「もし、わたしたちに罪はないというならば、自分自身を欺くことになり、真理はわたしたちの中にありません。罪の告白をするならば、真実で正しい神は、わたしたちの罪をゆるし、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。もし、罪を犯したことがないというならば、神を偽り者にすることになり、神のことばはわたしたちの中にはありません。
(Tヨハネ1:8〜10)

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学校経営 School Management

「カトリック学校としての学校経営の在り方」
カトリック学校としての戦略的学校マネジメントの展開
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 46     Y.教科・学級担任教員以外の教職員の福音的役割 2.養護教諭・保健指導主事の福音的役割 2011年6月28日(火) 
2.養護教諭・保健指導主事の福音的役割
 
 学校教育法においては、養護教諭は、「児童・生徒の養護をつかさどる。」と規定され、そのために「専門的立場からすべての児童生徒の保健及び環境衛生の実態を的確に把握して、疾病や情緒障害、体力、栄養に関する問題等心身の健康に問題を持つ児童生徒の個別の指導にあたり、また、健康な児童生徒についても健康の保持増進に関する指導に当たるのみならず、一般教員の行う日常の教育活動にも積極的に協力する役割をもつものである。また、保健主事及び養護教諭は、学校において保健活動を推進する中心的職員であり、児童生徒の健康の保持増進が学校教育の大きな課題となっている今日、きわめて重要な役割をになうものである。」とされている。また、小学校における保健指導主事についても「近年、児童生徒の心身の健康問題の複雑化、多様化、とりわけいじめの問題をはじめとする生徒指導上の諸問題への対応についても、心身の保持増進の観点から保健主事に対する期待が増している。」との観点から、学校教育機関における養護教諭・保健指導主事の役割と責任は大きいといえる。
 
 そこで、カトリック学校における養護教諭および保健指導主事は、その職務の専門的立場から「心身の健康、特に不安や悩みなど心の健康に問題を持つ学習者の個別の指導」および「一般教員の行う日常の教育活動に積極的に協力する」という観点において、宣教司牧の実践と福音的共同体の構築に貢献できる機会を十分に持っている立場にあるといえるであろう。
 
 養護教諭は、学習者の「体格、体力、疾病、栄養状態」・「健康、安全の認識の発達」・「健康生活の実践状況」・「不安や悩みなど心の健康」・「性に関すること」・「学校環境衛生」・「保健室で捉えた傷病」などの実態から学校保健情報全体を把握し、学習者およびクラスや学校全体の集団に対する保健指導をとおして、学校組織における一般的な教員とは別な観点で学習者と関わりを持つことが可能である。特に前項で述べたように、養護教諭はその職務の性格上、一般の教職員以上に学習者とのリレーションがスムーズに形成されやすい傾向を持っている。無論、養護教諭個々のパーソナリティにもよるが、一般的な傾向として養護教諭は、成長過程にあり心身共に大きく揺れ動く学習者にとっては良き相談者であり、悩みを打ち明けられる信頼のできる人なのである。そして、そのような養護教諭がいる保健室は、学習者にとっての駆け込み寺か心の安らぎを得る癒やしの空間として彼らには捉えられているのではないだろうか。勿論、養護教諭がその職務の性格上、十分な配慮が必要な点がある。特に学習者の個人的な身体および精神的な悩みや家庭環境に関することなど、個人情報やプライバシーに関わる事例については、十分な注意と守秘義務が伴う。しかし、そのような学習者にとって重要な情報や個別の事情をもとに関わるり、必要に応じて学習者の同意があれば他の一般教職員特に学習者の担任教師への情報提供も可能である。よって養護教諭は、このような学習者との親密な関係を形成できる職務であるからこそ、学校教育機関にとって欠かすことのできない存在であるとともに、福音的な役割を担う重要な立場にあるともいえるのだ。
 
 そこで、養護教諭の専門性や固有の職務を踏まえた上で、カトリック学校における養護教諭が福音的役割を担うために必要なものとは何かを考えてみよう。
 
 福音を他者に述べ伝えるためには、それを聞く側である聞き手の話し手に対する信頼感が第一条件である。人は誰でも信頼に値しない者や胡散臭い話には耳を貸さないものである。その点、学校教育機関において評価・被評価等の主従関係や利害関係が少なく、信頼感の持てる養護教諭は、学習者にとって警戒心なく関係をつくっていけるという強みがある。学習者が信頼でき、かつ安心して心を開ける者が話す言葉は、聞き入れられ受け入れられる。このことは福音を述べ伝える上では、非常に重要な要素なのである。学習者が、様々な悩みを抱えそれを一般の教師に打ち明けられなくても、養護教諭には心を許せるというケースこそが、養護教諭の福音的役割を果たす機会である。
 
