「もし、わたしたちに罪はないというならば、自分自身を欺くことになり、真理はわたしたちの中にありません。罪の告白をするならば、真実で正しい神は、わたしたちの罪をゆるし、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。もし、罪を犯したことがないというならば、神を偽り者にすることになり、神のことばはわたしたちの中にはありません。
(Tヨハネ1:8〜10)

ホーム  Home 書簡  Epistle プロフィール Profile 更新 What'sNew 信仰 Religion カトリック教育
宗教教育研究 学校マネジメント カトリック学校宣言 カトリック教育省文書 教会共同体 教会学校
信仰告白 生徒と卒業生 講話集 Lectures 詩情 Poetry 家庭と妻と夫 愛犬 MyPetDog
写真 Photograph ブログ Web Log サイトマップSightMap リンク集 LinkPage MissionNetwork

学校経営 School Management

「カトリック学校としての学校経営の在り方」
カトリック学校としての戦略的学校マネジメントの展開
前のページ 目次 次のページ
 11     4.教区におけるカトリック学校教員研修養成所設立の提言 2007年8月9日(木) 
4.教区におけるカトリック学校教員研修養成所設立の提言
 
 前項で前述したように、現在のように司祭や修道者がどんどん減少していく中、カトリック教育の維持・発展のためには、既存のカトリック教育を育成・発展させてきた教区や・修道会を補うか、それに代わる機関が是が非でも必要となってきている。そこで、わたしは教区もしくは地区を中心としたカトリック学校教員研修養成所の設立を提言したわけである。
 
 現在もしくは将来に渡って、カトリック学校における司祭・修道者の教職員数の激減が目に見える状況においては、カトリック学校にとって最も重要な福音宣教を基盤とした信仰に基づく精神性の息づく教育活動の継続と発展を考えるのであれば、自ずと司祭や修道者に代わり、それぞれのカトリック学校に奉職する教員自体がその役割を受け継いでいかざるを得ない事は明白である。では、カトリック学校に奉職する私たち教職員が、その役割を受け継ぐための意志を持つと共に、それに係る知識を身につけ行動を起こすことが求められよう。さもなくば、カトリック学校は他の公立教育機関や私立の教育機関との差別的優位性を失うと同時に、その存続の危機をも招く結果とになり兼ねないのである。
 
 カトリック学校教員研修養成所の設立とはいっても、誰が、どこで、どのようにすれば、実現の運びにまで到達できるのであろうか。それは、現実的に言ってかなり厳しく遠い道のりであることが予測されるのであるが、それは以下の理由による。
 
 まず第一に、本来カトリック学校も教会の一枝であるのだから、小教区並びに教区に所属する機関であることは言うまでもない。よって、本来的には、所属する教区が主体となってカトリック学校教員研修所や教育研究所の設立をすべきところだが、そもそもそのような教育機関をカトリック学校の教職員が実現していかなければならない第一の要因が、司祭や修道者の激減にあるのであるから、教区の司祭や修道会に発想という観点は別としても、その人的余力や財的観点においては乏しいと言わざるを得まい。
 
 第二には、カトリック学校における信徒の教職員の現状である。カトリック教育の精神の継承し伝えていくべき役割を、司祭や修道者に代わって担うべき信徒の教職員の現状も、実は司祭や修道者の状況と大差はないということである。そればかりか信徒の教職員が抱える問題は、数の問題以上に意識や行動の観点においてのものであることから、司祭や修道者のものよりもより困難なものと言えるかも知れない。
 
カトリック学校における信徒が抱える意識や行動における観点の問題とは、教員特有の個人的教育観や協調性の希薄、批判精神からくる新しい行動に対する否定的見解傾向と小教区との関わりの希薄または欠如の問題である。つまり、言うには言うが行わず、必要性を見出すには見出すが忙しさにすり替え、結果としては行動はしないというところである。そして、教会との関わりをいかに粗雑にしている信徒の教職員が多いことかということも大きな問題点であろう。
 
