「ヤハウェ(yahweh)」は、ヘブライ語で、古代イスラエルの固有名詞としての神の名とされ、旧約聖書においての用例は6800を越える。ユダヤ学者たちは、モーセの十戒第三戒(出エジプト記20:7)による神名濫唱の禁止から、子音YAWHを「わが主=アドナイ(donay)」の異形という形で読ませたといわれるが、これが元来どのように発音されたかは不明である。その理由として、B.C.70年のエルサレム陥落後、大祭司にのみ相伝されていた四文字のYAWHの発音が、大祭司がいなくなったことで分からなくなったとされている。(ヘブライ語にはもともと22の子音しかなく母音を表す文字がないこともその理由の一つと考えられよう。)さらに、訳語の「主」は、七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)のギリシア語キリオス(Kyrios)以来の伝統で、原音は、「ヤハウェ(yahweh)」と学問的に復元される。また、旧約聖書は神名ヤハウェの啓示をモーセ(ヘブライ語でモシューであるがエジプト系の名前である。)に遡らせ、モーセが契約と律法とによって、全く新しい性格(動詞ヤーハー「ある、存在する」)と結びつけて(出エジプト記3:14)、神「ヤハウェ(yahweh)」として流浪の民ヘブライに啓示したのである(出エジプト記6:3)。すなわち、「ヤハウェ(yahweh)」は、エジプトに囚われていた民を贖い出した救済の神であり、創造者なる唯一絶対の神であるという神観が「ヤハウェ(yahweh)」信仰の根底にあるのだ。しかし、いずれにせよ神名「ヤハウェ(yahweh)」の起源については、聖書外資料に基づく種々の提案があり、確かなことは不明であるとされている。
「YAWH」の呼び名はともかくとして、ではその神 「ヤハウェ(yahweh)」とは、どのような神であるのだろうか。出エジプト記のモーセが出会った神という観点から述べることとする。
モーセは神から民をエジプトから連れ出すことを命じられるが、躊躇して尻込みする。そして神に対し「わたしは何ものなのでしょう」と答えるが、神は「わたしは必ずあなたともにいる」と励ますのである。しかし、その神の励ましに対してもモーセは不安を拭い切れずに「神がわたしをここに遣わしたと民に言ったとしても、それはどうゆう神だと問い質されるに決まっている」とあくまでも逃げ腰なのである。そして神はモーセに対して「わたしはある。わたしはあるという者だ。」(出エジプト記3:14)と答えるのである。この文章は、二つに分けて訳されているが、原文は三つの単語からなる一つの文章であり、「わたしはあるだろう」という動詞とその後の「関係代名詞」と「わたしはあるだろう」という動詞が繰り返されている構成となっている。この文章は、「わたしはなるであろうものになるだろう」と訳することもでき、「お前がどこにいてもそこにわたしはいるだろう」つまり、「わたしは常にともにいる」という意味として捉えることができる。
神がモーセに語った「ともにいる」とは、神のモーセに対する約束であり、イスラエルの民への約束でもある。神は常に民とともにいて、彼らの苦悩や境遇を見て、聴いて、知って、時宜にかなった計らいをする方であるのだ。逆説的に捉えるならば、民が常に神とともにいるという信頼があるのならば神は常に民とともにいるのであって、そこに揺るぎない神の民に対する救いと民と神との関連性が表されている。
以上、神「ヤハウェ(yahweh)」の起源が不明だとしても、また宗教史的に見れば、イスラエル民族の中で最初からヤハウェという神が崇拝されていたのではないとの可能性は否定できないとしても、「ヤハウェ(yahweh)」と出エジプトとの関連性は密接で切り離し得ない。よって、「ヤハウェ(yahweh)」崇拝は、出エジプト伝承ととにイスラエルにもたらされた可能性があると考えられる。また、イスラエル民族共同体の成立当初から自らを「ヤハウェ(yahweh)」の民と理解していたということは、旧約聖書全体から総合的に判断できることから、「ヤハウェ(yahweh)」の民の歴史的起点として理解されて伝承され、出エジプトという出来事が「ヤハウェ(yahweh)」信仰の原点として位置づけられたと考えられる。
「ヘブライ」についてであるが、まず聖書の歴史によれば「ヘブライ人」とは、ユーフラテス川の対岸から来た人たちを指す(創世記14:13、ヨシュア記24:2)。あるいはこの名はもともとエベルからつくられた父称であって、イスラエル人を含むすべての彼の子孫を指すともされる。ヘブライ語の「イブリー」は、アッカド語の「ハビ(ピ)ール」と同根と考えられ、「移動する者」、「向こう側、川向こうの人」、「よそ者」の意で、おそらく紀元前2000年頃以降、遊牧生活をしながら他の土地からパレスチナ(カナン)地方に移住してきたイスラエル民族の祖先たちが、先住民から「(ヨルダン川の向こうから来た)よそ者」(創世記39:14、出エジプト記3:18、サムエル記上4:6)という蔑称の形で、また同胞奴隷をそのように呼んでいた(出エジプト記21:2)ことから、それが自分たちの呼び名になったのではないかとも推測されるが、蔑称を自分たちの呼び名として用いる事への疑問は残るところである。