 子どもたちには、人間の成長過程にあるがゆえの固有の悩みがある。現代社会のように複雑な社会状況の怒濤の中で、ともすればその逆巻く波に呑まれ、溺れ死にしそうな状況も決して珍しいとはいえない。両親の離婚や不仲による家庭崩壊、いじめや友人関係のトラブル、様々な原因による不登校、恋愛や勉学そして進路についての悩み等々、初等教育から中等教育機関で学ぶ子どもたちの悩みは絶えることがない。しかも、それは青年期特有の生まれ出る悩みとは別に、複雑で多様化し不確実・不安定な現代の社会構造がもたらす問題でもある。価値観が氾濫し、何が正しく何が間違っているのか、何をどう選び取っていけば良いのか途方に暮れる苦悩である。自分を保とうとしながらも、世の中の動きに翻弄され、他人や大衆の力に流されてしまう脆弱な個としての叫びである。
 
 そもそも学校は社会の縮図であるから、現代の社会あるいは時代が抱える全ての問題が、学習者によって学校にもたらされていると言っても過言ではない。それほど、学習者である子どもたちは、社会の影響をもろに受けて生きているのである。そのような社会のうねりに喘ぎ彷徨う子どもたちが、救いを求めていないはずがないだろう。彼らには確かな救い、導きが必要である。彼らにこそ福音による救いの手が差し伸べられなければならない。養護教諭のみならず、カトリック学校の全ての教職員は、このことを受け止めていなければならない。
 
 以上の理由からカトリック学校の養護教諭は、福音の重要な担い手である。それを自覚しなければならない。救いを求めてくる学習者に、どのような言葉や行動で接すれば福音による救いを伝えることができるのかを考えていなければならない。だから、カトリック学校の養護教諭は聖書を熟読し、福音をよく学んで理解し、救いを求めて来る学習者に福音を語り、伝えることができるようにしなければならない。そのためにも学習者一人ひとりの存在を福音的人間観に基づいて受け止め、それぞれの家庭環境や友人関係、部活動や委員会活動などの校内での活動や校外での活動を把握し、良好な人間関係を形成しておかなければならない。前述したように、人は信頼の置けない者の話は聞かない。無論、養護教諭といえども万能ではないのだが、学習者とのリレーションを極力よりよいものにしておく必要がある。養護教諭が2名以上いるか学校カウンセラーがいる場合は、リレーションのうまくとれない学習者を別な養護教諭や学校カウンセラーにリファーできるだろうが、そのような環境が整っている学校はそう多くはないだろう。よって、養護教諭は自校の学習者となるべく健全で良好な関係を形成していけるよう努めていかなければならない。そして、このことがカトリック学校において養護教諭が福音的役割を果たしていく、最低限にして最も重要な用件であるといえる。
 
 47     Y.教科・学級担任教員以外の教職員の福音的役割  3.スクールカウンセラーの福音的役割 2011年7月19日(火) 
3.スクールカウンセラーの福音的役割
 
 スクールカウンセラーの必要性については、「6.不登校生に対する福音的対処」の章でも述べたが、学校教育活動の中でスクールカウンセラーが必要なのは、以下の観点からであると考えられる。
 
 1.不登校生の対処の観点
 2.学習者の学習や成績の悩みに関する観点
 3.学習者の家庭問題や友人(恋愛も含む)関係の悩み相談に関する観点
 4.学習者の内面的成長の補完と解決および性や身体についての悩みに関する観点
 5.学習者(特に中・高等教育機関)の進路相談に関する観点。
 6.学習者の保護者が抱える子どもの教育や学校に対する悩み相談に関する観点
 7.教職員が、職場全般にわたる問題(特に教育活動)から抱える悩みに関する観点
 
