その2


時は流れて、あっくんは大学生になっていた(←流れすぎ)。実はジャパンはあたしが中学生の頃デビューしたんだけど、中学/高校の頃は今までの人生で一番悲惨な6年間だったんで、あんまし思い出したくない。その間スーパーカーブームなんかがあって、カウンタックに夢中になったこともあったけどね。

ともかくオレは東京の大学に進学、上京していた。1980年代前半のころかな。当時はなめネコブームや、漫才ブームなんてのがあったなあ(なつかしー。ちなみに小柳トムと小柳ゆきってのは兄弟なんでしょーか?)。一応大学には出席だけはして、あとはパチンコ/マージャンといった、ごく普通の学生生活を送っていた。自動車の免許もまだ持っていなかったし、車で通学してくる学生を見て羨ましく思ったりもしたが、車に対する興味は薄れていた。そんな折、小学校の同窓会が九州であるという連絡が舞い込んだので、顔を出すことにした(中学/高校の同窓会なら即刻却下だが...)。そこで春休みを利用して、九州の叔父の家に遊びに行くことにした。懐かしい、何年ぶりになるんだろう?久々の北九州だった(実は親父の仕事の都合で、中学/高校の6年間は生まれ育った北九州ではなく、I市という田舎町にいた。当時が悲惨だった大きな理由がここにある)。

叔父の家につくと夕食の買い物に行くため、車を駐車場からとってきた。叔父が運転してきたその車とは...

「..ん?...ああっ!?...!!!...」(←声が出ない)

小学生以来となるビリビリ感。まさに電流火花が体を走る!(笑)
憧れの女性を目の前にしても、これほどの電圧はかからないっすぜ。

これは80年代後半に撮った写真。変なタイヤを履き、フォグランプもまだ純正(?)のまま。まだまだジャパンが、普通の中古車として出回っていたころのワンショット。

以前からケンメリがフルモデルチェンジしたことは知っていた。街で見かけるケンメリもどきの車(爆)がそれなんだろうなあと漠然と見ていた。車に対する情熱を失っていたオレにとって、それは遠いものでしかなく、ジャパンという愛称を持っていたことさえ知らなかった(事実この頃、ジャパンは既に角目にマイナーチェンジされていたはず)。それがあーた、目の前に、しかも身内が乗ってるんですぜ!

憧れたケンメリの正統後継者であることを示す丸目4灯ヘッドライト、二重丸のテールライト、サーフィンライン... なんちゅーか、ケンメリより直線的になったけど、全体像も先代の名残がありますよね?

「...ん?買い物に行くけん、はよう乗らんね」

ドアを開けて、助手席に座る。生まれて初めてスカイラインという車に乗る瞬間だ。コクピットを見ると、そこはケンメリではなかった。木目調のパネルではない。その代わり、ケンメリ以上のゴチャメカ群!(笑)

かつてジャポニカ学習帳に書き写したケンメリのコクピット以上に増えた計器/スイッチ類。まず目に飛び込んできたのが大型化した時計。しかもデジタル化している!その横に、車を真上から見た白抜きの図と整然と並ぶ警告灯群(←これがジャパンの大きな魅力っすよね?)。大小入り混じった計器類が、ぎっしり隙間無く埋め込まれている。フェンダーミラー操作レバーはステアリングの右側に移っており、その代わり左側にフォグランプらしきスイッチやら何やら、先代以上にわけのわからんスイッチが増殖していた。センターコンソールにはケンメリにはなかったサウンドバランサーが...(たしかケンメリは、この位置にリアデフォッガースイッチがあったんじゃなかったかな?)

そして何よりも、サイドブレーキのそばにはパワーウインドウスイッチが!

「ケンメリと同じだあ〜っ!」

幼い頃手の届かなかった、憧れのスイッチに触れる。...そうか、押すんじゃなくて前後に動かすのか。何とかの一つ覚えみたいに、何度もサイドウインドウを開閉してみる。真ん中の細長いスイッチはウインドウロックだと初めて知った。

「この車、どうしたんね?」
「買うたんよ」

会話になってねえ〜(爆)

市街地を走る。視線はメーターパネルに釘づけ。くるくる回るタコメータとブースト計(正確にはバキューム計なんじゃ...)。初めてスカイラインの生きた計器を見る感動!
ほんの十数分間のドライブだったが、スカイラインへの情熱を取り戻すには十分な時間だった。叔父は車好きで、数年で買い換えることをあたしは知っていた(以前はRX-3に乗っていたこともある)。

「今度買い換える時、この車オレにくれんね?」
「ええよ、しばらく待っとき」

運転免許が無性に欲しくなった瞬間だ。これが今のあたしの車、HGC210スカイライン2000GT-EX通称ジャパンとの出会いだった。