結論的には、カトリック学校教員研修養成所設立のためのに現状分析するならば、楽観的要素は皆無に等しく、困難ばかりが浮き彫りになるというところである。とは言っても、これで終わるのならば、このわたしも前述のとおりの一教員となってしまうので、そうならないためにも次のような地道な行動をしていきたい。
 
 (1) まずは、HPをとおしてカトリック学校教員研修養成所設立の必要性を訴えコミットして行く。
 (2) 教区長である司教や教区の司牧担当司祭にカトリック学校教員研修養成所設立を働きかける。
 (3) カトリック学校研修会等をとおして他のカトリック学校の教職員とのネットワーク作りをする。
 (4) 自分が働く職場の教職員にカトリック学校教員研修養成所設立の必要性を訴える。
 (5) 自分が所属する小教区においてカトリック学校教員研修養成所設立の必要性を訴える。
 
 カトリック学校教員研修養成所の構成は次のように考える。教区の司祭、修道会員、現職信徒教員、現職未信者教員、定年退職信徒教員、専属教員(カトリック学校教員経験者信徒)、事務職員(カトリック学校事務職経験信徒)これらの構成員でそれぞれ数名ずつ約十名の構成が最小限で必要ではないだろうか。そして、これらの構成員を教区を構成する各県のカトリック学校から選出する。
 
 研修所に係る人件費および運営費等は、受益者負担と指導および管理・監督の観点から、全体の約7割程度は教区またはその地区に所属するカトリック学校が負担し、残りの3割程度を教区負担とするのがよいであろう。
 
 以上、今後時代に即したカトリック学校本来の存在価値を保持・継承していくためにも、カトリック学校教員研修養成所を早急に設立することが望まれる。なお、カトリック学校教員研修養成所の業務は以下のとおりである。
 
 (1) 教職員研修の企画運営。
  (初任者研修・中堅者研修・管理職者(主任・部長)研修)
 (2) カトリック学校のプロファイリングと各学校への指導・監督
 (3) 教員養成(カトリック学校教員免除認定)と教員派遣
 (4) 教頭・校長研修および教頭・校長養成研修と人材派遣
 (5) カトリック教会カテキズムの教授
 (6) 宗教教育指導(宗教教育教科書の編集を含む)および研修
 (7) 教科指導におけるカトリック教育の実践指導および研修と教務業務研究・指導
 (8) カトリック学校における生徒指導の研究・指導
 (9) カトリック学校における進路指導の研究・指導
 (10)カトリック学校における広報・入試の研究・指導
 (11)機関誌の発行
 (12)カトリック学校教育研修会の企画運営
 
 12     W.カトリック学校における学校運営 1.教育活動における能動的教育活動と受動的教育活動 2007年8月21日(火) 
W.カトリック学校における学校運営
1.教育活動における能動的教育活動と受動的教育活動
 
 学校における教育活動は、学習活動と特別活動の二つに大別できるが、教育活動全体を学校に主体を置くか生徒およびその父母を主体に置くかで、能動的教育活動と受動的教育活動に分類できるであろう。
 
 能動的教育活動は、学校の校訓やプロファイル等の教育方針を元に生徒を教育するもので、それに対して受動的教育活動とは、生徒やその父母および外郭団体等の要望に応えるかたちで行うものである。
 
 では、カトリック学校における能動的教育活動と受動的教育活動の最も重要な要件とは何であろうか。能動的教育活動においての第一には、カトリック学校の本来的目的・存在価値である教育活動をとおしての福音宣教であると言える。この観点においては、日々の教育活動全般の中においての福音的宗教指導ということが出来るであろう。そして、第二には、受動的教育活動における生徒および父母のニーズを教育活動に反映させるということである。
 この二つの観点において、論述する。
 
