境港に到着。31話で大量の松葉ガニが収穫されてた場所。
「いや、あんたは電気屋だ。うちの壊れたテレビをあっという間に直してくれたんだからなあ」
殺陣師、三島一夫先生の声が聞こえる(笑)。 |
ところで、キカイダー山陰ロケの撮影時期は、いつ頃だったのでしょう?
「ビジュアル全集 人造人間キカイダー」という本に、そのヒントがあります。
以上を踏まえて、考えてみましょう。31話が放送されたのが1973年2月10日。ヒントその1から、1972年12月にされた可能性が高い。ヒントその2から、1973年1月に撮影された可能性もありますが、それは絶対に無い!
断言できます。理由は出雲大社。大社は正月三が日はもちろん、1月いっぱい初詣客で賑わいます。従って、あのような閑散とした出雲大社は、1972年に撮影されたことを物語ってます。
それではやはり、撮影されたのは1972年12月?
もしそうなら、スタッフは山陰を舐めてたことになります。積雪の可能性を考えなかったのでしょうか?
以上から、11月に撮影された可能性が出てきます。
決定的なヒントを見つけました。ハンペンが皆生グランドホテルに到着、ロビーを歩いてるところをよ〜くご覧ください。大山の紅葉らしきポスターが映ってます。12月に紅葉のポスターが貼られることはあり得ない。しかしながら、美保関の山には紅葉がほとんど映って無い。逆に、積雪跡が確認できます。
以上の状況証拠(^^)から、キカイダー山陰ロケが行われたのは、(祝祭日11月23日後の)1972年11月24日〜11月30日だったと考えます。
またまた脱線しますが、ここまで来たからには、水木しげるロードにも行ってみませう。
ここでラーメンを食う予定だった。 |
水木しげる記念館。水木しげるロードナンバー1の撮影スポット。オオクニヌシノミコトとスクナヒコナの銅像(^^)が迎えてくれる。 |
「すいません、シャッターお願いします」
一人旅の私が、一番声をかけやすいらしい(苦笑)。ここで、観光客の写真を何枚か撮影した。
水木しげるロードは、私にとって旅のおまけ。本線のキカイダーロケ地の旅に戻る。
タコヤマブキ戦が行われた場所。31話を見返してみてください。このアングルで境水道大橋が映ってます。 |
ジローがギルの笛の音に苦しめられた場所に立って、堺水道を撮影。 |
「苦しめ、苦しむがいいキカイダー。キサマらは山陰に行って、たらふく松葉ガニを食っただろうが、わしはいつもスタジオの中でお留守番だ。食い物の恨みは、ダーク海底基地がある海よりも深いことを思い知るがいい!」
この時のギルさまは、いつも以上に狂気に満ちてた。
ところでジローが、ギルの笛の音をカットしたのはここではない。あの丸太と漁船があったのは、島根県美保関側のどこか(繰り返しますが事前準備不足のため、特定には至りませんでした)。
境港側から撮った美保関の海岸。あちら側のどこかで、ジローがギルの笛の音をカットした。 |
それでは、境水道大橋を渡りますか。
「飛び出す人造人間キカイダー」のオープニングに使用されたアングル。ここから橋を渡ります。 |
橋を渡った小さな待避所にBLITZENを停めて撮ったのがこれ。対岸が境港。
ミツ子さんとマサルくんが境水道を見下ろしてた場所までは、(待避所に臨時停車してたため)行けなかった。 |
待避所から撮影した境水道大橋。 |
美保関側から堺港を眺める。この近辺で、ジローがギルの笛をカットしたはず。
ここからも、大山が見えますね。 |
さて、キカイダー聖地巡礼の旅は、ここで一旦終了。出雲まで戻ります。国道431号で松江を目指す。何年か前は自分の車、スカイラインで来たんだった。これがその証拠写真。
光明寺博士がキカイダーの生みの親なら、スカイラインの生みの親は櫻井眞一郎氏。櫻井さんはコンクリートミキサー車(生コン車)を発明した人でもあります。これによって、建設工事の工期が大幅に短縮されました。
その櫻井さんが、魂を込めて造ったのがスカイラインという車。私の愛車には、愛すべき昭和のガンコ爺さんの魂が宿ってます。
運転中、ドライバーの姿勢はどうなってるか、どの位置にハンドルやブレーキがあるべきか、ドライバーのどこにどんな圧力がかかっているか等々。スカイラインは、人間工学に基づいて設計されました。そして、
「これ以上、無理したら危ないよ、もう止めとけよ」
と、ドライバーに訴えかけてくる車、それが櫻井スカイライン。
櫻井さんの講演会には何度も参加し、私的に話したこともあります。キカイダー最終回並みに泣ける、櫻井さんの言葉を紹介しましょう。
「スカイラインは私にとって、娘のような存在です。部品が無くてお困りでしょうが、どうか皆さん、私の娘スカイラインを末永く大事にしてやってください」