司教パウルス
神のしもべたちのしもべ
聖なる公会議の諸教父とともに
ことを永久に記念するために
(序) 人間生活における教育のきわめて重大な意義と,現代社会の進歩に対して常に増大する教育の影響を,聖なる全世界教会会議は入念に検討した(注 1)。実際,現代の情勢では青少年の教育,さらに成人の持続的な教育は,より容易に,しかも同時に緊急なものとなっている。人々は自分の品位と使命をよりよく意識し,社会生活,特に経済的・政治的生活に日々いっそう積極的に参加するこ
とを望んでいる(注 2)。技術および学問研究の驚異的な進歩,新しいマス・コミの手段は,仕事に追われることなく,余暇を楽しむ人々に,よりたやすく精神文化の遺産に近づく機会と,諸種の団体および諸国民のいっそう密接な交流によって相互に充足し合う機会を与えている。
そのため,いたるところで教育活動をいっそう振興する努力が払われ,人間,特に子供と両親の,教育に関する基本的権利が宣言され,公文書によって保証されている(注 3)。生徒の数が急増した結果,学校は大幅に拡充完備され,他の教育施設も建てられ,さらに新しい実験によって教育と指導の方法が改善されている。今もなお,多くの幼児や青少年が,基礎教育さえ受けられず,また他の多く
の人々は真理と愛とを習得するにふさわしい教育を欠いているが,すべての人に教育を受けさせようという非常な努力が払われている。
聖にして母である教会は,神である創造主から受けた使命,すなわち,すべての人に救いの秘義を告げ,すべての物をキリストにおいて一新するという使命を達成するために,天上への召命と結ばれる地上の生活をも含む人間の全生活について配慮しなければならない(注 4)。そのため,教会は教育の進歩と振興の責任を負っているのである。したがって,聖なる教会会議は,キリスト教的教育,特に学校におけるキリスト教的教育に関して,若干の基本的原則を宣言する。この基本的原則は,公会議後の特別委員会によってさらに詳細に解明され,司教協議会によって諸地域のそれぞれの状況に適応されなければならない。
1(教育を受ける普遍的権利) 民族・身分・年齢の差を問わず,すべての人は尊厳な人格の所有者として,他人に譲ることのできない教育に関する権利を持っている(注 5)。すなわち,おのおのの目的に応じ,その才能,その性別,その国の文化と伝統に順応し(注 6),同時に地上に真の一致と平和を促進するために,他の民族との兄弟的な交わりへ開かれた教育に関する権利をもっている。真の教育の目的は,人間の究極目的のため,また,成人した時に自分が一員となリ,その使命達成に協力しなければならない共同体の福祉のために,人格を形成することである。
したがって,最新の心理学・教育学・教授学を利用しつつ,青少年の肉体的・道徳的・知的天分を調和的に発展させるように,また強固な精神をもって障害を克服しつつ,絶え間ない努力をもって自分の生活を発展させ、その生活を自由に実行するために,完全な責任感をしだいに身につけるように青少年を肋けなければならない。かれらは,成長するにつれて,積極的で賢明な性教育を受けなけれ
ばならない。そのうえ社会生活に参加するために,必要で適切な技術を身につけ,人間社会の種々の領域に行動的に参加することができ,他人との対話に心を開き,公共の福祉を推進するために努力を惜しまないように育てられなければならない。
さらに,聖なる教会会議は,青少年が正しい良心をもって道徳的価値を評価し,それを個人の決断によって肯定し,より深く神を知り,愛するような励ましを受ける権利を持つことを宣言する。したがって,教会会議は,諸国の統治者や教育関係者が,この神聖な権利を青少年からけっして奪わないように配慮することを切望してやまない。教会のすべての子らに向かっては、教育の全分野において寛大な心をもって働き,特に,教育と指導の十分な恩典が全世界のあらゆる人々に,よりすみやかに広げられるために協カするように勧告する(注 7)。