(1)福音的宗教指導
 
 福音的宗教指導は、宗教科のみならずすべての教科指導をはじめ、特別活動を含めた学校教育活動のすべての場面において行われなければならない。そして、それらの指導は、断片的にではなく連続的にかつ一貫性と統一性をもって、教育活動全体から総括的に生徒に伝わるようになることが理想的であると言える。
 
 福音的宗教指導が、断片的にではなく連続的にかつ一貫性と統一性をもって、教育活動全体から総括的に生徒に伝わるようになることとは、宗教科目の聖書等の授業や宗教行事の時間のみで、福音的宗教指導を行うというのではなく、その他の教科指導の中でも生徒会活動や部活動等の特別活動の中でも、それぞれの範疇において指導するということであり、その指導の在り方も、個々の教員による個人的主観や独断・偏見によるものではなく、キリスト教の原理ないしは教会のカテキズムに乗っ取った体系的で普遍的なものでなければならないということである。そして、そのような指導は一時的、一過的なものに終わることなく連続的・恒常的に日々の学校教育活動の中で日常的に行われていかなければならない。
 
 そもそもカトリック学校の存在意義は、イエス・キリストの福音宣教(福音の喜びを多くの人々に述べ伝えること。)にあるのだから、学校教育の全ての場面において福音に基づいた教育活動が行われなければならい。それは取りも直さず、教育を施す側である教員がいかにキリストの福音を学び理解した上で、教育活動に具現化しているのかということに他ならない。よって、教員が信徒であろうとなかろうと福音の理解を深め、それを日々の教育活動に生かしていこうとする姿勢を持つことが不可欠となる。この点においても前項で提言した「教区におけるカトリック学校教員研修養成所設立」がに望まれるわけである。
 
 教育活動にとって、教員という人材こそが最大の要であることはいうまでもない。それは、「人間は人間によって教育され成長していく」という観点から、教育の対象となる園児・児童・生徒・学生が「人間」であって、教育を施す教師もまた「人間」であるところに教育の教育たる所以があるのであって、そこに「人間」たる教師がいかに「人間を理解」し、「人間の成長」に何が必要で何をすればよいのかが問われるということになる。
 
 福音的宗教指導とは、容易に実行・完成させられるものではないかも知れないが、毎日の教育活動に関わる教職員が、是が非でも学び、理解し、体得してそれぞれの教育活動に具現化していかなければならないことである。そして、これがカトリック学校としての要であり、自校が本来的で真にカトリック学校としての存在意義を打ち出し、カトリック学校として存続していけるかどうかの境目となる要件であるのである。
 
 今後日本のカトリック学校は、神父や修道会員及び信徒の減少と少子化の進行に伴い、多かれ少なかれ学校運営上それらの影響を受けざるを得なくなっていく。今一度、「今」という「時のしるし」を読み、現在及び将来にわたってカトリック学校に何が必要とされ求められているのかを早急に問い直さなければならない。
 
 
(2)生徒および父母のニーズの反映
 
 私立学校の生徒及び父母の学校に対する主なニーズはいくつかの点にまとめることができる。そして、これらのニーズに応えることが、学校運営上は受動的教育活動となり、更には私立学校にとっては学校マネージメント上の非常に重要な責務ともなり、その実現の有無が学校評価を大きく左右することにもつながるわけである。
 
 では、その主なニーズとはどのようなものであるかというと、一つに学習面に関連すること、二つめには、教職員に関連すること、三つ目には、生活面に関連すること、四つ目には、施設面に関連すること、そして五つ目には教育方針に関連することに大別される。なお、これらの5分野を更に分類すると以下の7項目に分けることができる。
 
