神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、.に不思議な業を、したでは、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。
(使徒言行録2:17〜21)
 

ホーム  Home 書簡  Epistle プロフィール Profile 更新 What'sNew 信仰 Religion カトリック教育
宗教教育研究 学校マネジメント カトリック学校宣言 カトリック教育省文書 教会共同体 教会学校
信仰告白 生徒と卒業生 講話集 Lectures 詩情 Poetry 家庭と妻と夫 愛犬 MyPetDog
写真 Photograph ブログ Web Log サイトマップSightMap リンク集 LinkPage MissionNetwork

講話集   Lectures

『この民のところへ行って言え。
あなた達は聞くには聞くが、決して理解せず、
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍り、
耳は遠くなり、
目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、
耳で聞くことなく、
心で理解せず、立ち帰らない。
わたしは彼らをいやさない。』
(使徒言行録28:26〜27)
キリスト教研究 宗教学・教理学・宗教史・哲学・宗教科教育法
前のページ 目次 次のページ
 16     「キリスト教教父の現代教会共同体における意義について」 2015年11月11日(水) 
キリスト教教父とは、イエス・キリストの弟子である十二人の使徒の生き方を引き継いで、初代教会共同体において常に信仰者としての証しを貫き、聖性に満ちて公の場で奉仕したキリスト者の指導者たちのことである。教父としての条件は、@「古代的時代性」、A「正統信仰の保持」、B「聖なる模範」、C「公的承認」という4つに集約され、彼らの志は第二バチカン公会議信仰刷新(アジョルナメント)にも影響を与えている。
 
 キリスト教の古代の思想は、神と人間そして世界について考察し、神学の土台を築いたギリシア教父と生活の規律と共同体内の法規そして典礼儀式の規定を築いたラテン教父に大別され、いずれもキリスト教の安全性と理解を求めながら外的迫害から教会共同体を保護することと教会共同体の内部分裂を防ぎ、共に祈ることでキリスト共同体としての一致をもたらすための役割を担った。
 
 十二使徒と重なる時期に、一緒に活動して多大な影響を受けたキリスト者たちが、後に教会の指導者となって十二使徒の使信を受け継いで、権威を示し使徒教父と呼ばれた。十二使徒は、イエス・キリストと生活を共にした目撃者であるがゆえに、教会共同体の中で尊敬されていたが、その十二使徒と直接関わったという理由で使徒教父もまた権威を持つこことなった。よって、教会における権威とは、使徒継承という特長によって支えられているものであり、決して独裁的な権力ではないのである。十二使徒と使徒教父は連携しながら教会共同体を導くことによって、次第に教会共同体の組織体制が整っていくことになる。
 
 初代教会のころは、神から直接的に使命を与えられたという自薦を根拠にして、積極的に使徒職をこなすカリスマ的な活躍をする指導者もいたが、次第に教会共同体は使徒によるイエスの目撃者証言を忠実に受け継ぐことに意味を見出すようになり、個人の独創的な活躍よりも組織全体の凡庸な忠実さを重視するという観点から、教会共同体の指導者に推挙されて役務的に活動する指導者の体制ができあがっていくことになる。
 
 紀元1世紀が終わるころには、主イエスと直接交わった弟子たちは姿を消し、教会共同体は第二世代目の時代に入るが、各地の指導者に選ばれた人々は、最初の使徒たちの権威と按手によって信仰とあかしを受け継ぎ、キリスト者を導いてい行くことになった。これらの初代教会の使徒教父と呼ばれる代表的な人物として、ローマの司教かつ殉教者クレメンス、アンチオケイアの司教かつ殉教者イグナチオス、哲学者かつ殉教者ユスティノス、リオンの司教かつ殉教者エイレナオス、カッパドキア三教父である聖バシレイオス、ニュッサの聖グレゴリオス、アジアンゾスのグレゴリオスなどの名があげられる。またこの時期には、信仰共同体における司教、司祭、助祭など種々の奉仕職が分化し定着しつつあった。
 
 2世紀半ばまでには、キリスト教固有の信仰生活の形が整えられ、第一にキリストの復活の日(日曜日)は主日と呼ばれ、その日には復活を記念して感謝の祭儀が行われた。そこでは、旧約聖書や当時編集されつつあった「イエス語録」、使徒たちの手紙が朗読され、会衆は賛美の歌を歌い、司祭の説教に耳を傾けた。さらに、キリストの最後の晩餐が十字架のあがないと復活の記念として祝われた。第二に信者の群れに加わるしるしとして洗礼が定められたが、それに先立って洗礼志願者には一定期間の信仰教育がほどこされた。第三にキリスト者たちは、当時の社会の腐敗から身を清く保ち、物心両面にわたって互いに助け合い、キリストにおける兄弟的な交わりを深めた。しかし、こうした生き方は周囲に秘密結社的な印象を与え、人々の敵意と警戒心を招く結果になったことも見逃せない。
 