2(キリスト数的教育) 水と聖霊から生まれることによって新しい被造物となり(注 8),神の子と呼ばれ,実際に神の子であるすべてのキリスト信者は,キリスト教的教育を受ける権利を持っている。このキリスト教的教育は,上に述べた人間の完成を追求するだけでなく,主として次のような目的を持っている。すなわち,受洗した者が徐々に救いの秘義を認識するように導かれながら,受けた信仰のたまものを日増しに,よりよく意識するよう,特に典礼祭儀において霊と真理とをもって父である神を礼拝するよう(ヨハネ 4・23参照)学ぶこと,自分の生活を正義とまことの聖徳においてつくられた新しい人に従って(エフェソ 4・22〜24)形成することである。こうして,かれらはキリストの全き背丈にまで(エフェソ 4・13参照),全き人間となり,神秘体の発展に力を尽くし,さらに自分の召命を自覚し,かれらの中にある希望(1 ペトロ 3・15参照)のあかしをたてるとともに,世のキリスト教化を援助する習慣をつけなければならない。この世のキリスト教化によって,自然的な価値も,キリストによってあがなわれた人間の全体的な考察にとり入れられて,社会全体の福祉に貢献するのである(注 9)。したがって,聖なる教会会議は,霊魂の司牧者に,このような真のキリスト教的教育をすべての信者,特に教会の希望である青少年が受けられるよう万事を整えるきわめて重大な責任を想起させる(注10)。
3(教育責任者) 両親は,子供に生命を授けたのであるから,子供の教育というきわめて重大な義務を持っている。それゆえ,子供の第一の,主要な教育者と認められなければならない(注11)。この教育者としての両親の務めは,非常に重大であって,それが欠ける場合,その補充はほとんど不可能である。子供の個人的・社会的全教育を促進するような,神と人々に対する愛と敬虔の心で満たさ
れた家庭環境を作りだすことは両親の義務だからである。したがって家庭は,あらゆる社会が必要とする社会上の諸徳を教える最初の学校である。特に婚姻の秘跡の恩恵と義務とによって豊かにされたキリスト教的家庭にあって,子供が洗礼において受けた信仰に従って,すでに幼児期から神を認め,礼拝し,隣人を愛するように教えられなければならない。子供は,そこで,健全な人間社会と教会とを最初に経験し,家庭を通して,人々の市民社会と神の民の中へ,徐々に導き入れられるのである。したがって、両親は真にキリスト教的な家庭が,神の民の生命と進歩にとって,どれほど重要であるかをよく考慮しなければならない(注12)。
教育をほどこす任務は,まず第一に家庭のものであるが,また社会全体の助けをも必要とする。したがって,両親の権利と,両親から教育の任務の一部をゆだねられた他の人々の権利のほかに,国家は教育に関する一種の義務と権利を特っている。国家はこの世の共通善のために必要なものを整える務めを特つからである。この国家の務めは,青少年の教育を種々の方法で推進することである。すな
わち,両親や,教育に携わる他の人々の義務と権利を擁護し,かれらに助けを与えること,さらに両親や他の共同体の発意が欠ける場合,教育の仕事を,相互補足の原理に従って,両親の望みを考慮したうえで行なうこと,さらにまた,共通善のために必要であれば,学校や教育施設を建てることである(注13)。
さらにまた,教育の任務は特別な理由によって教会に属している。これは,教会が教育能力のある人間的共同体と認められなければならないからだけではなく,特に教会がすべての人に救いの道を告げ,信者にキリストの生命を授け,かれらがこの生命の充満に達することができるよう,絶え間ない配慮によってかれらを助ける任務を特っているからである(注14)。したがって教会はこれらの子供に,母として,かれらの全生活をキリストの精神で貫く教育を授けなければならない。同時に,教会は,円満な人間の完成を促すため,また地上の社会の福祉のため,さらにいっそう人間にふさわしい世界を形成するために,すべての国民に助力を惜しまないのである(注15)。
4(教育のさまざまな手段) 教会はその教育上の任務を果たすにあたり,すべての適切な手段について細心の注意を払い,特に教会に固有の手段について心を配っている。その固有の手段の第一は教理教育である(注16)。これは,信仰を照らし,固め,キリストの精神による生命を養い,典礼の秘義への意識的で行動的な参加へ導き(注17),使徒的活動へと励ますものである。教会は,人類の共通の遺産に属し,精神の修養と人間形成に大いに役だつ他の手段,たとえば,マス・コミの機関(注18),精神と肉体を育成するために設けられた種々の団体,青少年の会,特に学校を高く評価し,それらに教会の精神がしみわたり,それらが高まるように努めている。
5(学校の重要性) すべての教育機関の中で,学校は特別な重要性を持っている(注19)。学校は,その使命によって,知的能力を高めるよう絶えず配慮し,正しい判断力をつちかい,過去の時代から受けついだ文化上の遺産を次の世代に伝え,価値観を発展させ,職業への準備をし,種々の素質と身分の生徒間に交友関係を作り出し,相互理解の精神を育成する。さらに学校はいわば中心となり,その活動と進歩に家庭,教師,さらに文化・社会・宗教上の生活を促進する種々の団体,市民社会と全人類社会がともにあずからなければならない。
