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(180)新風舎 

高校時代に詩を書き始めた。どんなきっかけだったか覚えていないが、「短詩系文学」という文化クラブに入って指導の先生から高村光太郎の詩「道程」のレクチャーを受けた。精神としては立派だと思ったけれど、あまり好きになれなかった。そのころ私が惹かれていた萩原朔太郎の詩とずいぶん異なっていると思った。私がたくさん詩を書き溜めていることを知った先生は、個人詩集を作ってあげようといった。しかし私はこれを断って、ひそかに自分の手作りの詩集を作った。2冊作った。なぜ先生の格段の好意を断ったのか、今では分らない。何も記憶がない。

社会に出てからは小説に転向し、幾つも書いた。なぜか活版本の小説集を作りたくなった。町の名刺屋に原稿を持ち込んで、いわゆる自費出版を敢行した。写植というやつだろう。ぺらぺらの表紙で、表紙を含めて何も注文をつけなかったけれど、ともかく出来てしまった。百部で、7,8万円くらいだったか。自分でそれらに通し番号を打った。めぼしい知人に配って回り、たくさん余ったので都会へ出て古本屋に数十部づつ置いてもらった。もし売れたら売価のいくらかでもペイバックしてもらおうということだったようにおもう。しかしその後行きにくくなって忘れてしまった。売れなかったのだろう。

ワープロを買ってから、これは自家出版に使えると思った。ともかく一冊分をプリントアウトし、スタンプでページNOを打ち、これを深夜コンビニへ持ち込んで、1ページにつき数枚づつコピーして持ち帰り、製本した。紙代、コピー代の原価で一冊3千円くらいになった。数年間で7,8冊の小説集が数部づつ出来た。多少自信のあるものは厳選した友人たちへ郵送したが、もったいなくもあり殆どは手許に残した。それらはまだ大かた手許にある。

娘が学生になり、パソコンが必要だというので買ってやったのが2000年の冬。インターネットをつなぎ、娘よりも私自身のおもちゃになった。ここでホームページというものを知った。これは自家出版とおなじような機能があると気がつき、参考書を何冊も読んで今のホームページ(「物語舘」の方)を立ち上げた。
今、私はこれに完全に満足している。いまのところ自分で紙の本を出版したいとは思わない。しかし、ホームページを持ちながら、やはり本物の書籍を作る、自家出版を平行してやっている人も少なくないことを私は知っている。インターネットに発表することと、紙の本を公刊することは同じではないというのだろう。確かにそうだと思う。パソコンの中のメモリー、あるいはネットの中のホームページのコンテンツは、紙に印刷された本と異なり、DELETE すればあっという間に消え去ってしまう、単なる微弱な一群の電子信号のかたまりなのだ。一時は世間に良く知られても、その記憶がどこかに永久に残るというものではないらしい。電波による放送のように一過性のはかない運命なのだ。

かたや出版された本は焼却でもしないかぎりどこかに確実に残っていく。どんな内容の書籍でも、本であれば国会図書館に収納され永久に残るという“特典”があるという魅力もあるだろう。実体のある本の出版に固執するひとびとの気持ちは良くわかる気がする。

そういう意味で、「新風舎」などをはじめとする協同出版とかいう自家本製作の専門メーカーが現れたのはこの個性発現の時代の趨勢かもしれない。大新聞の広告欄にそんな会社の勧誘が盛んに載るようになったのに私は注目し、興味も感じていた。しかし、内容をよく読めば、一冊分の企画でウン百万円とか、私の感覚ではべらぼうな高額の事業のようにになっていて、これはマルびのわたしなぞとても手が出ないものだとはなから諦めた。もちろん世にはそんな額でも出せるひとは少なくないだろうし、趣味としても、一生ものとして一冊の著書を残して逝くのは悪くはないだろう。

要は、どんな気持ちで自分の著書を出版するかということだ。2百万でも高くない、と考えるひとたちの思いは何だろうか。ひょっとしてどんどん売れて版を重ね、儲けられるかもしれないという気分で自署の出版を企画したのなら、まず事業として2百万円は回収されねばならない。だから、どんな売り方がなされるのかなど隅々まで目配りをしなければならないと思う。少なくも、製作者側が取る利潤は適切だろうかと注意するべきだろう。

自分が生きて、こういう著作をなしたという記念碑のような自己満足の出版なら、知人の員数にもよるだろうけれど五十部か、多くとも百部で充分だろうと思う。どれほど丁寧な本つくりがなされたにしても、2百万円もかかるとは思えないのだが。

(179)トゥモロー・ワールド

 

久しぶりにレイト・ショーで英作品のSF映画、「トゥモロー・ワールド」を観た(12/8)。近未来のいまはやりの悲観的な世界滅亡もの、しかし単なるスペクタクル、絵空事ではなく、まじめな思想も垣間見れる。
さほど遠くない未来 2027年、世界の多くの大都市が破綻し、ただひとつ辛うじて機能しているロンドンは世界中から流入し続けている難民の海の中で砦のように孤立し、その徹底した排他的政策を批判している反政府組織のテロリズムや叛乱行動に手を焼いている。

最大の問題は人類が生殖機能を失ったこと、子供がまったく生まれなくなったことである。生き残り、何とか人間らしい文化生活を続けている少数派の市民も自分たちが確実に死に絶える50年後に迫った人類滅亡の現実に生き続ける希望を失い、自殺が蔓延している。公務員のテオ(クライヴ・オーエン)もそんな一人だが、ひょんなことでこの世界が救われるかもしれないという驚くべき、しかしひそめられた事実を知り、その世直し運動に巻き込まれ、危険を冒してその中心的存在である黒人少女をテロと戦闘のうずまく世界から守り、脱出させる。
テロの蔓延は現代の深刻な問題だ。一方、人類の生殖機能は相変わらずというよりますます盛んで、今なお凄まじい勢いで世界人口は増え続けている。だから、この映画のシチュエーションはそのまま受け取るわけにはいかない。もちろん日本では遠からずこれに近い深刻な問題が顕在化するだろうことは間違いないし、人類が(男子の精子の減少という症状が見られるように)生命力を失いかけていることは事実らしい。

この映画はそういった現実に立った問題提起というわけではないと思うけれど、生殖のコントロールそのものは現代人類の差し迫った大問題であることは疑いない。かたや人口の爆発に手を焼き、かたや減少に悩む。またエイズの蔓延も生殖に深く関わった危機的な問題だろう。生きたい、殖やしたいという本能は生物にはやみがたい基本的な欲望であり、それを失った時、人間は未来を失い希望を失う。暴力もまたそういった絶望から生まれることは疑いが無い。人々から様々な希望を奪うことが暴力の蔓延を引き起こしているのではないか。希望を与えるにはどうすればよいか。

