兄弟の皆さん、もし誰かが不意に誘惑に襲われ罪を犯したなら、聖霊に導かれて生きている人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正しい道に立ち返らせなさい。あなたも誘惑されないように、自分に気を付けなさい。互いに重荷を担い合いなさい。そのようにすれば、キリストの律法を全うすることになります。何ものでもないのに、自分はひとかどのものだと思うのならば、自分自身を欺くことになります。一人びとり自分の行いを検討してみなさい。そうすれば、自分にだけは誇れても、他人に対して誇ることはできないでしょう。人はそれぞれ、自分自身の重荷を負っているからです。
(ガラテヤ6:1〜5)

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第2バチカン公会議公文書 
「キリスト教的教育に関する宣言」
および
カトリック教育聖省文書

第2バチカン公会議公文書
「キリスト教的教育に関する宣言」
 
カトリック学校に関連するローマカトリック教会教育聖省からの公式文書
1 第2バチカン公会議 キリスト教的教育に関する宣言
2 教会の宣教使命に適応する学校の宗教教育 
3 カトリック学校 1977年3月
4 紀元2000年を迎えるカトリック学校 1997年12月
5 学校に働く信徒の使命
−信仰の証人として−
 
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 1     カトリック教育省の総会参加者への教皇フランシスによるメッセージ 2014年5月12日(月) 
カトリック教育省の総会参加者への教皇フランシスによるメッセージ
(教育機関へ)
コレメンタインホール
2014年2月13日(木)
 
(以下の文章は、幾つかのカトリック学校の要望に応えて、急ぎ和訳を試みたものです。正式な公表を目的とするものではないことをご承知起き下さい。日本カトリック連合会)
 
親愛なる枢機卿
強大なる司教と司祭
親愛なる兄弟姉妹
 
 この省に新しく任命された枢機卿と司教へ、特別な歓迎の言葉を贈ります。そして枢機卿長官による開会の挨拶に感謝します。
 
 今日の議題のどれをとっても、大変なものばかりです。例えば、使徒的憲章Sapientia Christianaの改訂、カトリック大学のアイデンティティーの強化、そして、2015年に記念する公会議宣言ravissimum Educationis 50周年ならびに使徒憲章EX Corde Ecclesia 25周年の準備など。歴史的文化的な絶えざる変動の中で、今日、新しい福音宣教を目指している教会にとって、カトリック教育は最重要課題のひとつです。このような観点から、三つの側面について注目していただければと思います。
 
 第一の側面は教育における対話の重要性です。皆さんは、カトリック学校における多文化間の対話について、最近発表された文書をもって、そのテーマを掘り下げました。実際、カトリック学校や大学で学ぶ学生・生徒の中にキリスト教ではない方や信仰をもたない方が多いという現状があります。カトリックの教育機関は、理解と知識を得ることはあらゆる人間の権利であるという見地に立って、すべての人に全人教育を提供しています。しかし、キリストのメッセージをすべての人に伝えることも同じように重要です。それぞれの教育機関の独自性やひとりひとりの自由を尊重しながらも、とりわけ、イエス・キリストは命、宇宙、歴史の根源であるというメッセージをもたらす使命があります。
 
 福音を述べ伝えるイエスの出発点は、「異邦人のガリラヤ」です。ガリラヤは、人種、文化、宗教が交差する場所でした。すなわちこの状況は、現代世界と相通じるものです。広く多文化社会をもたらした目まぐるしい変化は、大胆で刷新的な忠誠心をもちながら、学校や大学において交流と対話の教育プログラムを大切にする働き手を求めています。彼らは、多文化社会にあって、どこか違う「魂」と出会うカトリックのアイデンティティーをもたらすことができるのです。多文化や多宗教に特徴づけられる社会の中で、多くの修道会や教会組織が、カトリック学校の設立や経営を担い貢献されていることに私は深く感謝しています。
 
 第二の側面は教育者の本質的な育成です。これについて、いい加減にごまかすことは許されません。真摯に取り組むべきです。修道会総長との会合で強調しましたが、今日の教育は、変化しつつある世代に向けられています。従って、すべての教育者−母なる教育者である全教会も含めて−は、「変化すること」、あるいは、目の前にいる若者とコミュニケーションができる方法を見つけるように促されています。
 
 今日は教育者の持つべき特質とその責務に限って述べさせていただきます。教育は愛の好意です。それは命を与えることです。そして、愛することは簡単なことではありません。優れた資質と合わせて、若者と共に忍耐強くこの道を歩み始めるという情熱を、繰り返し呼び醒ますことを必要とします。カトリック学校における教育者は、何よりも有能でかつ適格者であることは言うまでもないことですが、それと同時に人間性豊かで、若者と共にあって、彼らの人間性と霊性を育む教育者でなければなりません。若者は、言葉だけでなく、証しを伴う価値観をもった質の高い教育を必要としています。若者を教育するにあたって不可欠な要素は一貫性です!一貫性!一貫性なしに教育も成長も不可能です、―貫性と証し!
 
 そのために教育者自身にも絶えざる養成が必要です。教師も指導者もプロ意識を高く持ち続け、また、信仰と霊的活力を持続させるためには、投資することが必要です。教育者にとっての養成においても、黙想会や霊操は必要でしょう。テーマに沿った講座を開くことはとても良いことですが、祈りを中心とした黙想会や霊操も必要です!というのは、一貫性は努力を要するものですが、それは何よりも賜物であり恵みです。私たちはそれを願い求めなければなりません!
 
 後の側面は教育機関についてです。つまり、学校とカトリック大学です。公会議宣言Gravissimum Educationis50周年、使徒憲章EX Corde Ecclesia 25周年と使徒的憲章Sapientia Christianaの改訂にあたって、世界に広がる多くの養成機関とその職務が、教育・科学・文化の分野において、福音の生きた証しとなっているかを深くふり返る時です。カトリックの教育機関は、この世界から離れては存在できません。それらは、すべての人に提供できる賜物を意識しつつ、現代文化と開かれた対話の*アレオパゴスに、勇気をもって入る方法を探さなければなりません。(*アレオパゴス…パウロが異文化の中にあって対話を試みた丘 使徒行録17章)
 
 親愛なる皆さん、教育は無限に大きな建設現場です。その現場に、施設や事業を通して教会は絶えず関わってきました。今、あらゆる場におけるその貢献(コミットメント)を奨励し、新しい福音宣教に従事するすべての方々の貢献(コミットメント)を新たにしなければなりません。皆さまに深い感謝を申し上げると共に、聖母マリアの取り次ぎを通して、皆さまとその使徒職の上に、絶え間ない聖霊の助けを祈ります。私自身のためと、私の司牧のためにもお祈りをお願い致します。皆さまに心からの祝福を贈ります。ありがとうございました。
(明治学園学回長Sr.メリー・ギリス訳)
 
 
 2     第2バチカン公会議公文書「キリスト教的教育に関する宣言」 2012年6月6日(水) 
 
司教パウルス
 
神のしもべたちのしもべ
    聖なる公会議の諸教父とともに
  ことを永久に記念するために
 
(序) 人間生活における教育のきわめて重大な意義と,現代社会の進歩に対して常に増大する教育の影響を,聖なる全世界教会会議は入念に検討した(注 1)。実際,現代の情勢では青少年の教育,さらに成人の持続的な教育は,より容易に,しかも同時に緊急なものとなっている。人々は自分の品位と使命をよりよく意識し,社会生活,特に経済的・政治的生活に日々いっそう積極的に参加するこ
とを望んでいる(注 2)。技術および学問研究の驚異的な進歩,新しいマス・コミの手段は,仕事に追われることなく,余暇を楽しむ人々に,よりたやすく精神文化の遺産に近づく機会と,諸種の団体および諸国民のいっそう密接な交流によって相互に充足し合う機会を与えている。
 