したがって,両親を助けて,人間社会を代表して学校における教育の任務に携わるすべての人々の職務は,崇高であると同時に重大なものである。かれらの職務は,精神と心の特別な素質,入念な準備,改善と適応を行なうための不断の用意を必要とする。
6(両親の義務と権利) 両親は子供を教育する第一の義務と権利を持ち,これは他人に譲ることのできないものである。したがって両親は,学校を選択する際に真の自由を持たなければならない。したがって,国民の自由を保護し,守るべき任務を特つ公権は,両親が自分の子供のために,自分の良心に従って真に自由に学校を選ぶことができるように,「分配的正義」によって公の補助金が与えられるよう配慮しなければならない(注20)。また,国家は,すベての国民がふさわしく文化の恵みに浴し,市民としての義務と権利を果たすために十分準備されるよう配慮しなければならない。そのため国家は,ふさわしい学校教育に関する子供の権利を守り,教師の能力と研究水準について配慮し,
生徒の健康に心を配り,学校活動全般を推進しなければならない。その際,国家は相互補足の原理を念頭に置き,国家によるあらゆる種類の学校の独占を排除しなければならない。学校教育の独占は,生来の人権と,文化自体の進歩と普及,市民の平和な社会生活,さらに今日きわめて多くの社会に見られる多元性に反するものである(注21)。
聖なる教会会議は,適当な教育方法と学習課程を見いだすために,また青少年を正しく教育できる教師を養成するために,大いに協力するようキリスト信者に勧告する。さらにまた,特に父兄会により,学校の任務のすべて,ならびに特に学校で授けるべき道徳教育を,援助するようキリスト信者に勧告する(注22)。
7(学校における道徳・宗教教育) そのうえ教会は,そのすべての子供の道徳的,宗数的教育を熱心に配慮すべき重大な義務を確認し,非カトリック系の学校で教育を受ける多くの者に対して,特別な愛情を示し,助けを与えつつ,かれらに接しなければならない。すなわち,かれらを教え指導する人々の生きた模範によって,また学友間の使徒的活動によって(注23),また特に,かれらに救いの教えを得させ,年齢と環境に合った手段をもって,時と場合に応じた適当な処置により霊的助けを与える司祭や信徒の役務によって行なわなければならない。
教会は,その子供がこのような援助を受け,キリスト教的教育と一般の教育とを並行して調和的に受けられるように,すべてを整え,あるいは要求する重大な義務が両親に課されていることを想い起こさせる。それゆえ,現代社会の多元性を考慮し,信教の正当な自由を守り,家庭を助けてすべての学校での子弟の教育を,各家庭の道徳的・宗教的信念に従って行なうことを保証する国家の権威や公共団体を,教会は賞賛する(注24)。
8(カトリック学院) 学校教育の分野における教会の存在は,特にカトリック系の学校を通じて示される。カトリック系の学校は,他の学校に劣らず,青少年の教養と人間形成を追求している。しかし,カトリック系学院の固有の使命は、学校内に自由と愛の福音的情神に満たされた学校共同体のふんい気をつくること,青少年が自分の人格を発展させると同時に,洗礼によって新しい被造物となった青少年が新しい被造物として成長するように助けること,また生徒が世界,生活,人間について徐々に習得する知識が信仰に照らされるように(注25),人類の全文化を究極的に救いの知らせに秩序づけることである。こうしてカトリック系の学校は,進歩する時代の状況に対して開放的態度をとりながら,地上の社会の福祉を効果的に促進させるよう生徒を教育し,かれらが神の国の拡張のために奉仕するよう準備させる。それは,生徒が模範的および使徒的生活の実践により,人間社会にとって,いわば救いのパン種となるためである。
したがって,カトリック系の学校は,神の民の使命を果たすうえに大いに貢献し,教会と人間社会相互間の利益のため両者の対話に役だつことができ,そのために現代の状況のもとでもきわめて重大な義務を有している。それゆえ,聖なる教会会議は,教会の数多くの教書の中にすでに明らかにされたように(注26),あらゆる種類とあらゆる等級の学校を自由に建て,経営する教会の権利をふたたび宣言する。同時に公会議はこのような権利の行使が良心の自由と両親の権利を守るために,また文化そのものの進歩のために大いに役だつことを想起させる。
