その3


それからさらに数年の月日が流れ、あたしも社会人の仲間入りを果たしていた。叔父のジャパンとの出会いの後、すぐにパチンコ屋に通いまくり、稼いだ金で免許を取った。私立文系、しかも卒論のないアホの経営学部出身(←byコント赤信号)だったあたしの就職先は、お決まりの営業だった。会社からサニーのバンを貸与され、京浜工業地帯を走り回る毎日(とある鉄鋼業界に就職してました)。学生時代はパチンコで日給1万の生活だったが、就職したら月給10万前後!これで朝から晩まで束縛され、家賃と食費でいっぱいいっぱいの生活。一気に貧乏になっちまったんで、地方転勤命令が出たのを契機に1年でやめた(中学/高校時代の苦い思い出があるので、転勤はこりごりだがや)。

あっくんが社会人1年目で得たもの:
・車の運転
・主に神奈川県の地理
・うまいラーメン屋(←当時新杉田にあった元祖家系吉村屋や、その他秘密のラーメン屋)

これだけ得られれば、なかなか順風満帆の社会人第一歩なんでないかい(←どこが?)。あのサニーにはほんとお世話になったなあ。さてさて、地方転勤命令が出た次の瞬間、あっくんは本屋にいた。そこで週刊就職情報(今でいうB-ing)を購入、パラパラめくって、一番基本給のいい会社を選び早速電話。面接/入社テストをサクサク行い即決。カップラーメンができる時間並みの速さで転職した(爆)。こんな節操のない自分の性格、意外と好き(←バカ)。

新しい就職先はなんとコンピュータ会社!おいおい、オレってパソコンはおろか、ワープロも触ったことないっすぜ。まあいいや、何とかなるべえ。
コンピュータ業界ってのは、噂に違わぬ残業/徹夜のオンパレードだった。しかも時は80年代後半、バブルに向かって一直線の時代。過労死もささやかれるご時世だったが、金目当てで働くあたしにゃ願ったりかなったり。残業代がきっちり支払われるなんて、とっても幸せ(^^)

2〜3年働いたら、ぼちぼち仕事も覚え、金も貯まってきた。そんな折、叔父から一本の電話が。

「あのスカイライン、もう乗らんけどいらんね?」

「ちょうだい!」

この瞬間、夏休みの旅行先が九州に確定した。

待望の夏休み!叔父の家に行くと、そこにジャパンはいなかった。実は当て逃げされてドアが折れてたり、知人に貸してぶつけられたり、はたまた製造から10年が経過しているので、色が剥げてたりと、かなり悲惨な状況だったんですねえ、これが。前々から電話で状況を知らされてたんで、金はオレが払うから、叔父の知り合いのところにレストアに出してもらってたわけ。ドア交換、オールペン、フロントバンパーたたき出し等で計14万!感謝です。今考えると、この時オレが引き取らなかったら、我がジャパンはスクラップになってたんだなあ。

翌日、レストアから待望のジャパンが戻ってきた。純正ワインレッドでオールペンされた眩い車体。とうとう自分のものになる日がきた。まずは数年間のペーパードライバー生活によって失ってたカンを取り戻すべく、小学校の頃遠足で行った河内貯水池までドライブだ(←超ローカルな地名でスイマセン)。

夢にまで見たスカイラインのコクピット。はじめて運転席から見る。ステアリング、シフトノブ、サイドブレーキグリップの3点セットはウッドなんですね。なんかケンメリのウッドパネルの名残のような気がして、妙にうれしい。キーを差込みエンジンスタート。L20独特の控えめなサウンド。アクセルをアオるとブースト計が生き物のように反応する。ええ感じや。シート位置、左右フェンダーミラー、バックミラーを自分好みに調整した後、サイドブレーキを落とし、1速にギアを入れ発信!予想以上に重いステアリングとクラッチ。サニーとは比較にならんぜ。完全に車に乗せられた感じで、全然自分のものにならない。ペーパードライバーのブランクは予想以上だ。

おばちゃんのそれとさほど変わらぬハンドルさばきで市街地を走る。営業時代のサニーはバンだったが、ジャパンは2HT。後方視界の狭さが少々怖い(←ケンメリはもっと狭いっちゅーの!)。ほんと初心者同然だぜ。ほんの1〜2時間のドライブだったが、かなり疲れた。こんな調子で東京まで運転できるんかいな?

東京に帰る日がやってきた。いろいろ世話になった叔父に礼を言って、二日酔いの頭をかかえ運転開始。北九州から東京(正確には東名川崎)までの長い道のりのスタートだ。昨晩は九州最後の夜ということで飲みすぎちった。頭いてえ〜っ!まずは大谷インターから九州自動車道にのり、目指すは関門海峡。はじめて5速に入れる....と、100km/hを超えたあたりで震度3強の振動が!

「なっ、なんだあ〜このビビリはっ!?」

とりあえずアクセルを戻し、90km/hに落とすと収まった。80〜90km/h程度の安全運転で関門大橋を渡り山口県に突入。すぐにパーキングに入り、叔父に電話した。

「100km/h超えるとすごい振動があるんやけど、あれ何ね?」
「古いけやろ」

そんなもんかいな!?

