(2)学校の閉鎖性と学校評価およびディスクロージャー(情報開示)とアカウンタビリティ(説明責任)
私たちが暮らすこの現代社会において、あらゆる組織の社会的責任は、ディスクロージャー(情報開示)とアカウンタビリティ(説明責任)を果たすことが最重要課題であるといってよい。特に私立学校であるカトリック学校は、企業が負う社会的責任(CSR Corporate Social Responsibility)を同様に果たしていかなければならない性格を有していると言える。そして、その責任を果たすことがまた学校の閉鎖性を打開し、カトリック学校に社会との交流(パブリックリレーション)をもたらすとともに、カトリック学校を社会に開かれた学校に導いていくことになるであろう。
そもそも学校の閉鎖性とは、学校教育現場の人間関係が主に学習者と教職員から構成されるごく狭い閉鎖社会にあるという特異性にある。その点においてはカトリック学校も決して例外ではない。よって、このような学校教育現場の閉鎖性という特異性を前提に、カトリック学校が学習者の保護者および地域社会に開かれた学校として、そしてカトリック学校の本来的使命である福音宣教のミッションを果たしていくため、さらにはカトリック学校が福音共同体として成長していくためには、学校評価や情報開示および説明責任は必要不可欠な条件である。何故ならば、単なる集団が共同体として成長していくためには、その集団を構成する個々の人間同士の繋がりなくしては不可能なことであって、そのつながりが何によってつくられていくかというと、集団内の構成単位である個々の人間が共通の目的や利益および情報あるいは信仰を共有するということによって成し遂げられていくからである。
学校の閉鎖性という特異性は、学校組織の構成員という要因によるところが大きいが、それはやむを得ないことでもあろう。それは日常的な学校教育現場においての活動は、いうまでもなく学習指導を中心に特別活動や部活動等の諸活動であって、これらの活動は学習者と教師との関係を中心とした関わりによって成り立っているものであるから、当然のことながら校内においての人間関係は、学習者間および教職員間そして学習者と教職員間という関係に限定されがちであるからだ。
では、それらの学校の閉鎖性という特異性を前提に、如何にしたら学校の閉鎖性を打ち破り社会に開かれた学校を実現していけるのであろうか。それは、徹底した学校の公開である。では、学校の公開とは何か、そして誰に向かって公開すれば良いのであろうか。それは以下の項目および範囲が想定できる。具体的評価項目としては、以下の5つがあげられる。
@教育活動(授業・特別活動・部活動等)の公開
A学校評価の実施
B情報開示(Disclosure)の実施
C説明責任(Accountability)の遂行
D保護者・地域社会・教会の代表者による評価・監視機関(第三者委員会)の設置
まず、第1に「@教育活動(授業・特別活動・部活動等)の公開」については、何といっても学校は教育活動を目的とする機能的集団であるから、その第一目的である教育活動のすべてを学習者の保護者を中心に、学習者が通学する範囲を中心とした地域社会、そしてカトリック学校は教会から派遣された学校であることから、学校が所属する小教区や教区に対して公開しなければならない。公開のあり方はいろいろ考えられるであろうが、年間をとおして定期的に実施したり、生徒募集のためのオープンスクールを活用したりすることが考えられる。また、日常的な学校教育現場を見てもらうということに関しては、学校公開月間や週間の設定ということも有効である。
次に第2の「A学校評価の実施」の実施については、学習者とその保護者および地域社会と教会からそれぞれ評価されることが望ましい。学校評価の主役は何といっても、教育活動の対象たる学習者とその保護者であり、より具体的で体験的に評価できる立場にある。学校評価の項目について考えられるのは、以下の10項目が考えられる。
1.授業評価
2.ホームルーム運営評価
3.指導3部門(学習指導・生徒指導・進路指導)等評価
4.学校行事評価
5.宗教指導評価
6.委員会活動・部活動評価
7.理事長および理事、校長・教頭・事務長等管理職評価
8.一般教職員評価
9.学校施設評価
10.財務・会計管理評価
第3に、「B情報開示(Disclosure)の実施」については、本来情報開示(Disclosure)とは、高度に情報化が発達した現代において、情報発信や管理がもたらすリスクを回避するために生まれた考え方である。しかし、学校とは情報化が発達した今日以前から、学習者とその保護者の個人情報をふんだんに扱ってきた組織であり、その情報量は以前にも増して増えているといっても過言ではないし、その扱いにおいては同じ情報でありながら過去においてよりも、格段に慎重を期さなければならない性質のものに変化してきている。とは言え、基本的人権における新しい人権の「知る権利」の主張とともに、情報開示の要求に応じなければならない機会も増えていることも確かである。特に学習者や卒業生の在校時の成績等の個人情報などがそれにあたるであろう。また、学校でさまざまな問題が発生した際には、情報開示の手順や制度などの体制をしっかり構築していないと、必要な情報を提供できないばかりか、情報操作や隠蔽工作などの疑いを保護者や地域社会そして各メディアに与えかねない結果となってしまい、かえって不信感をもたれてしまうことになるであろう。