以上の7点の観点からである。
 
 従来これらの事柄は、クラス担任を中心として学年単位(学年主任を中心とした学年団)や教師集団で対処されてきたことであろう。いや、今もなお現在進行形の教育機関が多いのではないだろうか。では、なぜ従来はクラス担任をはじめ学年主任等の学年教師で賄われてきたものが、少子化により学習者数が以前より減って来ているにも関わらず、現在の学校教育にスクールカウンセラーが必要とされているのであろうか。
 
 それには、いくつかの理由が挙げられよう。その一つには、学習者が抱える悩みが、社会構造の複雑化や価値観の多様化および人間関係構築の難化に伴って、ますますその解決に困難を要するようになってきているということである。また、教師の学習者に対する学習指導や生徒指導および進路指導等の指導力(教師力)の低下もその一つに挙げられよう。さらに、三つ目の要因としては、保護者の学校教育に対する信頼感の低下がある。それには、親の高学歴化による教育観の対立や少子化による親の子どもに対する愛情の偏重、そして教師の保護者とのリレーション不足や配慮不足(教師と保護者の相互関係の希薄)も無関係とはいえないであろう。いずれにせよ、学校公開や学校評価が普及し、保護者と学校とのつながりを深化させようとの取り組みが進んでいるにも関わらず、むしろ保護者と学校との距離は広がってきているという一面があるというのも否めないのではないだろうか。そして、保護者の学校に対する不信感は、モンスターペアレンツやクレーマーの言葉に代表されるように、学校に対する苦情や不満そして異議申し立てという形で表面化している。
 
 そもそも、初等教育や中等教育機関にある学習者の悩みは、人間の成長過程の途にある者に特有のもので、それは人間の発達段階にそれぞれある発達課題の実現と深く関わるものである。そして現代の青年期は、ますます長期化しており、青年期が約12歳頃から30歳頃までと定義されていることから考えれば、初等教育における高学年の児童や高等教育機関に属する学生や院生もその例外とは言えないだろう。そのような観点からも、日本の現代人が暮らすこの社会に適応するには、それ相応の知識を身につけ人間関係における相当の訓練が求められているということなのだ。
 
 青年期における発達課題は、アイデンティティの確立である。アイデンティティは、青年期以前の成長過程において獲得していなければならない発達課題である「基本的信頼(まわりの世界を信じ、自分の価値を信じる力)」、「自立性、主体性、勤勉性などの力」を基盤として成り立っている。さらに青年期以後に獲得する発達課題の「親密性(人々と密接に関わりながら、自分を失わないでいる力)、ジェネラティビティ(創造性、生産性を発揮し、次世代を育てる力)、自我統合(人生を自分なりにまとめる力)の基盤となるものであるから、青年期における発達課題である「アイデンティティの確立」は将来にわたって重要なものであると断言できる。
 
 そのような人間の成長課程において重要な時期を生きる学習者にとって、家庭と学校の果たす役割と責任は、非常に大きいと言えるであろう。しかし、現代の複雑化した社会の中で、家庭崩壊や学級崩壊あるいは地域社会の教育力の低下など、本来学習者の成長に欠かせない集団そのものが崩壊の危機に瀕している最中、学習者である青少年の健全な成長は、困難を極めるものとなっているのが現代である。
 
 もともと数々の事例をこなしたベテラン教師であろうとも指導の限界というものがある。一人のHR担任が、どんな学習者や保護者とも良好なリレーションを築いていけるとは限らない。時には、第三者である他者に自分の生徒をリファーすることが賢明である場合もあるのだ。また、HR担任は、問題行動をとる学習者や不登校生が、一クラスに二・三人もいればその対応に追われ、他の生徒との関わりが疎かになってしまうことも少なくない。
 
 そこで、学習者の自立やHR担任等教員の学習者に対する指導の限界を補足し手助けするために、心理学的専門知識をもって学習者の不登校や種々の問題行動および教員の教育活動の補助、時には教員自身の教育活動に関する悩み自体に対応していくのがスクールカウンセラーである。
 