教師は,カトリック系の学校がその目的と計画を実現できるかどうかが,まず第一にかれら自身にかかっていることを忘れてはならない(注27)。したがって,教師は,一般的な知識と宗教上の知識を証するために必要な学位を身につけ,進歩する時代の発見にかなった教育技術を体得するよう,特に心がけて準備しなければならない。教師は,愛によって,かれら相互間および生徒と密接に結ばれ,使徒的精神に満たされ,生活と教えとをもって唯一の師キリストにあかしをたてなければならない。また教師は,特に両親と協力しなければならない。両親とともに,教育活動全般において,性の差異と,神の摂理が定めた家庭と社会における両性の固有の役割を考慮しなければならない。また生徒の自主的活動を活発にするように努め,かれらが学校を卒業した後も,助言し,親交を保ち,さらに真の教会的精神に満たされた特別な会を設けて,かれらと関係を保つようにしなければならない。聖なる教会会議は,これらの教師の活動が使徒職の名に価するものであり,現代にきわめてかなった不可欠なものであり,同時に社会に対する真の奉仕であると宣言する。さらにカトリック信者の両親に,時と場合の許すかぎり,子供をカトリック系の学校に託し,学校をできる限り援助し,子供の福祉のために学校と協力する義務のあることを想起させる(注28)。
9(カトリック学校の多様性) なんらかの意味で教会に依存している学校はすべて,カトリック系の学校のこの理想像にできるだけ合致しなければならないが,一方またカトリック系の学校は地域的な事情に従って種々の形態を取り入れることができる(注29)。実際,教会は,特に新しい教会の地区において,カトリック信者でない生徒をも在学させているカトリック系の学校を高く評価している。
なお,カトリック系の学校を創立し経営するにあたっては,進歩する時代の要請を特に考慮しなけにばならない。それゆえ,基礎教育の場である初等・中等学校を盛んにするとともに,現代の社会情勢が特に要求する職業学校(注30)や工業学校,また成人教育および社会福祉のための学校,心身障害のために特別の保護を必要とする人々のための学校,さらには宗教科その他の教科の教師を養成する
諸学校をも重要視しなければならない。
聖なる教会会議は,教会の司牧者およびすべてのキリスト信者に対し,カトリック系の学校がその使命を日々いっそう完全に果たし,特に,この世の財に恵まれない貧しい者,あるいは家庭の保護と愛情をもたない者,あるいは信仰の恵みを受けていない者の必要を満たすために,犠牲を惜しまず,カトリック系の学校を助けるよう強く勧告する。
10 (カトリック大学) 教会はまた,上級の学校,特に大学や学部のことも注意深く配慮している。教会に従属しているそれらの学校においてもその性質に従って,各学科が固有の原則,固有の方法,学問研究に必要な自由をもって,研究されるように組織的に配慮されることを望む。それは,それらの学問を日々より深く理解し,進歩する時代の新しい問題と研究成果を慎重に考慮し,教会博士,特に聖トマス・アクイナスの例にならって,信仰と理性がどのようにして唯一の真理に合致するかをより深く理解するためである(注31)。こうして,より高い文化を推進するあらゆる研究分野においてキリスト教の精神の,いわば公で堅固な,普遍的存在が実現し,これらの学校の学生が,実際に知識に精通し,社会において重大な任務を果たすにふさわしい者,また世において信仰の証人になるよう教育されなければならない(注32)。
神学部のないカトリック系大学には,一般学生にも適した神学の講義が行なわれるよう,神学研究所または神学講座が設けられるべきである。学問は高次の学問的意義を特つ特殊な研究によって特に進歩するものであるから,カトリック系の大学や学部において,学問研究の推進を第一の目的とする研究所は特に助成されなければならない。
聖なる教会会議は,カトリック系大学や学部が世界各地に適宜に配置され促進されるように,また,それらの大学が,数よりも学問研究によって輝かしいものとなるように,せつに勧告する。また経済的に恵まれなくて将来大いに有望な学生,ことに新興国出身の学生には容易に門が開かれるようにしなければならない。
社会と教会自体の将来は,高等教育を受ける青少年の進歩と密接に結ばれている(注33)。 そのため,教会の司牧者はカトリック系大学に通う学生の霊的指導を熱心に行なうだけでなく,教会に属するすべての子弟の霊的育成にも留意し,司教の適切な協議を経たうえで,カトリックでない大学にもカトリック学生寮とカトリック学生センターを設け,慎重に選ばれ準備された司祭,修道者ならびに信徒によって,学生が永続的な霊的・知的援助を与えられるよう配慮しなければならない。教職および研究活動に適切と思われるカトリック大学ならびに他の大学の優秀な学生は,特別の配慮をもって養成され,かれらが教職に携わるものとなるよう促さなければならない。
