にした認識によるもの以外の何ものでもないと言えるであろう。20世紀以降の現代の芸術は、意図的に醜さや難解さをデフォルメし表現することで、見る人に人間の心の在り方に警告や揺さぶりをかける手法を用いることが多い。しかし、様々な情報媒体の普及や経済的利潤を優先するが余り、センセーショナリズムやコマーシャリズムに陥り、社会的価値の相対化や道徳の荒廃など「何でもあり、おもしろけさえすればいい。」などという短絡主義、刹那主義であって、個性の時代といいながらも個性の平均化・画一化をもたらしていることは否めない。 なぜならば、このような現代の「美」の探求には「神と人間との関わり」が欠如しているからであり、個の個たる所以の源である「神」と「私」とのつながりが断絶してしまうことから、「流行に乗ること」がせめてもの「個としての私」を認識する唯一の手段になってしまっているかのようである。
 
 人間は物事を深く認識したり、自己の内面と深いところで出会うためには、最低限離れて観るという観想的態度(テオリア(theoria))が求められるであろう。そして、もっと根源的な自分や自分の生き方を見つめるためには、『「神」と「私」とのつながり』を考えざるを得ないのではないだろうか。少なくともキリスト者にとって「美しく善く真実に生きる」ことを探求するならば、避けて通ることは出来ないものであると確信する。
 
 私が今求めている「美しく善く真実に生きる」生き方とは、神からこのように命を受けた使命を果たす生き方である。40歳代までは自己実現を念頭に生きてきたが、孔子が言う「五十にして天命を知る」ではないが、50半ばに30年間勤めた職場を早期退職して、これ方は自己実現ではなく自己奉献を新庄に生き方を変えようと願っている。いわば、私の回心とでもいうものであろうか。少々遅かったのかも知れないが、これが一キリスト者としての「美」の追求に繋がるものでもあろう。何人も自分の意志で生まれてこないのであるから、どんな命にも意味がある。生まれてきたからには訳があるはずである。ならば、そこには一人ひとりの固有の『「神」と「私」とのつながり』があるはずだからである。そして、それは一人ひとり固有の「美」があることを意味しているのではないだろうか。私は、生きている限りこの「神と人間との関わり」のおける「美」の在り方を、私個人が与えられた固有の『「神」と「私」とのつながり』による「美しい生き方」を他者との関わりを忘れることなく、実存的に探求し続けていきたい。
 
以上。
 
 27     諸宗教の対話をいかにすすめるか(教理学) 2013年9月3日(火) 
 グローバリゼーションの進展がますます進む今日、日本社会のみならず世界全体の社会および人間の生活、特に人間関係における相互理解に及ぼす影響は、少なからず大きいものとなってきていると言えよう。なぜならば、どんな政治的・経済的あるいは社会的な国際関係も、まずは人対人から始まるものであるから、そこにいる当事者間の相互理解が新たな関係の展開を決定づけると言っても過言ではない。
 
 そこで、人間関係を構築する上で最も重要なものはお互いの信頼関係が築けるかどうかであって、その信頼関係は互いに互いのことをまずは知り合い、理解し合うことが先決である。そして、知り合い理解し合うということは、互いの共通点と相異点を明確にすることであり、そうすることによって互いの一致点(合意)が見出され、平和的共存というものが可能となるであろう。
 
 とは言っても、グローバリゼーションの進展が必ずしも人間社会にとってメリットをもたらしたりポジティブな方向ばかりに働いてきたとは言えないことは、人類の数々の戦争や紛争そして現代における数多くのテロ事件、あるいは発展途上国と先進国間の広がる経済格差で既知のことである。では、このような異国間あるいは異人種や異民族間における対立は何故生じるのであろうかと言えば、その多くは領土や主権そして経済的利益など国益にたいする利害関係や異文化、異宗教に対する無理解と自己の文化に対するエスノセントリズム(Ethnocentrism)や自宗教を絶対と見なす原理主義に他ならないと言えるであろう。
 