また、個人情報に限らず学校内でどのような教育活動が実施されているのかなど、学校評価項目に関する実態や評価結果等について情報開示をすることは、開かれたカトリック学校を目指していく上においても重要な要件となるし、生徒募集における学校選びの重要な判断材料にもなる。
第4に、「C説明責任(Accountability)の実施」についてであるが、この観点においても「B情報開示(Disclosure)の実施」同様、学校評価項目に関する実態や評価結果についての説明責任が第一にあげられよう。「B情報開示(Disclosure)の実施」と「C説明責任(Accountability)の実施」は関連・連続性が強くあり、切っても切り離せない関係にある。特に説明責任(Accountability)を果たすことは、学習者(卒業生)とその保護者および地域社会や教会に対し、私立学校であっても公共性の性格を色濃く帯びた教育機関としての社会的責任を果たすこととなり、どのような人々からの質問や問い合わせにも誠実に応えていくことが、広く社会から信頼を得ることに繋がり、それはカトリック学校が日本社会や教会共同体においてシティズンシップを確固たるものにすることでもある。
第5に、「D保護者・地域社会・教会の代表者による評価・監視機関(第三者委員会)の設置」についてであるが、これはもとより学校組織の閉鎖性という特異性によって、管理職による独裁的な学校運営や教職員・学習者及びその保護者に対する人権侵害、そして学習者間や教職員と学習者間および教職員間におけるいじめ問題やパワー・ハラスメントそしてセクシュアル・ハラスメント等の違法行為の事実が、隠蔽されたり改ざんされたり、あるいは事実の歪曲によって学習とその保護者および教職員等が人権を侵害されないためである。
特に、第二バチカン公会議による「キリスト教的な教育に関する宣言」や「現代世界憲章」において、崇高で高潔な精神と理念をもって福音共同体の完成を目指しているカトリック学校においては、日々の教育活動がどんな場面においても、キリストの愛の精神に則って実践されなければならない。よって、学校経営者をはじめすべての教職員がキリストの教えを学ぶと共に行動として表すことができるように努力を怠ってはならない。そのためにも、学校組織内部の自助努力のみに依存することなく、外部による第三者委員会を積極的に取り入れ、公正で平等な評価ができる機関や制度の構築が不可欠である。
以上、学校が閉鎖性という特異性を持った組織であるから、尚更のこと以上のような学校評価5項目にわたる内容をもって、学校内で実施されている教育活動全般にわたって広く公開していく必要性があると考えられる。そして、これらの実践によって学校を閉鎖性という特異性から解き放ち、学習者の保護者や地域社会、そして教会に対して透明性を保つことで信頼かつ支持され、閉鎖社会にありがちな隠蔽体質や事実の歪曲・改ざん、組織の保身等の不正を防ぎ、学校組織内部においての自浄作用や権力の抑制、そして非社会的行為や犯罪を阻止できるような機能を持たせることが重要なのである。
なお、公開項目実施の対象者および範囲としては、基本的には以下の5つである。
@学習者
A学習者の保護者(PTA)
B卒業生とその保護者(同窓会・後援会等の外郭団体)
C学習者が通学する範囲を中心とした地域社会(地方公共団体)
D学校が所属する小教区および教区の教会組織と設立母体となった外国宣教師会と修道会
第1の「@学習者」は、学校の閉鎖性という特異性をつくりあげている要因の一つではあるが、学習者は教育活動の第一の主体たる対象者であるから、学校には学習者に対して、自ずと情報開示と説明責任を果たす義務がある。
第2の「A学習者の保護者」は、学習者の親権を持つ立場にあり、教育活動は学校の働きかけのみならず、家庭環境の保護や保護者の経済力等の協力無しには、その目的は達成し得ない。また、たとえ二十歳を超えた学生や院生であっても、学業継続のために経済的に保護者に依存しているのであれば、やはりその保護者に対しても情報開示や説明責任の義務が当然帯びて来る。
第3の「B卒業生とその保護者(同窓会・後援会等の外郭団体)」は、卒業したとはいえそれらの人々は学校にとって重要な支持者(サポーター)であることは間違いない。また、愛校心とは学習者とその保護者が在学中に限って持つものではないし、私立学校にとって支持者(サポーター)やリピーターの存在は学校経営上非常に重要であり、とくに校内を除く地域社会での学校評価(地域の評判)に大きな影響を与えるのは、正に卒業生とその保護者(同窓会・後援会等の外郭団体)なのである。