誰にもひとしなみに「トゥモロー・ワールド」号がタイミングよく濃霧の海を迎えに現れてくれるというわけではないと思うけれど、どんな意味不明の異種言語が飛び交う異人種間でも、生死をわけた荒々しい敵対的戦闘場面においても若い母とその赤ん坊の力強い泣き声が和らげ、お互いの理解がなされたように、世界から戦争をなくすことは必ずしも不可能ではないということをこの映画は描きたかったのではないか。

テオが叛乱組織に奪われ、拉致された少女と生まれたばかりの赤ん坊を追って激しい戦闘の続く廃墟を探し回り、無事な二人を見つけ、保護して戦場を脱出する長回し(8分間だと)の迫力あるワンショットはこの映画の最大の山場であり見所だった。それにしてもなんと多くの脇役が死んでいく映画だったろう。貴重な世界でただ一組の母子が救われ、連れられていく「ヒューマン・プロジェクト」とは何だろうか?それらのもっと納得の行く説明が欲しかった気もする。

 

 

178)おれの足音

前進座公演「おれの足音 大石内蔵助」を観た(11/10 直方ユメニティ)。池波正太郎の同名小説を小野田勇が脚本にした。1979初演というからもう古典だろう。演出は鈴木龍男。

江戸中期に実際に起こった赤穂義士のあだ討ち事件を作者が丹念に調べなおし、この事件の中心人物で首謀者である元赤穂藩の国家老大石内蔵助の若いころに焦点をあててその人となりを人間味豊かに描き、あわせてこの事件の発端となった刃傷事件の背景を考察し、この社会事件の謎に迫った作品。

代々赤穂の国家老を勤める大石家に生まれた竹太郎は早く死んだ父に代わって若くしてその職についた。「昼行灯」という芳しからぬあだ名をつけられた竹太郎改め内蔵助良雄は、その悠々と急がぬ非能ぶりに面と向かって異議を唱える下位の同僚もいたが、それらを意に介しない、そのたい蕩とした円満な性格から支持者も増えていく。内蔵助のモットーは、人生平凡に生き、そしてほどよい幸せを過ごして何事もなく終えるのが良いというものだった。確かに江戸時代のさほど変化の無い時代、重職にはあってもそのような人生を生き死にまっとうした人間が殆どだったろう。内蔵助はつまりその時代のさほど他と変わったところのない、女好き、遊び好き、酒好きのごく普通の人間だったと作者は説く。若いころには身近な女に恋情も抱き、出奔したこともあったけれど、その経歴に傷つくこともなく約束通りに藩の重職につく。ま、こんな時代ではあった。

しかし、そんな平凡な人間の前に、個人ではどうしようもない波瀾が待ち受けていた。藩主浅野内匠頭の刃傷事件に続く藩の取り潰し。その非情な時局、難題を、彼は火事場の馬鹿力のたとえそのもののように見事な能力を発揮して処理し乗り越えていく。時に内蔵助不惑の44歳。

これはやはり作者一流の人間賛歌なのだろう。日本人の心に生きるひとつの著名な英雄の姿を一人の身近な人間として捉え、そして分かりやすい、温かい人間的英雄として再び創り上げた。幼少の頃から身近にいて遊びも教わった、町人に憧れる数奇者の友人服部小平次の存在、波乱に富んだ二人のまじわり、その旧友の不祥事に手心を加えることなく処断した管理者内蔵助の見事な判断が結局は彼を救い、当人に感謝すらさせてしまう。よくも悪くも内蔵助の人間をほり深く描き、小説とはいえご都合主義に見せず皆に納得させる作者の手腕はさすがである。

もうひとつのこの作品のすぐれて新しいところは、不明とされる内匠頭の刃傷事件の動機解釈として、お犬公方として悪名高かった綱吉の治世に強い不満と危機感を持っていた藩主の正義感の極端な発露がこれを突発させたというものである。確かにそういうことはあったのかもしれない、と思う。江戸時代の地方分権政治では士分をいわばエリート意識でうまくおだてることで動機意識を高め、公的権力の質を想像以上に良くしていた。地方府の良心的な首長が彼らの手本とするべき江戸の中央政治の堕落ぶりを感じて、表立った批判はしないまでも、大いに不満を持つこともあったに違いない。仕事が出来て正義感が強かった内匠頭がそんな気分で、堕落した将軍家の象徴のような高家吉良の傲慢さを見、なおそんなちんけな上司から言い知れぬ侮辱を受ければ逆上しないほうがおかしいとすら思える。

そういった主君の不発に終わった正義感と世直しの大義を受けて結束した義士たちの爽やかさが当時の江戸市民の共感と喝采を受け、今に至る長い人気と支持のもとになったのだとすれば、この「梅雀の忠臣蔵」は従来の「仮名手本」や「赤穂浪士」以上のスケールで歴史的にも珍しい美談戯曲として日本人の誇りになったといえる。

前進座創立75周年記念公演として演じられたこの忠臣蔵は適役中村梅雀氏以下劇団のかたがたの熱演を得て、日本の代表的なこの古典戯曲の中でもすぐれて決定版になった。




(177)核兵器と「核論議

 

北朝鮮が核実験をしたあと、自民党のタカ派中川政調会長麻生外相が「核論議」をおっぱじめ、当然タブーを犯した二人の責任は激しく追及されるべきだったが、ななんっとこれを総理が追認してしまった!
何を考えているんだ、安倍さん、あなた日本の総理大臣でしょう。しっかりしてくれよ。

読売新聞が例によってちょうちん持ち社説でこれを追従賛美した(11/8)。
これはどうでもよい、想定内だ、というわけにもいかない。

事態は深刻だ。

某サイトでこのことについてアンケートをとっている(11/9/10)けれど、「核論議を是認する」人間が圧倒的に多いのだ。
結局、悪玉キム・ジョンイルの下手な挑発にまんま乗せられ、あたふた慌てちまった小物政治家のばた狂いがこんな見苦しい日本を増幅してしまった。

核アレルギー」といった、この良性の神経症が日本人一般から失われようとしているのだ。

この言葉がいずれ日本のという町とという町の過去の風土病として終息してしまう日も近いのではないかとすら危惧してしまう。

日本が営々と平和に努力してきた、その貴重なたくわえが今、一挙に失われようとしている。

ま、日本人とは所詮この程度の倫理観しか持たない民族なんだろうけど、

佐藤栄作元日本総理大臣が貰ったノーベル平和賞は、あれは単なるフロックだったんだな、と北欧人はじめ世界は哂っているだろう。

体裁の悪いことだ。情けないことだ。困ったことだ。

愚痴っていても始まらない。私はせめてもの鬱憤ばらしにと上記の某サイトのアンケートに書き込んだ。


核論議おおいにやっていいと思いますか?


