お次は出雲大社。先に紹介した海岸線を戻ります。
ここを50mほど進むと…
本殿の西。出雲大社のご神体、大国主命(オオクニヌシノミコト)は、西の引佐の浜を向いて鎮座しています。それを知っている人は、ここで参拝する。
これは本殿の真裏、スサノオが祀られている。そう、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した、大国主命のご先祖様です。スサノオが八岐大蛇に飲ませた酒は、八塩折(やしおおり)と古事記に書かれています。八とは「広い、大きい、たくさんの」という意味。従って八塩折の酒とは、「とても強い酒」という意味になります。シン・ゴジラの「ヤシオリ作戦」は、ここからきています。
例によって話は脱線しますが、私が山陰に来た目的は、キカイダー聖地巡礼だけではなく、大国主命の「国譲り神話」を調べることでした。古代大和朝廷(物部氏?)は、出雲国を滅ぼしたはずですが、何故「出雲の国を譲ってもらっちゃった、(・ω<)
てへぺろ」と書かれてるのでしょう?
日本武尊(ヤマトタケル)の西征/東征のように、「出雲国を征伐した」と、堂々と書けばいいのに…
このため私は、出雲市をベースキャンプとし、図書館や資料館に通いつめました。結果、ヒントだけは捕まえたつもり。それは「水木しげるの古代出雲」という漫画に出会ったことです。
アプローチは異なりますが、水木先生も私と同様の疑問を持ち、先生なりの結論を導き出されてました。
一つ、例を挙げましょう。オオクニヌシノミコトには、スクナヒコナ(少彦名)という軍師がいました。スクナヒコナとは、手のひらに乗る(正確には手のひらから溢れる)くらいの小人で、一寸法師のベースとなった神様です。オオクニヌシノミコトとスクナヒコナは、よく喧嘩もしました。「伊予国風土記」によると、喧嘩の末、スクナヒコナは伸びてしまいました。
オオクニヌシノミコトは、さすがにマズイと思い、何とか蘇生させようと、別府の湯を土器に入れ、スクナヒコナを浸からせました。しばらくすると、スクナヒコナは生き返ることができました。そして、何事も無かったように、
「あ〜よく寝た」
と言ったそうです。
何か気づきませんか?
「土器」を「茶碗」に置き換えると、どうでしょう?
そう、この二人をベースとして、鬼太郎と目玉おやじが誕生したんです。ここからも水木先生が、出雲神話に造詣が深かったことが分ります。
さて、キカイダーに話を戻しましょう。
ミツ子さんとハンペンが、お土産を買った店。ここは昔から変わらない。 |
ここがハンペンがスバル360で走った神門(しんもん)通り。奥に、鳥居が見えるでしょう?
実際は、あの先から撮影されてます。
ここまで来たからには、国鉄大社駅にも寄っておきましょう。
駅構内に入ると、当時の雰囲気(←やっと変換できた)が味わえる。
天井がトラス構造になっているため、木造建築でもこれだけ広いスペースを確保できる。 |
ホームにはD51が停まっている。写真を撮ってると、
これがD51の機関室。私のじいちゃんは、満州鉄道の機関士でした。戦後、シベリア抑留を何とか逃れて帰国したそうです。子供の頃じいちゃんに、機関車の動かし方を習いましたが、ほとんど覚えてません。
下が石炭をくべる窯。上部には、いろんな圧力弁が見える。 |
寄り道はここまで。後は米子まで一直線。出雲バイパスを抜けて、斐川ICから山陰道へ。一気にアクセルオン!
『この先、Nシステムです』
ほう、この車、オービス探知機も付いとるんか。