「裁いてはならない。そうすればあなた方も裁かれるであろう。人を罪に定めてはならない。そうすれば、あなたがたも罪に定められないであろう。ゆるしなさい。そうすればあなたがたもゆるされるであろう。与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる。押し入れ、揺さぶり、こぼれるほどますの量りをよくして、あなた方のふところに入れてくださるであろう。あなたがたが計るそのますで、あなたがたも量りかえされるからである。
(ルカ6:37〜38)

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カトリック教育 Catholic Education

『時のしるし』を見きわめ、主の道を歩もう。
 
 「あなたがたは、夕方には『夕焼けだから、あすは天気だ』と言い、朝には『朝焼けでどんよりしているから、きょうはあらしだ』と言う。あなたがたはこのように空模様を見分けることを知っていながら、どうして時のしるしを見分けることができないのか。」
(マタイ16:2〜4、ルカ11:16、マルコ8:11〜13)
 
わたしたちもキリストにおいて一つの体であり、一人びとり互いにキリストの一部分なのです。わたしたちは与えられた恵みに従って、異なった賜を持っているので、それが預言の賜であれば信仰に応じて預言をし、奉仕の賜であれば奉仕をし、また教える人は教え、励ます人は励まし、施しをする人は惜しみなく施し、つかさどる人は心を尽くしてつかさどり、慈善を行う人は快く行うべきです。
(ローマ12:5〜8)
 
カトリック教育とカトリック学校
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 37     1.カトリック学校のアイデンティティ−3 2009年9月7日(月) 

(3)カトリック学校ののアイデンティティの構成要素
 
 カトリック学校の独自性は、カトリック学校としての条件や規定であるが、カトリック学校のアイデンティティとは条件や規定ではなく、あくまでもカトリック学校の独自性を日々の教育活動の中で具現化する実質そのものでなければならない。
 
 アイデンティティの定義は、「自我同一性(の意識)」ということであるから、カトリック学校としての一貫した独自性の実践が、この現実社会からどのように受け入れられて接点を持っているのかという、カトリック学校の社会的役割のことである。
 
 アイデンティティの構成要素の一つである「肯定的自我」という観点から、カトリック学校の独自性を考えてみると、私たちの教育活動が現実社会にとって必要かつ善いものであるとの肯定的認識と、日々の教育活動の実践をとおしてキリストを証する共同体であることに、その存在価値を認めているかということであって、カトリック学校のアイデンティティの一構成要素は、キリストを証する教会共同体であるという認識のもと、カトリック学校が宣教司牧の実践に社会的価値と必要性を見出し、日々の教育活動を実践しているということである。
 
 アイデンティティのもう一つの構成要素である「同一性」という観点から、カトリック学校の独自性を考えてみると、カトリック学校の教育活動の独自性は前項で述べた五つの項目が、現実社会の営みににおいてどのような「同一性」をもたらしているのかということである。それは、カトリック学校に学ぶ学習者に「福音宣教」をすることと、学習者を教会共同体の一員として司牧していくという過程の中で、カトリック学校が一定の社会的役割を果たしていくということに他ならない。
 
 よって、この「同一性」とは、カトリック学校が「福音宣教」を第一の目的に、一定の建学の精神を加えて教育活動の実践に当たっているということと、学習者とその父母等を教会の一員に招かれている存在として「司牧」するということである。この関係において、カトリック学校としての共同体には、「福音」を述べ伝える者とそれを求める者、教え導く者と学び育つ者、そして成長を目指す者とそれを支え導く者という対峙において一致し、アイデンティティの構成要素の一つである「同一性」が生まれるのである。
 
 また、「宣教司牧(福音宣教と司牧)」をカトリック学校の「使命(ミッション)」 として、連続生徒一貫性をもって実践することも、「同一性」に置いては重要な要素となる。
 
 38     2.教会のアイデンティティとカトリック学校のアイデンティティの一致性−1 2009年9月7日(月) 