思わない:核の議論はするべきではない

日本は平和国家であり、国是として核兵器を持たないことになっている。これは議論するという段階ではないと思う。現実として日本は核兵器を持っていないのだから、「議論する」ということは「これから持つべきか、どうか?」ということに、当然なるわけで、なぜいまさらそんなことを議論する必要があるのか、これを議論するということは、当然キム・ジョンイルの国の核武装を是認する、是認しないまでも、認めるということになるわけだ。こんなことを国政レベルではじめてどんなメリットがあるのか?日本は毅然として5大国と追随国の核兵器すべてを廃棄させる運動の先頭に立たねばならないし、それが出来る国なのだ。あべ総理らは何を考えているのか、わけがわからない。
こまあす(本物) | 男性 | 50 | 福岡県 | 2006/11/09 19:08



日本は自由の国だ。だから、どんなテーマであれ大いに議論してよろしい。

しかし、どんなことにも例外はある。

「殺人の是非」を議論しよう、というのは馬鹿げている。

もっとも、「殺人がなぜ禁止されているのか、答えを求めて議論しよう」というのなら、これはひょっとして価値のある時間になるかもしれない。

「侵略戦争はいいことか、悪いことか」議論するのも時間の無駄だ。

「あらゆる戦争を世界からなくすには?」というテーマで議論を始めるのも私は悪くないと思うが。


ドイツだったか、ナチズムを肯定するあらゆる行為を犯罪として取り締まる法律を作ったと聞いた。

うろ覚えだから間違っているかもしれない。

しかし、ドイツならやりかねないだろう。

かの国では些細なことでもしっかりと立法化し、しかもそれを見事なほど皆で盛り上げ、守る。

はやい話、公園の芝生に立ち入るなと立て札をたて、それを子供から大人まで、犬猫までもきっちり守っていると聞いた。

つんつるてんの芝生、犬の糞だらけの公園ばかりの日本では考えられない奇蹟だ。

それら私の個人的な体質にはよく合っているのだけれど、どんな規則でも破るためにあるのだとうそぶく多くの日本人には、法律やら憲

法はあってなきがごときものなのかもしれない。

けれど、やっぱり、屁のツッパリとしてこんな法律を作って公布してみたい気分がある。

核の議論をしたら懲役1年に処す。」

もっとも、これは高級公務員のみに適用する法律である。



(176)古墳

 

北九州地方には古墳や遺跡がやたら多い。

昔から、前史時代から多くの人間の生活と進んだ社会が存在したのだろう。松本清張も若いころ北九州地方の史跡を好んで訪れたというし、そんな経験が後世の松本史観を形作ったのは確かだろう。
私もひとなみにそんなものを見て回るのは嫌いではない。好奇心もあるのだけれど、そういうわりにはさほど見ていない。もっとも、特に有名なものはひととおりまわったと思う。王塚古墳 桂川町、 竹原古墳 若宮町、この二つは装飾古墳、彩色古墳としてことに有名だ。そのほかにも古月の横穴古墳飯塚市の立石遺跡にも行ったし、頴田町の鹿毛馬神籠石遺跡も2度ばかり覗いた記憶がある。他にも久留米やら浮羽の前方後円古墳遺跡へ行ったのはいつのことだったか。

しかし、それらは、ちょっと私の生活範囲からは外れていて、もっと近くにも結構立派な遺跡が沢山あるのだということを最近まで知らなかったのはうかつだった。
先日の日曜日(10/29)、新聞で古墳公開日ということを知って、近くの遺跡を昼飯前に車で回ってみようと思い立った。手始めは直方市の水町遺跡公園。ここは自宅から歩いても十五分もあればいける場所で、一度覗いたことがあるけれど、今回はテントが張られ、市の教育委員会、学芸員、ボランテァも含めて十人ほどが出迎えてくれ、つきっきりの解説もあって恐縮した。遺跡自体の詳しいことは
そのサ

イトを見ていただければ結構である。

ここは「水町遺跡群」といい、小山の横に横穴が沢山掘られ、墓として使用されていたらしい。その数70基を越える。入ってみたが、緊急の生活をするくらいの広さ、深さがあるものもあった。つまり、墓として使用されるまでに、住居になっていた時期もあったのではないだろうか。もちろん変な妄想は正統的な研究には余計なものだ。普通に考えれば、これらの横穴群は、古代の人類の家族代々の墳墓一村分が集合した墓地だったのだろう。家族の誰かが死ぬと、遺体をここへ運び、閉塞石を除けて中へ押し込み、また蓋をしたのだ。そんな風習が続いたのは1300年前までの1世紀とちょっとらしい。そんな風習が途絶えたのは、習慣が変わったというより、一族が死に絶えたからだと思える(埋葬の習慣はそんなころころ変わるものではないだろう)。

次に向かったのはわが職場から五百メートルと離れていない福智町「伊方古墳」。ここはどちらかというと現代人の生活の場のただ中にある。町というより住宅地で、そばには小学校もある。円墳といわれる形態で、奥行き12メートル、高さ3メートルもの内部を持つ石室を有している。巨大な切り石を多数組んだ横型複室構造なのだ。その石室を土で覆って推定30メートル以上の大きいものだったらしい。その周囲には更に多くの小さな墓の遺構があって、今は埋め戻されている。やはり1700年前から1300年前の時代につくられたものとされている。この地の有力者の墓だったとされている。
私は7年前に奈良県明日香村の有名な石舞台古墳に入って見た記憶を思い出した。この伊方古墳の石室はそのおおきさとも余り遜色ないものだ。あれは覆われていた土が流されて石室が露出しているからひどく大きく見え、目だった存在なのだけれど、ここだって土がなかったらもっと有名になっていたかもしれない。今は外から見ればただの地味な素掘りの防空壕と変わらないけれど。