 スクールカウンセラーは、学年主任・HR担任・養護教諭および保護者との連携を図りながら、適切なカウンセリングプランを作成し、実施していく必要がある。よって、スクールカウンセラーは、常勤し、学年団に所属した上で活動することが望ましい。さらに、一校に一名ではなく初等教育機関であれば、低学年担当に一名、高学年担当に一名、そしてそれらを統轄する立場に一名と最低三名は欲しいところである。また、中等教育機関であれば各学年担当に一名ずつ、そしてそれらを統括する担当に一名と、四名の学校カウンセラーが望ましい。ただ、人件費の関係から難しい面があるのなら、常勤の学校カウンセラーを各学年を統括するチーフスクールカウンセラーの一名にし、他の学年担当のカウンセラーは、非常勤で放課後等のパートタイムで勤務してもらう等の方法があろう。いずれに得よ、スクールカウンセラーという業務を、日常の教育活動に不可欠なものであると捉え、クラス経営や学年経営を円滑に進展させる一機関であるとの位置づけが重要である。
 
 スクールカウンセラーが、常勤で各学年団の組織に組み込まれ機能することによって、学習者本人(クライアント)を、HR担任・学年主任をはじめとする学年団教師とともに支え、学習者の問題解決や精神的自立を手助けし、人格の陶冶に積極的かつ効果的に関わることができるようになるのである。この観点においてスクールカウンセラーは、学習者の人格形成に深く関わることから、学習者の発達課題を達成させ、将来の自立・自己実現へと向かわせる助言者であり、助け人となる職務であるから、ここに宣教司牧を果たせる絶好の機会が在る。よってスクールカウンセラーは、福音的人間観および福音的教育観をよく学び、学習者とのカウンセリングをとおして直接的・間接的は問わず、結果的に宣教司牧の実践が成し遂げられるように努めなければならない。カトリック学校においてのスクールカウンセリングは、最終的に学習者本人に「福音的目覚め」(学習者本人が自ら、「自分は、神によって固有の使命を与えられたことによって、必要とされてこの世に生命を受け、その使命を果たす(自己実現)ことで神の御計画に与り、やがてはキリストによって永遠の生命に導かれる。」という福音的自覚に導かれることが最も重要であるり、それが学習者本人(クライアント)の「救い」となることが、望ましいのである。学習者をこの福音への覚醒に導くことこそが、「スクールカウンセラーの福音的役割」ということになるであろう。
 
 48     Y.教科・学級担任教員以外の教職員の福音的役割  4.学校図書館司書教諭の福音的役割 2011年7月30日(土) 
4.図書館司書教諭の福音的役割
 
 学校図書館法において、学校図書館が教育活動においてなくてはならない基礎的な設備であるとともに、学校教育の健全な発達と充実を目的とすることが定義されている。(第1条)また、学校図書館とは、小学校(特別支援学校の小学部を含む。)、中学校(中等教育学校の前期課程及び特別支援学校の中学部を含む。)及び高等学校(中等教育学校の後期課程及び特別支援学校の高等部を含む。)において、図書、視覚聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによつて、学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備をいう。(第2条)と学校図書館の役割を定義している。
 
 さらに、第3条においては、学校図書館の設置義務を規定しており、第4条においては、以下のとおり学校図書館を児童又は生徒及び教員の利用に供するものであること、および学校図書館をその目的を達成するのに支障のない限度において、一般公衆に利用させることができると規定している。
 
 1.図書館資料を収集し、児童又は生徒及び教員の利用に供すること。
 2.図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。
 3.読書会、研究会、鑑賞合、映写会、資料展示会等を行うこと。
 4.図書館資料の利用その他学校図書館の利用に関し、児童又は生徒に対し指導を行うこと。
 5.他の学校の学校図書館、図書館、博物館、公民館等と緊密に連絡し、及び協力すること。
 
 また、第5条においては、学校には学校図書館の専門的職務を掌らせるため、司書教諭を置かなければならないことと、司書教諭は、主幹教諭(養護又は栄養の指導及び管理をつかさどる主幹教諭を除く。)、指導教諭又は教諭(以下この項において「主幹教諭等」という。)をもつて充て、この場合において当該主幹教諭等は、司書教諭の講習を修了した者でなければならないことを規定している。そして、第6条において学校の設置者は、この法律の目的が十分に達成されるようその設置する学校の学校図書館を整備し、及び充実を図ることに努めなければならない。ことを規定をしている。
 