 そのため,いたるところで教育活動をいっそう振興する努力が払われ,人間,特に子供と両親の,教育に関する基本的権利が宣言され,公文書によって保証されている(注 3)。生徒の数が急増した結果,学校は大幅に拡充完備され,他の教育施設も建てられ,さらに新しい実験によって教育と指導の方法が改善されている。今もなお,多くの幼児や青少年が,基礎教育さえ受けられず,また他の多く
の人々は真理と愛とを習得するにふさわしい教育を欠いているが,すべての人に教育を受けさせようという非常な努力が払われている。
 
 
 聖にして母である教会は,神である創造主から受けた使命,すなわち,すべての人に救いの秘義を告げ,すべての物をキリストにおいて一新するという使命を達成するために,天上への召命と結ばれる地上の生活をも含む人間の全生活について配慮しなければならない(注 4)。そのため,教会は教育の進歩と振興の責任を負っているのである。したがって,聖なる教会会議は,キリスト教的教育,特に学校におけるキリスト教的教育に関して,若干の基本的原則を宣言する。この基本的原則は,公会議後の特別委員会によってさらに詳細に解明され,司教協議会によって諸地域のそれぞれの状況に適応されなければならない。
 
 
 
 1(教育を受ける普遍的権利)  民族・身分・年齢の差を問わず,すべての人は尊厳な人格の所有者として,他人に譲ることのできない教育に関する権利を持っている(注 5)。すなわち,おのおのの目的に応じ,その才能,その性別,その国の文化と伝統に順応し(注 6),同時に地上に真の一致と平和を促進するために,他の民族との兄弟的な交わりへ開かれた教育に関する権利をもっている。真の教育の目的は,人間の究極目的のため,また,成人した時に自分が一員となリ,その使命達成に協力しなければならない共同体の福祉のために,人格を形成することである。
 
 したがって,最新の心理学・教育学・教授学を利用しつつ,青少年の肉体的・道徳的・知的天分を調和的に発展させるように,また強固な精神をもって障害を克服しつつ,絶え間ない努力をもって自分の生活を発展させ、その生活を自由に実行するために,完全な責任感をしだいに身につけるように青少年を肋けなければならない。かれらは,成長するにつれて,積極的で賢明な性教育を受けなけれ
ばならない。そのうえ社会生活に参加するために,必要で適切な技術を身につけ,人間社会の種々の領域に行動的に参加することができ,他人との対話に心を開き,公共の福祉を推進するために努力を惜しまないように育てられなければならない。
 
 
 さらに,聖なる教会会議は,青少年が正しい良心をもって道徳的価値を評価し,それを個人の決断によって肯定し,より深く神を知り,愛するような励ましを受ける権利を持つことを宣言する。したがって,教会会議は,諸国の統治者や教育関係者が,この神聖な権利を青少年からけっして奪わないように配慮することを切望してやまない。教会のすべての子らに向かっては、教育の全分野において寛大な心をもって働き,特に,教育と指導の十分な恩典が全世界のあらゆる人々に,よりすみやかに広げられるために協カするように勧告する(注 7)。
 
 
 
 2(キリスト数的教育)  水と聖霊から生まれることによって新しい被造物となり(注 8),神の子と呼ばれ,実際に神の子であるすべてのキリスト信者は,キリスト教的教育を受ける権利を持っている。このキリスト教的教育は,上に述べた人間の完成を追求するだけでなく,主として次のような目的を持っている。すなわち,受洗した者が徐々に救いの秘義を認識するように導かれながら,受けた信仰のたまものを日増しに,よりよく意識するよう,特に典礼祭儀において霊と真理とをもって父である神を礼拝するよう(ヨハネ 4・23参照)学ぶこと,自分の生活を正義とまことの聖徳においてつくられた新しい人に従って(エフェソ 4・22〜24)形成することである。こうして,かれらはキリストの全き背丈にまで(エフェソ 4・13参照),全き人間となり,神秘体の発展に力を尽くし,さらに自分の召命を自覚し,かれらの中にある希望(1 ペトロ 3・15参照)のあかしをたてるとともに,世のキリスト教化を援助する習慣をつけなければならない。この世のキリスト教化によって,自然的な価値も,キリストによってあがなわれた人間の全体的な考察にとり入れられて,社会全体の福祉に貢献するのである(注 9)。したがって,聖なる教会会議は,霊魂の司牧者に,このような真のキリスト教的教育をすべての信者,特に教会の希望である青少年が受けられるよう万事を整えるきわめて重大な責任を想起させる(注10)。
 
 
 
 3(教育責任者)  両親は,子供に生命を授けたのであるから,子供の教育というきわめて重大な義務を持っている。それゆえ,子供の第一の,主要な教育者と認められなければならない(注11)。この教育者としての両親の務めは,非常に重大であって,それが欠ける場合,その補充はほとんど不可能である。子供の個人的・社会的全教育を促進するような,神と人々に対する愛と敬虔の心で満たさ
れた家庭環境を作りだすことは両親の義務だからである。したがって家庭は,あらゆる社会が必要とする社会上の諸徳を教える最初の学校である。特に婚姻の秘跡の恩恵と義務とによって豊かにされたキリスト教的家庭にあって,子供が洗礼において受けた信仰に従って,すでに幼児期から神を認め,礼拝し,隣人を愛するように教えられなければならない。子供は,そこで,健全な人間社会と教会とを最初に経験し,家庭を通して,人々の市民社会と神の民の中へ,徐々に導き入れられるのである。したがって、両親は真にキリスト教的な家庭が,神の民の生命と進歩にとって,どれほど重要であるかをよく考慮しなければならない(注12)。
 
 教育をほどこす任務は,まず第一に家庭のものであるが,また社会全体の助けをも必要とする。したがって,両親の権利と,両親から教育の任務の一部をゆだねられた他の人々の権利のほかに,国家は教育に関する一種の義務と権利を特っている。国家はこの世の共通善のために必要なものを整える務めを特つからである。この国家の務めは,青少年の教育を種々の方法で推進することである。すな
わち,両親や,教育に携わる他の人々の義務と権利を擁護し,かれらに助けを与えること,さらに両親や他の共同体の発意が欠ける場合,教育の仕事を,相互補足の原理に従って,両親の望みを考慮したうえで行なうこと,さらにまた,共通善のために必要であれば,学校や教育施設を建てることである(注13)。
 
 さらにまた,教育の任務は特別な理由によって教会に属している。これは,教会が教育能力のある人間的共同体と認められなければならないからだけではなく,特に教会がすべての人に救いの道を告げ,信者にキリストの生命を授け,かれらがこの生命の充満に達することができるよう,絶え間ない配慮によってかれらを助ける任務を特っているからである(注14)。したがって教会はこれらの子供に,母として,かれらの全生活をキリストの精神で貫く教育を授けなければならない。同時に,教会は,円満な人間の完成を促すため,また地上の社会の福祉のため,さらにいっそう人間にふさわしい世界を形成するために,すべての国民に助力を惜しまないのである(注15)。
 
 
 
 4(教育のさまざまな手段)  教会はその教育上の任務を果たすにあたり,すべての適切な手段について細心の注意を払い,特に教会に固有の手段について心を配っている。その固有の手段の第一は教理教育である(注16)。これは,信仰を照らし,固め,キリストの精神による生命を養い,典礼の秘義への意識的で行動的な参加へ導き(注17),使徒的活動へと励ますものである。教会は,人類の共通の遺産に属し,精神の修養と人間形成に大いに役だつ他の手段,たとえば,マス・コミの機関(注18),精神と肉体を育成するために設けられた種々の団体,青少年の会,特に学校を高く評価し,それらに教会の精神がしみわたり,それらが高まるように努めている。
 
 
 
