第二バチカン公会議典礼憲章第三章「他の諸秘跡と準秘跡 秘跡の本性59」において、「秘跡は、人々の聖化のため、キリストの体を形づくるため、さらに神に礼拝をささげるためのものである。また、しるしであることにより、教育にもかかわるものである。秘跡は信仰を前提とするだけでなく、ことばと事物をもって信仰を養い、強め、表現する。そのため、信仰の秘跡と呼ばれる。秘跡は恵みを授けるものであるが、秘跡の祭儀は、信者がこの恵みを豊かに受け、神を正しく礼拝し、愛を実践するために、もっともよい心構えをもたせるものである。したがって、信者が秘跡のしるしを容易に理解し、キリスト教的生活を養うために制定された諸秘跡に、熱心に繰り返しあずかることはきわめて重要である。」と定めている。
まずは、「エウカリスティア」の言語であるが、もとはユダヤ人の食事の間に行われる神に対する感謝の祈りを唱えるエウカリステインと賛美の祈りを唱えるエウロゲインという神への感謝の行為からくるものであある。また、エウカリスティアの秘跡は、その無尽蔵の豊かさから様々な呼称で呼ばれ、聖体となるべきものが聖別(consecratio)されることによってサアクラメントゥムとも言われる。現在では、エウカリスティアは、感謝の祭儀とも言われ、キリスト教生活全体の源泉であり頂点であると位置づけられ、神の生命への交わり(コムニオ)と神の民の一致の表現し実現させる聖体祭儀・礼拝祭儀の頂点であるとも理解されている。エウカリスティアは、「わたしたちの考え方はエウカリスティアに共鳴し、エウカリスティアはわたしたちの考えを強固なものにします」とし、わたしたちの信仰の要約であり、頂点であると理解されている。 (カトリック教会のカテキズム第1章キリスト教入信の秘跡第3項エウカリスチアの秘跡1教会のいのちの源泉、頂点であるエウカリスチア(感謝の祭儀)、2この秘跡の呼称1324〜1328)
次に秘跡についてであるが、ギリシア語のミステリオン(mysterion)=隠れた神秘を示す感覚的しるし、そのしるしはことばをも含めた可視的で具体的な質料で、狭義で固有な意味では、典礼・祭儀的しるしのことである。このギリシア語の神秘を意味するミステリオンは、ラテン語においてミステリウム(mysterium)とサクラメントゥム(sacramentum)という二つの言葉に訳され、やがてミステリウム(mysterium)は理性だけでは理解できないが、啓示によって信じるべきことがら(神秘)を意味するようになり、サクラメントゥム(sacramentum)は目に見えない神の救いが実在するすることを示す目に見えるしるしを強調する語として使われるようになった。カトリック教会では、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙階・結婚の七つを秘跡が第二リヨン公会議(1274年)の信仰宣言の中で確立されて以来、今日まで執り行われている。
サクラメントゥム(sacramentum)は、イエスの言行が、神の国の隠れた神秘を示すとされ(マタイ12:28、13:11)、殊に十字架のイエスこそ、神の知恵(神秘)の現れと語られている(Tコリント2:7)。そこから、キリストが神の神秘を表すしるしとしての原サクラメントゥムが導き出され、テルトゥリアヌスからアウグスティヌスにかけて、このサクラメントゥム(sacramentum)の語彙の意味は定着した。アウグスティヌスは、目に見える素材を「しるし(signum)と呼び、それによって神の救いの恵みそのもの(res)が表され、これを成立させているのがキリストの秘跡制定の「ことば」(verbum)であると説明し、アウグスティヌス以来、秘跡は「目には見えない恵みのしるし」と定義された。また、秘跡の中でもっとも典型的なものは聖体(エウカリスティアとされ、中世の神学者トマス・アクィナスによれば、パンとぶどう酒はしるしであり、しるしづけられた実相はそのしるしに現存するキリストであり、しかもさらにこの実相がしるしとなり、しるしづけられた第二の実相として教会共同体の一致を示すとした。