 よって、人間関係における相互の信頼関係を礎とした相互理解を実現するために、自己を支え他者理解をしていく上での根底をなす個人の信念や宗教を、どのように理解し受け止めるかは非常に大きな決定要因となるものであるから、自己の宗教の立場をどのように理解して他者にどのように提示し、他者の宗教をどのように理解しどのように受容するかの二つの観点から、諸宗教の対話をいかにすすめるかについて述べることとする。
 
 自己の宗教の立場をどのように理解して、他者(他宗教)にどのように提示するのか?についてであるが、信仰者にとって自己の神ないし信仰とは、個人的なレベルにおいては絶対的なものでりそれで何ら問題はないだろう。しかし、これが他者との関わりのレベルにおいては、たとえ同じ宗教といえどもその考え方や解釈、そして受け止め方が違ってくるし、無論他宗教を信仰する人々との関わりにおいては、多くの障害をもたらすことは想像に難くない。
 
 自己の宗教を他宗教との関わりの中でどのような立場をとるかについては、基本的に排他主義、包括主義、多元主義の三つに区分できる。もともと宗教とは、人間の暮らす世界が限定的であった時代においては、排他主義や原理主義はごく自然な態度であったことで、グローバリゼーションの進展が急速に広がり他者理解無しに成立不可能な国際社会を前提としないのならば、排他主義は同じ信仰で形成された共同体や民族の持続的発展には、むしろ効果的な主義・主張・態度と言えたものであろうし、多くの宗教はこの立場を堅持し続けてきた。
 
 しかし、18世紀後半の産業革命を機に、20世紀に入ってその環境は一変したと言える。それは、科学技術の発展に伴い人類が大量破壊兵器を所有することによって過去に例を見ない二度の大戦で大量の人間の死(時に民間人)を経験し、それはともすると人類の破滅のみならず地球の破滅をももたらす事態を招いていると気付かされているからである。つまり、20世紀に入って人間個人および人類やこの世を救うはずの宗教が、その役割を果たせずに来たか、より本来的役割を果たそうと従来の排他主義的歩みを方向転換しなければならないことに目覚めさせられたからではないだろうか。
 
 現にカトリック教会は、1962年〜65年に教皇ヨハネ23世とパウロ6世のもとで、第二バチカン公会議が開かれ、教会のアジョルナメント(現代化・刷新)をスローガンに教会共同体の改革が始まり、公会議で取り決められた各憲章・教令・宣言の実現のための努力は、現在にまで続いており、「エキュメニズム(Ecumenism)に関する教令」はキリスト教教会の一致のみならず、より幅広く諸宗教間の対話と協力を目指す運動として今日も重要な課題として位置づけられ実践さている。
 
 では、人間個人や世の救い、そして世界平和や人類の持続的発展に宗教が寄与することを念頭に、諸宗教間の対話による相互理解を考えると、排他主義や原理主義的な立場でその実現はあり得ないどころか対立や紛争を助長させることは言うまでもない。そこで、次に考えられる立場が、包括主義や多元主義という立場を考えるということになろう。
 
 まず包括主義は、排他主義の独善的な姿勢を反省し、他宗教の真理性を部分的には認めるという態度であるが、ドイツの神学者カール・ラーナー(Karl Rahner)の「無名のキリスト者」論に代表されるように、キリスト教以外の宗教伝統の中にも救いの現実性を認めつつも、それだけでは十分でないとし救いの根拠をキリストに基礎づけた宗教と対決するのではなく、他宗教をキリスト教の視界に包括しようと考えるものである。カトリック教会が、第二バチカン公会議以降とってきた立場であるが、我々キリスト者特にカトリック信徒の立場から考えるならば、特に大きな問題はないとしても、他宗教の立場からすれば自分たちの宗教がキリスト教に包括(強制的に納めさせられるという上から目線的姿勢)されるというのは、受け入れ難いものがあるのではないかとの疑問は否めない。
 