2.教会のアイデンティティとカトリック学校のアイデンティティの一致性
 
(1)教会のアイデンティティ
 
 教会は、キリストを中心とした共同体そのものである。教会のアイデンティティを「肯定的自我」と「同一性」というアイデンティティの構成要素から考えると、教会における「肯定的自我」とは、信徒個人と教会共同体の信仰生活の営みのなかで、最大の信徒使徒職である「福音宣教」をすることである。また「同一性」とは、信徒個人並びに教会共同体の信仰が社会に対して開かれ、キリストの「福音」が教会共同体に招かれた存在として全ての人々に述べ伝えられ、秘跡をとおして「司牧」されるということである。このように、教会のアイデンティティもまた「福音宣教」と「司牧」ということに集約される。
 
 39     2.教会のアイデンティティとカトリック学校のアイデンティティの一致性−2 2009年9月7日(月) 

(2)教会とカトリック学校のアイデンティティの相違点
 
 カトリック学校も教会の構成員であるから、教会のアイデンティティとカトリック  学校のアイデンティティが共通するのはいうまでもない。ただ、両者における相違点は、「福音宣教」と「司牧」の対象者とその方法が多少違うということである。
 
 教会における「宣教司牧」は、カトリック学校が特定の年齢層の学習者を中心に行われるのに対し、不特定の年齢層に向けて行う点と「司牧」の方法のあり方に秘跡の授与があることである。また、信仰を伝え受け継ぐという点においては、生涯発達という世代間の相互形成の関わりの中で行われていく点が最も異なるところである。
 
 40     3.カトリック学校のアイデンティティの持続と存続の危機−1 2009年9月7日(月) 

3.カトリック学校のアイデンティティの持続と存続の危機
 
(1)カトリック学校のアイデンティティを支えてきたもの
 
 カトリック学校のアイデンティティを支えてきたものは、次の三つにまとめられる。
 一つ目には、宣教司牧というカトリック学校における最も根本的で本来的なミッションである。二つ目には、設立母体となった修道者の教育理念である。そして三つ目には子細等の聖職者や修道者の方々の信仰である。
 
(2)聖職者や修道者の高齢化と減少
 
 カトリック学校のアイデンティティと教会のアイデンティティは、「福音宣教」と「司牧」という点においてほぼ一致するが、1990年代からの少子高齢化現象によって、それまでカトリック学校のアイデンティティを担ってきたカトリック学校の設立母体となった修道会の修道者や聖職者が、急激に高齢化するとともに、少子化現象は聖職者や修道者の召命の減少の一因にもつながった。
 
(3)カトリック学校のアイデンティティの持続の危機
 
 このことにより、今後カトリック学校としてのアイデンティティを支え、持続することに困難を来している。それは、それまでカトリック学校としての独自性の実践を一部の修道者や聖職者の人々に依存してきたことと、少子化現象とが相まって、カトリック学校のアイデンティティの持続の危機という学校そのものの存続の危機という二つの危機を同時に招いてしまっているのである。
 
 
 41     3.カトリック学校のアイデンティティの持続と存続の危機−2 2009年9月7日(月) 

(4)少子高齢社会が招いた二つの危機
 
 少子高齢化現象は、第一にカトリック学校のアイデンティティの危機と、第二に学校そのものの存続危機(経営危機)を招いた。
 
 第一の危機である「カトリック学校のアイデンティティの危機」とは、それまでカトリック学校のアイデンティティである「宣教司牧」を担ってきていた聖職者や修道者の教職員の高齢化と減少により、カトリック学校における「宣教司牧」を不可能な状況にまで追い 込んでいるということである。
 
 また、第二の危機である「学校そのものの存続危機(経営危機)」とは、少子化現象による生徒数の減少によって、学校経営における財政難から経営危機をもたらし、それが学校存続の危機にまで及んでいるということである。
 
 カトリック学校がその独自性を発揮できないのならば、その存在意義を失うことはい うまでもない。カトリック学校の存続は、カトリック学校としてのアイデンティティを再構築し、教会共同体としての再生への可能性にその運命が託されているのではないか。
 
 42     4.カトリック学校のアイデンティティの再編と再構築−1 2009年9月7日(月) 