腹も減った。最後に向かったのはそこから2キロほどの田川市夏吉古墳群で、田園地帯から少し辺鄙な山の中へ入っていく。田川市の職員さんが車で待機しておられたが、そうでもなければちょっと判らない、山の中だった。車を置いて藪の中へ分け入り、しばらく急斜面を登ると壕の入り口が見えた。夏吉1号古墳、そのあと21号古墳の二つが公開されてそれぞれ職員さんが近くで待機しておられ、説明を受けた。山の中で木々が茂って判りにくいが、円墳だという。やはり6世紀後半に出来たらしいとも。ありがたいことだった。



これら夏吉古墳群はこの2つを見るかぎり先刻の伊方古墳石室と同じような大きさ、形態だ。驚かされるのは、このような古墳がたかだか2キロ四方の近くに40基近く存在するということだ。これらがほぼ100年間のあいだに作られたものだという説明にいたっては、ほんまかいな、と思わせるものだ。その根拠としては墓内の出土品の種類、石組みの様式から推定されるらしい。
多分、先刻見た伊方古墳も本来はこのグループに属したのかもしれない。そんな可能性は高いと思う。しかし、伊方古墳は現在のように、以前も集落のただなかにあったということが考えられるけれど、この夏吉古墳群は現在ほとんど住居のない不便な山あいに集中している。豪族の墓だったら、皆に見せて目立つようにして力を誇示するためにも、もっと平地につくるのが自然だろう。巨大な花崗岩の切石を多数運ぶにしても、山の中は起伏が激しく,苦労したはずだ。

エジプトのピラミッドが単なる王墓ではなく、農閑期の労力をうまく利用した公共事業だったという説をどこかで読んだけれど、これらの沢山の墓築造も一種の公共事業だったのでは、と同行の学芸員氏が話していたのはここらあたりにヒントがあったのだろう。
しかし、それは、いかにして造られたかという謎のひとつの答えにはなっても、なぜ、こんなものが必要だったのかという、より根本の答えにはなっていない。単に壕内の遺物だけをみても、その壕そのものの正確な築造年代推定は出来ないはずなのだ、石そのものに聞かなければ。

ピラミッドほど大げさではないし、宇宙からの核攻撃に対処するシェルターとしては、かなりコストに見合った性能が期待できる建造物だと思うのだけれど、これもSFの読みすぎか?








(175)「詩人の恋」

観劇の団体に加入して定期的に芝居を観ることが習慣になってから、それまでほぼ習慣的になっていたコンサートに行くことが少なくなった、というより、ほぼ皆無になってしまった。

これは単に「習慣」が変わったということのほかに、そして、ある程度見当がつくかもしれないが、限定された小遣いの問題、そして余暇時間の問題、またわが書斎でのリスニング設備がここ数年ぐっと充実してコンサートに行く必要?が低減されたということもこの理由にあげられるかもしれない。

もちろん、これはそれらの理由だけでは説明のつかないことである。私はたとえ当面の金がなくても行きたいところ、見たいもの、欲しいものは何が何でも達成せねば気がすまない悪い性癖があるわけ(人間のスケールに応じるごとく、家産を破るほどの無茶をしては来なかったけれど)で、それがここ数年、どんなコンサートのチラシや吊るしをみても心を動かされなくなった(ともかく何か見つけたという記憶がない。つまり見てもこころ惹かれない、留まらないということだろう)のは、ある意味、芝居見物というものがコンサートと同じ種類の欲求を満たしているからではないのかと思うようになった。

例えばよく映画見物にいく人間は、(音楽好きではあっても)コンサートなぞには滅多にいかないということがあるようで、そんな例を私は知っているけれど、観劇とコンサート、それに映画というのはかなり似通った経験だと思う。ちなみに私は映画へも余り行かない(コンサートよりは今も良く行くが、それでも年に2,3回というところだ)。

あまり間口を広げないでおこう。

加藤健一事務所の「詩人の恋」という二人芝居を観た。オフブロードウエーでヒットし、2003年に翻訳され、久世龍之介演出で上演されて日本でも数々の賞を獲得した評判の音楽劇だ。もっともこんな知識は後で知った。加藤健一氏も、共演の畠中洋氏も知らないまま劇の真ん中に飛び込んでしまったのだけれど、前から4列目という幸運な観劇条件もあって、久しぶりに感激してしまった。

ご存知シューマンの歌曲集「詩人の恋」を教材にして、あまり売れない中年声楽教師マシュガン(加藤)がもと天才ピアニストでアメリカ人の青年スチーブン(畠中)にレッスンをつける。スランプになってコンサートが出来ない今の状況をブレークするために、わざわざウイーンに来て高名な(別の)教授に(もっと意義のある他の)再教育を受けようと考えていたプライドの高い若いピアニストは、教授に指示されたこの「歌のレッスン」に最初まったく気乗りがせず、ことあるごとに教師に反発するが、やがてこのピアノが下手な、一見さえないけちな貧乏教師の人柄と見識に惹かれていき、教師のめざす音楽精神をつかむまでにいたる---

教師と生徒との幸せなドラマはつねに特別な感激を生む(例えば「奇蹟のひと」など)。そんなドラマが、現実として稀であり困難だということが常識としてあるからだろう。偉大な教師は(当然ながら)少ないということがあり、また、人間は本来プライドの動物で、素直に隷属することもまた簡単ではないという、厄介な現実もある。しかし、それらを克服してお互い調和することこそ人間関係、それに人間の未来へのあるべき姿なのだということが強く望まれていることは間違いない。マシュガンは人間としてはちんけで教師としても欠陥だらけだが、その教育哲学の偉大さに気がついた天才はやがて自ら蒙を啓き、教師自身も自信をつけて解雇されそうだった立場を強めていく。そんな過程がしっかりと、感激的にドラマ化され、ことにシューマンの歌曲やピアノの音楽が常に舞台にあって華麗に盛り上げ、実に楽しい作品になっていた。
この舞台の味付けとして、ちょうど実際にも話題になったオーストリアの大統領選挙と平行してこのドラマが進み、その候補者がかつてナチス党員だったということを取り上げたあとで、二人の主役の隠された出自(これも二人の心を結び付ける大きな要因になった)が明らかになるという筋書きがある。

私個人としてはここまで深刻で特殊なものを持ち出さずとも、充分ドラマは成り立ったのではないかと思ったのだけれど、どんなものだろうか。マシュガンの自殺癖が40年前(舞台は‘86年春の出来事という設定)の極限状態での経験によるという説明は充分過ぎるものだし、ウイーンの近代現代史も当然、劇にのしかかって当然だろうけれど、私にはちょっと(この舞台の重しとするにせよ)大きすぎる問題ではないかと思った。

