1.カトリック学校の広報活動とは
カトリック学校における園児・児童・生徒・学生の募集活動・広報活動の基本は、「福音宣教」の一環という位置づけが必要である。
カトリック学校の本来的目的が「福音宣教」にあるのだから、教育活動の対象である学習者は即、「福音宣教」の対象者となるわけである。(ただし、「福音宣教」とは、キリスト者(キリスト教信者)に対する司牧(教育)とイコールではなく、あくまでもキリストの「福音」(教え)を宣べ伝えることである。)よって、カトリック学校の生徒募集・広報活動は、主イエス・キリストの「福音」を教育活動をとおして述べ伝える対象者となる学習者を募ることであるから、「福音宣教」そのものであるか、あるいはその出会いを提供することにつながるものなのである。
しかし、現実は残念ながら、カトリック学校の生徒募集も経営上のそろばん勘定や経営マネジメントまたはマーケティング理論から展開されていることが多いということである。もちろん経営上のマーケティング・マネジメントの必要性や重要性を否定するものではないし、むしろ大いに必要であると言える。学習者やその保護者を顧客と受け止め、顧客のニーズは?そしてそれをどう満足させるのか?さらに、その満足度は?などと実益重視の顧客主義やそのための戦略的マネジメント等々も悪いとは言えないであろう。しかし、それらの根拠がどこにあるのか、それらのコンセプトが何であるのか、立脚点はどこなのか?ということは、カトリック学校の場合はかなり重要な要素となるのである。
経営上の戦略とは、コンセプトそのものやそれを支えるさまざまな要件で目指すところの目標や目的が随分違ってくるものである。教育に関して言えば、何のために学校経営をするのか、誰のために教育活動をするのか、どのような人間づくりを目指しているのか、どのようなかたちで社会貢献をしようとしているのかなど、教育の根幹を決定づける要件へとつながるものである。よって、私たちカトリック学校の最も重要な教育の根幹は、主キリストの「福音」であるのだから、そこに息づく人間観や人生観である「福音的人間観」、そして教育観である「福音的教育観」が常に日々の教育活動に生かされていなければならず、私たちカトリック学校の戦略もそのために策定されなければならない。そして、その戦略には神の息吹である「聖霊」が吹き込まれるような在り方でなければならないのである。
少子化問題は、教育界のみならず国家の根幹である政治・経済にも及ぶ国家的危機にもつながりかねない社会的問題として、私たちが暮らす現代社会に投げ込まれ大きな波紋を広げている。何と言っても、教育における対象は学習者であるのだから、その肝心の学習者(こども)がいないのでは、教育活動そのものが成り立たない。目的を失った教育活動が意味を見出せなくなるのは必然であるとしか言いようがない。
少子化現象の進行がもたらす影響は、教育現場を取り巻環境を一変させた。それは、私立学校のみならず公立学校までもが、少子化の逆巻く怒濤の波にのまれ、学校の統廃合や募集人員の変更など、その事態の収拾や対策に翻弄されているのだ。私立学校といえども、こんなにも生徒募集や学校経営に嘖まれることが今までかつてあったであろうか。まさに少子化に喘ぐ学校が混沌とした世の中を彷徨い歩き、うめき声を上げているかのようである。
さて、教育とは時代によって変化・変容するものである。残念ながら、現代日本の教育の現状は、決して時代の先端を歩むべく道標となり得てはいないし、次代を切り拓くべくイニシアティブをとる先駆者ともなり得てはいない。むしろ先行する現実を後追いしながら辛うじて時代の流れに乗り遅れないようにとしながらも、時の変化に翻弄され救いを求めている子ども達の声に応えきれずに、ごく僅かなエリート集団と少しの常識人、そして不本意ではあるが溢れんばかりに多くの社会に適応できない人間をつくり出してきたのではないかと嘆かざるを得ないのではないだろうか。
それもこれも、教育に携わる者たちが、その時々が問いかけていることがらに耳を傾けずに変化を嫌い、時が問いかけ求めている「時のしるし」に応えてこなかった結果ではあるまいか。私たちカトリック教育に携わる者に今最も求められるものは、その時々の「時のしるし」を読むという作業とそれに応えるために必要な知識と判断力と行動力を与えるという教育活動なのではないのか。しかるに、この観点においてカトリック学校は最も敏感でにあらねばならず、それは取りも直さず主イエス=キリストの教え、メッセージである「福音」を宣べ伝えることに他ならない。
以上、現代におけるカトリック学校の使命は、その時々の「時のしるし」を読みとり、学習者に現在および将来に求められる知識と判断力と行動力を身に付けさせることにある。よって、カトリック学校における広報活動のコンセプトは、主イエス・キリストの「福音」を原点に、これらのことがらを提供できる学校であるとの基本概念に根ざしたものでなければならない。
広報活動の現実的な困難は、至極当然のことではあるが、実態のないものは広報できず、教育活動の実践や実績のあるもののみしか広報できないというところにあり、実態や実績のないものをあるかのように広報することは、即誇大広告や虚偽広報であり、それは偽善行為以外の何ものにもなり得ないということである。
よって、カトリック学校における児童・生徒等の学習者募集・広報活動の在り方には、以下の二つの条件が整っていることが求められる。
一つには、カトリック学校での教育現場そのものが、「福音」を宣べ伝える実践の場となっていること。
二つめには、広報活動そのもの自体も「福音宣教」活動につながっていること。
これらの二つの条件が、カトリック学校としての広報活動に求められる必要不可欠な要件であると共に、カトリック学校としての広報活動になっているのかどうかの判断基準となるものである。
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