 4世紀以降の神学は、キリスト教以外の思想を取り入れるなど行き詰まりが見られるが、教義における哲学から神学への流れが見られ、キリスト教信仰が聖書研究に終始するのではなく、キリスト者としての日々の生き方や信仰のあり方に結びつけることが重要視されるようになる。そして、教父たちが遺した文書からは必ず、「愛するものである神の感謝と賛美」が表明され、文書の冒頭部と本文および終結部には「御父と御子と聖霊に感謝し、賛美します」という祈りの宣言が繰り返し見られることから、信仰者として生きることは、三位一体の神に感謝して賛美のうちに祈ることを求めていることが表されている。
 
 さて、このような初代教会における教父の思想や活動およびその時代と私たちが暮らす現代および、そこに生きるキリスト者としての生き方と信仰のあり方との関連と学びを考えてみる。
 
 まず、共通する点は、現代キリスト教共同体とキリスト者は、初代教会とキリスト者同様、直接イエス・キリストを知らない時代に生きているということである。よって、私たちキリスト者は、初代教会のキリスト者同様に、愛するがゆえに人間に近づき同化し共に生きる神に自ら近づき、応答しようとすることが求められている。そして、それは神の謙遜と同意に基づき受肉したイエスをキリストであることを信じ、神の自己無化の愛に応える生き方に倣うことである。それはまた、教父たちが築き上げてきた三位一体の神を信じ、希望し、愛するという信仰そのものに他ならない。
 
 信仰とは、人間の理性によって神を知識として取り込もうとするような傲慢を棄て、イエスのように、他者のために自分の命のすべてを与え尽くす自己無化する生き方である。神が求めるそのような人間相互の生き方の中にこそ、イエス・キリストが示した神の現存と神の国が実現する。よって私たちの信仰は、神と個々の人間との関係にのみ実現するのではなく、イエス・キリストを中心とした共同体としての関わりの中に完成されるものであるから、教父たちが指し示してきた教会共同体の教えと共に、常に聖書そのものから神の本質を見出していかなければならない。
 
 しかし、現実を生きる私たちには、個人的にも教会共同体内部の中にも、そして外部の世界との関わりの中にも、さまざまな問題を抱えながら、それぞれの信仰を生き抜いていかなければならない。このような問題は、キリスト教が迫害されていた初代教会において、またそれを導く教父たちにおいても、今の時代以上に解決しなければならない大きな問題としてはだかっていたに違いない。
 
 そのような意味において、私たちが生きるこの現代社会も信仰を生き抜くことに、多くの障害がある時代ではないだろうか。特に日本社会においては、キリスト者はマイノリティであるし、信教の自由が認められているとはいえ、宗教そのや信仰する者が受け入れられているかといえば疑問なところがある。さらに、価値観の反乱や経済的裕福さと効率化の優先から、人間そのものの価値を一義的に捉えることが先行している。また、教会共同体の中にも確実に少子高齢化が進行し、司祭や奉献生活者の高齢化と減少、そして信仰の次世代への継承も途絶えがちである。特に、教会共同体組織の一員であるカトリック学校や社会福祉施設など、本来イエス・キリストの福音の眼差しによって運営されてきた機関も、経営の採算を最優先するがあまり、その霊性を失いつつあることも否めない。そして、そのような中でキリスト者としての最大の使徒職である福音宣教の実践にも危機感さえ覚える時代である。
 
 「第二バチカン公会議以降50年」、「日本の信徒発見から150年」、そして「奉献生活の年」という信仰の節目の年が問いかけてくるものがある。教父たちがキリスト者とその共同体を守り育ててきた信仰の礎が、確かに私たちキリスト者には教会共同体としての宝として受け継がれている。しかし、それを生かすも殺すも現代を生きる私たちキリスト者が、本物のキリスト者として今を生き抜こうとする信仰を生きているのかが問題である。
 
 私たちキリスト者とその共同体が信じる神は、この世の悪という暗闇でさえも消し去り、救う神であり、私たち人間の心の中に常に愛という恵みを働きかけている神である。私たちキリスト者は、イエス・キリストの御言葉と行い、そして十字架の受難と復活をとおして、その神に目覚めなければならない。
 
 私たち日本のキリスト教の原点であるキリシタンの地、長崎と五島列島の教会群が世界遺産として来年認定される予定であるが、本当に受け継ぎ引き継ぐべき遺産は、教会という建築物ではなく、命がけで守り引き継ぎ受け継いできた信仰そのもであるはずだ。同様に、二千年もの間受け継がれてきた十二使徒をはじめとし、その後を引き継いできた教父たちが築いてきた教会共同体の信仰を、現代の私たちキリスト者とその共同体が、どのように受け継ぎ、それを現実という今という時の只中で生き、次世代に引き継いでいくのかが問われている。現教皇フランシスコが、私たちキリスト者とその共同体に訴えかけているものは、社会に開かれた教会とキリストの眼差しに根ざした正義の実現、そして福音宣教に喜びをもって働きかける者としての信仰であり、主イエス・キリストに付き従う真のキリスト者としての証し人としての生き方である。
 