それとも、現在の日本の右傾化にひっかけた作為のようなものもあるのかもしれない。


それにしても一流の役者というのは何ごとでもこなすものだと改めて感心する。加藤マシュガンも、天才スチーブン畠中も、それぞれ厳しい歌曲と音楽のレッスンを経てこの舞台に臨んだのは確かだろうし、それぞれ専門の歌手という設定ではないから、それなりの歌いぶりでもリアリスムとしては問題ないのだろうけれど、さすが違和感のない仕上がりだった。感動の何割かはそれに負っていたと思う。
役者は声が生命だということはよく言われるし、歌手は声量とともにやはり声の質、そしてテクニック(巧拙)が要求されることは当然だけれど、前者2つは役者の領分でもあり、ともかくクリヤーできても、テクニックだけはどれほど練習しても超えられないものがあると思う。いわば天分に左右されることが多いのだろうけれど、ドイツ・リードをわがものにして見事なものだった。最初の話しではないけれど、つまり、今度の舞台、芝居と、音楽のステージをひとつの鑑賞会で満足できて、随分得した気分になったわけだ。




(174)消費欲と金銭欲

 

元ライブドア(創業)社長の公判がはじまっている。一時はマスコミの寵児になり、殆ど英雄的な扱いを受けていたこの一代の話題のひとは、一転詐欺師のような見方をされて司直の手に落ちたわけだけれど、いまだにこの一連の出来事がしっくり理解できない、法を恣意的に用いた検察側(あるいは政治的な力)のもぐらたたきにあったのでは?などという見かたをする面は多いようで、ま、彼がぎりぎりで法を踏み越えてしまったという判断を公的な立場のものがしたのなら、それは(なぜ彼だけが=もっとも後から村上ファンドも加えられたけれど、という疑問は残るにせよ)認めねばならないだろうけれど、でも、本人に悪意がなかったのなら(単なる過失のようなものだろうから)、ここまでしないでも良かったのではないか、といった思いのひとは少なくないようだ。いや、こう書いたところで、私自身彼に同情心をもっているわけではないのだけれど。
彼らの気分はこうだろう。一時的にせよ彼が世間に流した夢のようなもの、誰でも、能力次第で無一文から出発して億万長者になれる可能性を持っているという、それを具現した数少ない若者の一人が彼だったし、その心情的な社会への影響力(元社長としてはまったく影響力をなくしたことではあっても)はまだはなかなか覚め得ない麻薬のようになお影響力を失っていないという---。これは、かのオーム真理教の蔓延にも劣らぬやばい傾向かもしれないと思うわけだが、どんなものだろう。

誰でもが億万長者になれるというわけはないだろう。彼のようにごく短時間で非常に効率的に巨大な資産形成をなした裏には、(例え合法的なものではあっても)巧妙な株取引きの成功があったことは間違いないし、それは彼の個人的な頭脳の力によるものではあっても、それ以上につきも働いただろうし、ある意味多くの一般トレーダーの貢献と犠牲の上に築かれたひとり勝ち的な成功だったことは確かだ。

株取引きのしくみを隅から隅まで知っているわけではないけれど、株券というものは本来個人では不可能な資金を必要とする事業を起こすための仕組みの一環として考えられた信用取引きのための金券のようなものだと私は理解している。それを一方で勝手に売買し始めていまのような市場を作ったのは必然的ななりゆきの末なのか、またはどんな悪知恵だろうか。
今では株売買を主な資金源とする投資信託のような資産運用サービスは一般的になっているし、会社そのものを株を通じて売り買いする商売もビッグビジネスとして成立しているらしい。
世界的に各国の通貨を売買する巨大な市場すらひとにぎりの巨大民間資産家の更なる肥大に利用されている現代の経済世界は、病んでいるとしかいえないし、その行き着くさきが弱肉強食の単純なネオ原始社会だというのは、いかにしても避けねばならないと思うのだけれど、それらを抑制したり、禁止したり出来る理念は、果たしてあるのだろうか。それとも暴力同様ゆきつくところまでいかなければ終わらない破滅的自動機械のような性格のものなのだろうか。
ちょっと古くなった2/19 読売新聞)けれど、劇作家の山崎正和氏が首記の題でこの問題に触れているので、ダイジェストとして紹介したい。

昔の日本では「金は汚い」という倫理観が一般だった、と氏は言う。しかし、それは過去の時代が貧しく、金を日常として扱い、ものに交換する消費を楽しむことが出来ず、質素倹約以外の生活を選ぶことが出来なかったためであり、「欲望の全体を否定する思想が社会を覆う中で、その象徴としての金を卑しみ、額に汗する勤勉が尊ばれ、(楽をして金を直接増やす行為である)投機を忌避する精神が養われた」のだと説く。

時代はかわり、日本は豊かになって、欲望を否定する思想にはその根拠がなくなった。逆に消費は経済を助け、文化を育む手段として重要な役割を認められるようになった。同時に労働の質も変わって、単なる手先の勤勉よりも知的な創造性が尊重されることになった。こうして倫理の基盤が大きく移る中で、いわばそれらに便乗する形で拝金主義と投機礼賛も市民権を得た。
しかし、世間は今も消費の欲望と金銭欲は違うと感じ、発明やデザインの知的労働と投機の知恵とは別だと感じている。ファッションや外食を楽しみながらも、「金がすべてだ」といわれれば不快を覚える良識を残している。

これは一面では矛盾した考えだけれど、消え去りそうになっているこの昔の倫理観は、金万能、とかく行き過ぎが指摘される消費社会の現代の病弊を抑えるためには不可欠な良識だといえる。ここで山崎氏が力技で構築しようとした論理は次のようなものである。

消費欲はかならず「もの」が介在し、そのことが消費者に様々な制約を与える。例えば生理的な欲望は過度に満たすと苦痛を招くし、所有欲の充分な満足には他人の賞賛が不可欠になる。この事実が消費の自制を生み、金で量る尺度とは異なる価値観である様々な文化を生んできた。

これに対して、金銭そのものの所有は単に力の象徴に過ぎない。拝金主義者にとって他人は潜在的な敵にほかならず、社会はゼロサムゲームの戦場に見える(大金持ちが社会福祉事業などに精を出すのは、この社会的反感を和らげるための不可欠な行為なのだろう)。

また、通常の知的生産の活動が常に顧客を相手にすることで生身の人間が感じ、考える複雑な「使用価値」にかかわってくるのに対して、投機の活動は顔のない市場が相手であり、永久に顔を見ることもない他の投機家を仮想敵として行う活動であり、人間的感情の通う余地はない。
同じ経済活動とはいえ、次元が低いことは認めねばならないだろう。