4.カトリック学校のアイデンティティの再編と再構築
 
(1)カトリック学校のアイデンティティの再編
 
 では、第一の危機である「聖職者・修道者の高齢化と減少によるカトリック学校のアイデンティティの危機」をうけて、この問題解決に何が有効な解決策となるであろうか。確かに、聖職者や修道者を増やすための召命活動も必要であろうが、これら聖職者や修道者の人口を一気に増やすということは現実的ではない。そこで、当面は現在カトリック学校にいる教職員がイエス・キリストの「福音」をどのように受け止めているのかという再確認作業が必要ではないかと考えられる。
 
(2)カトリック学校の教職員に対する「問いかけ」
 
  カトリック学校の教職員に対する「問いかけ」とは、カトリック学校に勤めている全教職員が、カトリック学校のアイデンティティが「福音宣教」と「司牧」(「宣教司牧」)であるとの原点に立ち返り、イエス・キリストの「福音」の伝承を実践するのか放棄するのか?つまりは、本来的にカトリック学校としての存続を決意するのか、もしくは体裁だけを整えたカトリック学校としての歴史があっただけのミッションを失った進学校やお嬢様学校となるのか、という選択を迫られた岐路に立たされているのである。
 
 43     4.カトリック学校のアイデンティティの再編と再構築−2 2009年9月7日(月) 

(3)カトリック学校のアイデンティティを担う者
 
 多くのカトリック学校の経営母体となった修道会が、第2次世界大戦前後に日本に宣教活動に入った。以来、カトリック学校のアイデンティティの担い手として聖職者や修道者を中心に活躍してきたが、1990年代以降の少子減少や高齢化現象によってその数を急激に減らしてきた今日、カトリック学校のアイデンティティを引き継ぎ継承していくのは、カトリック学校に勤める教職員ではないだろうか。
 
 しかし、現実的にはカトリック学校のアイデンティティである「宣教司牧」を実践できる教職員は多くはない。そこで、カトリック学校のアイデンティティを担い実践していける教職員の養成と研修が必要となり、しかもそれらの人材育成の出来る聖職者や修道者が 存命のうちに実践していかなければならないのであって、カトリック学校の教職員養成所や研修所の設立が早急に望まれる。そして、このカトリック学校教職員養成所・研修所の設立及び運営が、教会とカトリック学校との連携の最も有効で現実的な事案であると考える。これらの実施によって、カトリック学校の教職員がミッションを果たす者となり、ひいてはカトリック学校が教会共同体として再生され、現在にまで受け継がれたアイデンティティを礎に、新たなカトリック学校のアイデンティティを構築していくことが重要である。
 
 44     5.福音が持っている性格と問いかけ−1 2009年9月7日(月) 

(1)イエス・キリストの福音の伝え方
 
 イエス・キリストの福音の述べ伝え方には、ある種の法則がある。
 
 その一つは、「福音(救い)」が、求める者にだけ理解できるように、「たとえ話」の形式を用いたということである。しかも、普通「たとえ話」というものは話の趣旨をより解りやすくするためが一般的であるのに対し、イエスの「たとえ話」は「福音(救い)」を、求める者にだけに理解できるようにとの逆説的な手法なのである。
 
 また、もう一つの法則は「選択の自由」である。イエス・キリストは、どんな場合も「福音」を決して強制することはない。それは、神が人間に与え給うた自由をイエス・キリストが最大限に尊ばれたことに他ならないのである。
 
 これによってイエス・キリストは、マルコによる福音4章13節から20節の「種を蒔く人のたとえ」に著されているように、私たち人間の「福音」の受け止め方を四つに区分し、「問いかけ」を発しているのである。
 
 45     5.福音が持っている性格と問いかけ−2 2009年9月7日(月) 

(2)イエス・キリストの問いかけ
 
 イエス・キリストによる神の「福音」は、全ての人々に発せられたメッセージで ある。イエス・キリストは常に私たちに問いかける。神の「福音」をどう受け止めて、どう実践するのか?と…。
 
 イエス・キリストのメッセージ「聞く耳のある者は聞きなさい。」に対して、福音 をどのように受け止めるのか?「福音」の蒔かれた私たちの地はどうのようであるのか?
 
 また、「福音」を実践する者として、私たちカトリック学校の教職員はその「働き手」となるのか?
 