トリエント公会議では、プロテスタント教会が主張する「信仰によって救われる」「聖書のみが啓示の源泉」に対し、秘跡の意義を擁護するために秘跡の「しるし」的側面を強調した。さらに、第二バチカン公会議においても秘跡を構成する「しるし」と「ことば」の両方を大切にするよう教え、「ことば」は秘跡のもたらす恵みの意味を表し、かつその恵みを現存させる働きをするものであるとした。そして感覚的な「しるし」が「ことば」と結びついて、神の恵みの働きを指し示し、実際にその恵みをもたらすのが秘跡であり、神の恵みの働きを現存させる特定の「ことば」と「しるし」からなるキリストの教会のわざであると定義している。
以上、聖体(エウカリスティア)と秘跡(サクラメントゥム)の関連を示したが、次にミサ(エウカリスティアの秘跡としての祭儀)の豊かさについて述べる。
ミサは、キリストが最後の晩餐の時、パンとぶどう酒をとって、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と使徒たちに命じたことから(Iコリ11:23-26)発展してきた記念祭儀(聖餐式)「主の晩餐」(Tコリ11:20)、「パンを裂く式」(使2:42)、またエウカリスティア(感謝の祭儀)である。
使徒たちを礎として生まれた教会は、主キリストが復活した週の初めの日曜日に、その)代理者てある司教またげ司祭を中心に集まり、主の使徒復活を記念して聖餐式を行なってきた。2世紀の終わり頃から、例外的に週日でも殉教者の記念日に、彼らの墓で聖餐式を行うことがあった。このような習慣が広まるのは,キリスト教の迫害が終わり平和な時代が訪れた4世紀半ば以降のことてある。
テ才ドシウス帝の死後(395)、ローマ帝国が東西に分裂すると、教会も東西交流が難し
くなり、それそれ独自の発展を遂げていくとなった。東方教会では、コンスタンティノポリス、アンティオキア、アレクサンドリア、エルサレムなどの都市を中心に、主が制定した聖餐(聖体礼儀)の祭式も多様化し、それぞれの地域に広がってその国の言語で行われるようにたった。一方、ローマの教皇を中心として西方の地域で発展した教会においては、ローマ帝国の行政用語であったラテン語が聖餐式でも吏用されるようになり、式次第の終わりの「イテ・ミサ・エスト(行きなさい、解散の時です)という言葉にちなんで6世紀頃から聖餐式全体がミサと呼ばれるようになった。
ミサの祭儀は、キリストが最後の晩餐に制定した部分は優実に保持されながら、長い歴史の中で第に整えられ工夫されて、その構造や式文には変化が見られた。従来の神学に基づくローマ・カドトック教会では、ミサにおいてキリストが集会の中に、奉仕者の中に、その言葉の中に、また士パンとぶどう酒の形態のもとに現存し、十字架上の奉献(いけにえ)を再現しながら、キリストの体(聖体)を分かち合う信者が、キリストにおいて一つに結ばれるというものであある。
ローマ・カトリック教会では、トリエント公会議後の1570年に、教皇ピウス5世のもとで統一されだラテン語の「ローマ・ミサ典礼書」が発行ざれ、世界中の教会で400年間ラテン語だけでミサがささげられてきた。そして第二バチカン公会議での典礼刷新によって、1970年パウルス6世のもとで新しい典礼書のラテン語規範版が発行され、それぞれの国の言葉に翻訳してミサが挙行できるようになった。日本語によるミサ典礼書画発行されたのは、1978年のことである。ミサ典礼書では、ミサは1開祭、2言葉の典礼、3感謝の典礼、4閉祭の4つの部分から構成されており、1の開祭は入祭、祭壇と会衆へのあいさつ、回心の祈り、あわれみの賛歌、栄光の賛歌、集会祈願。2の言葉の典礼は聖書朗読(第一朗読、第2朗読、福音朗読)朗読の間の歌(答唱詩編、アレルヤ唱)、説教、信仰宣言、共同祈願。3の感謝の典礼は、供え物の準備(奉納、奉納祈願)、主の祈り、平和のあいさつ、パンの分割、平和の賛歌、聖体拝領、拝領祈願からなる感謝の祈りと交わりの義。4の閉祭は、お知らせ、司祭のあいさつと派遣の祝福、解散という構成で成り立っている。