11 (神学部) 教会は神学部の活動に大きな期待を寄せている(注34)。教会は神学部に,学生を司祭職のためだけでなく,特に神学の研究講座を指導するため,または自主的に学問研究を発展させるために,さらにきわめて困難な知的な面での使徒的活動のために準備させるという重大な任務をゆだねている。さらにまた,聖なる啓示が日々よリ深く理解され,先祖から伝わったキリスト教的英知の遺産がよりよく解明され,分かれた兄弟や非キリスト者との対話が促され,さらに,教義の発展によって生じた問題に解答が与えられるように,神学の種々の分野の研究を深めることも,同じく神学部の務めである(注35)。
したがって,神学部は,その規則を適性に改め,神学と神学に関連する学問の研究を力強く推進し,更に最近の方法や手段を用いて,学生をより高い研究へと導かなければならない。
12 (教育における協力) 教区内,国家内,国際間での協力は,日ごとにいっそう切実なものとなりつつあるが,学校に関してもきわめて必要とみられる。それゆえ,カトリック系の諸学校の間にも適切な連携が促進され,それらのカトリック系学校と他の学校との間に,全人類の福祉が必要とする協力が促されるよう努めなければならない(注36)。
いっそう緊密な連携と協力から,いっそう豊かな成果が得られるのは,特に大学の領域においてであろう。したがって,すベての大学においてそれぞれの学部は,研究対象が許すかぎり,相互に協力しなければならない。さらに,諸大学が相互に協力して国際間の会合を催し,学問研究の分野を互いに分担し,研究成果を交換し合い,教師の定期交流を行ない,いっそう大きな協力に役だつあらゆる
事がらを促進しなければならない。
結 び
聖なる教会会議は若い人々に,かれらが教育の任務の重大さを知り,特に教師の不足のために青少年教育が危険にさらされている地方において,その任務を高潔な心をもって進んで引き受けるように強く要望する。
終りに,聖なる教会会議は,福音の精神によって,教育と,各種類,各等級の学校のとうとい事業に献身する司祭,修道士,修道女および信徒諸氏に対して深い感謝を表わすとともに,かれらが受け
た任務を寛大な心で果たし,子弟にキリストの精神を吹き込むにあたって,また教育方法論や学問研究においても、すぐれた成果をうるよう努力すべきことを勧告する。これは,教会の内的一新を促すばかりでなく,現代世界,特に知的な分野に,教会の存在がよい影響を及ぼすためである。
この教令の中で布告されたこれらすベてのことと,その個々のことは,諸教父の賛同したことである。わたくしも,キリストからわたくしに授けられた使徒的権能をもって,尊敬に値する諸教父とともに,これらのことを聖霊において承認し,決定し,制定し,このように教会会議によって制定されたことが神の栄光のために公布されるよう命ずる。
ローマ聖ペトロのかたわらにて
1965年10月28日
カトリック教会の司教 パウルス自署
(諸教父の署名が続く)
注釈
1 教育の重要性を強調する数多くの文書の中で,特に次のものを参照。ベネディクトゥス15世,教皇書簡 Communes Litteras(1919年4月10日):AAS11(1919),p.172;ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」(1929年12月31日):AAS22
(1930),pp. 49-86(イエズス会神学院訳,『青少年のキリスト数的教育』,カトリック教育協議会,昭32年);ピウス12世,A.C.I. の青少年への演説(1946年4月20日): Discorsi e Radiomessaggi VIII,pp.53-57;フランスの父親への演説(1951年9月18日):Discorsi e Radiomessaggi XIII, pp. 241-245;ヨハネス23世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」公布30周年記念講演(1959年12月30日):AAS52(1960),pp. 57-59;パウルス6世,教会当局に依存ナる教育施設協会員への演説(1963年12月30日):Encicliche e Discorsi di S.S.Paolo Y,I,Roma 1964,pp.601-603; Acta et Documenta Concilio U vaticano apparando,series T, nteparaeparatoria,vol.V,pp.363-364,370-371,373-374.