 私たちの主イエス・キリストの救済は、絵空事の現実離れした救いではない。私たち人間一人ひとりが、人間本性として全人格的に肯定され、生き生きとこの現実を人間らしく生きることである。そこには、霊的存在として生きる人間の本性に働きかける神の愛と慈しみが、どうしても不可欠である。そのような観点においても、キリスト教教父が明らかにした神学は、父と子と聖霊という三位一体をはじめとするこの世に現存する神は、私たち人間を救いに導く神への信仰へと導くものとなっている。
以上。
 
評価結果 A
 17     キリシタン史 −東西交流史− を学んで考えること 2015年11月11日(水) 
 キリシタン史研究上、原文校訂することの重要性を知った。そして、編集本自体に多くの誤訳や誤解があること、なおさら翻訳本には語彙解釈上の言葉の壁があることを、強く感じた。そのような観点に於いて、ローマに残されているキリシタン時代のイエズス会士による「日本通信」は、当時のキリシタンの状況や布教活動および日本史を知る上でも非常に重要であると言える。特に、キリシタンに関する文献や史料のほとんどは、禁教令によるキリシタン迫害のため日本の文献は消失してしまっているので、当時の状況を知る唯一の史料として貴重である。
 
 この講義で、最も大きな示唆を得たことは、現代日本におけるキリスト教の福音宣教が、どうあるべきかということである。それは、キリシタン時代におけるミゼルコルジアという信徒組織の活動である。この組織の背景には、当時の浄土真宗の「惣道場」という互助組織が大きく関わっていたということが、多くの示唆を与えてくれる。当時、世間の誰からも相手にされず見捨てられていた、特に穢れを持つと忌み嫌われていたハンセン病や梅毒等の病を煩っていた人々、また親に捨てられた孤児らを手厚く介護していた宣教師や最初のキリシタンたちの活動が、仏の慈悲の実践行為として受け入れられ、それらの活動が、もともとあった浄土真宗の「惣道場」という信徒組織が、イエズス会がもたらしたミゼリコルジアに移行することで、仏教界の抵抗勢力がありながらも、キリスト教が多くの人々に受け入れられていった要因であろう。
 
 また、初めて日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルが、仏教が一般大衆化していた当時の状況の中、天竺から来た僧侶として紹介されていたということも、一つの要因としてあげられよう。さらに宣教師たちがもたらした日本人がまだ知らぬ自然科学や人文学等の高度な知識は、当時の知識人社会においてキリスト教を警戒するより、むしろ深い関心と興味を抱かせ、人々を引きつけたことは言うまでもなかろう。
 
 現代日本社会のおけるキリスト教宣教の行き詰まりは、現代教会共同体がキリシタン時代のミゼリコルジアが実践したような主イエス・キリストの小さき者たちへの眼差しが希薄しているからではないだろうか?明治初期、ようやくキリスト教禁教令が解かれた後、欧米社会に比べて近代化に後れをとっていた日本は、再びキリスト教文化がもたらす高度な知識や教育を必要としていたであろう。また、太平洋戦争後の壊滅的打撃を受けていた日本社会は、そこからの復興のために社会福祉事業や教育機関を必要としていた。そういった社会的需要に多くの宣教師会や修道会が応えた。しかし、現代はどうかといえば、戦後日本に宣教に入った多くのキリスト教団体は、その目的の多くを達成した後の新たな目的と本来的目的を見失いつつあるか、持続的発展ができないでいるのではないか。それは、まさに時宜にかなったミゼリコルジア的主イエスの貧しい者、小さき者、虐げられた者へのまなざしである愛の実践が、現代日本社会とマッチングしていないからではなかろうか?との疑問を払拭できないのである。
 
 キリシタン時代から迫害の時代を経て再宣教の時代(日本の再福音化)から70年になる今、わたしたちキリスト者とその共同体は、現代という時のしるしを読み取るために、過去の歴史を学び現代を知り未来を構築するという観点から、今一度、キリシタン時代に遡って、福音の原点に立ち返って、一人ひとりと共同体の信仰のあり方、特に信徒間の信仰生活の共有と共同体における生活共同体てきつながりを問い直す必要があるのではないだろうか。
 
評価結果 A
 
 18     「ミサ(エウカリスティアの祭儀)の豊かさ」 2014年12月6日(土) 
 第二バチカン公会議典礼憲章第三章「他の諸秘跡と準秘跡 秘跡の本性59」において、「秘跡は、人々の聖化のため、キリストの体を形づくるため、さらに神に礼拝をささげるためのものである。また、しるしであることにより、教育にもかかわるものである。秘跡は信仰を前提とするだけでなく、ことばと事物をもって信仰を養い、強め、表現する。そのため、信仰の秘跡と呼ばれる。秘跡は恵みを授けるものであるが、秘跡の祭儀は、信者がこの恵みを豊かに受け、神を正しく礼拝し、愛を実践するために、もっともよい心構えをもたせるものである。したがって、信者が秘跡のしるしを容易に理解し、キリスト教的生活を養うために制定された諸秘跡に、熱心に繰り返しあずかることはきわめて重要である。」と定めている。
 