 しかし、後に触れるが自己の宗教を相対化して他宗教を理解するというのであれば、自己の宗教ないし信仰の各人における内面性においての絶対性が揺らぐこと(もしくは否定され)になり、本末転倒になり兼ねない。つまり、ここに宗教における個人における絶対性と他者との関わりにおける相対性という二律背反からの不可避的な現実が諸宗教間の相互理解への道の前にはだかることになるのである。
 
  次に多元主義(相対主義)であるが、この立場は自宗教も他宗教も全く対等で相対的な存在に過ぎないと考え、包括主義同様に他宗教のうちにも救いの存在を認めるが、包括主義が自宗教を担保した上で他宗教の存在を認めるのとは異なり、他宗教への完全な開きを要求するものである。このような多元主義の立場は、仏教となら仏教徒として、ムスリムならムスリムとして、ヒンドゥーならヒンドゥーとして救われるとして、他宗教の救いの根拠をキリストに基礎づけたりはぜず、勿論「無名のキリスト者」などと呼んだりもしない。そして、諸宗教間の対話や相互理解は、可能であるどころか必然であるとの立場をとっている。
 
 だが、このような諸宗教間の対話や相互理解を実現可能であるとの主張をする多元主義(相対主義)の立場に全く問題がないわけではない。それは、自己の宗教ないし信仰をも他宗教と同く相対的な存在として受け止めるところである。過去の歴史あるいは現代の社会がいいあらわしているとおり、価値や文化の相対化は一見良さそうではあるが、何事にも功罪があるように相対主義は価値観の反乱や道徳の崩壊、そして真理が覆い隠されてしまう事態を招くという問題点(デメリット)があることである。マザーテレサが言った「神に近づけば近づくほど、神が見えなくなる」の言葉や遠藤周作の「深い河」の小説に著されているものは、自己の信仰を突き詰め真理を求めながらも、人間の悲惨さとその救いという現実を目の前にして、自己の信仰の在り方に苦悩する内面が浮き彫りにされている意味深い永遠の課題のようなものを感じる。
 
 やはり、イギリスの神学者ジョン・ヒック(John Hick)のような相対主義の立場においても、宗教における個人における絶対性と他者との関わりにおける相対性という二律背反についての問題を完全に解決するには至っていないと言えよう。なぜならば、多元主義は、自己の宗教をも他宗教と同様な一宗教であると位置づけるため、自己の宗教の信仰に対する絶対性については何ら答えを与えるものではないからである。
 
 また、一般的に良く言われる宗教を登山と喩え、頂上に登るにはいろいろなルート(諸宗教)があって、それらを選ぶのは個人の自由や生まれ育った環境によるものであるとの考え方は、正に相対主義的な宗教の捉え方であろう。しかし、山を登った経験のあるものならば誰しも解るように、どんな単独峰の山であってもその裾野にいるうちは木々や岩嶺がはだかり、頂上を望める山は少ないものである。つまり、頂上は登っていって初めて見えてくるものであり、登らないうちはいくつものルートがあることさえ見えてこないものである。そして、労苦してある程度登り視界が開けてきて初めて、自分が歩んできた道のりやこれから目指そうとする頂上が見えてくるのであり、登っていない者には、自分が登ってきた道程もこれからの行き先も解らないのである。登山のように宗教にとっての頂上というものがあるのかどうかは解らないが、宗教とは徹底して求めて信仰して初めてようやく何かが見えてくるというものではないだろうか。日本人の心情でイエスの教えをとらえ「風の家」を主宰するカルメル会司祭井上洋治神父が言うところの「どの道を上っても同じ高値に出るのだと言うことを確信を持って断言する方がいるとしたら、その人は自分の足で、汗水を流しながら喜びと苦しみをかみしめながら山登りをしている人ではなく、ただ麓でそうに違いないと信じている人だと言うことだけは言えるように思います。」の言葉が浮かんでくる。
 
 そして、それぞれに宗教が目指す頂上というものが本当に同じ頂上なのか?という疑問も残るところである。確かに共通する何かはあっても違う頂上ではないのだろうか。もし、宗教が登山に喩えられるのであれば、山もいろいろあっていいはずである。つまり、私は自己の宗教ないし信仰を相対化してしまうことで、本当に自己の宗教が目指す真理を得られるかどうかという危惧感が拭いきれないということと、諸宗教が目指すものはそれぞれ違っていてかまわないと同時に、それが諸宗教間の対話や相互理解に支障をもたらすものだとは考えないのである。
 