2 ヨハネス23世,回章「マーテル・エト・マジストラ」(1963年5月15目):AAS53(1961),pp. 413,415-417,424(小林珍雄訳,14,17〜20,28ページ;回章「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11 日):AAS55(1963),p. 278s (マタイス,粕谷訳,『平和の建設』,45〜47ページ)参照。
3 1948年12月10日の国連総会において採択された「世界人権宣言」および1959年11月20日付の「児童権利 宣言」参照。また1952年3月20目にパリで採択された「人権と基本的自由を守るための会議の協定付随 書」参照。ヨハネス23世,回章イット「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11日):AAS55(1963), p.295s. (上掲邦訳,79〜82ページ)参照。
4 ヨハネス23世,回章「マーテル・エト・マジストラ」(1961年5月15目):AAS53(1961),p.402(小林珍雄訳,2ページ)参照。第2バチカン公会議,『教会憲章』第17粂:AAS57(1965),p. 21.
5 ピウス12世,ラジオ・メッセージ(1942年12月24日):AAS35(1943),pp.12,19;ヨハネス23世,「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11日):AAS55(1963),p.259s.(上掲邦訳,9〜12ページ);注3に引用した「世界人権宣言」参照。
6 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」(1929年12月31日);AAS22(1930),p.50s.(上掲邦訳,2〜4ページ)参照。
7 ヨハネス23世,回章「マーテルエト・マジストラ」(1961年5月15日):AAS22(1930),p. 441s.(小林珍雄訳,51〜52ページ)参照。
8 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲箇所(注l)p. 83(邦訳62ページ)参照。
9 第2バチカン公会議,『教会憲章』,第36条:AAS57(1965),p, 41s, 参照。
10 第2バチカン公会議,『司教の司牧任務に関する教令』,第12〜14条参照。
11 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥジ」上掲箇所(注1)p.59s.(邦訳,18〜21ページ);回章 Mit brennender Sorge(1937年3月14目):AAS29(1937),p.164s.;ピウス12世,第1回イタリア・カトリック教師連盟大会での演説(1946年9月8日):Discorsi e Radiomessagi [, p. 218参照。
12 第2バチカン公会議,『教会憲章』第11,35条:AAS57(1965),pp. 16, 40s.参照。
13 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲箇所(注1),p. 63s.(邦訳26〜27 ページ);ピウス12世,ラジオ・メッセージ(1941年6月1日);AAS33(1941),p. 200;第1回イタリア・カトリック教師連盟大会での演説,上掲(注11)箇所参照。
相互補足の原理については,ヨハネス23世,回章「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11日):AAS55(1963),p. 294(上掲邦訳,77ページ)参照。
14 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,pp.53s.,56s.(邦訳,8〜9,13〜14ページ);回章 Non abbiamo bisogno(1931年6月29日):AAS23(1931),p.311.;ピウ ス12世,第28回イタリア社会週間にあてた国務省書簡(1955年9月20日):L'Osservatore Romano,195 5年9月29日参照。
15 現代の緊急問題を意識し,すべての人が教育と文化の恩恵に浴することができるように全力をあげている地方公共団体,国家,国際機関を教会は賞賛する。パウルス6世,国連総会での演説(1965年 10月4日):AAS57(1965),pp._877-885(マタイス,粕谷訳,『平和の建設』,143〜165ページ)参照。
16 ピウス11世,自発教令Orbem catholicum(1923年6月29日):AAS15(1923),pp. 327-329; 教令Pro vide sane(1935年1月12日):AAS27(1935),pp, 145-152; 第2バチカン公会議,『司教の司牧任務に関する教令』,第13,14条参照。
17 第2バチカン公会議,『典礼憲章』,第14条:AAS56(1964),p.104参照。
18 第2バチカン公会議,『広報機関に関する教会』,第13,14条:AAS56(1964),p.194s.参照。
19 ピウス11世,回章「ディビニ・イジウス・マジストゥリ」上掲(注1)箇所,p. 76(邦訳,50〜51ページ);ピウス12世,ババリアのカトリック教師連盟への演説(1956年12月31日):Discorsi e Radiomes sagi ][, p. 746参照。