 @大学等への進学や就職等の進路達成
  (この点に関しては、なるべく偏差値の高い大学や一流企業であることが望まれる。)
 A進路達成のための充実かつきめ細やかな学習指導や進路指導ならびに課外講習
  (この点に関しては、一人ひとりを重視した個別指導が望まれる。)
 B指導力に優れた教師陣と充実した教育施設をもとにした安心できる教育環境
  (教師の指導力には、教科や部活動および担任指導が含まれる。)
 C個人を尊重する規律ある生徒指導
  (この点に関しては、校則や制服等、毎日の学校生活およびアルバイト規定など校外生活に関連するものが含まれる。)
 D特別活動に対する期待
  (この点に関しては、高体連や高文連等の大会で上位入賞を果たすことが望まれる。)
 E授業料の軽減
  (この点に関しては、公立高校の授業料との比較からくる割高感が問題となる。)
 F一人ひとりの人権や個性を尊重した教育方針
  (この点に関しては、学校教育全般に渡って個の尊重を最重要視することが望まれる。)
 
 では、これらの生徒及び父母からのニーズを実現させる能動的教育活動を、成功に導くためには何が求められるであろうか。
 
 単刀直入に言ってしまえば、「結果を出すこと」の一言に尽きるのであろうが、(1)で前述したが、教育活動の成果とは、断片的にではなく連続的にかつ一貫性と統一性をもって、教育活動全体から総括的に実現させることが理想的であるから、ただ単に一過的に結果を出せばよいというわけではなく、特にカトリック学校においては福音的宗教指導である能動的教育活動との兼ね合いも重視しなければならない。とは言っても、学校評価が実施されていく今日において、教育活動においても結果を出すことは最重要課題であるとも言える。
 
 よって、自校におけるマーケットリサーチや的確な現状把握をもとに、より現実的な学校マネージメントをしていかなければならない。それは、前述した5分野7項目に関する具体的な行動計画をそれぞれの関連部署が策定し、それを学校運営委員会等の中核組織が統轄し実施していくことに他ならない。ここで、今までの学校運営上なかったマネージメント部門の必要性がどうしても生まれてくる。これからの学校評価やその時々のニーズに即した学校経営を実現し、少子化社会の中、私立学校がその使命や伝統および特色を維持しながら生き残りを図っていくためには、学校マネージメントは欠かせないものとなっている。その機能を果たすべき組織や人材を早期に組織・登用して具体的策定案を作成し、それらを学校の中核である教務・生徒指導・進路指導の三指導部門や入試・広報等の必要部署に的確に指示・監督しながら、学校組織全体が一丸となって行動して「結果を出す」ことを連続的にかつ一貫性と統一性をもって実現していくことである。
 
 そのためにも、学校長の明確なリーダーシップと学校マネージメント上の経営手腕による各部署における長の連携・団結そして教職員全体の統率が必要である。それが、学校組織全体の一致をもたらすエネルギーとなり、ひいてはカトリック学校である自校を本来の福音的価値観のもとに存立する学校として、将来にわたって永く存続させることとなるであろう。
 
 13     2.教務 (1)学習活動 教科における福音的学習指導 2008年1月22日(火) 
 学校教育の中で学習活動は、最優先されなければならない教育活動であることはいうまでもない。それは、知識が人間の精神活動や行動様式を規定すると言っても過言ではなく、個人の人格のほとんどを決定づけるものとも言えるものである。よって、各教科における知識の教授は、細心の注意と厳格な姿勢を持って、正しくかつ確実に実施されなければならない。
 
 そこで、教科指導の中における福音的指導とはどのように実現できるのかというと、それは大きく三つに分けることができよう。その一つ目には、教科の学習内容に関わる価値判断についての言及である。どの教科指導においても知識の教授だけに留まるわけではなく、教授しようと提示した知識の価値判断を様々な段階で教師自身がしなければならないか、児童・生徒・学生から求められるケースが出てくる。その場合、どのような価値基準を持って判断するのかが問われてくるが、そこでその判断基準として登場するのが福音的価値ということである。では、福音的価値とは何であろうか。福音とは、キリストを通して伝えられた神からの良い知らせ(euaggelion, gospel, good news)である「神による救い」と「神の国の到来」を意味するわけで、広義の意味においてはキリスト・イエスによって語られた神の教えで、具体的には神への愛と隣人に対する愛の実践ということになる。この愛とゆるしの実践ということが、聖書における教えに従った価値基準ということであると同時に福音的学習指導ということにつながるということができよう。
 