 他者の宗教をどのように理解して、自己に他宗教をどのように受容するのか?についてであるが、「自己の宗教の立場をどのように理解して、他者(他宗教)にどのように提示するのか?」で述べたことを前提に考えるのならば、マザーテレサの次の言葉が浮かんでくる。それは、「唯一の神がおられ、その神はすべての人々にとっての神です。ですから、神の前ですべての人が平等であることが大切です。ヒンドゥー教徒やイスラム教、仏教徒がカトリックになることを祈るのではなく、ヒンドゥー教徒がより良いヒンドゥー教徒になるように、イスラム教徒がより良いイスラム教徒になるように、仏教徒がより良い仏教徒になるように祈りましょう。」というものである。このマザーの言葉こそが、他宗教をどのように理解するかの究極の答えではないだろうか。
前述したとおり排他主義・包括主義・多元主義の三つの立場には、それぞれ功罪と長短があるが、いずれにせよグローバリゼーションが急進した現代の国際社会においては、ますます国家間および個々人間において、他文化や他宗教理解が求められるていくことだろう。殊に人口減少が進む日本社会にとって、今後日本が多人種・多民族国家になる可能性も少なくない。そのような中、日本人が培ってきた宗教観の本地垂迹説も然る事ながら、古代から地理的条件によるシルクロードの最終地点として様々な文化を取り入れ発展してきた日本人の包容力の大きさは、諸宗教の対話をすすめていくうえで一層求められていく時代となろうことと、だからこそそのような時代において日本人は重要な役割と責任を担うことが出来るのではないかとの可能性を秘めていると考えるのである。特に、日本の総人口に占めるたった0.3パーセントにしか過ぎないカトリック信徒ではあるが、我々キリスト者は「地の塩世の光り」としての使命がある。そしてイエス様のみことばどおり、私たちキリスト者はからし種の一粒となって、この世に福音を宣べ伝えていかなければならない。それは言い換えればキリスト者と諸宗教との対話をすすめていくことに他ならなず、第二バチカン公会議が定めた「エキュメニズム(Ecumenism)に関する教令」の推進であり、信仰年に定められたこの機会を新たな出発点として、今後更なる努力を続けていかなければならないと考える。
 
以上。
 
 28     聖書の中にみる〈いのち〉の泉から現代における「時のしるし」を読み取る(教理学) 2013年9月3日(火) 
 今期夏期神学講習会のテーマは「信 −現代における〈いのち〉の泉」であったが、コーディネータである宮本久雄先生の「不信 −ニヒリズムの時代」という逆説的問いかけにより始まった。
 
 この問いかけを観点に、佐久間勤先生による「落ち着いて、主の救いをみなさい」の講演テーマおよびその内容をもとに、レポートテーマを「聖書の中にみる〈いのち〉の泉」から現代における『時のしるし』」を読み取る」と題して、我々が生きる現代という時代が問いかける〈いのち〉に関する「時のしるし」を読み取ることについて考察してみることとする。この考察は、カトリック教育に使徒職を見出す私にとっては、次代を担う若者たちを教え導くためには必要不可欠な事であると考えるからである。また、佐久間勤先生の「落ち着いて、主の救いをみなさい」の講演を軸として選んだ理由としては、現代における〈いのち〉に関する問題は、生命倫理(Bioethics)という学問分野の範疇では解決できないほどにその範疇を超え、質・量ともに溢れかえっていると言わざるを得ない危機に瀕しているとの考えるからであり、その問いかけの答えを聖書に求めたいとの思いからである。
 