 5(学校の重要性)   すべての教育機関の中で,学校は特別な重要性を持っている(注19)。学校は,その使命によって,知的能力を高めるよう絶えず配慮し,正しい判断力をつちかい,過去の時代から受けついだ文化上の遺産を次の世代に伝え,価値観を発展させ,職業への準備をし,種々の素質と身分の生徒間に交友関係を作り出し,相互理解の精神を育成する。さらに学校はいわば中心となり,その活動と進歩に家庭,教師,さらに文化・社会・宗教上の生活を促進する種々の団体,市民社会と全人類社会がともにあずからなければならない。
 
 
 したがって,両親を助けて,人間社会を代表して学校における教育の任務に携わるすべての人々の職務は,崇高であると同時に重大なものである。かれらの職務は,精神と心の特別な素質,入念な準備,改善と適応を行なうための不断の用意を必要とする。
 
 
 
 6(両親の義務と権利)  両親は子供を教育する第一の義務と権利を持ち,これは他人に譲ることのできないものである。したがって両親は,学校を選択する際に真の自由を持たなければならない。したがって,国民の自由を保護し,守るべき任務を特つ公権は,両親が自分の子供のために,自分の良心に従って真に自由に学校を選ぶことができるように,「分配的正義」によって公の補助金が与えられるよう配慮しなければならない(注20)。また,国家は,すベての国民がふさわしく文化の恵みに浴し,市民としての義務と権利を果たすために十分準備されるよう配慮しなければならない。そのため国家は,ふさわしい学校教育に関する子供の権利を守り,教師の能力と研究水準について配慮し,
生徒の健康に心を配り,学校活動全般を推進しなければならない。その際,国家は相互補足の原理を念頭に置き,国家によるあらゆる種類の学校の独占を排除しなければならない。学校教育の独占は,生来の人権と,文化自体の進歩と普及,市民の平和な社会生活,さらに今日きわめて多くの社会に見られる多元性に反するものである(注21)。
 
 聖なる教会会議は,適当な教育方法と学習課程を見いだすために,また青少年を正しく教育できる教師を養成するために,大いに協力するようキリスト信者に勧告する。さらにまた,特に父兄会により,学校の任務のすべて,ならびに特に学校で授けるべき道徳教育を,援助するようキリスト信者に勧告する(注22)。
 
 
 
 7(学校における道徳・宗教教育)  そのうえ教会は,そのすべての子供の道徳的,宗数的教育を熱心に配慮すべき重大な義務を確認し,非カトリック系の学校で教育を受ける多くの者に対して,特別な愛情を示し,助けを与えつつ,かれらに接しなければならない。すなわち,かれらを教え指導する人々の生きた模範によって,また学友間の使徒的活動によって(注23),また特に,かれらに救いの教えを得させ,年齢と環境に合った手段をもって,時と場合に応じた適当な処置により霊的助けを与える司祭や信徒の役務によって行なわなければならない。
 
 教会は,その子供がこのような援助を受け,キリスト教的教育と一般の教育とを並行して調和的に受けられるように,すべてを整え,あるいは要求する重大な義務が両親に課されていることを想い起こさせる。それゆえ,現代社会の多元性を考慮し,信教の正当な自由を守り,家庭を助けてすべての学校での子弟の教育を,各家庭の道徳的・宗教的信念に従って行なうことを保証する国家の権威や公共団体を,教会は賞賛する(注24)。
 
 
 
 8(カトリック学院)   学校教育の分野における教会の存在は,特にカトリック系の学校を通じて示される。カトリック系の学校は,他の学校に劣らず,青少年の教養と人間形成を追求している。しかし,カトリック系学院の固有の使命は、学校内に自由と愛の福音的情神に満たされた学校共同体のふんい気をつくること,青少年が自分の人格を発展させると同時に,洗礼によって新しい被造物となった青少年が新しい被造物として成長するように助けること,また生徒が世界,生活,人間について徐々に習得する知識が信仰に照らされるように(注25),人類の全文化を究極的に救いの知らせに秩序づけることである。こうしてカトリック系の学校は,進歩する時代の状況に対して開放的態度をとりながら,地上の社会の福祉を効果的に促進させるよう生徒を教育し,かれらが神の国の拡張のために奉仕するよう準備させる。それは,生徒が模範的および使徒的生活の実践により,人間社会にとって,いわば救いのパン種となるためである。
 
 したがって,カトリック系の学校は,神の民の使命を果たすうえに大いに貢献し,教会と人間社会相互間の利益のため両者の対話に役だつことができ,そのために現代の状況のもとでもきわめて重大な義務を有している。それゆえ,聖なる教会会議は,教会の数多くの教書の中にすでに明らかにされたように(注26),あらゆる種類とあらゆる等級の学校を自由に建て,経営する教会の権利をふたたび宣言する。同時に公会議はこのような権利の行使が良心の自由と両親の権利を守るために,また文化そのものの進歩のために大いに役だつことを想起させる。
 教師は,カトリック系の学校がその目的と計画を実現できるかどうかが,まず第一にかれら自身にかかっていることを忘れてはならない(注27)。したがって,教師は,一般的な知識と宗教上の知識を証するために必要な学位を身につけ,進歩する時代の発見にかなった教育技術を体得するよう,特に心がけて準備しなければならない。教師は,愛によって,かれら相互間および生徒と密接に結ばれ,使徒的精神に満たされ,生活と教えとをもって唯一の師キリストにあかしをたてなければならない。また教師は,特に両親と協力しなければならない。両親とともに,教育活動全般において,性の差異と,神の摂理が定めた家庭と社会における両性の固有の役割を考慮しなければならない。また生徒の自主的活動を活発にするように努め,かれらが学校を卒業した後も,助言し,親交を保ち,さらに真の教会的精神に満たされた特別な会を設けて,かれらと関係を保つようにしなければならない。聖なる教会会議は,これらの教師の活動が使徒職の名に価するものであり,現代にきわめてかなった不可欠なものであり,同時に社会に対する真の奉仕であると宣言する。さらにカトリック信者の両親に,時と場合の許すかぎり,子供をカトリック系の学校に託し,学校をできる限り援助し,子供の福祉のために学校と協力する義務のあることを想起させる(注28)。
 
 
 
9(カトリック学校の多様性)    なんらかの意味で教会に依存している学校はすべて,カトリック系の学校のこの理想像にできるだけ合致しなければならないが,一方またカトリック系の学校は地域的な事情に従って種々の形態を取り入れることができる(注29)。実際,教会は,特に新しい教会の地区において,カトリック信者でない生徒をも在学させているカトリック系の学校を高く評価している。
 なお,カトリック系の学校を創立し経営するにあたっては,進歩する時代の要請を特に考慮しなけにばならない。それゆえ,基礎教育の場である初等・中等学校を盛んにするとともに,現代の社会情勢が特に要求する職業学校(注30)や工業学校,また成人教育および社会福祉のための学校,心身障害のために特別の保護を必要とする人々のための学校,さらには宗教科その他の教科の教師を養成する
諸学校をも重要視しなければならない。
 
 
 聖なる教会会議は,教会の司牧者およびすべてのキリスト信者に対し,カトリック系の学校がその使命を日々いっそう完全に果たし,特に,この世の財に恵まれない貧しい者,あるいは家庭の保護と愛情をもたない者,あるいは信仰の恵みを受けていない者の必要を満たすために,犠牲を惜しまず,カトリック系の学校を助けるよう強く勧告する。
 
 
 
 10 (カトリック大学)  教会はまた,上級の学校,特に大学や学部のことも注意深く配慮している。教会に従属しているそれらの学校においてもその性質に従って,各学科が固有の原則,固有の方法,学問研究に必要な自由をもって,研究されるように組織的に配慮されることを望む。それは,それらの学問を日々より深く理解し,進歩する時代の新しい問題と研究成果を慎重に考慮し,教会博士,特に聖トマス・アクイナスの例にならって,信仰と理性がどのようにして唯一の真理に合致するかをより深く理解するためである(注31)。こうして,より高い文化を推進するあらゆる研究分野においてキリスト教の精神の,いわば公で堅固な,普遍的存在が実現し,これらの学校の学生が,実際に知識に精通し,社会において重大な任務を果たすにふさわしい者,また世において信仰の証人になるよう教育されなければならない(注32)。
 