現代の社会では個人が自由になり、既成の社会的な紐帯が緩んだために市民は自発的に共同体を作り出さねばならなくなった。また現代産業はかつてなく個人の創造性を必要とし、人々は多様な知的、文化的な価値に好奇心を抱くことが求められている。その中で何ものも生まない金銭ゲームに没頭し、精神のエネルギーを浪費することは許されなくなったといえる。
現代は起業家精神の時代でもある。人々は真の冒険心とたゆみない忍耐心が期待されている。仕事を愛し、その意義に確信を持ち続ける能力がいつになく重要とされる。投資家もまた起業家であるなら、特定な仕事に共感し、意気に感じて冒険する心を持たねばならないけれど、市場の動きに付和雷同し、目先の利益を追う投機家の性癖は反時代的であり、現代にもたらす害は大きいのである。


以上の論理によって、山崎氏は投機熱のブームを諌め、成功した投機家が礼賛される社会からの脱却を勧めている。投機は資本主義社会経済に欠くことは出来ないという学者の主張もあるらしい。しかし、賭博者とギャンブル場が自由主義社会には必然だということのシノニムとしてこれを理解させる(不可欠と必然とはそもそも違うけれど)のは行き過ぎとしても、一度なり手痛い経験で思い知らせる他に、一般トレーダーの熱を、山崎氏の晦渋ともいえる論理がどれほど効果的に冷ませることが出来るかどうか、いささか弱い気もするのだが。




(173)哀しみのベラドンナ

 

いかにも唐突にこの1973年のアニメ作品をここに持ち出すのは、私がこの作品を最近まで知らなかったということ、そしてつい最近出会って、夢中になっているという事に尽きるのだけれど、ま、それほどにこの虫プロ最後の作品が凄い出来だということでもないのかもしれない、という幾分卑怯な伏線は張っておくことにする。

私は最初これを「評論のページ」にまとめたいと思ったのだけれど、それにはこのアニメの原作となっているミシュレ(ジュール・ミシュレ150年程前に生きた有名なフランスの思想家、歴史家だ)の「魔女」という小説をあわせて読まねばならないと思っているし、あいにく近郊の大書店にも、わが町の図書館などにもこの本がなく、当面(私の今の感興が続く間には)間に合いそうもない。だから、とりあえず、このアニメ作品から受けた印象だけをここでまとめておこうと思ったわけだ。
ミシュレの「魔女」は、その存在だけは知っていた。「世界の奇書101冊」という自由国民社が‘78に出した本の中の「悪魔学」という章の中に数行で紹介されてある。なぜそんなことを覚えていたかというと、私は必要があって「魔女」というものをかなり渉猟した時期があり、そんなことから印象に留めていたらしい。もっとも、その著書自体を読むまでには至らなかった。ただ、その数行の紹介から内容はある程度わかっている。

こんなことを最初に書かねばならないのは、私には「哀しみのベラドンナ」という作品がすっかり理解できていないからで、この原作を読むことでそれが解かれるかもしれないという期待があるからだ。そんなところを含めて、あくまで軽い印象評論という形で、この作品感想をここでまとめておきたい。
フランスの中世、小さな国の片田舎で起きた、美男美女の短くも波瀾に満ちた恋とその結末の悲しくも惨めな物語である。

ジャンとジャンヌという若者同士の恋愛が実り、二人は結婚する。しかし、ジャンは貧乏で、その土地を統治する領主への結婚に伴う税を充分払うことが出来なかった。それを口実に、領主は花嫁の処女を奪い、更にその家来共にも彼女の身体を存分にすることを許す。心身ぼろぼろになって花婿の家へ帰ってきたジャンヌを、ジャンは心から受け入れることが出来なかった。新婚早々からつまずいた二人の心の隙に分け入った「悪魔の種子」は深く傷ついたジャンヌの心を癒し、なごませ、また彼女の手仕事を価値あるものにして、夫婦を富ませていく。領主へ払う税も充分だったことから、ジャンは収税人に取り立てられる。領主は戦争を計画し、更に税の取立ては厳しくなり、その過酷な要求に応えきれないジャンは見せしめに左腕を切り落とされてしまう。ジャンヌの悩みの中へ更に分け入った悪魔は、彼女に金貸しを篭絡させる知恵を授ける。金貸しを味方につけたジャンヌは領主の戦争資金を一手に引き受け、更に成功を重ねて、酒浸りの夫を尻目に自身で町を牛耳るほどの金貸しになっていく。戦争が終わり、役目を終えたジャンヌは刺客に襲われて辱めを受け、急速に町人の信任を失い、更に憎しみすら被って、領主の追っ手に追われ、ジャンの裏切りもあって孤立する。村に居場所を失った彼女は森へ逃げ、裸のまま山間へ向かい、荒野へさまよい出る。そこで待ち受けていた悪魔は、圧倒的な力でジャンヌをわがものにし、正真正銘の魔女に仕立て上げる。

あたかもペストの脅威は領主の町にも及び、多くの人民が犠牲になっていったが、一方開き直って魔女となったジャンヌはその毒草の効果的な使い方で死に掛けていた村の男を生き返らせ、更に多くの奇蹟を起こして村人たちの賛仰を得る。領主の城の小姓も彼女のもとへ行って悪行の種を貰い、領主の奥方を寝取って殺される。それを魔女の挑戦と取った領主の怒り。
魔女ジャンヌを捕らえるために、もと夫のジャンが彼女のもとへ遣わされた。領主の魂胆を見抜いたジャンヌも、とうとう男の情愛に負け、領主の前にその姿を現す。死病の治療法の秘密の公開を条件に領主が示す格段の報酬も彼女は否定し、結局領主はジャンヌを魔女として生きながらの焚殺刑を言い渡すのだった。処刑場への行列の中でジャンヌが見せるもと夫への強く悲しい恋慕の表情も、自分の意に従わなかった彼女を赦せない情けない亭主ジャンには通じなかったけれど、十字架の上で彼女が燃え上がる頃になって、初めて彼自身に激しい哀しみと後悔の念が沸き起こり、領主への反抗を試みるが、それも空しく、その場で兵士どもの槍に突き殺されてしまう。


