釜山3たび

目次

1.動機のようなもの

2.出発

3.梵魚寺登山

4.かにを食す

5・鎮海・亀甲艦とルーレット

6.慶州めぐり

7・帰途

 

 

1.動機のようなもの

 

私の棲む福岡県は韓国に近いので比較的簡単に外国旅行が楽しめる。つまり釜山。万年金欠の私もここ数年で2回行ったが、全てご近所の老人会(最近破綻した)が企画した格安ツアーだった。近年の円高もあって、ますます行きやすくなっているのはいいことだ。

上記のメンバーでもあったご近所の呑み仲間は外国暮らしも経験した国際人で、最近は釜山に知己も出来、かの地への行き来は10度近く、思い入れが激しい。他にもここ数年で5回以上釜山を訪れているもと同僚がいる。彼らが釜山へ好んで行く理由は旅の醍醐味である異国の情緒、しかも人口500万の大都会の便宜が韓単に楽しめるということだろう。国内旅行では味わえないハイレベル(スリルも含めて)の流浪気分、他にも挙げれば異国の味、日本では絶対味わえない美味(かどうかは個人的な好みにもよるが)な韓国の食を腹いっぱい食べられる、個性的な酒類も、ということになる。そして何よりもそれらのコストが魅力なのだ。

行く方法は福岡港から、あるいは下関港からの船便を利用するのが彼らの常套手段だ。半日かかるフェリー便はゆったりとした船中での時間を旅の中に組み込んで楽しみながら、日常生活のリズムを崩すことなく釜山港へ行き着けるという利点がある。もうひとつ、最近発達した高速船は普通の船便の半分ほどの3時間で海峡を突っ切ってしまう。

この海の飛行艇とでもいうべき水中翼船、あるいは双胴船が最近は日韓の双方から競争で何便も就航している。今回は、この高速船に乗って釜山近辺の桜を楽しもうという前記2名の誘いに乗って3/31から4/5までの長旅。計画では宿泊代も船賃も含めて30、000¥だと。

 

2.出発

 

多港国際ターミナルまでメンバー(全3名)の車で乗り付けて予約を取っていた高速船「ドリーム 号(とは言わないか。ドリーム丸の方がいいかもしれない)」のチケットを買い、他に港湾使用料とサーチャージ片道1500¥を払う。今回の高速船の運賃は往復で3500¥(名の知れた先輩のビートル号は往復15000¥)なので、これら付帯の料金が運賃に匹敵するほどになっているのは異様な状況だともいえる。

2年前にやはりここから韓国籍のフェリー「かめりあ」に乗ったことを思い出した。あの時はバースの改装中だったが、すっかり改造を終えて直接船へ乗り込む移動回廊も出来上がっていた。日韓通交の活性化が目に見えて進んでいることがわかる。

出国手続きを終えて午後2時45分出港。タックスフリーで500mlのスーパードライを200¥で買う。ちょっと得をした気分だ。この日で格安サーヴィス期間が終わるこの高速船は駆け込みもあって満員だろうと思っていたが、さほどのことはない。7割強といったところ。指定席制だが、まとまって中央から詰めていった感があり、窓際が空いていたのでグループで移動する。もっとも高速船は飛行機のような安全ベルト着用が義務付けられていて、普段はいすに固定されるのだけれど、案外船内の移動は自由なのだ。

快晴で風もなく外洋へ出ても波はおだやかだ。10年ほど前に私は松山から門司までの高速船に乗った経験がある。あのときは天気が悪く、かなり揺れた。今度は外洋であり、相当のゆれを覚悟していたのだけれど、これはラッキーだった。くじらと衝突する事故も聞いていたが最近はそれもない。くじらが学習したのだろう。

出航後2時間で右舷に対馬の影が見えた。いつも対馬島が想像していた以上に韓国寄りであることに驚かされる。この島が日本語圏であるのはどんな歴史的理由があるのだろうか。

PM6時釜山港着。先に出ていた「マリアナ」が着いていた。途中で追い越すだろうといった道連れの予言は外れた。

港湾局の両替窓口で4万円をウォンに替えた。相当な量の現地の札束が戻ってきて得した気分。560000ウォンくらいあったはずだ。現在100¥が1350ウォン位になっているらしい。手数料をとられたはずだけれど、鷹揚に構える。しかし、これが逆だったらどんな気分だろうか。日本へ来るかの国の旅行者の心細さを思って心が痛んだ。

タクシーでホテルへ。韓国の公共の乗り物は基本的に日本よりも安い。安すぎる。超安いといってもいい。日本のそれが超高いといってもいいかもしれない。その言い方が妥当だろう。タクシーの初乗りは2200ウォン。