20 第3回シンシナティ管区会議(1861):Collectio Lacensis,V,col. 1240 c/d; ピウス11世,回章 「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所pp. 60, 63s.(邦訳,21,25〜27ページ)参照。
21 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,p. 63 (邦訳25〜26ページ);回章Non abbiamo bisogno(1931年6月29目):AAS23(1931),p. 305;ピウス12世,第28回イタリア社会週間にあてた国務省書簡(1955年9月20日):L'Osservatore Romano,1955年9月29日;パウルス6世,イタリア・キリスト教労働者連盟への演説(1963年10月6日):Encicliche e Discorsi di PaoloY,Roma 1964, p. 230 参照。
22 ヨハネス23世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」公布30周年記念講演(1959年12月30日):AAS52 (1960),p.57参照。
23 これらの学校において,カトリック教師および生徒が行なう使徒職活動を教会は高く評価する。
24 ピウス12世,ババリアのカトリック教師連盟への演説(1956年12月31日):Discorsi e Radiomessagi ][, p.745s.参照。
25 第1回ウェストミンスター管区会議(1852年):Collectio Lacensis V, col.1334,a/b;ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,p, 77s.(邦訳,52〜54ページ);ピウス12世,ババリアのカトリック教師連盟への演説(1956年12月31日):Discorsi e Radiomessagi ][, p. 746;パウルス6世,教会当局に依存する教育施設協会員への演説(1963年12月30日)::Enciclich e e Discorsi di PaoloY,Roma 1964, p.602s.参照。
26 特に上掲注1の文献参照。また,多くの管区会談および各司教協議会の最近の声明参照。
27 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,p. 80s.(邦訳,58〜59 ページ);ピウス12世,イタリア・カトリック中等教育教師連合会への演説(1954年1月5日):Discorsi e Radiomessagi]X,pp. 551-556;ヨハネス23世,第6回イタリア・カトリック教師連盟大会での演説(1959年9月5目):Discorsi Messaggi Colloqui,Roma 1960, pp. 427-431 参照。
28 ピウス12世,イタリア・カトリック中等教育教師連合会への演説(1954年1月5日):上掲(注27)箇所,p.555 参照。
29 パウルス6世,国際カトリック教育事務局への演説(1964年2月25日)Encicliche e Discorsidi PaoloY,U,Roma 1964, p.232 参照。
30 パウルス6世,イタリア・キリスト教労働者連盟への演説(1963年10月6日):Encicliche e Discorsi di PaoloY,T,Roma 1964, p.229 参照。
31 パウルス6世,第6回国際トマス学会での演説(1965年9月10日):AAS57(1965),pp. 788-792参照。
32 ピウス12世,フランスのカトリック高等教育施設の教授および学生への演説(1950年9月21日):Discorsi e Radiomessagi Z, pp. 219-221; 第22回パックス・ロマーナ会議への書簡(1952年8月12日):Discorsi e Radiomessagi]W,pp. 567-569; ヨハネス23世,カトリック大学連盟への演説(1959年4月
1日):Discorsi Messaggi Colloqui,Roma,I, Roma 1960, pp. 226-229;パウルス6世,ミラノ・カトリック大学理事会への演説(1964年4月5日):Encicliche e Discorsidi PaoloY,RomaI,Roma 1964,pp.438-443 参照。
33 ピウス12世,ローマ大学学士会および学生への演説(1952年6月15日):Discorsi e Radiomessagi ]W,p. 208:「明日の社会は主として今日の大学生の精神と心とにかかっている」。
34 ピウス11,教皇令Deus Secientiarum Dominus (1931年5月24目):AAS23(1931),pp, 245-247 参照。
35 ピウス12世,回章 Humani Generis (1950年8月12日):AAS42(1950),pp. 568s。 578;パウルス6世,回章「エクレジアム・スアム」(1964年8月6日),第3部:AAS56(1964),pp. 637-659 (東門 陽二郎訳,65〜114ページ);第2バチカン公会議,『エキュメニズムに開する教令』:AAS57(1965),pp.90-107参照。
36 ヨハネス23世,回章「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11):AAS55(1963),p. 284 および各所参照。
サンパウロ 第2バチカン公会議 公文書全集 南山大学監修より
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