(5)共同体内における信仰の伝達
家庭内において親から子へと信仰を伝えることが難しいのと同様に、教会共同体内において信仰を伝えていくことは、さらに困難を極めることである。家庭内における信仰の伝達の重要性や難しさについては、「3.現代教会(共同体)における生涯発達とその現状−(1)家庭内における信仰の伝達のあり方について」で述べたとおりである。
家庭内において、親から子へと信仰を伝えることすらままならない現状で、教会共同体内において信仰が受け継がれるかどうかは、共同体としていかに成熟しているかが、問われているのであって、そこには更なる高いハードルを越えなければならないという現実的な問題が潜んでいるのである。
では、共同体としての成熟や高いハードルとは何であろうか。
まず、先に高いハードルについて述べよう。高いハードルとは、共同体内における信徒間の共通理解の有無であるに違いない。信徒間の共通理解とは、教会共同体の本来的目的を共有しているかどうかということである。教会共同体の本来的目的は、洗礼によってイエス・キリストにつながれた者同士が、互いに愛し合う中で、キリストの福音を述べ伝えるということなのであるが、これは極めて当然のこでありながら、意外にもこのことが曖昧に扱われているということが、教会共同体内の一致協力の弱体化や衰退を招いているのである。その現状における具体例を挙げてみよう。
第一に、信徒でありながら、教会共同体との関わりを持たない信徒が増加していることである。基本的には、教会に足を運ばない限り、相互に関わりを持つことは不可能である。教会に行かない、行けない理由はさまざまあるのであろう。しかし、それらの人々に無関心でいることは、避けなければならないものの、まずは、現状において教会に在る人々と共に、これからの教会共同体を、どのように運営し、発展させていくのかを共に考えて行かざるを得ないのであろう。無論、何らかの理由で、教会に来たくてもこられない人々が、教会に来ることができるような配慮は必要であろう。しかし、家庭内におけるさまざまな諸事情、特に家族の中で自分のみが信徒であったり、家族から教会に通うことに理解を得られないことによって教会に来られないか、個人的な意志によって教会を離れていった信徒への関わりは、難しいのである。
第二に、教会のミサには与っても、それ以上の関わりを持とうとはしない信徒もいるということ。
教会共同体を運営・維持・管理していくために、さまざまな仕事がある。信徒会をはじめ、典礼・広報・教会学校・婦人部や青年部・教会事務・会計等々である。まずは、これら教会共同体の運営・維持・管理をしていくための根幹を、司祭とともに信徒が一致し築いていなければならない。それを司祭や一部の信徒に預けてしまい無関心でいることは、共同体を築いていく上で最も障害となることである。また、教会学校を開いていても、子どもを参加させない親もいる。一体全体、信仰教育をどのように考えているのだろうか、疑問を呈することを禁じ得ない。
第三に、クリスマス信徒、復活祭信徒などと俗に言われる、クリスチャン家庭二世・三世の信徒あるいはその家庭によく見られるケースである。クリスチャン家庭に生まれ、幼児洗礼を授かった人たちではあるが、結局のところ自分自身で信仰を選び取り、信仰を決意してはいないので、幼少の頃の想い出に惹かれてか、習慣的にか、この二大行事のミサにだけには与るのであろう。しかし、このことについて、安易に批判しているつもりはないのである。このような信徒の方々にも、クリスマスや復活祭にしか教会に行けないという、それぞれの事情というものがあるに違いないからだ。しかしながら、本心を素直に言わせていただけるのならば、そのような信徒の皆様の力をも結集して教会共同体を築き上げていきたい、というのが本音なのである。
そして、現実問題としてそのような信徒がますます増えていっているし、こうした中で、教会共同体に深く関わっている現在の信徒への負担が増していっているのも事実である。しかも、少子高齢化が進む中で教会共同体も例外ではないのであるから、これらの問題はより深刻で、しかも悪いことに楽観できるいい要素というものは見あたらないに等しいのである。
ではそんな中で、今それぞれの小教区教会共同体に求められているものは何かというと、「教会共同体の再編」であろう。教会の原点に戻っての「教会共同体の再編」を考え、実践する時なのである。原点に返るとは、教会共同体の運営に関わっていくこと、最低限教会の信徒の氏名の相互認識がなされ、人格的交流をつくっていくこと。教会共同体の中で、信仰を継承していこうという共通認識と活動をしていくこと。教会共同体が、わたしたちの主イエス・キリストの福音を述べ伝えるためのものであるということを再認識していくこと。これらのことを、現状のまま、つまりそれぞれの小教区に、今在る人々を出発点として、そこから共に築いていくしかないということなのである。
一言にまとめるのならば、「教会共同体の再編」は、教会共同体内における信仰の伝達・継承そして、信徒間の人格的人間関係の構築の如何にかかっていると言えるのである。
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