 二つめには、教科における教授法である。教授法は、知識を正確にかつ有機的に伝達するための方法論もしくは技術であるが、教授法と福音的指導との関わりがどうあるかというと、教科書や副教材等の教材選定や学習内容の取捨選択に関わり、どのような基準でどのように選ぶかということである。同じ教材、同じ学習内容であっても、その教授法によって児童・生徒及び学生に与える影響力や伝達の度合いが異なる。特に、教授しようとする知識を単に知識として教えるのか、それとも社会や自己との関わりを考えさせながら教えるのかでは、その知識が単に無機質な知識として希薄で発展性のないものとなるか、あるいは自己のアイデンティティを確立し、より良い社会の形成や他者に貢献していくための息づいた知識となるかでは、格段の差があるのである。よって、福音的学習指導を可能にする教授法とは、提示し与えた知識に対して他者や社会との関連性を持たせながら、知識そのものが持つ発展性と破壊性の二面性を示唆してやることである。それによって、その知識を神の教えに基づいて他者や社会のために発展的に用いていこうとすることで、福音的価値観が養われていくのである。
 
 三つ目には、授業中における児童・生徒及び学生との関わり方である。このことは、学校教育活動全般にわたる生徒指導に共通することであるから、W−4.生徒指導で詳しく後述するが、ここでは特に授業の中でということに絞って述べるとする。
 
 言うまでもなく児童・生徒及び学生は、固有の人格を持った存在であるが、更に福音的価値観から個々を捉えるならば、それらの一人ひとりが神から必要とされ、愛されている存在として生きているという厳然とした事実がそこにはあるということである。よって、個人が持つ固有の人格を最大限に尊重し、決して画一的な扱いや手段として扱うようなことがあってはならないという大原則が成り立つわけである。確かに、学校生活は集団生活を基本としているわけであるから、集団において守るべきルールはあるものの、それは決して人格を否定するものであってはならないし、できれば個性をも最大限に尊重される必要がある。そのためには、児童・生徒及び学生のパーソナリティを様々な機会を捉え把握するとともに、いち早く教える側である教師の人格や個性をも児童・生徒及び学生に伝え、互いにリレーションがとれるように努力することが重要である。これらの作業は、確実に教える者と教わる者との間に信頼感をもたらし、より円滑で有効な知識の伝達を実現させ、福音的な価値に基づいた双方向の人間関係を形成することとなる。
 
 これらのことを実現させる具体的方法論としては、児童・生徒及び学生一人ひとりの名前を覚えることをはじめ、授業中の発問と応答を活発化させ、個々の考え方を把握し理解しようと努力することである。児童・生徒及び学生の一人ひとりの人格(パーソナリティ)を把握することは、簡単な作業ではないが、この地道な努力こそが、児童・生徒及び学生の一人ひとりを神から必要とされ、愛されている存在であるとの福音的とらえ方を実現させる道への最短距離ではないだろうか。
 
 14     2.教務 (2)特別活動 特別活動における福音的指導 2008年1月30日(水) 
 学校教育活動における特別活動は、学習活動に勝るとも劣らない重要な位置を占める。それは、特別活動を通して成し遂げられる人格形成や人間的成長は、学習活動以上のものがあると言っていいからである。その理由の一つには、イエス・キリストの教えにも通じる「関わり」にある。具体的には、顧問や上級生、同学年と下級生との人間的交わりが、個々の人格形成や人間的成長を促すからである。さまざまな人間的交わりこそが、児童・生徒及び学生の一人ひとりに与えられた個性やこの世における存在価値もしくは使命を陶冶させてくれる。キリスト教の人間観は、どんな人間も神から固有の命と使命を与えられ、それ故に人間一人ひとりはかけがえのない存在として神に愛されているというものであるから、そのような存在としての人間的交わりの中に神の御計画が実現していくのである。よって、学校教育活動における特別活動は、イエス・キリストを通して伝えられた神の福音の実現の場にふさわしい場として位置づけられると言える。
 