 以上、学校図書館法をもとに学校図書館の機能や役割から、カトリック学校における司書教諭の福音的役割を考えると、学習者や教職員に対して、学校図書館の蔵書としてキリスト教関連書籍や視聴覚教材(DVD,CD等)を設置したり、図書館報やキリスト教関連映画の鑑賞会等をとおして間接的に福音宣教の実践が可能なものと、来館した学習者や教職員の要望に応じて直接的にキリスト教関連書籍や視聴覚教材を紹介・推奨することによって福音宣教が可能となるものの二通りが考えられるであろう。いずれにせよ、学校図書館に十分なキリスト教関連書籍や教材を設置することによって、学習者や教職員に対して能動的もしくは受動的な宣教司牧の実践ができるようになる。
 
 よって、カトリック学校の司書教諭は聖書やキリスト教関連の知識を十分学ぶとともに、それらに関連した書籍や教材についても熟知し、学習者や教職員の宗教的関心や信仰的欲求さらに適切な教材準備に、十分応えられるような体制を整えておかなければならない。また、そのような受動的な体制のみならず、自らがカトリック信徒であるならば信徒使徒職を積極的に果たすためにも、学校図書館の機能や役割を余すところなく活用した能動的な宣教司牧活動を展開・発信していかなければならない。学校図書館の司書教諭にとって、これら一連の活動は、「耳のあるものは聞きなさい。(マタイ11:15,13:9)」や「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイ7: 8,ルカ11:10)」という福音宣教の精神に照らし合わせてみるならば、至極明快で合致するものであると言えよう。
 
 では、カトリック学校における学校図書館の司書教諭は、具体的にはどのような体制を整えておけばその福音的役割を果たしていけるのか列挙してみよう。
 
 1.図書館の中には独立して宗教関連の書棚もしくはコーナーを設置する。または、その必要性を経営責任者(学長・校長・園長)に進言する
  こと。そして、そこには次のような書籍関連物を設置し、学習者および教職員が常時閲覧できる環境を提供すること。
  (1)聖書(日本聖書協会出版の各種(新共同訳・STDY版・英語版等)、フランシスコ会聖書研究所発行等)
  (2)聖書解説書(コンコルダンス、聖書辞典、旧・新約聖書の基礎知識や解説、歴史資料等)
  (3)キリスト教・神学入門関連書
  (4)カトリックカテキズム・祈り・黙想関連書
  (5)聖人・福者に関する伝記
  (6)バチカン(特に教育省)や日本司教団および中央協議会等教会関連の公式文書
  (7)教区および小教区からの発行物
  (8)キリスト教関連児童書および視聴覚教材(DVD,CD等)
  (9)キリスト教関連機関誌(カトリック生活、福音宣教、あけぼの、聖母の騎士、心のともしび、カトリック新聞等)
  (10)学会誌・教育研修会紀要等(日本カトリック教育学会誌およびカトリック学校教育研修会紀要等)
 
 2.図書館報(図書館だより)を定期的発行し、紙面の中にキリスト教関連書籍等の紹介をすること。
 3.聖書やキリスト教に疑問・関心を持って、あるいは授業の課題のため資料を求め来館した学習者に適切な書籍や資料を提供・紹介できる
  こと。また、それらの書籍等が学習者の用途や発達段階別等、適切に分類・整理されていること。
 4.教職員のキリスト教についての疑問・関心や授業の教材研究等の必要性に応じて、適切な書籍や資料および教材を提供・紹介できるこ
  と。また、それらの書籍や資料等が適切に分類・整理されていること。
 5.教職員のカトリック教育に関する理解と関心向上および啓発活動のための書籍や論文等が常に閲覧・貸し出しができること。
 
 以上、カトリック学校の学校図書館司書教諭がこれらの事柄を網羅し、福音宣教と司牧に関する書籍・資料および教材の提供環境の整備や情報の発信を実践することで、その福音的役割を十分に果たすことができるようになる。
 
