その時あっくんが動いた 〜サンライズ出雲号の旅〜


ご機嫌如何ですか、KAZです。え〜、今日の「その時あっくんが動いた」は、〜サンライズ出雲号の旅〜と題しまして、あっくんが西下した時の軌跡をたどりたいと思います。今回の「その時」は、あっくんが神話の里、出雲に降り立った平成15年4月27日AM10:04と定めました。それまでには様々な苦悩や決断があったと言われています。果たして如何なる艱難辛苦があったのか?最新の資料や映像を基に、まずはその前日の4月26日から振り返ることにしましょう。

 

平成15年4月26日土曜日PM9:00、この日あっくんは東京駅にいました。これから東京を離れ、旅に出るためです。目的地は島根県出雲市、ヤマタノオロチ伝説で有名な神話の里です。東京から出雲に行くには、もちろん飛行機で行くのが最短です。しかしながら、飛行機と子供が大嫌いのあっくんは、羽田空港から出雲空港までの空路を利用することはできません。

次に早いのは新幹線を使うルート。東京から岡山まで新幹線で移動し、その後、伯備線を走る特急やくも号に乗り換えます。乗換えがうまくいけば、6時間ちょっとで到着します。が、日中にしか動けないことがネックとなりました。さらに6時間以上も電車の座席に座りっぱなしというのは非常に疲れます。出雲に到着した後は疲労がたまり、何もできないでしょう。つまり、このルートは移動に実質一日を費やしてしまうことになってしまいます。

あっくんは熟考します。もっと楽で、時間を効率的に使える移動手段は無いものか.....

そうだ、深夜に移動すればいい!寝ながら移動すれば、翌朝から動ける。そこで思いついたのが水曜どうでしょうで有名な、地獄の深夜バス(爆)でした。料金も飛行機や電車と比較して、格段に安い。早速ネットで調べてみると、渋谷から出雲までスサノオ号というバスが出ていました。料金は12.070円。これは安い!そうだ、スサノオ号に乗ろう!しかしながらスサノオ号には、致命的な欠陥があったのです。

全席禁煙!

そうです、深夜バスではタバコが吸えないという、息も詰まりそうな現実が横たわってました。ヘビースモーカーのあっくんは、どうやらスカちんでしか高速道路を走れなくなっているようです。

仕方がない、残された移動手段はブルートレイン。調べてみると、「寝台特急出雲号」と「サンライズ瀬戸・出雲号」の2種が走っていることが分かったのです。寝台特急出雲号はPM9:10に東京駅を出発、翌日のAM10.53に出雲市に到着します。これに対しサンライズ瀬戸・出雲号は、PM10:00に東京駅を出発、岡山で四国高松行きのサンライズ瀬戸号と、出雲市行きのサンライズ出雲号とに分割されます。サンライズ出雲号の出雲市到着時刻は翌日のAM10:04。

 

ここであっくんは、面白いことに気づきました。サンライズ出雲号は寝台特急出雲号より50分遅く東京駅を出発するのに、50分速く出雲市に到着するのです。同じ寝台特急なのに、どうしてサンライズ出雲号は、寝台特急出雲号を追い越すことができるのでしょう?

 

この西村京太郎ばりのミステリーを解く鍵は、2つの列車が通るルートにありました。寝台特急出雲号は、東海道本線を京都まで走り、その後、福知山経由で日本海側に入り、山陰本線へ抜けます。

これに対しサンライズ出雲号は、京都から大阪、姫路経由で山陽本線を走り、岡山で伯備線に入ります。2つの列車が合流する地点は米子。山陰本線を走った寝台特急出雲号が米子を出発する時刻はAM9:47。これに対し、伯備線から入るサンライズ出雲号の米子出発時刻はAM9:11。36分早く、サンライズ出雲号は米子を出発します。このことを知ったあっくんは、PM10:00東京駅発のサンライズ出雲号を選択したのです。出雲市に到着する「その時」まで、あと13時間。

ここで、本日のゲストをご紹介しましょう。赤影さんです。

 

「赤影さんは、あっくんとはどのようなご関係なのですか?」
「ほとんど他人です」
「......今回あっくんは、サンライズ出雲号に乗車することを選択したわけですが、この点についてはどのようにお考えでしょうか?」
「さあ、単に個室寝台に乗りたかっただけじゃないっすか」
「......そうでしたね、寝台特急出雲号は、二段式ベッドの周りをカーテンが覆っている通常のB寝台であるのに対し、サンライズ出雲号はカプセルホテルのような個室寝台でした。さすが赤影さん、鋭いところにお気づきで」
「てゆーかおめー、じ さ く じ え んだろ!」