 
 神学部のないカトリック系大学には,一般学生にも適した神学の講義が行なわれるよう,神学研究所または神学講座が設けられるべきである。学問は高次の学問的意義を特つ特殊な研究によって特に進歩するものであるから,カトリック系の大学や学部において,学問研究の推進を第一の目的とする研究所は特に助成されなければならない。
 
 
 聖なる教会会議は,カトリック系大学や学部が世界各地に適宜に配置され促進されるように,また,それらの大学が,数よりも学問研究によって輝かしいものとなるように,せつに勧告する。また経済的に恵まれなくて将来大いに有望な学生,ことに新興国出身の学生には容易に門が開かれるようにしなければならない。
 
 
 社会と教会自体の将来は,高等教育を受ける青少年の進歩と密接に結ばれている(注33)。 そのため,教会の司牧者はカトリック系大学に通う学生の霊的指導を熱心に行なうだけでなく,教会に属するすべての子弟の霊的育成にも留意し,司教の適切な協議を経たうえで,カトリックでない大学にもカトリック学生寮とカトリック学生センターを設け,慎重に選ばれ準備された司祭,修道者ならびに信徒によって,学生が永続的な霊的・知的援助を与えられるよう配慮しなければならない。教職および研究活動に適切と思われるカトリック大学ならびに他の大学の優秀な学生は,特別の配慮をもって養成され,かれらが教職に携わるものとなるよう促さなければならない。
 
 
 
 11 (神学部)   教会は神学部の活動に大きな期待を寄せている(注34)。教会は神学部に,学生を司祭職のためだけでなく,特に神学の研究講座を指導するため,または自主的に学問研究を発展させるために,さらにきわめて困難な知的な面での使徒的活動のために準備させるという重大な任務をゆだねている。さらにまた,聖なる啓示が日々よリ深く理解され,先祖から伝わったキリスト教的英知の遺産がよりよく解明され,分かれた兄弟や非キリスト者との対話が促され,さらに,教義の発展によって生じた問題に解答が与えられるように,神学の種々の分野の研究を深めることも,同じく神学部の務めである(注35)。
 したがって,神学部は,その規則を適性に改め,神学と神学に関連する学問の研究を力強く推進し,更に最近の方法や手段を用いて,学生をより高い研究へと導かなければならない。
 
 
 
 12 (教育における協力)  教区内,国家内,国際間での協力は,日ごとにいっそう切実なものとなりつつあるが,学校に関してもきわめて必要とみられる。それゆえ,カトリック系の諸学校の間にも適切な連携が促進され,それらのカトリック系学校と他の学校との間に,全人類の福祉が必要とする協力が促されるよう努めなければならない(注36)。
 いっそう緊密な連携と協力から,いっそう豊かな成果が得られるのは,特に大学の領域においてであろう。したがって,すベての大学においてそれぞれの学部は,研究対象が許すかぎり,相互に協力しなければならない。さらに,諸大学が相互に協力して国際間の会合を催し,学問研究の分野を互いに分担し,研究成果を交換し合い,教師の定期交流を行ない,いっそう大きな協力に役だつあらゆる
事がらを促進しなければならない。
 
 
 
結   び
 
 聖なる教会会議は若い人々に,かれらが教育の任務の重大さを知り,特に教師の不足のために青少年教育が危険にさらされている地方において,その任務を高潔な心をもって進んで引き受けるように強く要望する。
 
 終りに,聖なる教会会議は,福音の精神によって,教育と,各種類,各等級の学校のとうとい事業に献身する司祭,修道士,修道女および信徒諸氏に対して深い感謝を表わすとともに,かれらが受け
た任務を寛大な心で果たし,子弟にキリストの精神を吹き込むにあたって,また教育方法論や学問研究においても、すぐれた成果をうるよう努力すべきことを勧告する。これは,教会の内的一新を促すばかりでなく,現代世界,特に知的な分野に,教会の存在がよい影響を及ぼすためである。
 
 
 
 
 この教令の中で布告されたこれらすベてのことと,その個々のことは,諸教父の賛同したことである。わたくしも,キリストからわたくしに授けられた使徒的権能をもって,尊敬に値する諸教父とともに,これらのことを聖霊において承認し,決定し,制定し,このように教会会議によって制定されたことが神の栄光のために公布されるよう命ずる。
 
 
ローマ聖ペトロのかたわらにて
1965年10月28日
カトリック教会の司教 パウルス自署
(諸教父の署名が続く)
 
 
 
 
注釈
 
1 教育の重要性を強調する数多くの文書の中で,特に次のものを参照。ベネディクトゥス15世,教皇書簡 Communes Litteras(1919年4月10日):AAS11(1919),p.172;ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」(1929年12月31日):AAS22
(1930),pp. 49-86(イエズス会神学院訳,『青少年のキリスト数的教育』,カトリック教育協議会,昭32年);ピウス12世,A.C.I. の青少年への演説(1946年4月20日): Discorsi e Radiomessaggi VIII,pp.53-57;フランスの父親への演説(1951年9月18日):Discorsi e Radiomessaggi XIII, pp. 241-245;ヨハネス23世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」公布30周年記念講演(1959年12月30日):AAS52(1960),pp. 57-59;パウルス6世,教会当局に依存ナる教育施設協会員への演説(1963年12月30日):Encicliche e Discorsi di S.S.Paolo Y,I,Roma 1964,pp.601-603; Acta et Documenta Concilio U vaticano apparando,series T, nteparaeparatoria,vol.V,pp.363-364,370-371,373-374.
 
2 ヨハネス23世,回章「マーテル・エト・マジストラ」(1963年5月15目):AAS53(1961),pp. 413,415-417,424(小林珍雄訳,14,17〜20,28ページ;回章「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11 日):AAS55(1963),p. 278s (マタイス,粕谷訳,『平和の建設』,45〜47ページ)参照。
 
3 1948年12月10日の国連総会において採択された「世界人権宣言」および1959年11月20日付の「児童権利 宣言」参照。また1952年3月20目にパリで採択された「人権と基本的自由を守るための会議の協定付随 書」参照。ヨハネス23世,回章イット「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11日):AAS55(1963), p.295s. (上掲邦訳,79〜82ページ)参照。
 
4 ヨハネス23世,回章「マーテル・エト・マジストラ」(1961年5月15目):AAS53(1961),p.402(小林珍雄訳,2ページ)参照。第2バチカン公会議,『教会憲章』第17粂:AAS57(1965),p. 21.
 
