今月読まれている聖書は、「ヤコブの手紙」ですが、今朝は、このヤコブの手紙について、お話ししましょう。
さて、この手紙の著者とされているヤコブという人物ですが、実は謎が多く、特定するのが難しいのです。聖書の中には、ヤコブという名前の人物はたくさん登場し、新約聖書だけでも五人のヤコブが登場してきます。その中で、最もこのヤコブの手紙の著者としてもくされるのが、イエスの兄弟といわれているヤコブです。えっ!イエスに弟がいたんですかって?そのようです。しかし、当時の社会では、同じ家に親戚も含めて同居する拡大家族が当たり前で、同じ家に住む者たちを兄弟姉妹と呼び合っていたようですから、実の兄弟とは断言できないのです。
また、ヤコブは同書の中で最初イエスを信じなかったが、主の復活後信じるようになったと言っていますから、イエス=キリストの伝導生活を常に共にした十二人の使徒の中のヤコブではないと思われます。
十二人の弟子といえば、皆さん十二人の弟子たちの名前を知っていますか?
一人目は、イエスの一番弟子で、天国の鍵を授かった岩という名のシモン=ペテロ、英語名はピーター。彼には別名もありバルヨナ、ケパとも言われていました。彼は漁師でしたが、イエスから魚ではなく人を漁る者にしようと言われ最初の弟子に選ばれました。
二人目は、その弟でイエスに最も愛されたというアンデレ、英語名はアンドリュー。彼もまた漁師。
三人目は、ゼベダイの子でヨハネ福音書や黙示録の著者と思われるヨハネ、英語名はジョン。彼は特別な霊的能力があったようです。
四人目はその兄弟で、へロデオ王によって殺されたゼベダイの子ヤコブ、このヤコブは大ヤコブといわれます。英語名は、ジェームズ。
五人目は、小アジアで殉教したと言われるフィリッポ。英語名はフィリップ。
六人目は、アルメニアで殉教したバルトロマイ、英語名はバーソロミュー 。ナタナエルという名も持っていたようです。
七人目は、徴税人でユダヤ人たちからは罪人扱いされいたマタイ、マタイによる福音書の著者とされています。英語名は、マシュー。
八人目は、遠くインドにまで宣教したと言われるトマス、英語名はトーマス。
九人目は、アルパヨの子ヤコブで、こちらは小ヤコブといわれています。
十人目は、ヤコブの子タダイともいわれるユダ。ペルシャで殉教。英語名はジュダ。
十一人目は、熱心党のシモン。彼もまたペルシャで殉教。英語名はサイモン。
十二人目は、イエスキリストを裏切り、その罪の大きさに耐えられず、自殺したイスカリオテのユダ。以上の十二人です。
さて、ヤコブに戻りますが、彼はこの手紙を特定の町にいるキリスト者の人々に書いたのではなく、イスラエルの国を出てローマ帝国の各地に散ったユダヤ人のキリスト者たち、あるいはパレスチナ地方に住むキリスト者に当てて書いています。その内容は、短いながらも信仰における実践・行動に対する教えがしっかりと語られています。ヤコブは、真の信仰には、行いが伴うということを強調しています。この観点からイエスの教えの倫理的な面を前面に押し出していると言えるでしょう。例えばこうです。
み言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。これは、第一章の二十二節の部分です。また、人がなすべきよいことを知っていながら、それを行わないのならば、それは罪です。
これは、四章の十七節。このようにヤコブは徹底して信仰に行いが伴うよう求めたのです。言行一致といったところでしょうか?耳の痛い話でもありますが、特に教師にとっては大切な教えですね。
また、特徴的な教えは、試練にあったときの態度についてです。試練はわたしたちにとってつらいことですし、喜ぶことなどとうていかないません。しかし、ヤコブは試練と誘惑について、こう記しています。
試練を耐え忍ぶ人は幸いです。これを耐え抜いた者は、主を愛する人に約束された報いとしての、命の冠を受けるでしょう。しかし、人はそれぞれ、自分の欲に引かれ、そそのかされて誘惑に落ちるのです。そして、欲は身ごもって罪を産み、罪は熟して死を生み出します。
これは第一章の十二節〜十五節の一部分。ヤコブは、なぜ試練を喜びとするのかについての答えを、明確にしかも力強く記しています。
わたしたちには、自分の意に反する出来事や要求にどう対処するかが問われているのです。今日の朗読カ所でも教えているように、わたしたちも日々の試練に忍耐をもって立ち向かい、成長を遂げた本物の自分・完全な者となるよう日々行動をもって努力を重ねて行きましょう。
2005年9月27(火)青森明の星高等学校朝礼火曜講話より
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