1.実存主義の限界
 キルケゴールやニーチェを端とする実存主義は、大きく有神論的実存主義と無神論的実存主義に分類できるが、それまでの哲学が絶対的真理の追究であったのに対し、実存主義は人間一人ひとりにおける個としての真理の追究という新たな哲学の主題として、あるいは時代が求めるテーマとして展開された。20世紀における無神論的実存主義者であるニーチェのニヒリズムは、それまでの思想を覆すほど現代の人間の生き方に大きな影響をもたらしたと言えよう。ニーチェの言う生に関する思想は、他者の生を犠牲にして自己の生とし、その生への遺志は力への意志であり、この世の事物は繰り返し生成される永遠回帰するものであって、永遠回帰する世界に生きる者は無意味で無価値な者となるから、キリスト教的受動的価値によるものではない、神をも超越する超人となる能動的価値の追求にこそ、一人の人間として真に生きる者としての実存があると主張した。
 
また、キルケゴールは人間存在を主体的で自由、かつ他のいかなる人とも違う個性を持つ存在と規定したが、それが文明社会によって疎外され個としての人間ではなく、階級や社会の中にかけがえのない自分を埋没させ個性を失っていると説いた。そして、彼は主体的な自己であり得るための人間として生きていくためには、自己の存在の究極にある神に立ち向かって単独者として生きていくことが必要であることを主張し、すなわちそれは自分の内面の矛盾を選択と決断をとおして克服していこうとする努力的生き方が求められると説いたのである。
 
 しかし、いずれにせよ実存主義の最大の欠点は、自己の実存を絶対者である神であろうが、それを越える自己そのものであろうが、現実の関わりの中に生きている自己と他者との関わりを軽視するところにある。まさに、彼らの最期が他者との関わりという観点においては、悲惨なものに終わったことを考えるならば、実存主義そのものの限界が他者や社会との乖離にあると言えるのではないだろうか。さらに20世紀以降は、実存主義と個人主義を背景に個性の時代とか多様性の時代とも言われているが、それは同時に価値観の反乱や道徳の崩壊を招き不確実性の時代をもたらし、将来や未来に対して希望を持つことが難しい閉塞感に満ちた不安と失望の時代を迎えることとなったのである。
2.人間疎外からの解放と希望に満ちた生き方である「信」
 
 さて、このような将来や未来に対して希望を持つことが難しい閉塞感に満ちた不安と失望の時代は、当然のことながら現在という今を生きることに多くの人々が苦しさを覚える社会でもある。そのような現代の社会において、人々が求めて止まないものは救いと癒しである。それは、世界各国でジェラルド・G・ジャンポルスキーの「愛と癒し」や「ゆるすということ」などの著書が400万部を超すベストセラーとなるような社会現象やスピリチュアルな癒しを求める社会現象からも明らかであるし、日本社会においては生活苦を主な理由として毎年三万人を超す自殺者が出たり、ニートに代表されるような将来に希望を持てずに生きる気力を無くしている若者の増加現象にも顕著に表れている。
 
 では、そのような現代人の人間疎外状態からくる精神的な飢えや乾きに対して、聖書の教えはどのように応えていくことができるかについて述べたい。まず旧約聖書におけるイスラエルの民の歴史は、苦難と試練の連続そのものであったと断言できよう。旧約聖書における原初史創世記天地創造においては、神の命令は直ちに実行され、それらのすべては平和のうちに秩序立てられ神は良しとされた。しかし、善悪の知識の木の実に象徴される原罪のように、人間は神に背き神になろうとしたことにより、神との連続性の関係が断ち切られ、霊的に欠けた存在であることを意識して、この世で生きていかなければならない存在となったのである。天地創造の物語においては、それらを失楽園の物語の後に引き続きカインとアベル、ノアの方舟、バベルの塔の物語をもって長大に人間の愚かしい罪深さを語るのである。それは、人間が神との関連性によってのみ真に生きる者となり、その関係を断ち切ることでいかに傲慢な生き物と化し、その結果人間そのものや人間が織りなす社会がどのようになるのかを切々と説いている。このように旧約聖書では、天地創造の物語で既に神に対する信頼や信仰という「信」そのものが、人間をいかに生かし、また死に至らしめることになるのかという福音が、余すところなく十二分に語られているのである。しかし、私たち人間が現実においては神のみ摂理に従って生きることよりも、競争原理に基づく闘いによってでなければ、人間の利益や目的を手に入れることはできないと堅く信じられているのである。つまり、この世を支配するのは神ではなく、人間の力であるという人間の不完全さを顧みない身勝手な法則がまことしやかに「信」として崇められていると言ってよいだろう。だが、神の論理は力でもなければ闘いでもない。神の武器は闘いに使う道具ではなく、幼子・乳飲み子の口によって砦を築くという、小さい者・貧しい者がこの世の中心となるという秩序観なのである。
 