5 ピウス12世,ラジオ・メッセージ(1942年12月24日):AAS35(1943),pp.12,19;ヨハネス23世,「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11日):AAS55(1963),p.259s.(上掲邦訳,9〜12ページ);注3に引用した「世界人権宣言」参照。
 
6 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」(1929年12月31日);AAS22(1930),p.50s.(上掲邦訳,2〜4ページ)参照。
 
7 ヨハネス23世,回章「マーテルエト・マジストラ」(1961年5月15日):AAS22(1930),p. 441s.(小林珍雄訳,51〜52ページ)参照。
 
8 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲箇所(注l)p. 83(邦訳62ページ)参照。
 
9 第2バチカン公会議,『教会憲章』,第36条:AAS57(1965),p, 41s, 参照。
 
10 第2バチカン公会議,『司教の司牧任務に関する教令』,第12〜14条参照。
 
11 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥジ」上掲箇所(注1)p.59s.(邦訳,18〜21ページ);回章 Mit brennender Sorge(1937年3月14目):AAS29(1937),p.164s.;ピウス12世,第1回イタリア・カトリック教師連盟大会での演説(1946年9月8日):Discorsi e Radiomessagi [, p. 218参照。
 
12 第2バチカン公会議,『教会憲章』第11,35条:AAS57(1965),pp. 16, 40s.参照。
 
13 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲箇所(注1),p. 63s.(邦訳26〜27 ページ);ピウス12世,ラジオ・メッセージ(1941年6月1日);AAS33(1941),p. 200;第1回イタリア・カトリック教師連盟大会での演説,上掲(注11)箇所参照。
 相互補足の原理については,ヨハネス23世,回章「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11日):AAS55(1963),p. 294(上掲邦訳,77ページ)参照。
 
14 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,pp.53s.,56s.(邦訳,8〜9,13〜14ページ);回章 Non abbiamo bisogno(1931年6月29日):AAS23(1931),p.311.;ピウ ス12世,第28回イタリア社会週間にあてた国務省書簡(1955年9月20日):L'Osservatore Romano,195 5年9月29日参照。
 
15 現代の緊急問題を意識し,すべての人が教育と文化の恩恵に浴することができるように全力をあげている地方公共団体,国家,国際機関を教会は賞賛する。パウルス6世,国連総会での演説(1965年 10月4日):AAS57(1965),pp._877-885(マタイス,粕谷訳,『平和の建設』,143〜165ページ)参照。
 
16 ピウス11世,自発教令Orbem catholicum(1923年6月29日):AAS15(1923),pp. 327-329; 教令Pro vide sane(1935年1月12日):AAS27(1935),pp, 145-152; 第2バチカン公会議,『司教の司牧任務に関する教令』,第13,14条参照。
 
17 第2バチカン公会議,『典礼憲章』,第14条:AAS56(1964),p.104参照。
 
18 第2バチカン公会議,『広報機関に関する教会』,第13,14条:AAS56(1964),p.194s.参照。
 
19 ピウス11世,回章「ディビニ・イジウス・マジストゥリ」上掲(注1)箇所,p. 76(邦訳,50〜51ページ);ピウス12世,ババリアのカトリック教師連盟への演説(1956年12月31日):Discorsi e Radiomes sagi ][, p. 746参照。
 
20 第3回シンシナティ管区会議(1861):Collectio Lacensis,V,col. 1240 c/d; ピウス11世,回章 「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所pp. 60, 63s.(邦訳,21,25〜27ページ)参照。
 
21 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,p. 63 (邦訳25〜26ページ);回章Non abbiamo bisogno(1931年6月29目):AAS23(1931),p. 305;ピウス12世,第28回イタリア社会週間にあてた国務省書簡(1955年9月20日):L'Osservatore Romano,1955年9月29日;パウルス6世,イタリア・キリスト教労働者連盟への演説(1963年10月6日):Encicliche e Discorsi di PaoloY,Roma 1964, p. 230 参照。
 
22 ヨハネス23世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」公布30周年記念講演(1959年12月30日):AAS52 (1960),p.57参照。
 
23 これらの学校において,カトリック教師および生徒が行なう使徒職活動を教会は高く評価する。
 
24 ピウス12世,ババリアのカトリック教師連盟への演説(1956年12月31日):Discorsi e Radiomessagi ][, p.745s.参照。
 
25 第1回ウェストミンスター管区会議(1852年):Collectio Lacensis V, col.1334,a/b;ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,p, 77s.(邦訳,52〜54ページ);ピウス12世,ババリアのカトリック教師連盟への演説(1956年12月31日):Discorsi e Radiomessagi ][, p. 746;パウルス6世,教会当局に依存する教育施設協会員への演説(1963年12月30日)::Enciclich e e Discorsi di PaoloY,Roma 1964, p.602s.参照。
 
26 特に上掲注1の文献参照。また,多くの管区会談および各司教協議会の最近の声明参照。
 
27 ピウス11世,回章「ディビニ・イリウス・マジストゥリ」,上掲(注1)箇所,p. 80s.(邦訳,58〜59 ページ);ピウス12世,イタリア・カトリック中等教育教師連合会への演説(1954年1月5日):Discorsi e Radiomessagi]X,pp. 551-556;ヨハネス23世,第6回イタリア・カトリック教師連盟大会での演説(1959年9月5目):Discorsi Messaggi Colloqui,Roma 1960, pp. 427-431 参照。
  
28 ピウス12世,イタリア・カトリック中等教育教師連合会への演説(1954年1月5日):上掲(注27)箇所,p.555 参照。
 
29 パウルス6世,国際カトリック教育事務局への演説(1964年2月25日)Encicliche e Discorsidi PaoloY,U,Roma 1964, p.232 参照。
 
30 パウルス6世,イタリア・キリスト教労働者連盟への演説(1963年10月6日):Encicliche e Discorsi di PaoloY,T,Roma 1964, p.229 参照。
 
31 パウルス6世,第6回国際トマス学会での演説(1965年9月10日):AAS57(1965),pp. 788-792参照。
 
32 ピウス12世,フランスのカトリック高等教育施設の教授および学生への演説(1950年9月21日):Discorsi e Radiomessagi Z, pp. 219-221; 第22回パックス・ロマーナ会議への書簡(1952年8月12日):Discorsi e Radiomessagi]W,pp. 567-569; ヨハネス23世,カトリック大学連盟への演説(1959年4月
1日):Discorsi Messaggi Colloqui,Roma,I, Roma 1960, pp. 226-229;パウルス6世,ミラノ・カトリック大学理事会への演説(1964年4月5日):Encicliche e Discorsidi PaoloY,RomaI,Roma 1964,pp.438-443 参照。
 
33 ピウス12世,ローマ大学学士会および学生への演説(1952年6月15日):Discorsi e Radiomessagi ]W,p. 208:「明日の社会は主として今日の大学生の精神と心とにかかっている」。
 
34 ピウス11,教皇令Deus Secientiarum Dominus (1931年5月24目):AAS23(1931),pp, 245-247 参照。
 
35 ピウス12世,回章 Humani Generis (1950年8月12日):AAS42(1950),pp. 568s。 578;パウルス6世,回章「エクレジアム・スアム」(1964年8月6日),第3部:AAS56(1964),pp. 637-659 (東門 陽二郎訳,65〜114ページ);第2バチカン公会議,『エキュメニズムに開する教令』:AAS57(1965),pp.90-107参照。
 
36 ヨハネス23世,回章「パーチェム・イン・テリス」(1963年4月11):AAS55(1963),p. 284 および各所参照。
 
サンパウロ 第2バチカン公会議 公文書全集 南山大学監修より
 
 3     「教会の宣教使命に適応する学校の宗教教育」 2009年11月16日(月) 
この書簡は、バチカンが2009年9月8日、教皇庁教育省が各国司教協議会会長に宛てた、学校での宗教教育に関するものです。
 
 枢機卿、司教の皆様
 学校での宗教教育のあり方とその役割が論議の的となっています。氏間ではしばしば新たな規制が設けられ、宗教教育が、宗教上の現象を多角的に提える教えや、宗教的な倫理や文化に関する教えに変えられつつあります。そうした宗教教育は、両親や教会が青年育成のために求める選択や教育的目的とは裏腹となっていることさえあります。
 
 したがって、当教育省は教会の教えに墓づく原則をいくつか思い起こす必要があると考え、各国司教協議会会長にこの書簡を送ります。その原則とは、青年のカトリック的な養成における学校の役割、カトリック学校の本質と独自性、学校での宗教教育、学校の選択の自由と信じている宗教の教育を受ける自由を、明確にして伝えることです。
 