また、、エジプト語では「アピール」という形で表されており、「ハビール人」は、外国人であって幸運をもたらす兵士たちであった。バビロニアでは、彼らは傭兵でありヌズのフリ人の間では、政経を得るために身を奴隷として売らねばならなかった。元来この名前は民族名ではなく、総称であってハビール人がパレスチナに侵略したとの記述がテル・エル・アマルナ文書にあるように、イスラエル人は確かに「ハビルー」と呼ばれる集団に属していたが、ハビルーのすべてがイスラエル人ではなかったようである。
ヘレニズム期以降は、伝統を重んずるユダヤ人をさし(ユディ10:12)、初代教会ではアラム語を母語とするユダヤ人キリスト者をヘブライ人と呼んでおり(使徒6:1)、パウロも自らをヘブライ人と誇る(Uコリント11:22、フィリピ3:5)と記されている。
旧約聖書創世記は、ヤコブがエジプトに移住したことで閉じられているが、その後に続く出エジプト記、レビ記、民数記、申命記では、ヤコブの子孫がモーセに導かれてエジプトを脱出し、荒れ野を彷徨いヨルダン川東岸に到着するまでのことが書かれている。モーセは約束の地に入ることなく、あるいは神によって入ることをゆるされず死に、後継者であるヨシュアがエリコを手始めにカナンの地を次々と獲得した過程がヨシュア記に記されている。さらに続く士師記にはカナンの地に定住した民が士師と呼ばれるカリスマ的指導者たちによって困難を克服する様子が述べられているが、イスラエルの成立はカナン定着後であると考えらており、独自の歩みを経てカナンに定着した集団が結合して部族連合が形成され、それが時間の流れとともに拡大しながら最終的に十二部族による部族連合が形成されたと考えられる。
よって「ヘブライ」という呼び名は、このイスラエル十二部族の部族連合体が形成される以前の過程において徐々に形づくられ、流浪の民である少数民族としてのアイデンティティ、特に弱小共同体を堅持するための旗印となっていっていき、それが彼らの集団としての結束と生きるすべであったのではないかと推測できる。
「イスラエル」とは、ヘブライ語で「神が支配する、神は強し、神と闘う者」の意味で、もともとはヘブライ民族十二部族の宗教連合体の名称で、「イスラエル」という民族が存在するわけではない。紀元前1200年代後半以降、パレスチナ地方に定着してからこう呼ばれるようになったもので、イスラエル十二部族の部族連合体形成後、民族的かつ神聖な呼称として用いられることとなった自称であって、他民族からは「移動する者、よそ者」を意味する「ヘブライ人」と呼ばれていた。
しかし、史実としてのイスラエルの起源は諸説あって、その起源を探る文献が聖書以外には歴史的資料が存在しないため確認できていない。しかし、「イスラエル」という名が登場する最古の文献は、ラメセス大王を継いだファラオ・メルエンプタハがその治世第5年(紀元前1208年)に作成させた戦勝碑文があって、それによればこの王が征服したカナン都市や民を列挙する中に「イスラエル」と呼ばれる民が存在していた事が記されているので、紀元前1200年前後からパレスチナ山地や丘陵地の小居住地に定着した一集団の中に「イスラエル」と名乗る民の存在の痕跡を認めることができる。
聖書の中で「イスラエル」の言葉は次のように用いられている。一つには、族長ヤコブの別名で後にヤコブがヤボクの湖畔で神と格闘したとき、「お前は神と人と闘って勝ったからだ」としてこの名を与えられた(創世記32:23-33)。また、二つ目にはヤコブを祖とする十二部族に与えられた総称(創世記49:16,28、出エジプト記1:9)。レハブアムの時代に王国が南北に分裂するまで、ユダの人々もイスラエルと呼ばれていた。そして三つ目には、北王国がソロモンの子レアブハムに背いて、ヤロブアムT世を王に望んだが、ダビデ家に対する忠誠を守り抜いた南王国のユダと区別するためにこれをイスラエルと称している。
ソロモンの統一王国がレハブアムの時代に南北に分裂(B.C928年)した際、北イスラエル王国は10部族、南王国はユダとシメオンの二部族となりユダ王国と呼ばれたが、北イスラエル王国は、南王国よりも外国の影響を強く受け、宗教的にも混乱があった。やがてイスラエルが紀元前722年に、ユダ王国が紀元前587年に滅亡し捕囚時代に入るが、この頃から以後イスラエルの名称は再び「移動する者、よそ者」を意味するヘブライ人全体の呼び名となった。ただし、政治的社会的にはユダヤ人の名が一般的となっている。
新約聖書では、パウロによってキリストによる新しい神の民(教会)が「神のイスラエル」と呼ばれている。(ガラ6:16、ロマ9:6、11:26、ヘブ8:8)現在では、1948年以降、全世界に離散していたユダヤ人(ユダヤ教徒)がパレスチナに建設した新国家もイスラエル共和国と呼ばれている。
このように、「イスラエル」とは、アブラハムを原祖としその血縁であるヤコブを祖とする十二部族の集団が、神の約束の地を獲得するまでの流浪する時代や捕囚時代においては「ヘブライ」と呼ばれ(自称し)、唯一絶対神である「ヤハウェ(yahweh)」によって選ばれし民としての民族意識を形成しながら、宗教共同体であるユダヤ人の理想国家としての「イスラエル」であると言えよう。
以上。
参考文献
1.「旧約聖書を学ぶ人のために」並木浩一/荒井章三[編]世界思想社
2.「図解雑学旧約聖書」雨宮慧 著 ナツメ社
3.「聖書時代史」旧約編 山我哲雄 著 岩波現代文庫
4.「岩波キリスト教辞典」岩波書店
5.「新共同約聖書 聖書辞典」 新教出版社
6.「キリスト教徒の出会い 聖書資料集」冨田正樹 著 日本キリスト教団出版局
7.「旧約聖書を読む」 池田敏夫 著 中央出版社
8.「聖書年表 聖書地図」和田幹生 著 女子パウロ会
|