 二千年という時空を越えて、イエス・キリストの「福音」は、なおも色あせることなく、神に向かって真に生きるために、何を選び取っていくのかを、私たちに問いかけている。
 
 46     『教会とカトリック学校のアイデンティティ』1.「カトリック学校のアイデンティティ-3」 2009年8月17日(月) 
(3)カトリック学校のアイデンティティの確立
 
 カトリック学校のアイデンティティの確立は、次の要素の実現によって成り立つ。
@「教育活動の根幹を成す教師力」
A「学習者に対す福音的人間観に基づいた全人教育と宣教司牧」
B「学習者の父母に対する福音宣教」
C「学校(内部)社会および校外(外部)社会(地域社会に対する働きかけ))」
 
 「@教育活動の根幹を成す教師力」について言えば、カトリック学校のアイデンティティが「福音宣教」と「司牧」にあるとしても、それを実際の教育現場で実践し具現化するのは、学習者である幼児・児童・生徒及び学生と日々関わりを持つ教師一人ひとりであり、またそれら一人ひとりの教師が意思統一された教師集団であって、それが「教師力」である。
 
 カトリック学校に奉職する教師一人ひとりによる「福音宣教」と「司牧」は、信者・未信者に関わらず、カトリック学校の教員としての一定の研修と経験および学習が必要であることは言うまでもない。カトリック信徒であるからといって受洗しただけで、小教区との関わりやミサに与ること無しには、宣教司牧の実践は不可能に近いし、未信者であるからといって、イエス・キリストの福音が理解できないわけでもなければ、信仰を伝えることは出来ないまでも知識としての伝達が不可能なわけでもない。つまり、「福音宣教」と「司牧」と言うことに関しては、信者・未信者の如何に関わることではないと言える。更に自校の建学の精神に至っては、そこにいる教職員の全てが信者・未信者に関わりなく、その精神を十二分に学び受け継いでいかなければならないものであるから、これもまた信者・未信者の如何に関わることではないのである。
 
 そして、また今日のように創立以来「宣教司牧」というカトリック学校としての本来的目的を担ってきた司祭などの聖職者や修道者の数が激減する中、カトリック学校に奉職する全ての教職員が建学の精神と同様に「宣教司牧」というカトリック学校の本来的目的を受け入れ、全うしていかなければならないことを決意しなければならないのではないだろうか。
 
 この「宣教司牧」と「建学の精神」をいかに教職員一人ひとりが担い、教師集団として一致団結して受け継ぐかが、今後のカトリック学校としての存続を左右するカトリック学校としての「教師力」と繋がるものになるに違いない。
 
 「A学習者に対す福音的人間観に基づいた全人教育と宣教司牧」ついては、カトリック学校の教育理念は「全人教育」という一語に集約できる。「全人教育」とは、人間の根本的存在を「福音的人間観」から捉え、人間個人の生命や能力を神から与えられた固有のものであって、一方向に偏った教育により人格を歪曲させることなく、神から与えられた固有の能力に気づくよう導き、それを伸長させ、更には神から与えられた固有の使命に気づかせ、それを全うすることで本来的な自己実現が出来るようにと、学習者を導き育てることである。
 
 また、「宣教司牧」については、前述のとおりカトリック学校の構成員である幼児・児童・生徒及び学生の一人ひとりが、学校共同体の一員であることを基盤に、善き牧者であるイエス=キリストの教えを学習者に述べ伝え、それに従って教会共同体の成員としても導くことであり、これらのことが学習活動、特別活動及び課外活動という学校教育の全ての部面から実践されるよう努めていかなければならない。
 
 「B学習者の父母に対する福音宣教」についても学習者の保護者は、学校共同体の一員であるから、学習者と同様にイエス=キリストの「福音」を述べ伝え、それに従って教会共同体の成員として招かれていることを知らせなければならない。特に、幼稚園・小学校・中学校・高等学校のカトリック学校に学ぶ学習者にとって、保護者は未だ重要な導き手であるから「福音的人間観」に根ざした教育活動に対する理解と協力を十分に求め、学習者にとって善き牧者となるよう努めてもらうための指導が必要である。
 