 まずは、「エウカリスティア」の言語であるが、もとはユダヤ人の食事の間に行われる神に対する感謝の祈りを唱えるエウカリステインと賛美の祈りを唱えるエウロゲインという神への感謝の行為からくるものであある。また、エウカリスティアの秘跡は、その無尽蔵の豊かさから様々な呼称で呼ばれ、聖体となるべきものが聖別(consecratio)されることによってサアクラメントゥムとも言われる。現在では、エウカリスティアは、感謝の祭儀とも言われ、キリスト教生活全体の源泉であり頂点であると位置づけられ、神の生命への交わり(コムニオ)と神の民の一致の表現し実現させる聖体祭儀・礼拝祭儀の頂点であるとも理解されている。エウカリスティアは、「わたしたちの考え方はエウカリスティアに共鳴し、エウカリスティアはわたしたちの考えを強固なものにします」とし、わたしたちの信仰の要約であり、頂点であると理解されている。 (カトリック教会のカテキズム第1章キリスト教入信の秘跡第3項エウカリスチアの秘跡1教会のいのちの源泉、頂点であるエウカリスチア(感謝の祭儀)、2この秘跡の呼称1324〜1328)
 
 次に秘跡についてであるが、ギリシア語のミステリオン(mysterion)=隠れた神秘を示す感覚的しるし、そのしるしはことばをも含めた可視的で具体的な質料で、狭義で固有な意味では、典礼・祭儀的しるしのことである。このギリシア語の神秘を意味するミステリオンは、ラテン語においてミステリウム(mysterium)とサクラメントゥム(sacramentum)という二つの言葉に訳され、やがてミステリウム(mysterium)は理性だけでは理解できないが、啓示によって信じるべきことがら(神秘)を意味するようになり、サクラメントゥム(sacramentum)は目に見えない神の救いが実在するすることを示す目に見えるしるしを強調する語として使われるようになった。カトリック教会では、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙階・結婚の七つを秘跡が第二リヨン公会議(1274年)の信仰宣言の中で確立されて以来、今日まで執り行われている。
 
 サクラメントゥム(sacramentum)は、イエスの言行が、神の国の隠れた神秘を示すとされ(マタイ12:28、13:11)、殊に十字架のイエスこそ、神の知恵(神秘)の現れと語られている(Tコリント2:7)。そこから、キリストが神の神秘を表すしるしとしての原サクラメントゥムが導き出され、テルトゥリアヌスからアウグスティヌスにかけて、このサクラメントゥム(sacramentum)の語彙の意味は定着した。アウグスティヌスは、目に見える素材を「しるし(signum)と呼び、それによって神の救いの恵みそのもの(res)が表され、これを成立させているのがキリストの秘跡制定の「ことば」(verbum)であると説明し、アウグスティヌス以来、秘跡は「目には見えない恵みのしるし」と定義された。また、秘跡の中でもっとも典型的なものは聖体(エウカリスティアとされ、中世の神学者トマス・アクィナスによれば、パンとぶどう酒はしるしであり、しるしづけられた実相はそのしるしに現存するキリストであり、しかもさらにこの実相がしるしとなり、しるしづけられた第二の実相として教会共同体の一致を示すとした。
 
 トリエント公会議では、プロテスタント教会が主張する「信仰によって救われる」「聖書のみが啓示の源泉」に対し、秘跡の意義を擁護するために秘跡の「しるし」的側面を強調した。さらに、第二バチカン公会議においても秘跡を構成する「しるし」と「ことば」の両方を大切にするよう教え、「ことば」は秘跡のもたらす恵みの意味を表し、かつその恵みを現存させる働きをするものであるとした。そして感覚的な「しるし」が「ことば」と結びついて、神の恵みの働きを指し示し、実際にその恵みをもたらすのが秘跡であり、神の恵みの働きを現存させる特定の「ことば」と「しるし」からなるキリストの教会のわざであると定義している。
 
 以上、聖体(エウカリスティア)と秘跡(サクラメントゥム)の関連を示したが、次にミサ(エウカリスティアの秘跡としての祭儀)の豊かさについて述べる。
 
 ミサは、キリストが最後の晩餐の時、パンとぶどう酒をとって、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と使徒たちに命じたことから(Iコリ11:23-26)発展してきた記念祭儀(聖餐式)「主の晩餐」(Tコリ11:20)、「パンを裂く式」(使2:42)、またエウカリスティア(感謝の祭儀)である。
 
 使徒たちを礎として生まれた教会は、主キリストが復活した週の初めの日曜日に、その)代理者てある司教またげ司祭を中心に集まり、主の使徒復活を記念して聖餐式を行なってきた。2世紀の終わり頃から、例外的に週日でも殉教者の記念日に、彼らの墓で聖餐式を行うことがあった。このような習慣が広まるのは,キリスト教の迫害が終わり平和な時代が訪れた4世紀半ば以降のことてある。
 