物語として、ヒロインの運命の起伏の激しさはひとつの必須の要素だろう。ジャンヌの運命はまことに激しい幸運と悲惨の波を繰り返す、この物語の強い特徴、魅力のひとつになっている。冒頭の幸福な結婚を暗転させ、美しくも清純だった彼女の前に終始たちはだかる世俗権力(悪の権化、領主の骸骨めく死神的運命神の容貌は秀逸だ)による血みどろの激しい破瓜と陵辱を見せ付ける陰惨なシーンはまことに刺激的で直接的だ。深井国の力量がなしえたぎりぎりのエロチックな画像だろう。ジャンヌの強さ、美しさに比べて、彼女が選んだ夫ジャンが情けないほどの小者であることか。それも終始ジャンヌの不幸を際立たせ、ヒロインとして輝かせる要素にはなっているのだろう。

しかし、以後繰り返し彼女の悲惨と栄光に絡んでくる「悪魔」という概念がいまひとつ私には理解できないものだった(おそらく、世俗権力である領主の力、教会の神の権威などに対置するもうひとつの力、人間にいきものとして本来備わった自由な力-それは領主の権力をもってしても無視することの出来ないひとの心の矜持、ジャンヌの美しさ、性的な魅力、というほどのものだろうか?)。仲代達矢演じる悪魔(最初はごく小さい炎の断片、それが彼女の指の輪に入るほどのちっぽけな男根、章が変わるとすでに一人前の男の大きさになって悩む彼女にのしかかってくる。素裸に堕ちて荒野へ逃げのびた彼女を完膚なきまでに打ちのめすべく襲い掛かる「悪魔」はもう人間ではない、巨大なオベリスクのような圧倒的な男根の姿と力で彼女を覆い、貫いて翻弄しつくす。そのすさまじい生々しさに連なってくるくどいほどのポップ調の連綿たるおあそび画像群は何を象徴しているのだろうか。私にはそれ以外の、例えば魔女とそのサバトの狂乱場面に流れる肉欲紐帯絵図の優美さ、ペストの脅威を示す一連の絵図群の見事さなどに比べて、どうもその唐突さ、非論理性が気になったことだった。

深井国の総合的な画力と物語にそった魅力ある美女の見事な形態と表情は終始見飽きることなく、このユニークな静止画による動画、洋風帯絵物語を成功させた最大の要素だったといって間違いない。性に翻弄され、世間から疎んじられ、迫害されながらも強く魅惑的に生き、壮烈に死んだジャンヌは、やはりミシュレの歴史著作にもあるフランス最大のヒロイン、ジャンヌ・ダルクのもじりではないかと思ったりするのである。


(172)菜の花らぷそでぃ

 

食糧、ひいては農業の問題は、国の根幹であり、エネルギー問題にも匹敵する、いや、もっと重要なことかもしれない。日本の食糧自給はほぼ40パーセントで、これは先進国の中では最低に近いという。日本が戦後工業立国を方針にして、貿易を盛んにし、良質の工業製品を沢山輸出する見返りに、外国、特にアメリカなどから沢山農産品を買うことになった結果こういうことになったというのが単純化された図式なのだろう。もちろん、日本人の食生活の変化、特に、米を食べなくなったということも大きいのだろうけれど、この二つはお互いに関係がある、というよりもアメリカの属国化の結果という、根本原因よりも上記の2次的な帰結であり、この傾向はこれからもっとひどくなるだろう。近隣のアジア諸国との間にもこの農業品の自由化問題は発生しており、必然的に日本農業の衰退はさらに進んで、このままでは野菜やら魚なども輸入品に頼らねばならなくなって来つつあるのが現状なのだ。

上記のような状況に危機感をつのらせている、山下惣一という現職の農業人で著述家の「身土不二の探求」という本を原作にして作られた青年劇場の芝居が「菜の花らぷそでぃ」である。
「身土不二」という言葉は、私にはここで初めて耳にする言葉だった。もちろん氏の造語ではなく、中国古典、いや、仏教経典に由来する先人の知恵が詰まった言葉なのであるらしい。唐津の中堅農家である舞台の主人公稲葉鉄人(青木力弥)はこの言葉に興味を持ち、近所に最近越してきた元医者でリタイア後を趣味の農業で愉しもうかという大河内平九郎(後藤陽吉)などにも調査を依頼して、農業家としての自分の行動理論の論拠をこの言葉の中に見つけようとしている。これは作者そのものだろう。「身土不二」、つまりからだと土とは同源で切り離すことの出来ないものであるという哲学を指すらしい。専業農家を厳しい父から受け継いだ鉄人は、日本農業の衰退に危機感を持ち、その再生を志して若い頃から様々な試行錯誤を重ねているが、この考え方をよりどころにして、地域の住民は地域の産品を消費し、農家もそれによって安定した経営ができるようになるという自説を敷衍していこうとしているのだけど、なかなかうまくいかない。

鉄人の長男大地(清原達之)は大学の講師などをして優秀なのだが、家の農業を継ぐ気はないようで、農業を観光化して村を活性化しようという。起こした会社で無農薬野菜を売りにして都会のスーパーなどと取引を始める企画は成功し、年商一億と元気がいいけれど、立場思想の異なる父親の支持はない。お互いいがみあって始終喧嘩している。劇は鉄人の弟真人の会社が倒産して兄の田畑、家までも危ないか、といった事件が勃発し、大地が以前留学していたアメリカから押しかけてきた金髪美人キャサリン(アンシア・フェイン 客演)、それに鉄人の失敗して荒れたみかん山などの土地をひそかに物色しているらしいブローカまであらわれての混戦模様に加え大地の会社も深刻なトラブルが---

なるほど、なるほど、日ごろから関心薄くはない私にも様々な新しい情報満載てんこもりの問題提起と、深刻な社会ドラマではあってもあくまで明るく前向きに、ユーモアもあり情緒てんめんたる歌のかけあい場面も挿入されて盛り上がったりする。最後の親父と息子の和解、
40年間農家で忘れられていた菜の花(なたね)栽培を、CO2削減の意味もこめてエンジンオイル用に作付けをはじめようという前向きのメッセージをこめたエンディングなどまことに楽しい3時間だった。
青年劇場というのは私にははじめての劇団だったけれど、やはり皆芝居が生きがいの清新なグループなのだという感がしきりだった。民芸などとはまた異なった社会派なのだ。



危機に瀕した地方農業が、産地直販をうたい文句に昨今は道の駅とかアグリ朝市とかいうこぎれいな売店を中心になかなか好評な商売をするようになっている。安くて新鮮だったら誰でも争って買いに行くだろう。これはごく自然な流れのように思う。無農薬野菜だって昔はみなそうだったのだ。少々高くても、それが安全なら私だって買う。「身土不二」は知らなかったけれど、四里四方の作物を食べれば病はないとかいうことは聞いたことはある。同じような意味を持つ言葉だろう。工業製品ならまだしも、さほど味の変わらないねぎやらキャベツなどを数百キロ離れた外地から空輸で求めて食するなどという不自然なことは、貨幣価値が均衡化するにつれていずれ自然にすたれるだろうとは思うのだが、それまで日本農業が我慢できるかどうかというところがポイントなのだ。