 旧約聖書における神への「信」は、アブラハムの信仰によってそのすべてが語られていると言っても過言ではないだろう。時として神が望み選んだ人物には、大きな試練を与えるものである。そして、試練を与えられた者にとって試練の時の只中では、それが試練とは気付かないものである。まさに、神がアブラハムに授けたイサクを焼き尽くす捧げものとせよとの神の試みは、アブラハムを当惑させ絶望の淵である闇に落とした。アブラハムの選択は、神に従いイサクを生け贄として捧げるか、神に背きイサクを生き延ばせるかである。この物語の核心は、人間の価値や判断は一見その場その時においては正しいかのようであっても、神が人間に指し示して望むことは〈いのち〉につながるということなのである。神は人間の神に対する「信」を常に見ておられ、人間は神に常に見られているということがなのだ。神がアブラハムの「信」をご覧になり、イサクの代わりに山羊をそなえて下さっている「ヤハウェ・イルエ」(主はそなえて下さる)とは、人間の神に対する絶対的「信」を表すものであると言えよう。
 
 私たち現代に生きる人間も、どんな絶望の暗闇にいるときであっても、神はいつも人間を見ていて、ともにいて下さる方であって、またすべては神が造ったのだから信頼するに余りある方であるのだから、まさに今ここにいる神に信頼し従って歩んでいけばよいのだ、という神に対する絶対的「信」を持たなければならない。それこそが、現代人が自己の内面を閉ざし組織や利害関係から束縛されて、神と自分、そして神と人間との関係を断ち切って人間疎外に陥った状況からの解放と希望に満ちた生き方につながる「信」なのではないのだろうか。
 
3.テーマの答え
 「聖書の中にみるいのちの泉から現代における『時のしるし』」を読み取る」の答えとして、旧約聖書の創世記における神と人間との「信」の関係から、人間は神の恵みと憐れみによってのみ真に生きる者となるのであるから、人間を含むこの世のすべてをお造りになった神を絶対的に信頼し、不完全であるからこそ神によって満たされることを常に思い起こさなければならない。現代人は様々な部面で科学技術が発達し科学万能神話を疑うことなく信じているが、それはあくまでも人間の不完全な「信」でしかないのだということを、現代に生きる我々人間は、その根源的存在の在り方を原点回帰して、見直さなければならない回心の時を迎えていると言える。という「時のしるし」を今読み取り、それに対処すべく行動することが求められている。
以上。
 
 
 29     「カインとアベル」の物語に学ぶ 2013年5月20日(月) 
 旧約聖書、創世記4章1節〜16節に、「カインとアベル」のごく短い寓話が記されている。
 
 カインとアベルはアダムとその妻エバとの間に生まれた二人の兄弟である。アベルは羊を飼うものとなり、アベルは土を耕すものとなったと記されているが、兄のカインよりも羊飼いのアベルの生業に先に触れているのは、遊牧民であったイスラエルの民が遊牧民の優秀性を言いたかったのか、それとも後に記されるアベルの神に対する捧げものである羊の尾初子の正当性を言いたいのかは解らないが、いずれにせよ文字どおりに解釈するならば、長男であるカインよりも次男であるアベルのことに言及しているところも興味深い。
 
 おそらく二人は、仲の良い兄弟であったに違いない。しかし、それは二人が成長しそれぞれの生業を持ち自立したある日のこと、神への捧げものをする日を境にしてその関係は一変してしまうのである。彼ら二人の兄弟は、それぞれの分に応じて、兄のカインは土を耕すものであったからその収穫物を、弟のアベルは羊飼いであったからその年の羊の初子を、それぞれ供え物として神へ捧げたのであった。
 