T 新世代のカトリック的な養成における学校の役割
 
1. 教育は今や複雑な問題となっています。そして、社会、経済、文化における急激な変化によって、それは更に困難になっています。教育の使命は人間の全面的な養成です。児童及び青年は、その肉体的、道徳的、知的、霊的資質をよく調和して発展させることを保障され、責任感と自由の正しい行使を身に付け、積極的に社会活動に参加するように啓発されなければなりません(『カトリック新教会法典』[CIC]795、『東方教会法典』〔CCEO〕629参照)。人聞の道徳、宗教的要素をないがしろにする教育は全面的な教育の妨げとなります。なぜなら、「青少年は道徳的価値を正しい良心をもって評価し、それを個人の決断によって肯定し、より深く神を知り、かつ愛するような励ましを受ける権利を持つ」(『第ニバチカン公会議、キリスト教的教育に関する宣言』〔GE〕1)からです。それゆえに、第ニバチカン公会議は「諸国の統治者や教育の当事者に対して、青少年からこの神聖な権利がけっして奪われぬように配慮されること」(同1)を望み促しています。
 
2. このような教育を行うには、多くの教育当事者の協力が必要です。両親は自己の子女に生命を授けたのですから、第一の主な教育者となります(GE3、教皇ヨハネパウロニ世 使徒的勧告『愛といのちのきずな「家庭」』(FC)36,CIC793,CCEO627参照)。ですから、カトリック信者の両親には自らの子女にキリスト教教育を施す義務があります。(CIC226,CCEO627参照)。この大切な責務にあたり、両親は市民社会と他の団体の助けを必要とします。実際、「家庭は第一の教育の場ですが、教育は家庭だけでなされるわけではありません」(FC40)(GE3参照)。
 
3. 「すべての教育機関の中で、学校は特別な重要性をもっている」(GE5)。特に、共生のための文化  と教育の伝達を促すにあたり、「学校は、両親がその教育の務めを果たしていくにあたって補助  の主たるものである」(CIC796,1)からです。この教育の場では、国際法と人権のもとに、「親が  自分の信仰に従って教育を選ぶ権利は、絶対に保障されなければなりません」(FC40)。カトリッ  ク信者の「両親は、カトリック教育が施されている学校に自己の子女を委託しなければならな   い。」(CIC798)。それができない場合には、他の方法でカトリック教育が施されるようにしなけ  ればなりません(同参照)。
 
4. 第ニバチカン公会議は、両親にはそのこどもが道徳と宗教教育を受けられるように、またキリス  ト教的教育と一般の教育とを並行して調和的に受けられるように、すべてを整え、要求する責務  があると記しています(GE7参照)。「それゆえ、現代杜会の多元性を考慮し、宗教の正当な自由を  守り、家庭を助けてすべての学校での子弟の教育を、各家庭の道徳的・宗教的原理に従って行わ  せる国家の権威や公共団体を、教会は賞賛する」(GE7)のです。
 
要約
(1)今日の教育は複雑で切迫した膨大な問題となっています。現代杜会は複雑であり、そのためにわたしたちは大切なもの、すなわち全面的な人間の養成、とりわけ宗教、精神面の養成を見失う危険にさらされています。
(2)教育は様々な当事者によって行われるものですが、両親が教育の第一の主な責任者となります。その責務は、自らの宗教と道徳的方針に従った教育を確実に行う学校を選ぶ権利のもとに実践されます。
 
 
U カトリック学校の本質と独自性。家族と子女がカトリック教育を受ける権利。補完性と教育面での協調。
 
5. カトリック学校は教育と養成において特別な役割を果たしています。多くの共同体と修道会が、とりわけ顕著に初等、中等教育のために尽くしてきました。しかし、キリスト教共同体全体、特に教区司祭には、「すべての信者がカトリック教育を受けることができるように、あらゆるもの  を整える義務」(CIC794,2)、すなわち「キリスト教精神に貫かれた教育を施す学校」(CIC802,CCEO635)を設ける義務があります。
 
6. カトリック学校はその特徴として、教会の聖職位階と構造的につながっています。したがってそこでは、カトリックの教えに基づく指導と教育及び、正当な教理と誠実な生活において秀でた教師による指導が行われることが保障されています(CIC803,CCEO635,639参照)。自らの教育目的を尊重し分かち合う人々すべてに開かれているこれらの教育現場は、一人ひとりの人格の調和的成長を促す、自由と愛の福音的精神に満たされていなければなりません。そして、人間の文化全体が救いのメッセージのもとに調和していれば、子供たちはその場で、世界、命、人間性に関する知識を福音に照らして徐々に得ることができるでしょう(GE8,CCEO634,1参照)。
 
7. このようにして、家族と子女が真正なカトリック教育を受ける権利が保障されます。同時に、学校特有の文化的目的及び、青年の人間的、学問的養成という目的も達成されます。(CCEO634,3,CIC806,2参照)。
 
8. 今日、教育がいかに困難になっているかを考えると、教育プロセスと個人の養成において学校と家庭が協調することが望まれます。それにより、教育目標に関する緊張と亀裂を避けることができるからです。したがって、両親、教師、学校当局が緊密に協カし合うことが必要です。この意味で、会または会合などを通して両親が学校生活に参加する機会を促すことが望まれます(CIC796,2,CCEO639参照)。
 
9. 両親、会合、仲介機関、教会位階がカトリック学校を推進する自由には、補完の原理が働きます。「生来の人権と、文化自体の進歩と普及、市民の平和な社会生活、さらに今日きわめて多くの社会に見られる多元性に反する学校の教育の独占を、この原則は排除する」(GE6)。
 
要約
(1)カトリック学校は、信仰、文化、命が調和のうちに一致する教育活動を行っているので、真に教会の一部です。
(2)カトリツク学校は、キリスト教的方針に基づく教育目標を分かち合うことを望むすべての人に開かれています、
(3)カトリック学校は教会共同体の一つの表れであり、そのカトリック性は教会の権威者(教区司祭等)によって保障されます。
(4)カトリック学校は学校多元主義であり、カトリック信者の両親の選択の自由を保障します。
(5)家族と様々な教育機関の間の協力関係には補完の原理が働きます。
 
 
V 学校における宗教教育
 
a)本質と目的
10. 人間そのものが超越者に開かれているという概念には、学校で宗教教育が行われるという要素が必然的に含まれます。学校で宗教教育が施されることは、教育を受ける権利の一つの側面です(CIC799参照)。宗教教育が行われなけれぱ、子女はその養成と人格的成長において、信仰と文化を調和させる助けとなる重要な側面を奪われてしまいます。道徳的養成と宗教教育は、個人と社会の責任及び、市民としての美徳を促し、社会の共通善に大きく貢献しています。
 
11. 多元的杜会において、信教の自由を得る権利は、学校において宗教教育が確かに行われることと、その教育が両親の了解の上で行われているという保証を要求します。第ニバチカン公会議は次のように記しています。「親は、自分の宗教的確信に基づいて、子どもに宗教教育を施す方法について決定する権利をもっている。…親の宗教的確信に一致しない授業に子どもがあずからせられたり、宗教教育をまったく抜きにしたただ一つの教育制度を押し付けられたりすれば、親の権利が侵されることになる」(『信教の自由に関する宣言』〔DH〕5)(CIC799,聖座『家庭の権利に関する憲章』5cd参照)。この文面は、世界人権宣言(26条)や他の多くの国際社会の宣言や協定の中にも確認できます。
 