東京に戻ったら点検するということで、とりあえず時速90km/h以下で走行することにした(後でわかったのだが、実はリアタイヤが磨り減って、キャンバスむき出しの状態だった。よくバーストしなかったなあ。今思い出してもゾッとする。高速走行前のタイヤ点検なんて基本中の基本。そんなことも怠っていた当時の自分が怖い)。

100km/hも出せない車で、1000kmの道のり。気が遠くなるぜ。おまけに営業時代でも一日100kmも走ったことはほとんどない。さらに数年のペーパードライバー時代によるブランク。考えてみれば、1200m専門のスプリンターが春の天皇賞にチャレンジするようなもんだぜ(←違うってか?)。自分の思い通りにならない車の運転ってのは、すごくストレスがたまる。100km弱走ったら休憩、また100km走ったら休憩の繰り返しで、ちんたらちんたら東京を目指す。おまけに宝塚から吹田まで渋滞にハマって動きゃしない。既に日付の変わろうかという時刻に、やっと名神高速に入る。肉体的にも精神的にもクタクタ。名神に入ってすぐのパーキングで仮眠をとることにした。考えてみれば、前夜は飲み明かしたんで、ほとんど寝てないんだっけ。ところが、神経が高ぶっててなかなか寝付けない。おまけにシートにダニがいるらしく、全身がかゆい。これも東京に戻ってダニアースだ。まさに地獄のドライブ!

何時間かウトウトしたら、もう夜が明けていた。顔を洗ってすぐ出発。食欲は全然ない。さらに京都あたりでまたまた大渋滞!ジャパンが真夏の渋滞に巻き込まれたらどうなるか、知ってるよね〜?くそ暑いのにクーラー切って、何度もクラッチを切りながらのろのろ進む。昼過ぎに養老インターにたどり着いて休憩。相変わらず食欲は無かったが、体力的にも限界だったので、ざるそば食って木陰で休憩。でもあちいなあ〜。

疲れの取れない鉛のような体を引きずって、再び運転開始。すると、東京まで○○○kmの案内板が!やっと東京って地名が見えたぜい。こういう時って、不思議と元気が出るもんですね。相変わらずの90km/h走行だったけど、渋滞よりはいいや。浜松、日本坂と休憩を取りつつ御殿場へ。ここもさすがに渋滞に巻き込まれたが、東京まではあともうちょっとだ。御殿場を抜けると、少しずつ流れ出した。苦しかったドライブももうすぐ終わる。厚木を通過してしばらくすると、高架線上を緑の電車が走っていく。

「横浜線やなかですかっ!」

やっと戻ってきた。東名川崎まであと少し。自然とアクセルを踏み込む力が強くなる。すると再び震度4の強震が!ほんときつかったなあ。何回地震に悩まされたドライブだったんだろ?東名川崎を降りるとそこはもう地元。普段暮らしている街をジャパンで走ると、格別の思いがした。

「帰ってきたんだなあ...」

遠い場所から車で移動するなんて初めての経験だった。家の前に車を止めると、全ての緊張から開放された。時刻は夕方6時を回ったくらい。今だったら、渋滞回避のため出発時間をずらしたら、1000kmくらい軽く12〜13時間で走れるのになあ...

こうしてあっくんの家にスカイラインジャパンがやってきました。この日、このジャパンは「スカちん」と命名されました(決して、スカスカのち○ち○という意味ではない)。ちなみにこの日は、中日の何とかいうルーキー投手が、巨人打線相手にノーヒットノーランを達成した日でした。中日ファンのどなたか、正確な日にちを教えて頂けませんか?
(80年代後半の8月であることは確か)

2002年5月30日加筆:

上記のように書いていたら、

中日 近藤真一投手ノーヒットノーラン

87.8.9 対戦 読売 ナゴヤ球場

という情報を頂きました(ちろさん、情報提供ありがとうございました!)。

この日、疲労困ぱいで北九州から帰宅した後、ビール片手に野球見てたら、ノーヒットノーランで中日が勝ったんです。そうそう、グランドが人工芝じゃなかったんで、(後楽園球場ではなく)ナゴヤ球場だったことを覚えてます。

そうか、1987年の8月9日だったのかあ。あれから(これを書いている2002年5月現在)、15年の月日が流れてるんだなあ。当時の後楽園球場/ナゴヤ球場から、中日/巨人のホームグランドはそれぞれドーム球場に移転している。考えてみれば、オグリキャップが笠松でデビューしたのも87年だった。う〜ん、時の流れを感じるねえ。

スカちんはC210初期ロットなので、村山工場で生まれたのが1977年8月か9月。ちょうど10歳の誕生日に、オレのところに来たのかもしれないね。それにしても、スカちんはあの時と変わりなく、いや、あの時以上に絶好調!ほんと丈夫なやっちゃなあ............. よし、決めた!

8月9日はスカちんの日!(←まんまや)