 しかし、何故か神は、「弟アベルとその供え物には目を留めたが、兄カインとその供え物ものには目を留められなかったかった。」のである。その理由には言及されていないので、聖書の解釈の上でもいろいろな考え方があるところだ。しかし、明らかなことは聖書に記されているように、兄のカインは「ひどく憤慨して、顔を伏せた。」とあるように、兄カインは神の理不尽さに痛恨の念をもって激怒したのである。しかし、神は、そのカインに向かってこう仰せになった。「なぜ憤慨するのか、どうして顔を伏せるのか。お前が正しければ、顔を上げればよいではないか。お前が正しくなければ、罪が戸口でまちかまえているようなものではないか。罪はお前を慕う。だが、お前はそれを押さえなければならない。」と…。
 
 そして、カインはその怒りを抑えきれないばかりか、弟アベルに対して嫉妬しさらに憎悪の念を増長させ、実弟であるアベルに殺意を抱き殺してしまうのである。人間の怒りは、憎悪の種火となって殺意の炎もさえ心の中に燃えたぎらせてしまう事態を招いてしまう。実に恐ろしいものである。そして人の憎悪による罪は、殺し合いの応酬をつくり出し、憎しみの連鎖となって止めることができなくなることは、人間が織りなしてきた数々の歴史と現在の様々な事象が証明しているではないか。
 
 妬みと憎しみに駆られて弟アベルを殺した兄カインに、主である神は仰せになった。「お前の弟アベルはどこにいるのか」そして、カインはそれに応えて「知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」とうそぶくのである。そこで、神は、「何ということをしたのか。聞け、お前の弟の地が土から私に叫んでいる。土は口を開いて、お前の手から弟の血を受けた。今やお前は土に呪われる。お前が土を耕しても、もはや土はお前のために実を結ばない。お前は大地を迷いさすらうものとなる。」と仰せになる。カインはそれに対して、「わたしの罪は重すぎて、耐えられません。あなたは今日わたしをこの土地から追放されます。わたしはあなたの目の届かないところに追いやられます。わたしは大地を迷いさすらうものとなり、わたしを見るものは誰でも、わたしを殺すでしょう。」と、もはや自分は自分が犯した罪故に、神からも見放され、他者からも殺そうと狙われる者となったことを自覚するのである。しかし、神はカインにこう仰せになる。「ならば、カインを殺す者は誰でも、七倍の復讐を受けるであろう。」そして、神はカインを見ても、誰も彼を殺すことのないように、カインに徴をつけられた。と記し、カインは主の前を退き、エデンの東、ノドの地に住んだ。とこの物語は締めくくられている。
 
 一見この物語は、「人間が抱く憎悪の念と罪の結果」に対する教訓と罪を犯した人間に似すらなおも与えられる神の恩寵を表すものと考えられている。しかし、私はこの度の出来事をとおして、この「カインとアベル」の物語は、それだけではなく世の中の不条理や理不尽にどう接し対処して行けばよいのかの教えであるのではないかとの気付きを得た。それは、なぜ神は弟アベルの供え物に心を留め、兄カインの供え物に心を留めなかったのか?という不条理と理不尽さである。おそらくカインの労働の実りである捧げものを受け入れなかったことに、カイン自身の落ち度はなかったのではないかと考える。だからこそ、神は「なぜ憤慨するのか、どうして顔を伏せるのか。お前が正しければ、顔を上げればよいではないか。」とカインに問いかけるのである。自分に何らやましいことがないのであれば、憤慨する必要も顔を伏せる必要もなく、その憤慨という怒りの感情を自分自身で制御できなければ、「罪が戸口でまちかまえているようなものではないか。罪はお前を慕う。」と警告し、人間の怒りによる罪の誘惑の怖さをも諭しているのである。
 