 テ才ドシウス帝の死後(395)、ローマ帝国が東西に分裂すると、教会も東西交流が難し
くなり、それそれ独自の発展を遂げていくとなった。東方教会では、コンスタンティノポリス、アンティオキア、アレクサンドリア、エルサレムなどの都市を中心に、主が制定した聖餐(聖体礼儀)の祭式も多様化し、それぞれの地域に広がってその国の言語で行われるようにたった。一方、ローマの教皇を中心として西方の地域で発展した教会においては、ローマ帝国の行政用語であったラテン語が聖餐式でも吏用されるようになり、式次第の終わりの「イテ・ミサ・エスト(行きなさい、解散の時です)という言葉にちなんで6世紀頃から聖餐式全体がミサと呼ばれるようになった。
 
 ミサの祭儀は、キリストが最後の晩餐に制定した部分は優実に保持されながら、長い歴史の中で第に整えられ工夫されて、その構造や式文には変化が見られた。従来の神学に基づくローマ・カドトック教会では、ミサにおいてキリストが集会の中に、奉仕者の中に、その言葉の中に、また士パンとぶどう酒の形態のもとに現存し、十字架上の奉献(いけにえ)を再現しながら、キリストの体(聖体)を分かち合う信者が、キリストにおいて一つに結ばれるというものであある。
 
 ローマ・カトリック教会では、トリエント公会議後の1570年に、教皇ピウス5世のもとで統一されだラテン語の「ローマ・ミサ典礼書」が発行ざれ、世界中の教会で400年間ラテン語だけでミサがささげられてきた。そして第二バチカン公会議での典礼刷新によって、1970年パウルス6世のもとで新しい典礼書のラテン語規範版が発行され、それぞれの国の言葉に翻訳してミサが挙行できるようになった。日本語によるミサ典礼書画発行されたのは、1978年のことである。ミサ典礼書では、ミサは1開祭、2言葉の典礼、3感謝の典礼、4閉祭の4つの部分から構成されており、1の開祭は入祭、祭壇と会衆へのあいさつ、回心の祈り、あわれみの賛歌、栄光の賛歌、集会祈願。2の言葉の典礼は聖書朗読(第一朗読、第2朗読、福音朗読)朗読の間の歌(答唱詩編、アレルヤ唱)、説教、信仰宣言、共同祈願。3の感謝の典礼は、供え物の準備(奉納、奉納祈願)、主の祈り、平和のあいさつ、パンの分割、平和の賛歌、聖体拝領、拝領祈願からなる感謝の祈りと交わりの義。4の閉祭は、お知らせ、司祭のあいさつと派遣の祝福、解散という構成で成り立っている。
 
 このようにミサは、長い歴史の中で、かたちに変更を加えながらも、キリストの死と復活を記念しながら共同体の一致と福音の告げ知らせのための派遣という意味においては、その本質を変えることなく、主の復活の恵みにあずからせていただく、喜びに満ちた感謝の祭儀である。ミサは、神の国が完成されるときに行われる小羊の婚宴の前表、先触れでもある聖なる会食で、キリスト者は使徒の時代から、主の日である日曜日に集まり、主の復活を祝う感謝の祭儀を挙行することを大切にしており、また今日に至るまでつねに教会は主日とその他の重要な祭日にミサに参加することを信者の重要な務めとしてている。
 
 このミサの司式ができる人は司教あるいは司祭であるが、ミサを挙行するのは信者全休(会衆全体)であり、ミサは司祭だけがささげるものではなく、あくまでも信者全体がささげるものなのである。キリスト者は洗礼によってキリストの祭同職に参与するものとなり。ミサを挙行することは、その祭司職の中心となることでもある。信者はキリストの奉献に合わせて、日々の労苦、仕事、すなわち生活全体を、父である神に奉献するように招かれているのである。
 
 聖体の秘跡の質料となったパンとぶどう酒は、イエスの時代のパレスチナではもっとも日常的な食べ物であり飲み物であった。つまり、もっとも平凡で、ありふれた食べ物・飲み物が聖なるキリストのからだに変えられるということに深い神秘が隠されているのである。この聖体はイエス・キリスト自身であり、復活されたキリストのからだである。わたしたち信者は、この聖体をいただくことによって、キリストの復活の栄光の姿に変えられるのであって、それはパンとぶどう酒が聖体に変えられることに対応している。旧約時代、イスラエルの民がエジプトを脱出したとき用いた種なしパン、またその後、荒れ野において受けたマナは、聖体の前告となる出来事であった。イエスが行ったパンの増加の奇跡は、聖体の神秘をあらかじめ弟子たちに教えるためのしるしであった。また、カナの婚宴におけるぶどう酒の奇跡も、御血の神秘を予告していたのである。(カトリック教会の教え第二部典礼と秘跡第四章感謝の祭儀(ミサ)第一節感謝の祭儀参照)
 