 また、その二つめの理由には、特別活動を通して自己と向き合う機会がより多く与えられるという点である。運動部にしろ文化部にしろ、あるいは委員会活動等にしても共通して言えることは、学力以外の自己の能力を発揮できる場であるということである。そして、特別活動のような多種多様な諸活動を通して、自己の能力を開化させ技術や知識の習得をしていこうとする向上心を持つことや、自己の目標を成し遂げるという達成感を体験することによって、未だ気付かぬ未知なる自分を発見したり、内なる自分との出会いを経験することになる。このことが、自分の存在というものが、両親や兄弟をはじめとする家族や友人等の多くの人々との関わりに依るものであること、そしてひいては自己の命そのものや使命というものが、神から与えられたものであるという気付きにまで引き上げられる機会が与えられるということである。
 
 とかく特別活動においては、競技やコンテストなど競争原理のもとに勝敗を競うことが一般化しているが、競争そのものが目的となりそこにおける教育的指導が手段となってしまっているのも事実である。この問題の根底には、学校教育における特別活動が、本来教育を目的としているはずのものが、競技の技術向上を目的として学校期間以外の団体との関係が密接になるあまり、教育本来の目的を見失っているという問題がある。確かに競技そのものにも、人間的成長を促す面があることは否定しないが、学校教育における特別活動は、あくまでもその競技をとおして行われる教育活動が目的であり、競技そのものは手段であるという大原則を厳守しなければならない。そうでない限り、そこに教育そのものの目的は勿論のこと、福音的指導など到底あり得ないものとなってしまうことは言うまでもない。
 
 では、特別活動において福音的指導がなされるために留意しなければならないことは何かというと、まず第一には個の尊厳である。それは、児童・生徒等の各人に対する指導が、一律的なものになることなく、各人の能力に応じた指導がいかにできるのかということである。また、それに伴い技術の習得の度合いによって個人が排除されるなどということがあってはならない。あくまでも個人の存在とその活動は、競技やコンテストに最優先されるべきはずのものであるし、ましてや個人の人格や能力を競技やコンテストを勝ち抜くための手段としてはならない。学校教育における福音的な特別活動とは、児童・生徒等一人ひとりの能力を引き出すための機会を、人格的交わりの中でいかに与え指導していくかというところにある。そして、児童・生徒等が自己の能力に気付きそれを開花させ、この過程の中で自己の存在というものが、周囲の人々との関わりによって成り立っているということを知ることで感謝することを学び、それをもとに自己に与えられた能力を、今度は他者のために用いていこうと決意するところまでに高められるよう導くことである。
 
 第二には、前述したような指導ができるための教師の存在が必要である。そこで、まず指導に当たる教員自身が、福音を理解している必要性があるので、そのための研修を実施し、具体的な指導方法を身に付けていかなければならない。しかし、現実的には、特別活動特に部活動の顧問は、勤務時間外労働になることが多く、そのような事情からも指導のあり方は各顧問教師の範疇にほとんど任されてしまっているのが実状である。しかし、公立学校ならいざ知らず、カトリック学校においてしかも福音的指導の是非となれば、殊の外そうはいかないのである。かけがえのない存在としての児童・生徒が、特別活動の中でどう扱われ、何を得てどのように人間的成長を成し遂げるのか、そしてそれが自己の人生においてどのような影響を及ぼし、自己の存在が他者や社会とどう関わりを持ちどのような意義を持つのか、そして自己を超える永遠の絶対者とのつながりを自覚できるようになるのかならないのかは、教育活動の結果としては雲泥の差があるのである。
 