 これは、まさに「世の中の不条理・理不尽さ」に人間は、どう対処して行けば良いのかと言うことと、それに対して妬みや憎しみを抱けばどのような結果が待ち受けているのかという教訓を表すものなのである。この用は、不条理や理不尽なことにまみれている。「正直者は馬鹿を見る」という諺があるとおり、正しさや真っ当な生き方をする者ほど迫害を受けたり、損をするものである。しかし、神はそのような生き方によって生じる世の中の不条理や理不尽さに対する憤りや喪失感がどのような結果を生むことになるのかということと、そのような不条理で理不尽な世の中で苦しみ罪を犯した人間にでさえも神は決して切り捨てることなく、むしろそれでもなお恩寵を与え続ける懐の深い愛情豊かな神がいるのだということを教えているのである。
 
 人は自分に落ち度や非がなく正しければ正しいほど、世の中の不条理や理不尽さに対して怒りを覚えるものである。しかし、その怒りや憎しみに支配されてしまえば、その結果はカインが犯した罪に行き着いてしまうのである。人が人をゆるすすことは、口で言うほど簡単ではない。しかし、どんなに自分が正しくても、いや正しければ正しいほど、そして人を憎めば憎むほど傷つくのは自分自身の魂や精神である。しかも、怒りや憎しみは人の心を蝕んでいき、やがては自分を含め多くの人々に死をもたらしてしまう。
 
 どんな世の中の不条理や理不尽に対しても憤ってはいけない憎んではならない。憤りや憎しみは、人を裁き死をもたらし、自分と多くの人々を罪に落とし入れることになる。世の中の不条理や理不尽に対する怒りや憤りそして憎しみは、神への信頼と聖霊の働きの助けを得て、制御し消していかなければならない。
アーメン。
 
 30     「退職の挨拶」 2013年3月26日(火) 
 ちょうど30年前、当時の生徒の皆さんの前で「よろしくお願いします。」と新任の挨拶をしました。そして今日は、30年前の新任の時と同じネクタイで、皆さんの前でお別れの挨拶をします。
 
 私は、泣き虫なので書いてきたお別れの挨拶を読みます。
 
 高校一年生の夏、生きることへの苦しみを覚え、聖書を買いました。読んでみましたが、意味が全くといっていいほど、わかりませんでした。高校二年生の夏、母が不治の病にかかり、その苦しみから逃れるため教会の門を叩きました。高校三年生のクリスマス、主イエス・キリストに付き従い生きていこうと決心し、洗礼を受けました。
 
 以来、主イエス・キリストの福音である真に生きる喜び、真に幸福になる教えを伝えることを使命として今まで生きてきました。教師生活30年を節目に、少し立ち止まって自分を見つめ直し、新たな場で自分の使命を果たすために、この学校を去る決意をしました。
 
 明の星で過ごした30年間は、私の人生の宝です。そして、中学二年生、高校一年生、二年生の皆さんと過ごしたこの一年間、二年間、さらに内進生の皆さんと過ごした五年間は、私にとってもっとも幸福な時間でした。ありがとうございます。中学二年生の皆さん、鉄は?(生徒たちにいつも話していたこと…。「熱いうちに打て」とちゃんと応えてくれました。)そうですね!全校の皆さん、求めよさらば与えられん。叩けよ、さらば開かれんです。皆さんは、神さまが必要とされ、お望みになったからこそ、この世に生まれてきたのです。そして、神さまは一人ひとりに果たして欲しい使命をお与えになっています。人は、それに気付き目覚めることで、真に生きる者となります。そのために、今は学んで下さい。考えて下さい。そして祈って下さい。ご両親や兄弟姉妹、友人、学校の先生たちと人間的な深い関わりを持って下さい。
 
 これが、私からの皆さんへ向けた最後のメッセージです。今まで、私に幸せな時間をくれた生徒の皆さんに心から感謝します。本当にありがとう。そして、さようなら。皆さんのもとに、主なる神さまの祝福が豊かに注がれますよう、お祈りしています。
 
2013年3月26日(火)離任式にて
 

Last updated: 2016/11/15