 「C学校(内部)社会および校外(外部)社会(地域社会に対する働きかけ))」については、カトリック学校も教会共同体の一翼であるとの認識に立っての考え方である。そもそも教会共同体とは、イエス=キリストのもとに集められた成員による共同体であるから、カトリック学校もまた教会共同体であると言える。よって、教会共同体の本来的目的は、「福音宣教」と「司牧」であるから、カトリック学校も、学校内部の教育活動を通して「宣教司牧」をすることに留まらず、校外にある地域社会等の外部社会に対する「宣教司牧」という働きかけを、教育活動を通して実践することが求められるとともに、カトリック学校にとっての重要な要素となる。これは、まさにキリストの教えの中核を成す「隣人愛」の実践に他ならないであろう。そして、これらのことは教育活動の中においては、「他者のために、自己を犠牲にし奉仕する。」というボランティア活動によって実現できると言えよう。
 
 以上、カトリック学校のアイデンティティの確立について四つの要素を挙げたが、これらはあくまでもカトリック学校としての独自性であって、これ以外にカトリック学校も学校法人としての教育機関であるのだから、一般的な学校としての要素を、余すところなく満たしておかなければならないことは言うまでもない。
 
 47     『教会とカトリック学校のアイデンティティ』1.「カトリック学校のアイデンティティ-2」 2009年6月16日(火) 
(2)カトリック学校の独自性とカトリック学校のアイデンティティ
 
 カトリック学校の独自性は、カトリック学校としての条件でありカトリック学校としての規定で ある。しかし、カトリック学校のアイデンティティとは条件や規定などではなく、あくまでもカトリック学校の独自性をどのように日々の教育活動の中で具現化しているかという、実質そのものでなければならない。また、カトリック学校のアイデンティティを論じるに当たり、アイデンティティとは何かというアイデンティティの定義が重要な鍵を握っていると考える。
 
 そこで、アイデンティティという言語の定義を再確認してみるとアイデンティティとは、「自我同一性(の意識)」であるから、これをカトリック学校に当てはめてみれば、カトリック学校としての一貫した独自性を、私たちが生きるこの現実社会(地域社会・国家社会・国際社会)において、いかに具現化しその実践が社会から受け入れられているのかという、カトリック学校の存在意義およびカトリック学校の独自性の実践が社会との関わりの中でどのように一致しているのかという「同一性」にある。
 
 では、そのアイデンティティとは、カトリック学校の独自性をどのように実践することによって、実質そのものとして具現化され、カトリック学校のアイデンティティとなり得るのであろうか。次にカトリック学校の独自性とカトリック学校のアイデンティティの関係について考えみよう。
 
 まず第一に、アイデンティティの構成要素の一つである「肯定的自我」という観点からカトリック学校の独自性というものを考えてみると、私たちの教育活動が私たちの現実社会にとって大切で必要なもので、かつ善いものであるとの肯定的認識の上に立ったものであるということである。また、日々の教育活動の実践を通してキリストを証する共同体であり続けることに、その存在価値を認めているということである。よって、カトリック学校もまたキリストを証する教会共同体であるとの認識のもと、そこに社会的価値や必要性を見出し、その実践に向かって教職員一同が日々の教育活動に邁進しているということである。
 
 第二に、アイデンティティのもう一つの構成要素である「同一性」という観点からカトリック学校の独自性を考えてみると、カトリック学校の教育活動の独自性は前項の『1.カトリック学校のアイデンティティ (1)カトリック学校の独自性とその条件』で述べたことから、@教育活動を通して福音宣教をおこなっていること。A福音的人間観に基づいた全人教育を実施していること。B宣教司牧・宗教教育を実施していること。C学校共同体および教会共同体としての完成を目指していること。が挙げられる。このカトリック学校の教育活動の独自性が、私たちが生きる現実社会の営みににおいてどのように「同一性」をもたらしているのかということである。
 
 ここにおいての「同一性」とは、カトリック学校の教育活動と現実社会との接点ということに言い換えることができるであろう。では、カトリック学校の教育活動と現実社会との接点とは何であるかというと、それはキリストが教え行った「福音」を述べ伝えるという「福音宣教」とカトリック学校に学ぶ学習者である児童・生徒及び学生を教会共同体の一員として司牧するということに他ならないであろう。そして、そのカトリック学校に学ぶ学習者に対する「福音宣教」と「司牧」がどのように現実社会と接点を持ち「同一性」を有することになるのであろうか。
 