 このようにミサ(エウカリスティアの祭儀)は、キリストを信じる者を秘跡をとおしてキリストの死と復活にあずからせ、キリストを信じる者の共同体を形づくらせ、イエス・キリストをとおして告げ知らされた福音を、世の終わりまでこの世に宣べ伝える者とする豊かな恵みである。わたしたちキリスト者は、ミサに与るに際して、これらのことを忘れないようにしなければならない。ともすれば個としての救いや所属する共同体のみの一致を求めがちな閉ざされた信徒となりがちであるから、わたしたち洗礼の恵みを受けたキリスト者は、既にキリストによって救われていることを忘ずに、開かれた教会を目指さなければならない。ミサは、そのようなことを思い起こさせる重要な秘跡でもあろう。共同体の一致についても、このミサの意味を十分理解し信徒一人ひとりがあずかるならば、キリストによる完全な一致の実現となろう。私たち人間は、神との良好な関係を持たない限り、その本質が神の息によって真に生きる者(ネフェシュでバーサールな存在)となったのであるから、その根源的存在と生き方を知ったキリスト者にとってミサ(エウカリスティアの祭儀)の恵みをいただくことは欠くことのできない生きる糧となるものでる。わたしたちカトリック信徒は、主イエス・キリストが定め、その弟子たちと教会が形づくり引き継いできたミサ(エウカリスティアの祭儀)の豊かな恵みを受け継ぎ、次世代の教会に引き継ぐと共に、未だ福音の宣べ伝えられていない人々や場所に告げ知らせるため、ミサ(エウカリスティアの祭儀)にあずかり、自らの信仰を育てながら共同体の人々と一致していかなければならない。ミサ(エウカリスティアの祭儀)とは、わたしたち信徒と教会共同体をキリストに導き一致させてくれる豊かな恵みなのである。
以上。
 
参考文献
1 第二バチカン公会議公文書 カトリック中央協議会
2 カトリック教会のカテキズム カトリック中央協議会
3 カトリック教会の教え カトリック中央協議会
4 キリスト教事典 岩波書店
5 夏期神学集中講座配付資料
 
 19     「平和憲法と現代世界憲章にみる平和とその実現にむけて」 2014年12月6日(土) 
はじめに
 
 テーマを「平和憲法を現代世界憲章にみる平和とその実現にむけて」に設定した動機は、戦後69年間、他国と戦争することなく現在にいたる日本国が、去る2014年7月1日の閣議決定により、日本国憲法における第9条の解釈が変更され、専守防衛を大原則とする個別的自衛権から集団的自衛権をも認めるとすることが明示されたことに、少なからずこれからの日本および国際平和を構築する上で、危惧感を覚えるからである。 
このテーマは、今講習会講師竹内修一教授の「希望−いのちからの平和の招き−」の講義における「平和と集団的自衛権」に深く関連する。また、この問題はカトリック学校の中・高生に宗教と現代社会を教える私にとっては、次代の日本および国際社会を担う若者に、希望をもって平和な社会を構築していくために、解決すべき社会問題として取り上げていかなければならないものである。特に、高等学校における必履修科目である現代社会の「日本国憲法と基本的人権」および「国際政治の課題と日本の役割」そして「国際政治の動向と日本の果たすべき役割」の単元の教科指導とも深く関わるものである。
 
1 日本国憲法における平和主義
 日本国憲法前文および第9条に規定されている平和主義は、ポツダム宣言を受諾し民主国家の建設を目指した日本において、現行憲法の三大原理の一つとして現在も重要な位置を占めるものである。その主な内容は、前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と辺境を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」および第2章戦争の放棄9条の第1項では、戦争の放棄を規定し、第2項においては、戦力の不保持と国の交戦権の否認が定められ、戦争に関するあらゆるものを否定している。さらに、第9章「改正」においては憲法改正の手続きを定め、国会および国民投票の手続きを経なければ改正できないよう、現行憲法を硬性化している。また、第10章「最高法規」第99条において、為政者の独断や裁量によって再び独裁政治や軍国主義に陥ることのないよう、厳正に国家のあり方を規定している。
 
 現行憲法における平和主義の規定は、法学的観点からは、あらゆる戦力を否定しながら対話と外交による国際協調主義によって、日本と国際社会の平和の構築を目指しているものであるから、元来日本には、集団的自衛権のみならず個別的自衛権すら放棄しているというのが法学会の通説であり、それは砂川事件や長沼ナイキ基地訴訟の違憲判決が、いずれも最高裁においては統治行為論をもとに憲法判断が回避されたことにも暗示されている。残念なことではあるが、現行憲法の平和主義は、1950年の朝鮮戦争を機とした占領政策下の警察予備隊の設置を境にして、その後の日米安全保障条約(1951年)や日米相互防衛援助協定(1954年)等の日米関係、および湾岸戦争後(1991年)の国連の平和維持活動への協力要請によって成立したPKO協力法や同時多発テロ(2001年)後のテロ対策特別措置法、イラク戦争(2008年)後のイラク復興支援特別措置法等、更には現在の中国や北朝鮮による脅威を背景とした集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定(2014年7月1日)により、日本の平和主義および第9条における自衛権解釈の政府見解は、大きく歪められてきている。
 