......汗; さて、サンライズ出雲号を選択したあっくんは、いよいよ東京駅を出発します。

 
 
 

 

平成15年4月26日PM10:00、定刻どおりサンライズ出雲号は東京駅を出発します。夜の大都会を軽快に走るサンライズ出雲号、しかしながら出雲市到着までには、かなりの時間を要します。片時も油断するわけにはいきません。腹が減っては戦はできぬ、まずは腹ごしらえです。あっくんがこのとき食したのは、薩摩の地鶏弁当でした。

 

また、長時間の旅は喉が渇きます。水分補給もぬかりはありません。あっくんはあらかじめ、たくさんの飲料水を用意してました。兵糧攻めに対する準備は万全です。

 

右はあっくんのカメラが偶然捕らえた、大船駅を通過する時の映像です。着実に関東を離れるサンライズ出雲号。こうして熱海を越え富士に到着するころ、あっくんは眠りにつきました。出雲市に到着する10時間前のことです。

「ここで再び、解説の赤影さんです。赤影さん、食料に加え飲料水まで持ち込んでおくとは、用意周到ですねえ」
「サンライズ出雲号には売店が無いですからねえ。ジュースの自動販売機くらいしかなかったはず」
「それにしても、富士を過ぎたあたりで早くも眠りについてしまうとは、翌日への体力温存と考えてよいのでしょうか?」
「てゆーか、ただ単にメシ食って酒飲んで寝ただけじゃねえの?」

 

......大汗; さて、順調に東海道を西に走るサンライズ出雲号。いよいよ今日の「その時」がやってまいります。

あっくんが目覚める頃、サンライズ出雲号は岡山駅に到着します。時刻はAM6:27。ここで約5分ほど停車、高松行きのサンライズ瀬戸号との列車切り離し作業が行われます。

この後、単独走行となったサンライズ出雲号は、岡山から伯備線に入りました。備中(びっちゅう:山陽地方)と伯耆(ほうき:山陰地方)を結ぶため、伯備線と呼ばれています。この辺は、横溝正史の金田一耕助シリーズの舞台としても有名です(八つ墓村、悪魔の手毬歌等、岡山の旧家を舞台にした作品が多い)。

このようなミステリアスな土地ですから、一時も気を抜くわけにはいきません。どうやら「くノ一」が列車に紛れ込んだようです。あっくんはいち早く、くノ一の気配を肌で察知、素早く個室を出ました。緊張が走ります。忍び足で10号車のミニサロンまで近寄ります。果たしていました!思ったとおり岡山駅から、くノ一が忍び込んでいたのです。幸いくノ一は、まだこちらの気配に気づいていません。そーっと、くノ一の背後に回り込みます。

「すいません、サンドイッチとコーヒーを下さい」
「ありがとうございます、800円になります」

こうして、くノ一から食料を入手したあっくんは、再び個室に戻りました。サンドイッチを食い終わると、今までの緊張から開放されたせいか、再び眠りにつきました。

目覚める頃、サンライズ出雲号は米子駅に近づいていました。

これは車窓から見えた大山(だいせん)です。別名、伯耆富士(ほうきふじ)とも呼ばれます。ご覧のとおりの快晴、暑い一日になりそうです。あっくんは窓のブラインドを降ろしました。

サンライズ出雲号は、いよいよ山陰本線突入、予定通り寝台特急出雲号を追い抜きました。この後、松江を越え、宍道湖畔を走りながら予定通りに出雲市に到着します。

その時、平成15年4月27日午前10時4分、あっくんは神々の里、出雲に降り立ちます。天気は快晴、晴れ男にふさわしい旅の始まりでした。

 

「このように、非常に困難な旅を克服したあっくんですけど、赤影さんは如何お感じになりましたでしょうか?」
「車(スカちん)で移動するより、楽だったでしょうねえ」
「....さて赤影さん、今回のサンライズ出雲号の旅は、歴史をどう動かしたんでしょうか?」
「歴史も何も、単なる里帰りじゃないっすか」

 

「...... 大汗; この後あっくんは、どうしたのでしょうか?この後の軌跡を振り返りながら、お別れしたいと思います。本日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました」

 

出雲に到着したあっくんは、実家に荷物を置き、間髪入れず松江で行われた旧車イベントに参加します。そこで、

「あの〜、しゃ...写真撮っていいっすか?」

と、カメラのシャッターを押しまくったそうですが、この時の模様は、また別の機会にお伝えしましょう。
十数年ぶりに乗った寝台列車、サンライズ出雲号の旅を終えたあっくんは、次のような句を詠んだと言い伝えられています。

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