171)「勝手にしやがれ」

映画でなくても、そのシュンで鑑賞しなければ、結局そのよさが分からないまま終わってしまうということは当然ある現象なのだろう。社会にトレンドがあり,その波の集積である情報群を念頭において最新の作品を見る。当然その時点の最先端の発想で作られた作品は当時の観衆を驚かせるし、評価もおおかたはその時点で高止まりし、定まる。

古典というものは、その時点で定まった(高い)評価がその後もずっと持続して、長い間に定着し、他の規範となるような作品と定義されるのだろうけれど、首記したように、その時のトレンドに乗せられて高い評価を得たにもかかわらず、その後ばったりと見られなくなる、忘れられるという作品は随分多いのではないだろうか。ことに映画においてそんな傾向は顕著なように思う。映画に同情するなら、音楽における古典作品などに比べて、その歴史はまだ短いし、なによりも年々生み出される新しい作品は数多いし、最先端の技術、新しい手法は限りなく生み出されてきた。今後もその傾向は変わらないだろう。昔の作品が年々古くなり、鑑賞に値しなくなるのも理解できる。レンタルのヴィデオショップは、以前の高名だった映画をすべて網羅しているわけではない。観ようとしてなかなか見つけられないというのもこういった理由があるのではないだろうか。

 

しかし、映画にも古典的な作品は生まれていて不思議ではないし、現実にも、少ないながら残ってきたように思う。私は映画全般を論じられるほどには沢山観て来なかったし、論じる積りもないのだけれど、今回首記の映画をたまたまヴィデオショップで見つけて、楽しく見ることが出来たことから、そんな常識的な感想を思い浮かべたわけだ。

J・L・ゴダールの初期の作でヌーベルバーグの代表的な作品とされたこの高名な映画を、私は余り口に出来ないような卑小な動機から観ることになったわけだけれど、大変面白く鑑賞することができたのは意外だった。

'59公開のこの映画は、当時非常な好評を得たことを私もよく覚えている。日本の多くの映画人(大島渚など)に強い影響を与えた前衛的で偉大な作品、ゴダールのその後の活躍、そういう先入観が私にもあった。しかし私は当時も、その後もこの映画を観る機会はなかった。その余りにも評判のよさは、天邪鬼の私などには却って猜疑感を呼ぶものだし、期待して裏切られた時のショックを思えば、近寄らないにこしたことはない、何よりもこの映画はトレンド的な、一種の流行で評価されたことがおおきかったのではという気分もおおいにあった。何しろそんな時点からもう40年以上経っている。期待するほうがおかしいではないか。

月に一回、私は自分の冗談めいたブログに映画のことを書いている。そのテーマはHP(ホット・パンツ)。ネタが乏しいので、ヴィデオ・ショップなどで苦しむことが多い。そのネタとしてこのヌーベルバーグ作品を思いついたのはほかでもない、四十数年前に洋画封切館で目撃した美女の魅力的なポスターの記憶だった。ネットで調べることもしなかった。ただその場で場当たり的に思いついて借り出したのだった。ジャケットも見たけれど、心当たりの映像はなかった。ただ、あのときのボーイッシュなショートカットの美女が「J・セバーグ」だったということは間違いないようだった。半信半疑のまま持ち帰って観た。その方の成果はさほどではなかったけれど、映画自体、意外な面白さだったということだ。

なにしろめちゃくちゃな設定、反社会的で何の思想も持たない元航空会社スチュワードのちんぴら青年(ジャン・ポール・ベルモンド)が凶悪で卑しい犯罪を重ねつつ、ゆきずりの愛らしいアメリカ人美女ジーン・セバーグ)をものにしようとせっせと誘惑し続ける。結局犯罪が露呈して警察に追われ、女を伴って道行を成功させる直前に、当然ながら女の裏切りにあって逮捕直前、警察の銃撃で死ぬ。

裏話として私が知っている、これも有名な話だろうけれど、ゴダールがまだ無名のころで、制作費も少なく、手法としては半ドキュメンタリーのようなルポ的カメラワークもさりながら、F・トリュホーの台本というのもアイデア程度、ほとんどその場の即興のようなものだったという。男と女の延々としたラヴ・シーンもすえまわしのようであり、さほどのびっくりするような奇抜なショットもない。

しかし、それでいてまったく安心して全編を見ていられた。何の破綻もなくこの単純とはいえない異様なドラマが淡々と流れ、その中へ観客が引き込まれていくのはその編集術の巧みさなのだろうし、何よりも監督のカメラワーク、役者たちの技量、息の合った作品作りがうまくかみ合ったということなのだろう。

当時としては最高にエロチックな映画だったのだろう。冒頭、フランス版ポンチ絵の美脚女性で度肝を抜く、大胆なイントロだ。J・セバーグのくだけたショートパンツから見せる太腿も悪くないし、シーツの中で主役2人が戯れるベッドシーンも当時は限度一杯のものだったのに違いない。それにしても冷酷無残な犯罪者であるベルモンドがベッドでなかなか意に添わない女を恨めしげに見やる表情の愛らしいこと。

全編に見られる気の利いた会話も楽しかった。もちろん、これは即興ではないのだろう。


男が必ずしも信頼のおけない、軽薄な人間であることを知りつつも、米国からパリに留学中でバイトに精を出しながら小説も書いているインテリの女がどうしようもなく惹かれていく。男と女の通俗的で宿命のような関係をさりげないタッチで描いて間然ない。この映画はやっぱり古典としてレンタルショップの隅に残っていくだろう。

 蛇足として。私が中学生のころ魅せられた記憶のある、セバーグが男物のシャッポを被り、どこかパリの街頭で椅子に座ってきりっと遠くを凝視したショートパンツ姿の映像を、私はそのシチュエーションもろとも映画のシーンで見つけることは出来なかった。
これはよくあることだけれど、ドラマには無関係な、客寄せのためのスチール写真だったのだろう。これをアップする直前にも、万能のネットでこの映像をさがしまくったのだけれど、無駄骨だった。
セバーグのファンサイトは少ない。彼女が若くして不幸な死を遂げたことと、この情報の少なさとは関係がなくもないのだろう。



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