2 第二バチカン公会議「現代世界憲章」にみる平和 
 現代世界憲章第5章平和の推進と国際共同体の促進77(序文)において、「平和を作る者は、『神の子と呼ばれるであろう』(マタイ 5:9)と宣言する福音の知らせは、人類の崇高な努力と期待に添うものとして現代に新しい光を輝かすのである。…戦争の残酷さを断罪した後、平和の作者であるキリストの助けの元に、正義と愛に基づく平和を打ち立てるため、また平和への手段を準備するために、すべての人と協力するよう、熱意をこめてキリスト者に呼びかけたい。」また、78(平和の本質)において、「平和とは、人間社会の創立者である神によって、社会の中に刻みこまれ、常により完全な正義を求めて人間が実現しなければならない秩序の実りである。…平和は永久に獲得されたものではなく、絶えず建設すべきものである。…平和獲得のためには各自が絶えず激情を押さえ、正当な権力による警戒が必要である。…人々が精神と才能の富を信頼をもって互いに自発的に交流し合わなければ、地上に平和は獲得できない。他人と他国民お呼びかれらの品位とを尊重する確固たる意志、また兄弟愛の努力と実践は、平和の建設のために絶対必要である。こうして平和は愛の実りでもある。愛は正義がもたらすものを超える。…受肉した子は平和の君主であり、自分の十字架によってすべての人を神と和解させ、一つの民、一つのからだのうちにす べての人の一致を再建し、自分の肉において憎しみを殺し、復活によって高くあげられ、愛の霊を人々の心に注いだ。したがって、すべてのキリスト者は愛の中に真理を実行しながら(エフェソ4:15)、平和を求め、また打ちたてるために、平和を心から愛する人々と協 力するよう強く求められている。」とある。現代世界憲章にみる平和は、キリストの福音による平和と秩序及び正義を、神の愛のもとに人類の協調と一致によって実現しようとするものである。
 
3 現行憲法の平和主義と第二バチカン公会議「現代世界憲章」にみる平和の共通点
 現行憲法における平和主義の根拠となる前文および条文と現代世界憲章における平和の概念とその構築のための基本精神には、多くの共通点がみられる。例えば、現行憲法前文にみられる国際協調主義による平和の実現の精神は、現代世界憲章の「平和とは、人間社会の創立者である神によって、社会の中に刻みこまれ、常により完全な正義を求めて人間が実現しなければならない秩序の実りである。…平和は永久に獲得されたものではなく、絶えず建設すべきものである。…人々が精神と才能の富を信頼をもって互いに自発的に交流し合わなければ、地上に平和は獲得できない。」という部分に呼応する。本質的に人間は、平和を求め合う存在であるから、互いに対話による協調と愛をもって不断の努力のうちに実現していくものであるとの概念が共通項としてみられる。また、第9条の戦力の不保持や交戦権の否認は、78(平和の本質)の中の「人々が愛によって結ばれる限り、罪に打ち勝ち、暴力にも打ち勝つであろう。こうして次のことばが実現する。『かれらは剣をすきに、槍を鎌に打ちなおすであろう。国々は互いに剣を取りあげず、もはや戦いのために訓練しない』(イザヤ 2:4)。」という真の平和の実現が、戦力や暴力によって築き上げられるものではないことで一致している。
 
このように現行憲法における平和主義は、福音的観点から平和の本質とその構築を述べる現代世界憲章の精神と多くの点で合致するものであるから、現行憲法の堅持は日本安全及び国際平和を実現していく上で、重要な鍵を握っていると言えよう。
 
まとめ
 このように現行憲法の平和主義は、福音的価値観からみても、真の平和を構築する上で武力を完全否定した秩序と正義による実現の方法であることが分かる。人類および個としての人間は皆、平和や幸福を求めて止まない存在である。にもかかわらず、人類の歴史を顧みれば戦争は数えきれず、現在もなお世界各地で戦争や紛争が絶えないのが現状である。ともすれば私たちは現実をみる時、絶望の淵にいるかのような感覚に陥るだろうし、不完全な人間が織りなす現実社会にあって、理想どおりに行かないのもまた仕方のないことと落胆せざるを得ないだろう。しかし、だからこそ、平和の実現の希望はあると考えるべきではないのか。なぜならば、希望とは深き淵より望むからこそ見えてくるものであるからだ。
 カトリック学校の中等教育に関わる教員として、私は常にこれらのことを自問自答しながら、授業の中で生徒一人ひとりに問いかけている。平和の実現は、希望を捨てない限り、あるいは自分一人が頑張ったって現状は変えられないという諦めを持たない限り、その希望と可能性は常に在る。確かに人間一人の力は、微小で弱く絶望して諦めがちになることが多い。しかし、そうであればこそ、次代を担う若者たちにあっては、そのような現状を打開し、次代に向けて新たな人間社会を切り拓いていって欲しいと切に願ってやまない。中等教育の現場にあって、現代に生きる中高生が、過去の歴史から戦争がもたらした結果をよく学び、現在がどのような時であるのかを考え、そして現行憲法の平和主義の精神が、福音的価値観にももとづいた真の平和の構築のためのイエス・キリストのメッセージに繋がるものであることを伝えていきたい。
 