 結論的にいうのならば、学校教育の特別活動における福音的指導の実現の鍵は、学校経営を管理する者が、各教師が福音を理解した上で指導ができるような研修プログラムを作成して実施しているかどうかなど、教師に対する指導・監督体制ができているかということと、特別活動を指導する教師自身が福音的指導を実施することを自覚し、実践しているかどうかという教師一人ひとりの指導の力量にかかっているということである。
 
 15     2.教務 (3)学校行事による福音宣教の実践 2008年2月8日(金) 
 カトリック学校の使命は、教育活動を通して福音宣教を行うことであるから、当然のことながら学校行事を通しても福音宣教の実践がなされなければならない。勿論、カトリック学校における福音宣教とはミサ聖祭や黙想会、そしてみ言葉の祭儀などの宗教行事をとおして直接的に実施されることのみをいうのではない。始業式や終業式、または朝礼寺の中で行われる祈りやさまざまなボランティア活動を通して間接的に行われるものも、十分福音宣教の実践と言えるものである。
 
 では、カトリック学校における学校行事を通しての福音宣教の実践にとって重要な要素は何であるかというと、宗教的儀式や行事を取り入れているということ以上に、イエス・キリストを通して述べられた神の福音が伝えられているかどうかというところにある。学校行事の中に何回ミサを取り入れようが、クリスマスの集いを催したり復活祭や聖霊降臨祭を取り入れようが、儀式そのものだけでその根底に流れる福音の意味を伝えることができないのであれば、それは単なる形式的なもので終わってしまい、福音宣教にはつながらないものになってしまう。
 
 さて、形骸化することなく学校行事を通して福音を伝えていくためにどうしたらよいだろうか。まず第一には、福音を伝えるに可能な行事の選択から始めるべきであろう。そして、次にはその行事の計画に当たり福音宣教をコンセプトに企画し、具体化することである。ここで忘れていけないことは、対象となる児童・生徒等は圧倒的に未信者の子ども達であり、信徒の子どもに対する信仰教育とは異なるということである。しかし、逆を返せば、未信者であるからこそ福音宣教の対象となるのであって、その観点においては絶好の機会といえるのである。とは言え、キリスト教になじみの薄い児童・生徒等に対して宗教行事を実施するためには、その行事の目的とすることやその意義等の事前指導が十分になされていなければならず、そのような配慮の欠けた宗教行事は、彼らにとって驚きやセンセーショナルなものにはなっても、真の意味においての福音宣教にはならない。
 
 更にもう一つの注意点は、指導に当たる教師がすべて司祭や修道者および信徒とは限らないという点である。よって、全教師がキリストの教えに理解と共感を示しながら福音宣教ができるよう、定期的な教員研修と日常的に聖書に親しみ触れる機会を設けていることが望ましい。
 
 以上のことがらに配慮した上で、カトリックのミッションスクールにおける学校教育において、福音宣教につながる宗教行事を具体的にあげてみると次のような行事が考えられる。
 
 1.降誕節と主の降誕祭
 2.聖家族
 3.主の公現
 4.四旬節と聖週間
 5.復活祭
 6.聖霊降臨
 7.聖母マリア(無原罪のマリア・聖母の被昇天)
 8.諸聖人と死者の月
 9.黙想会と錬成会
 10.バイブルDay
 11.ボランティア活動
 12.ミサ聖祭
 
 これら以外にも、入学式や卒業式、始業式や終業式、父母会や文化祭等の生徒会行事にも、聖書のみ言葉や教会典礼行を取り入れること、また行事というのではなく毎日の朝礼時における聖書朗読や祈り、そしてホームルームにおける朝終礼時、授業の始業や終業時に祈りを取り入れることで福音宣教につなげていくことができる。
 

Last updated: 2012/12/3