12. 学校で宗教教育をないがしろにすることは、実際、生徒を誤った方向に導いたり、害を与えたりするようなイデオロギーを持つことと同じです。さらに、宗教教育が様々な宗教を中立的に比較して紹介することに限定されるならば、それによって混乱が起き、宗教相対主義、宗教無差別主義が起きるでしょう。ヨハネ・パウロニ世は次のように説明しています。「カトリック教育における問題点は、宗教教育がミッション系、公立を問わず、学校でより普遍的に行われるべきであることです。信者の家族には宗教教育を受ける権利があります。すべての人を受け入れるのが公立の学校です。その公立の学校は、信者の家族に対して、子供の信仰を脅かさないことを保障するだけでなく、適切な宗教教育によって内的養成を完成させることを保障しなければなりません。この原則は信教の自由と真の民主主義国家の概念に含まれます。そして、すべての国民の権利と宗教的確信を尊重しながら、彼らに奉仕する際に、その原則は最も深く正真に適応されます」(ヨハネ・パウロニ世、枢機卿団と教皇庁へのスピーチ、1984年6月28日)。
 
13. このように、カトリックの教えは学校の他の教科と同じように独自の本質を持っています。実際、第ニバチカン公会議は次のように説明しています。「それゆえ、現世的共通善をおもんばかることを未来の目的とする俗権が、市民の宗教生活を認め、かつ奨励するのは当然であるが、万一、宗教行為の指揮あるいは阻止を考えるとすれば、それは、みずからの限界を超えるものと言わなければならない」(DH3)。したがって、教会は学校のカトリック教育の真正な内容を確立しなければなりません。それにより、生徒自身とその両親がカトリック教育の正真性を確信できるようになるからです。
 
14. いかなる学校(公立、私立、カトリック、非カトリック)でカトリック教育が行われる場合においても、教会はこの責務を自らのものとして事項的に(ratione materiae)自覚し、自らの権限として主張します。したがって、「すべての学校で施される…カトリック的養成や教育は、教会権威者の権限に服する。この活動分野に関する一般規定を出すのは司教協議会の責務であり、かつこれに関して具体的な規定を定め、それを監視するのは教区司教の責務である」(CIC804,1,CCEO636)。
 
b)カトリック学校における宗教教育
15. カトリック学校における宗教教育は、カトリック学校の教育目標と一致します。実際、「カトリック学校の特徴と最高の理念−このためにカトリックの親はそれをほかの学校より重んじる−は、まさに宗教教育が生徒の教育全体の中に取り入れられるところにある」(ヨハネ・パウロニ世、『要理教育に関する使徒的勧告』16)。
 
16. カトリック学校は、他の学校と同じように、カトリック信徒でない生徒の宗教の自由を尊重しなければなりません。しかし、「宗教的信仰を広め、習慣を取り入れる場合は、強制もしくは不当な、あるいはあまり正しくない説得と思われる種のすべての行為を避け」(DH4)ることに配慮するならば、教会が、「おのが信仰を言論および出版物をもって公に教え、かつ宣布する」(DH4)権利と責務は、それによって影響を受けることはありません。
 
C)カトリックの宗教教育の文化的側面と要理教育との関係
17. 学校における宗教教育は教会の福音宣教に適応します。それは、小教区における要理教育、家庭におけるキリスト教教育、信者の生涯教育とは、異なりながらも補完しあっています。そして、それらが施される場も、また追及する目的も様々です。要理教育の目的は、キリストヘの人格的結びつきを促すことと、あらゆる側面におけるキリスト教生活の発展です(教皇庁聖職者省『カテケジス一般指針』〔DGC〕15参照)。一方、学校における宗教教育は、キリスト者のアイデンティティとキリスト教生活についての知識を生徒に提供します。さらに、ベネディクト十六世は宗教担当の教師に対して、次のように指摘しました。「わたしたちの理性の幅を広げる必要があります。また、宗教教育は真理と善というより広範囲な問題に開かれるべきです。さらには、神学、哲学、科学を結びつける必要があります。その際には、それぞれ独自の方法論と相互の自立性を尊重しながらも、互いを結びつける本質的な統合性を認識すべきです。実際、宗教は文化に本来備わっているものです。宗教は人格の全体的養成を助け、知識を生活の知恵に変えることができるのです。」カトリックの宗教教育はこうした目標に貢献しています。「学校と社会には、文化と人間性を真に実践しながら学ぶ場がたくさんあります。その場においてキリスト教の大きな貢献を読み解くことにより、人は善を見出し、責任感を持って成長する傭えをします。また、類似したものを探し、批評する感覚を養う傭えもします。さらには、現在をより良く理解し未来を賢く計画するために、過去からたまものを引き出す備えをするのです」(カトリックの宗教担当の教師へのメッセージ、2009年4月25日)。
 
18. 宗教教育は独自の性質を持っていますが、十分に学校の一科目としてなりたちます。逆に、一科目として維持することがその効率性につながります。「したがって、学校の宗教指導は他の学科と同じように系統的な要求を行い、厳密である必要があります。他の科目が教授するのと同じように真撃に、奥深くキリスト教のメッセージとキリスト教がもたらしている事柄を伝えなければなりません。宗教教育は、他の科目に付随する補助的な科目となるべきではなく、むしろ、科目間の交流に必然的に関わるべきです」(DGC73)。
 
要約
(1)宗教そのものが、学校教育の公的側面に宗教教育を存在させる基盤と保障なのです。
(2)宗教教育の文化的背景には、人間は超越者に対して開かれているという概念があります。
(3)カトリック学校における宗教教育は、その教育目標に欠かせない特徴となっています。
(4)宗教教育は要理教育と相違しながら、補完関係にあります。学校教育は信仰に同意することを必要としませんが、キリスト教的アイデンティティとキリスト教生活に関する知識を伝えます。
(5)そして、文化と人間性の発展の分野において、教会と人類社会を豊かにします。
 
 
W 教育の自由、宗教の自由とカトリック教育
 
19. 両親と子女の教育を受ける権利と宗教の自由は、具体的には次のような形で行使されます。
 
a)学校選択の自由。
「こどもを教育する第一の、他に譲ることのできない義務と権利を持つ両親は、学校を選択する上の真の自由をもたなければならない。したがって、国民の自由をかばい守るべき公権は「分配的正義」によって、両親が自分のこどものために、自分の良心に従って真に自由に学校を選びうるため、公の補助金が与えられるように配慮しなければならない」(GE6)(DH5,CIC797,C CEO627,3参照)。
b)信じている宗教教育を学校で受ける自由。自らの宗教の伝統を、学校の文化と教育課程に組み入れること。「キリスト信者は、市民社会のなかで青年の教育を規定している法が、両親の良心に従って、宗教的、道徳的教育にも学校自体において配慮−することになるよう努カしなければならない」(CIC799)(GE7,DH5参照)。実際、学校で施されるカトリック的養成や教育は、教会権威者の権限に服します(CIC804,1,CCE0636参照)。
 
20. 宗教の自由が、今でも多くの場所で法律上も現実にも十分行使されていないことを教会は認識しています(DH13参照)。そのような状況において、教会は信徒が必要としている養成教育を提供するために最善を尽くします(GE7,CIC798,CCE0637参照)。同時に、教会はその任務において(第ニバチカン公会議『旺現代世界憲章』76参照)。カトリック信徒の子女とその家族が教育の権利を奪われ、また教育の自由を侵害された場合、その不正義を非難し続けます(CIC799参照)。
 
 教皇庁教育省は、上記の原則が教育の調和を促すために貢献すると確信しています。教育の調和は、教会の主要な任務であると同時に、一人ひとりの尊厳を尊重し公正な社会を発展させようとする国々の抱負でもあります。
 
 教会は真理への奉仕を実践しつつ、神の啓示を各世代の人々に伝えます。神の啓示から命と歴史の終焉に関する究極の真理を学ぶことができるからです。知識が分断しモラルが混乱する世俗化された世界において、それは容易なことではありません。それは、キリスト教共同体全体が関わる問題であると同時に、教育者の課題でもあります。わたしたちはベネディト十六世の次のような確信に励まされます。「真理の一致に基づき、人と共同体への奉仕のうちにある教育の崇高な目的は、とりわけカ強い希望の糧となります」(カトリックの教職者へ)メッセージ、2008年4月17日)。
 