 20     「パウロの体の刺」と宣教 2014年12月6日(土) 
パウロは、自分が主イエスについて啓示を受けた神秘体験を得たことについて、思い上がらないようにと一つの刺を与えられたと言っている。(「私の体には一つの刺が与えられました。それは、思い上がらないようにと、私を打ちのめすために送られたサタンの回し者なのです。」Uコリ12・7)しかし、この刺はパウロが宣教するに当たり決して快いものではなく、「この回し者について、立ち去らせて下さるように、三度私は主にお願いしました。(Uコリ12・8)」とあるように、むしろ障害となるものであったことは間違いない。
 
 この「パウロの刺」が何であったかということは諸説あるが、それが何であったかということはパウロの手紙には記されていない。しかし、「パウロの刺」が何であったか以上に、その刺による弱さのうちに主キリストに突き動かされ宣教活動をしたということに大きな意義があるのだろう。
 
 とは言え、その刺をパウロ自身が、主に三度立ち去らせて下さいと願いながらも叶わなかったことについて、「しかし、主は『お前は私の恵みで十分だ。弱さにおいてこそ、力は余すことなく発揮されるのだ。』とお答えになりました。ですから、キリストの力が私のうちに宿るように、むしろ大いに喜んで、私は自分の弱さを誇ることにします。それ故、弱さがあってっても、虐待されても、災難に遭っても、迫害や行き詰まりに出会っても、私はキリストのためならそれで良いと思っています。わたしは、弱っている時こそ、強いからです。(Uコリ12・9−10)」という境地に至る。このパウロの自分に与えられた刺についての受け止め方の変化によるパウロの変容こそに重要な点があると思われ
る。
 
 「パウロの刺」とは、アンチオキア教会における使徒たちとの不和や自らつくったコリント教会の指導者たちとの軋轢、そして三回に及ぶ宣教旅行での困難や迫害など、それまでの宣教活動での様々な出来事やそれによる心身両面の限界と絶望、そして「恐れ」であったに違いない。それらは、いずれも今後のパウロ自身の宣教を阻むものだったのであろう。ダマスコでの復活したキリストとの出会いによって回心されていくパウロにとって、宣教の原動力は、自分自身の中に入り込んだ主キリストであった。しかし、パウロとて人間としての弱さや、以前はキリスト教信徒の迫害者そしてキリストに選ばれた直接の使徒ではない者としての負い目もあったであろう。キリストに結ばれ自身の中に入り込んだキリストに突き動かされながら宣教していたとはいえ、様々な葛藤の中での宣教活動であったことは容易に想像できる。パウロが最も望んで止まない、そしてそうせざるを得ないと自身を突き動かすものに反して、保身や「恐れ」から自身を捨てることのできない弱さ、それはやるべきこと為したいと熱望するにもかかわらず、その一歩が踏み出せないいらだちや自己嫌悪、そして自分自身の力なさ・いたらなさにもつながる苦しいものだったに違いない。パウロにとっては、その刺さえなければ、自身をさらに宣教に駆り立て、自由に解放されて、主の福音を述べ伝えることができるのにと考えていたのではなかろうか。だからこそ、パウロは主に三度も立ち去らせて下さいと願ったのである。
 
 しかし、パウロの三度もの懇願は叶わなかった。そして、「お前はわたしの恵みで十分だ。弱さにおいてこそ、力は余すところなく発揮されるのだ。」との主の言葉に気づきを得ることになる。自身の信仰の原点が「内なるキリスト」であることにである。それは、自分自身を強制的に福音宣教に駆り立てるほどのキリストであり、その「内なるキリスト」が自身の中に息づいているだけで十分であること、そして自身が弱い時にこそ、その「内なるキリスト」が働きかけてくれるのだという確信に満ちた変容へと至るのである。それは、キリストを信じない者たちが、キリストの働きに抗う強さを持っているのに対して、パウロ自身の弱さが、「内なるキリスト」の働きに抵抗できないという弱さであることへの気づきである。パウロの信仰とは、「キリストがわたしの内に入って成長して下さる。」というキリスト主体のものであり、それは共同体全体の一致を通して主イエス・キリストとつながることで、平和の神がそこに実現するというもなのである。
 
 このようにパウロは、ダマスコでの復活したキリストの出会いによって、自らの中に入り込んだキリスト=「内なるキリスト」に突き動かされながら、自身の持つ弱さである「体の刺」をも、自身の内から働きかける主キリストの恵みによって克服し、どんな困難や恐れをも乗り越え、その後の軟禁・投獄生活そして殉教への受難の道を、キリストの福音を告げ知らせる喜びのうちに、生き抜くことができたのであろう。
以上。
 

Last updated: 2016/11/15