わ〜れらがぁ母校♪ 〜北九州里帰り前編〜


2002年4月末日、あっくんはゴールデンウイークを利用して、福岡県北九州市に里帰りしていた。東京から1000km離れた北九州、飛行機嫌いのあっくんは、もちろんスカちんと里帰り。スカちんも生まれは東京の村山工場だが、育ちは北九州。スカちんにとっても15年ぶりの里帰りだった。

黒崎、中央町、荒生田(あろうだ)、到津(いとうづ)、魚町、砂津、門司......

北九州市を東西に走る動脈、国道3号線を走る。1970年代後半から1980年代前半、毎日のようにスカちんが走った道。北九州ナンバーだから、何の違和感も無いだろう。が、信号待ちの度に、道行く人に注目される(^^;
やっぱスカちんは目立ちすぎるなあ。

これは北九州から帰るときに撮った写真。残念ながら雨が降っているが、これが関門海峡。九州自動車道めかりPAから撮影。ここは潮の流れが速く、さらに一日で何度も流れが変わる。海峡の向こう側が山口県。ちょうど関門大橋の右側あたりで、壇ノ浦の合戦が行われたはず。山口県側には平家の墓碑が立っている。

 

2隻の船の間に写っているのが船島(のはず)。別名、巌流島ともいう。そう、あの伝説の戦いが行われた場所です。何の戦いかって?もちろん、馳浩とタイガージェットシン!(笑)

スカちん、15年ぶりの里帰りはどうよ?

あの時、オレが引き取らなかったら、おめえは今ごろスクラップやったんやど。わかっとるんか自分?ちゃんとわしに感謝して、トラブルフリーで走るんやど!

それはそうと、北九州まで来たからには、あっくんが小学生時代を過ごした山路(さんじ)に行こうかねえ。スカちんとの出会いをお読み頂いた方はお分かりの通り、あっくんは小学校までしか北九州にいなかった。今も北九州には、あっくんの実家はない。が、山路には小学校時代の同級生がたくさんいる。

山路とは、八幡東区の片隅にある田舎町。が、今はゴルフ場もできたし、北九州都市高速のインターもできた。小倉競馬場も近いし(^^)、なかなか利便性のよいところ。荒生田(あろうだ)から国道3号線を南へちょっと入ったら、そこはあっくんとスカちんの故郷。

同級生の家の軒先を拝借、スカちんを停めて散策。小学生のころ毎日遊びまわった町内、しばしノスタルジーに浸る。

この写真は、あっくんが住んでいた家の近くから撮ったもの。正面に見えるのは皿倉山。小学校の遠足で何度も登ったことがある。頂上からは洞海湾を一望できる。標高は600mちょっとあったはず。小倉競馬でも皿倉山特別というレースがある。

 

幼いころ、あっくんが果てしなく遊んだ清田川。ここでよく魚をとった。今は川で遊ぶ子供はいないよなあ。奥にちょっと見える広場は中畑公園。あの公園でメンコ、ビー玉なんかで遊んだ。

 

学校への通学路途中の光景。こうして見ると、やっぱ田舎やなあ。一つ前の写真もそうだけど、山の緑がブロッコリーみたいにモコモコして、黄緑色が目立つでしょ?これは西日本独特の光景。東日本の山は針葉樹が多いので、もっとシャープで緑も濃い。

小学校時代の通学路をトレースしながら歩く。勝手知ったる通学路、地元の人も知らない裏道を使って小学校へ。職員室にいた先生に声をかける。

「すいませーん、私、決して怪しいものではありません(爆)。この小学校のOBの者なんですけど、校内を見学させて頂けませんか?」
「ええ、かまいませんよ。このバッジをお付けください」

ぶっそうな世の中だから、勝手に小学校内をうろうろするわけにはいかない。来客用のバッジをお借りして校内に入る。

なつかしー!

これがあっくんの母校、北九州市立高槻小学校。グランドから校舎を眺める。昔と何も変わらない光景がうれしい。写真の校舎は、あっくんが在校中に建てられたもの。何回か塗り替えられているが、校舎は昔のまま。

 

校庭のバックネット。あれっ、こんなに小さかったっけ?
あっくんが小学生の頃は、野球ではなくソフトボールだった。ちなみにあっくんは万年補欠(笑)。そういえば、同級生でスポーツ万能の奴がいたなあ。今ごろどーしてるんだろ?

 

塀の向う側はプールになっている。小学校4年くらいまでは、25m泳げなかった。5、6年生の時の先生が水泳のエキスパートで、その先生に教わって泳げるようになった。初めて25m泳げた時はうれしかったなあ。

 

校舎前のテラス。ここではあまり遊んだ記憶は無い。それよか、掃除したり、校舎の窓ガラスを割って怒られた記憶だけが残っている(笑)。ちなみにテラスを歩いている婦女子は、あっくんの同級生。

 

がらんとした校舎の廊下。この日は遠足だったらしく、小学生の姿は無い。手前の教室に3年生か4年生の頃、通っていた記憶がある。そうそう、小学校でう○こしようもんなら、市中引き回しの上、打ち首獄門状態(爆)だったでしょ?

 

あっくん達が卒業する時に植えられた記念樹。卒業式のとき、ここで写真を撮った。あれから30年近い時間が流れてるんだなあ。

さて、そろそろ行きますか。職員室に戻り、来客用バッジを返却する。

「どうも、ありがとうございました。おかげさまで大変楽しいひと時を過ごすことができました」
「それはよかった。この学校も少子化の影響で、年々子供達の数が減ってましてねえ。統廃合って話も出てるんですよ」
「そうですか、私がいた頃、各学年とも3クラスあったんですが、見たところ、今は各学年1クラスで生徒は20人くらいですか?」
「よくおわかりですねえ」
「廊下にかかっている生徒達の荷物(の数)を見ましたから」
「何とか廃校にはしたくないものですがねえ」
「そうですねえ...」

子供嫌いのあっくんにはどうすることもできない。そもそもあっくんは、既にここの住民でもないから、廃校に反対しても単なる感情論になってしまう。さよなら遊園のコラムでも、時の流れはどーすることもできないと、あっくんは達観してたでしょ。例えば、発展途上国で毎日子供達が飢え死んでいる姿を見ても、(かわいそうとは思うが)何とかしてあげたいという気にはならない。そこに行って、飢えに苦しむ子供達と一生苦楽を共にする覚悟がないと、どーしようもないもんね。この辺は、我ながら冷たい大人になったと思う。

COOL!

酒、ギャンブル、仕事、婦女子達の涙(笑)、様々な体験を経て、あっくんはシベリアの永久凍土以上に冷たい氷のハートを作り上げてしまった。時の流れってのはそういうもんよ、正味な話が。

「本当にありがとうございました!」

先生にお礼を述べて出発。帰りながら、先の写真に写っていた婦女子と、明日の同窓会に関して打ち合わせる。何十年ぶりかで会う同級生も多いな。楽しみだなや。

さて、そろそろ行くかあ。スカちんに戻って出発。国道3号線に戻り東へ走る。関門トンネルを使って山口県へ。明日は同窓会のため、また北九州に戻ってくるが、その前に山口県下関市でやることがある。それは、

スカちん究極のドレスアップ大作戦!

果たして究極のドレスアップとは何か?
トラフグで有名な下関に何があるというのか?
謎が謎を呼んで、後編へ続く。