 49     Y.教科・学級担任以外の職員の福音的役割 5.事務職員の福音的役割 2011年10月7日(金) 
5.事務職員の福音的役割
 
 学校教育における事務職は大きく分類すると以下の通りである。
(1)総務…諸規定等の策定、事務業務の組織整備(学籍・教科書給与事務等、各担当業務の相互調整及び集約)、文書管理(受付・回議・起案・発送等、文書業務全般の管理(電子文書(情報)を含む))
(2)庶務…証明事務(各種証明書の作成・発行)、調査事務(教材費や施設管理状況等、様々な調査依頼への対応)
(3)学務…学籍(転出・転入等、在籍児童・生徒の学籍に関すること)、教科書給与(児童・生徒・教師用教科書の給与事務)、就学援助費等(対象世帯への事務手続き)
(4)人事…職員の人事異動、表彰、公務災害時等における事務手続き
(5)給与…職員の給与支給に関する事務
(6)服務…職員の休暇・休業や勤怠の管理事務、職員の旅行命令(出張)に関する管理事務
(7)財務…給食・学年・学級費(私費)等の取扱いに関する事務指導、公費予算書の策定、執行状況等の管理運営
(8)財産管理…施設・備品・消耗品の管理、修繕計画の策定
 
以上である。
 
 では、事務長をはじめ学校事務職員がこれらの業務をとおしてどのような福音的役割を果たしていくことができるであろうか。事務職員が学習者とその保護者と直接関わる機会は、入学説明会や奨学金の申し込みまたは在学証明書や成績証明書などの諸事務手続きのため、学習者とその保護者が事務窓口を訪れた時などに限られているだろう。とはいっても事務職員が彼らとの直接的な関わりが全くないわけではなく、窓口を訪れた学習者や保護者と事務職員がどのような応対や関わり方をするかで、宣教司牧の機会を得る可能性は全くのゼロではないし、福音のみ言葉を直接伝える機会がなかったとしても、学習者との応対の際の言葉遣いや態度などで、間接的な福音宣教の可能性は十分にあると言っていいのではないだろうか。それに福音宣教とは、何も直接聖書のみ言葉を伝えることだけに限られるのではなく、普段の何気ない心遣いや言葉がけによっても伝えることができるはずのものである。
 
 また、上記に列挙した学校事務という日常の業務をとおして、学習者や保護者および教職員への間接的な福音宣教が具体的にどのような形で可能であろうか。それは取りも直さず、自分に任せられている職務に対して誠実かつ責任を持って当たることが基本である。自分が執り行っている事務処理業務の全部が、学習者とその保護者や教職員及び卒業生や外郭団体など自校の学校教育に関わるすべての人々と繋がっていて、自校の教育活動が正しくかつ円滑に行われるための要であるとの自覚を持つことが重要であるし、その意味においては毎日の始業・終業時には祈りに始まり、祈りで締めくくることを慣行することが望ましい。そのように、自己の職務に忠実かつ誠実にあたり、自校の教育活動に関わるすべての人々に思いを馳せ祈りを込めるならば、たとえ事務職員が直接的に学校教育活動の中で福音宣教をする機会が希少であったとしても、福音的役割を十分に担っていると言えるであろう。また、授業やホームルーム活動または部活動等において、直接学習者に対して福音宣教をしていく使命を持っている教員の教育活動は、事務職員の職務である総務・庶務・学務・人事・財務等、どれをとっても学校教育活動を支えていく上では欠かせない業務であり、それらに支えられていることは自明なことであるから、事務職員及び教員は互いにそれらの関係を理解し合い、日々の業務に当たることが重要である。
 
 以上、このように事務職員が直接的に学習者等に福音を伝える機会は限られてはいるが、自己の職務と学校教育活動との関わりを明確に自覚し、学校事務職という日常の業務をとおして間接的にカトリック学校における最大の使命である福音宣教や司牧活動の一役を担い、福音共同体の完成のための活動に与っているのだという認識に基づく姿勢こそが、事務職員の福音的役割を果たしていくことに繋がっていく。
 
 50     Y.教科・学級担任以外の職員の福音的役割 6.学校用務員の福音的役割 2011年10月7日(金) 
6.学校用務員の福音的使命
 
 学校用務員に関する規定は、学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)にあり、「学校用務員は、学校の環境の整備その他の用務に従事する。」(同施行規則第49条)とされている。また、学校教育法(昭和22年法律第26号)に、学校には、必要な職員を置くことができることが定められており、学校用務員は、全ての学校に必ず置かなければならない職員(必置職員)ではないが、各学校において必要な職員とされる場合は、学校用務員を置くことができる。と規定され、さらに学校用務員に関する規定については、学校教育法施行規則の第49条で原文が定められ、同施行規則の第55条、第65条第1項、第65条の10第1項、第73条の16第1項、第77条で、第49条が準用されている。以上により、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、幼稚園の学校用務員については、法令上の定義が明確となっている。
 