 枢機卿、司教の皆様。教会の教育上の奉仕と任務に携わるすべての人に、この書簡の内容をお伝え下さい。御精読頂きありがとうございます。教育者の母であり教師であるマリアと祈りのうちに結ばれて、わたしたちは心から自らの思いと尊敬と敬意を表します。
 
 
                                       ゼノン・グロコルウスキー枢機卿
                                              教皇庁・教育省長官
                                     ジャン・ルイ=ルイ・ブルッグ大司教
                                              教皇庁・教育省局長
 
 4     T 紀元二千年を迎えるカトリック学校 カトリック教育省 はじめに 2006年3月8日(水) 
はじめに
 
1.紀元二千年の到未を迎えるに当たって、教育は社会的な意味でも政治的な意味でも新たな状況に直面している。何よりまず、特に先進諸国の社会において、多くの場合教育はマスメディアにあおられた主観主義、あるいは道徳的相対主義、あるいはニヒリズム(虚無主義)の形を取った価値観の危機に遭遇している。現在の社会に蔓延している極端な多元主義は、共同体のアイデンティティを脅かすほど相互に対立する行動様式を生み出している。急速な構造上の変化と、驚くべき技術上の革新と、経済の地球規模化とは、世界のいたるところでいやが応でも人間の生活に影響を及ぼすようになった。人類皆の繁栄の未来像とは裏腹に貧富の格差は広がり、発展途上国から先進国への人の移動が顕著となっている。多種文化の共存している現象と、多くの宗教を容認する社会がふえている事実は、社会を豊かにしていると同時に、いろいろの問題をも生み出している。更に、長年にわたって福音宣教が行われてきている国々において、人間の存在を効果的かつ説得力を持って解釈する光の源としてのキリスト教の信仰が、徐々に周辺に押しやられている事実も忘れてはならない。
 
2.特に教育の分野では教育機能の範囲は広がり、複雑さを増し、徐々に専門化している。教育学はかつて子どもの生育と教師の養成を中心にしていたが、今では生涯のあらゆる段階と、学校以外の様々の領域や状況を含む拡がりを持つものになった。伝統的に守ってきたことだけでなく、時代は新しい内容と新しい可能性と新しい教育のモデルを要求している。かくて今日、教育、なかんづく学校教育を行うことが特にむずかしくなっている。
 
3.このような状況のもと、カトリック学校に勇気ある刷新が求められている。何世紀もの間に獲得された貴い経験の遺産は、今こそ適当な刷新を行う力としてそのバイタリティを発揮しなければならない。したがってカトリック学校は、昔したと同様に今日効果的に、かつ説得力のある形でその立場をはっきり主張しなければならない。それは単に適応の問題ではなく、救いのたまものを受けさせるため、人びとのいるところどこにでも赴いて、福音宣教という根本的な義務を果たす熱意の問題である。
 
4.かくてカトリック教育省は、紀元二千年という大きな祝いの年の準備期間に、それはまたカトリツクスクール・オフィスの創立三十周年記念と、一九七七年三月十九日に発刊された『カトリック学校』誌の二十周年記念を祝う時でもあるので、「『カトリック』と呼称する学校の本質とその明確な特色に焦点を当てるこど」を提案する。したがってこの文書は、カトリック学校で教育に携わるすべての者に激励と希望の言葉を伝えるために作成されたものである。特にこの文書を通して教育省は、カトリック学校が挙げている良い成果をともに喜ぶとともに、カトリック学校が抱えている問題に対する苦悩をもともに分かち合うのである。第ニバチカン公会議の教えも、教皇からの数え切れないほどの助言も、シノドス定例あるいは臨時の代表司教会議、各教区の教会栽治権者の司牧的配慮、司教協議会、教育と学校に関係する国際的なカトリックの組織などもすべて私たちの確信を支持している。その確信とは、教会と社会に対して効果的な教育活動を行うためには、カトリック学校がその根本的な特色について細心の注意を払うことは時宜を得たことであり、まことに重要だという確信である。根本的特色のいくつかは次のようである。「キリストを礎とする明確な教育計画(プロジェクト)を通しての全人教育の場としてのカトリック学校」「カトリック学校の教会的、文化的アイデンティティ」「愛の業としての教育の使命」「社会に対する奉仕」「教育共同体の特色であるべき諸点」
 
 5     U 喜びと問題点 2006年3月8日(水) 
5.私たちは数十年来カトリツク学校が積極的に歩んできた道を顧みて満足している。何よりまず私たちは、教育以外の牧職が不可能な地域を含め、世界のいたるところで、カトリック学枚が教会の宣教の使命を果たすのに貢献していることを認めなければならない。加えて、ガトリック学校は、おびただしい障害にもかかわらず、所属する諸共同体と諸国民と共に社会的・文化的発展の責任を分かち合い、その喜び、希望、苦しみと困難、真に人間的でしかもコミュニテリアンな進歩を達成する努力をともにしている。この点でカトリック学校は、恵まれない諸国民の精神的・物質的向上のために計り知れないほど貴重な奉仕を行っていることにも触れておかねばならない。カトリック学校が教育と教授法の分野での刷新に貢献していること、実に多くの男女が精力的にそれに参加していること、特に教職にあることを真の使徒職でかつ使命であると考えている修道者ならびに信徒に対して、感謝の念を示すことは私たちの義務である。最後に、カトリック学校が特に家庭に対して、組織立った司牧的な仕事においても、司牧的な心遣いにおいても果たしている役割を忘れてはならない。カトリツク学校は親子の間にある教育的な力関係の中に上手に入り込み、特に富んでいる国の中でますます増加している「脆(もろ)い」家族、崩壊した家族のために、目立つことなく、しかもきめこまやかな援助の手を差し伸べているのである。
 
6.カトリツク学校が、二十世紀の不安に満ちた終末を取り巻く様々な問題を賢明に解決していく一つの場であることは疑いの余地がない。かくてカトリック学校は、現代社会の中で生きることの難しさを体験している青少年と向き合っている。努力をいとう生徒たちには犠牲心もねばり強さもなく、また家族の中でさえ子どもたちは模範とするモデルを見いだすことができないでいる場合が多い。生徒たちは宗教に無関心であり、実践していないばかりか宗教的にも道徳的にも全く教育されていないケースが増えている。数多くの生徒もその家族も、倫理的・宗教的な養成に対して強い嫌悪感を持ち、事実、カトリック学校に求められているのは修了証書であり、良く言って良い授業と就職のためのトレーニングでしかない。そのような雰囲気は教える側にもやる気をなくさせ、この倦怠感が今日の状況のもとで、教師の役割と教育学者の役割との間の折り合いをいよいよ困難にしている。
 
7.現存する諸問題の中には、政治的な意味でも社会的な意味でも文化的な意味でも、カトリツク学校に通うことを困難ないしは不可能にさせる状況が存在している。世界の各地に起きている大規模な飢えと貧しさ、内乱と内戦、都会の劣化、大都市における犯罪の蔓延は、教育ならびに養成計画の実施を妨げている。また、他の地域では政治が邪魔をしていることがある。政府は実際にカトリック学校の運営を阻止しているわけではない。態度、民主的なやり方、人権への配慮に関する限りでは進歩しているにもかかわらずである。財政問題も困難を助長している。国公立でない学校に対して政府の援助が与えられていない国々での問題は深刻である。国公立学校に子どもたちを入れようとしなかった家族は、耐えられないほどの財政的な負担を負わされていて、それは学校の存在さえも危うくしている。さらに、このような財政的な緊張は、教師たちの採用とその学校における教師の身分の安定にも影響を及ぼすのみならず、すべての者に開かれているということをその一つの顕著な特色とするカトリック学校から、授業料の払えない子どもたちを締め出すことにもなっているのである。
 

Last updated: 2014/5/12