このようにミサは、長い歴史の中で、かたちに変更を加えながらも、キリストの死と復活を記念しながら共同体の一致と福音の告げ知らせのための派遣という意味においては、その本質を変えることなく、主の復活の恵みにあずからせていただく、喜びに満ちた感謝の祭儀である。ミサは、神の国が完成されるときに行われる小羊の婚宴の前表、先触れでもある聖なる会食で、キリスト者は使徒の時代から、主の日である日曜日に集まり、主の復活を祝う感謝の祭儀を挙行することを大切にしており、また今日に至るまでつねに教会は主日とその他の重要な祭日にミサに参加することを信者の重要な務めとしてている。
このミサの司式ができる人は司教あるいは司祭であるが、ミサを挙行するのは信者全休(会衆全体)であり、ミサは司祭だけがささげるものではなく、あくまでも信者全体がささげるものなのである。キリスト者は洗礼によってキリストの祭同職に参与するものとなり。ミサを挙行することは、その祭司職の中心となることでもある。信者はキリストの奉献に合わせて、日々の労苦、仕事、すなわち生活全体を、父である神に奉献するように招かれているのである。
聖体の秘跡の質料となったパンとぶどう酒は、イエスの時代のパレスチナではもっとも日常的な食べ物であり飲み物であった。つまり、もっとも平凡で、ありふれた食べ物・飲み物が聖なるキリストのからだに変えられるということに深い神秘が隠されているのである。この聖体はイエス・キリスト自身であり、復活されたキリストのからだである。わたしたち信者は、この聖体をいただくことによって、キリストの復活の栄光の姿に変えられるのであって、それはパンとぶどう酒が聖体に変えられることに対応している。旧約時代、イスラエルの民がエジプトを脱出したとき用いた種なしパン、またその後、荒れ野において受けたマナは、聖体の前告となる出来事であった。イエスが行ったパンの増加の奇跡は、聖体の神秘をあらかじめ弟子たちに教えるためのしるしであった。また、カナの婚宴におけるぶどう酒の奇跡も、御血の神秘を予告していたのである。(カトリック教会の教え第二部典礼と秘跡第四章感謝の祭儀(ミサ)第一節感謝の祭儀参照)
このようにミサ(エウカリスティアの祭儀)は、キリストを信じる者を秘跡をとおしてキリストの死と復活にあずからせ、キリストを信じる者の共同体を形づくらせ、イエス・キリストをとおして告げ知らされた福音を、世の終わりまでこの世に宣べ伝える者とする豊かな恵みである。わたしたちキリスト者は、ミサに与るに際して、これらのことを忘れないようにしなければならない。ともすれば個としての救いや所属する共同体のみの一致を求めがちな閉ざされた信徒となりがちであるから、わたしたち洗礼の恵みを受けたキリスト者は、既にキリストによって救われていることを忘ずに、開かれた教会を目指さなければならない。ミサは、そのようなことを思い起こさせる重要な秘跡でもあろう。共同体の一致についても、このミサの意味を十分理解し信徒一人ひとりがあずかるならば、キリストによる完全な一致の実現となろう。私たち人間は、神との良好な関係を持たない限り、その本質が神の息によって真に生きる者(ネフェシュでバーサールな存在)となったのであるから、その根源的存在と生き方を知ったキリスト者にとってミサ(エウカリスティアの祭儀)の恵みをいただくことは欠くことのできない生きる糧となるものでる。わたしたちカトリック信徒は、主イエス・キリストが定め、その弟子たちと教会が形づくり引き継いできたミサ(エウカリスティアの祭儀)の豊かな恵みを受け継ぎ、次世代の教会に引き継ぐと共に、未だ福音の宣べ伝えられていない人々や場所に告げ知らせるため、ミサ(エウカリスティアの祭儀)にあずかり、自らの信仰を育てながら共同体の人々と一致していかなければならない。ミサ(エウカリスティアの祭儀)とは、わたしたち信徒と教会共同体をキリストに導き一致させてくれる豊かな恵みなのである。
以上。
参考文献
1 第二バチカン公会議公文書 カトリック中央協議会
2 カトリック教会のカテキズム カトリック中央協議会
3 カトリック教会の教え カトリック中央協議会
4 キリスト教事典 岩波書店
5 夏期神学集中講座配付資料
|