 まず、「福音宣教」と言う観点で全てのカトリック学校は、私たちの主イエス=キリストが、私たち信じる者達へ託した「神の国の到来」と「永遠の命への約束」という救いとしての「福音」を述べ伝えることを第一の目的に、一定の建学の精神をこれに加えて設立された教育機関であることに違いはない。
 
 そして、「司牧」という観点では、学習者である幼児・児童・生徒及び学生やその父母がカトリック学校の教育を望むか共感して在籍し、もしくは在籍させているのであるから、これらの学習者とその保護者は、まさに「福音」を求める者に他ならず、これらの人々をイエス=キリストの教えと信仰に導き育てるという「司牧」がここに成り立つのである。つまり、カトリック学校という学校共同体には、「福音」を述べ伝える者とそれを求める者、あるいは求める者に対してそれを述べ伝える者、また、教え導く者と学び育つ者、そして成長を目指す者とそれを支え導く者という対峙において一致しているのである。そこにこそアイデンティティの構成要素の一つである「同一性」が認められるのである。
 
 このようにカトリック学校のアイデンティティとは、カトリック学校の独自性の具現化としての「福音宣教」と「司牧」という「肯定的自我」および「同一性」によって実現するものなのである。
 
 48     『教会とカトリック学校のアイデンティティ』1.「カトリック学校のアイデンティティ-1」 2009年6月15日(月) 
(1)カトリック学校の独自性とその条件
 
 カトリック教育聖省による「カトリック学校」(1977年3月)の文書から要約すれば、カトリック学校の独自性とその条件は次の五つにまとめることができよう。
 
 @教育活動を通して福音宣教をおこなっていること
 A福音的人間観に基づいた全人教育を実施していること
 B宣教司牧・宗教教育を実施していること
 C学校共同体および教会共同体としての完成を目指していること
 D教区長からカトリック学校として認定されていること
 
 カトリック学校の独自性とその条件の@〜Dを簡潔に説明すると以下のようになる。
 
 「@教育活動を通して福音宣教をおこなっていること」とは、教育活動である学習活動及び特別活動全般において、イエス=キリストの教えやキリスト教的価値観及び人生観を伝達しているかどうかということである。
 
 また、「A福音的人間観に基づいた全人教育を実施していること」とは、学習者である幼児・児童・生徒及び学生を「神から与えられた固有の命と人格及び使命を持ったかけがえのない存在」として受け止め、知識や技能に偏ることなく個々の人間性を全面的にかつ調和的に発達させ、神の御計画に沿った人格の完成を目的として教育しているかということである。
 
 「B宣教司牧・宗教教育を実施していること」について、まず「宣教師牧」とはカトリック学校の構成員である幼児・児童・生徒及び学生の一人ひとりを、学校共同体の一員とすることを基盤に、善き牧者であるイエス=キリストの教えに従って教会共同体の成員として導くことである。さらに、「宗教教育の実施」は、幼児・児童・生徒及び学生の一人ひとりをイエス=キリストの教えに従っ て教会共同体の成員として導くための重要かつ不可欠な教育活動である。
 
 「C学校共同体および教会共同体としての完成を目指していること」については、カトリック学校が教会共同体の一部であることを真に受け止め、地域の小教区及び教区との積極的関わりの中から、キリストを証する一共同体としての完成を目指しているということである。
 
 最後に、「D教区長からカトリック学校として認定されていること」とは、@からCの独自性と条件を満たすならば、所属の教区長である司教によってカトリック学校としての認定を受けられるであろうというものであるが、逆を返せばそれらを満たしていない教育機関は、カトリック学校としての見直しを図らなければならないということになる。
 
 以上、カトリック学校の独自性とその条件は、カトリック学校のアイデンティティを確立していく上で、道標となるべき重要な骨子であって、カトリック学校がカトリック学校としてどうあるべきかを教え示すものに他ならない。よって、私たちカトリック学校に関わるすべての教職員は、この「カトリック学校の独自性とその条件」を共通認識として常に学び、日々の教育活動の中でその実践に努め、繰り返し確認していかなければならないものである。この実践の一貫した実施にこそ、カトリック学校としてのアイデンティティの確立がある。
 

Last updated: 2014/10/22

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