第4の「C学習者が通学する範囲を中心とした地域社会(地方公共団体)」は、学校もまた地域社会を構成する重要な一構成員であるから、学校が地域社会から信頼を得て学習者を地域社会と一体となって教育することも学校教育の重要な要素である。そのためには学校が地域社会に対して情報開示や説明責任を果たしながら、地域住民を学校行事に招いたり学校施設を提供するなどして、地域社会との交流を円滑にすることで信頼と協力関係を基盤とした地域一体型の教育の実践が可能になるとともに、カトリック学校が目指す福音共同体の完成を地域社会の範囲にまで広げることができるのである。
第5の「D学校が所属する小教区および教区の教会組織と設立母体となった外国宣教師会と修道会」は、カトリック学校が教会から派遣された学校であるとの位置づけからである。カトリック学校のミッションは教育活動をとおした福音宣教であることは今まで何度も繰り返し述べてきた。つまり、もとよりカトリック学校も教会の構成員そのものなのである。よって、どのカトリック学校も小教区や教区に所属しているのであるから、当然それぞれの学校の挙育活動全般に関する情報開示や説明責任があるのだ。特に、小教区や教区および設立母体となった外国宣教師会と修道会に対しては、教育活動をとおした福音宣教活動や宗教指導がどのように実践されているかについては必須事項である。また、カトリック学校を認定する所属する教区の責任者である司教に対しては、定期的に学校経営責任者が、教育活動に関するすべての部面について情報開示や説明責任を果たし、福音宣教を中心としたカトリック学校としての使徒職について、霊的指導を仰ぎながらカトリック学校として常に正しい方向性を見失わないようにしなければならない。
では、情報開示や説明責任をどのような手段や方法によって以上の5者に対して果たしていけばよいだろうか。それには、以下の三つの方法が考えられる。
@説明会・報告会
A報告書や学報
Bホームページ(インターネット)
「@の説明会・報告会」は、先に述べた5者に直接顔と顔をつきあわせて実施する方法である。現代においてコミュニケーションをとる手段はさまざまなメディアの発達により選択肢が多い。しかし、双方向でかつその場の雰囲気や相手の声の抑揚など、実に現実的で臨場感のあるコミュニケーションとは、一対一であろうが多対一であろうが対面によるものの他にはない。さらに、情報開示・説明対象者の反応や質問を受けながら進行できるし、一定のルールや節度を越えない(感情的になったり、その場を一部の人が牛耳ってしまうなど)限りにおいては、基本的に両者にとってメリットの多い方法であり、情報開示や説明責任を果たすための方法としては不可欠であると言ってよい。
「A報告書や学報」の方法は、記録として残すという観点と説明会や報告会には出席できない対象者のためという観点において不可欠である。ただし、注意しなければならないのは@の説明会・報告会での内容と報告書や学報に掲載された内容が異なったり乖離していないことが重要である。できれば理想的には、報告書等活字としての記録書を完成させた上で、情報開示や説明会が実施されることが望ましいし、あるいは説明会の記録書を開示していくことも不可欠なことでる。
いずれにしても報告書や記録書等の文書は、実際に情報開示や説明責任を果たしたという確固たる証拠や校内外における学習者による事件・事故の再発を防いだり、学校組織をよりよいものに改善していくための検証資料ともなる実に重要なものである。
「Bホームページ(インターネット)」による公開は、たとえカトリック学校が私立学校であったとしても極めて公共性の高い教育機関であるから、広範囲に社会的責任を果たしていこうとするのならば、学校に関する情報の開示や説明責任を自校のホームページなどでインターネットをとおして公開することは時代に即した有効な手段である。確かにインターネットの今日的事情を考慮すれば、メリットのみならずデメリットも十分に予測可能なことは言うまでもない。しかし、リスクマネジメントの観点から判断するのであれば、インターネットを通して情報開示や説明責任を果たしていくメリットとデメリットおよびインターネットをとおした公開を拒否するメリットとデメリットを比較検討するならば、過去から現在に至るネット社会の進展と普及および将来に向けてのネット社会の発展性や可能性の観点から展望するのであれば、決してインターネットが万能ではないにしろ、そしてまたインターネットを使った情報開示や説明責任の対象を、どの範囲にまで広げるかについては検討の余地はあるものの、ネット社会に対して学校を公開しないことのリスクの方が明らかに大きいであろうと考えられる。よって、むしろネット社会に対して公明正大に自信と誇りを持って毅然とした態度で、包み隠さず求められる重要な情報の開示や説明責任の義務を果たすことに大きなメリットがあると考えるのが正当であろう。
以上、カトリック学校が学校の閉鎖性を、ディスクロージャー(情報開示)とアカウンタビリティ(説明責任)を十分に果たすことでその特異性を解消し、カトリック学校を開かれた学校に変容させていくとともに、求められる社会的責任を遂行し、カトリック学校が地域社会を福音的共同体の完成へと導いていくことの可能性とその一方法論について述べた。
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