 まず学校用務員(通学バスの運転手をも含む)は、このような法令上および業務上の観点から、学校組織の運営上、必要不可欠な存在であるとの位置づけができる。また、それ以外にも当然カトリック学校に奉職する教職員の一員であるのだから、カトリック学校が組織体として目指すべき福音共同体の完成に寄与する一員であるわけで、用務員においてもその福音的役割があることには間違いない。
 
 では、カトリック学校における用務員の福音的役割とは何かについて考えてみよう。まず、用務員の学校における生徒との関連は、養護教諭や事務職員とのあり方に類似している。なぜならば、まず学校用務員も養護教諭や事務職員及び司書教諭と同様に、基本的には教員のように学習活動や特別活動等の観点において、学習者を直接的に評価することはない。しかし、学校用務員が学習者との接点がないかと言えば、全くそのようなことはないどころか、むしろ近年は、総合的な学習等における環境教育など、体験活動を教員に変わって指導する機会も増えてきており、その機会は日常的に増加傾向にあり、教育活動の上でも重要な役割を担ってきている。また、学校用務員の仕事は地味ではあるかも知れないが、校内外のさまざまな施設の維持・管理には欠かせない業務であると同時に、その活動の場面は生徒の目に良く触れることも特徴の一つに挙げられよう。つまり、学校用務員の業務は、教員のように学習者を直接的に評価する機会はないにしろ、学校生活の中では、日常的に直接的・間接的に学習者と関わる機会の多い立場にあると言えるのだ。よって、カトリック学校における学校用務員が福音的使命を果たすべき機会は、十分に与えられている。
 
 学校用務員の方々は多くの場合、学習者から「○○さん」とか「おじさん、おばさん」というような呼び方で慕われていることが多い。つまり学習者との距離感が近く、親近感を持って触れやすい対象なのである。この点において、学習者と学校用務員との関わりは、学習者と養護教諭との関わりに類似していると言える。両者は共に学習者を直接的には評価・指導する機会が少ない故に、学習者は身構えることなく素の姿で接することができるのである。これが、学校用務員にとっては福音宣教の観点においての最大の強みとなることは言うまでもない。初めての相手と人間関係を形成していくことは、誰にとっても容易なものではない。学校教育機関において、学習者と教職員が良好な人間関係を形成していくためには、それなりの努力が必要であろう。勿論、学校用務員も例外ではないが、学習者との良好な人間関係を形成していく上で、学習指導や生徒指導等の学校教育に関連する教育活動のあらゆる場面で直接的に評価をしないという立場は、学習者にとっては親しみを持ち易く安心して近寄れることができる人なのだ。
 
 親しみを持ち易く安心できる人は、学習者のみならずともリレーションがつくりやすいということである。福音宣教の実践において最も重要なことは、それを行う者が受け取る側から信頼されるかどうかということだ。それは、なぜ我々信徒がイエス・キリストの福音を受け入れたのかを考えればわかることである。
 
 このような観点から、学校用務員は日常的に学習者に向けて福音宣教を実践するのに、格好の立場にいるといって良いだろう。学習者は、日々の学校生活の中で、学校用務員が自分たちのために働く姿を毎日のように目にしている。それは、毎日の通学バスの運転、校内外の電気関連施設や冷暖房、上水道施設等、学校設備全般の管理や修理、清掃。そして時には通学用の自転車やロッカーの鍵の不具合を見てくれたりと、学校用務員の業務は日常的に学習者との関わりが深い。そのような、日常の何気ない学習者との関わりの中で、心触れ合う機会が十分にある。そのような機会こそが、学校用務員の学習者に対する福音宣教の機会となろう。学校用務員の日常の働く姿そして学習者との触れあいの機会を通して、学校用務員が福音を語るのならば、その福音的役割を十二分に果たすことができる。
 
 よって、学校用務員も日頃から聖書や教会の典礼に触れ、その意味や解釈を学び、学習者との触れあいの機会を通して、いつでも福音を語ったり宗教に関する問に応えられるようにに準備を怠らないことが重要である。また、学校行事における宗教行事にも積極的に参加し、祈る姿を学習者に見せることも、福音宣教を実践するという大切な使命を果たすことに繋がるであろう。
 

Last updated: 2012/12/3