ちょっと名の通ったフェニックスホテル前で降ろしてもらい、そこから今夜からねじろとなるジャカルチ市場に近い格安ホテル三原荘へ。が一台通ればひと一人立つのも勇気がいるような狭い路地に立地するこのホテルは基本的にアベック用の連れ込み用で、セミダブルのベッドがひとつおかれているだけで、床も含めて3人が寝ると足の踏み場もなくなるが、その床にオンドルが通っているのが救いだ。29インチのブラウン管TVがあり、韓国のAVの他、日本のNHKBSが映る。トイレとシャワーがあって湯は出る。一泊72000ウォン(3人でこれを割勘)、そんな安宿ではあるがフリーで使えるインターネットが廊下にあるのは高速ネットが普及したお国柄らしい。これは翌日の旅先の天気をチェックするなど役に立った。

当初2泊以降は難色を示していた日本語の出来る主人も折れて、結局ここに5泊することになった。

第一日目の晩餐はアリラン通りの日本人の多い店で豚焼肉。ユッケなるものを一人前頼み、3人でおそるおそる食した。1万ウォンで、日本で600¥くらいだったはずだから、この地では高級なものなのだ。いうほどの美味なものでもなし。

国際通り散策。映画館通りは若者の町だった。

 

 

3.梵魚寺登山

 

/1.2日目は天気も良かったので登山を決めた。

チャガルチ市場3階のアングム食堂で朝食、地下鉄で梵魚寺(ボモサ)へ、釜山は地下鉄も安い。大抵は4300ウォンで行けてしまう。すべて自動発券、自動改札。ぷラットホームの安全扉も設置が進んでいる。梵魚寺駅を降り、バスたまりから登山バス1200ウォンで梵魚寺まで行き、登山開始。今度の旅のハイライト。途中日本人らしいキュートな若い女性にあとどれほどで山頂に着くかを聞いたら、日本語はわからない、と英語で答えてきたので、さらばと英語で聞き直したら、30分です、とほぼ明瞭な回答を得た。これに力を得て30分足らずで北門へ達した。 

 

本当の山頂は右手に見えていたがそこまでいくには体力が足りないと思われたので、予定変更して東門からロープウェイで温泉場へ戻るルートをたどった。現地の登山者に聞いた道を進む。

途中様々な疑問がわいたが、ともかく行き交う地元の人間も多かったし下りのだらだら坂の魅力で停まらない。どこまでいっても東門は見えない。ようやく車の道と交差したので何人かの登山客に英語で東門への道を聞いたら、おおかたは降りてきた道を逆行せよと指示してきた。道を間違えたのは確からしい。戻るのもしゃくなので、近くのバスストップで東門への登り口経由地下鉄温泉場駅行きを選び、乗った。これは正解だったが、乗って運賃ポストに1200ウォンを投げ込むと運転手がVサインを出して猛然と怒り始めた。何か間違っているのだろうが申し訳ないことに言葉がわからない。運ちゃんはようやくあきらめてぶつぶつ言いながら車を出した。運転中にいろいろ議論するのはこちらも生命の危険がある。ともかく山道の急カーブが続く。いろいろ考えて、結局運ちゃんが不満なのは、やっぱりわれわれの出した運賃が少ないためだろうと思い、タイミングを見計らって1000ウォン札を追加した。すると機嫌をなおし100ウォン貨幣2つをちゃりんと出してくれた。近隣のバスには2種類あって、1200ウォンは通勤用、このような観光用のバスは1800ウォンらしい。

いずれにせよ韓国語をまったく用意しないで街歩きをするわれわれが悪いのだ。同行者の一人は何回となく釜山に来ていてそこそこできるらしいが、今回こういった非常時に役に立つことはなかった。

温泉場(オンセンジャン)へついて、ここ一番の大型銭湯虚心庁(ホシムチョン)へ向かう。この駅の辺りには相当の高層ビルが林立している。   

山の高級リゾートのひとつなのだろうが、名前の割りに温泉ホテルが目立たない。ガイド本では虚心庁だけではないようだが、われわれにはほとんどないも同然だ。高級で豪華なホテルめくロビーから長いエスカレーターで2階へ。そこの食堂で黒いジャージャー麺の昼食をとる。そういえばまだ食べていなかった。

入浴代は10000ウォン。大浴場はローマ風の豪華なドーム空間になっていて、円形を基本としている。周囲は立体的になっていて薬湯やサウナ、露天風呂もあった。体を洗うための粗いナイロンタオル、そして湯上り時に体を拭うための白い綿タオルが供給されていて、浴槽にタオルを持ち込む客は見当たらなかった。つまりみな堂々と全裸に手ぶらで出入りする日本の風呂の状況とは異なった状況だ。タオルを手に持って前を隠しぎみにしながらうろついているのはわれわれ日本人だけだったのがおかしかった。最初にかけ湯をしたが水のような温度で慌てた。実際は24,5度だったのかもしれない。ともかく入浴という習慣は日本人と他の国のひとたちとの間に際立った量的差異があるといわれているが、韓国人の「温泉場」という地域が日本人のいう温泉場とはとてもいえないということだけはいえる(ここが温泉場なら、日本は津々浦々すべての地域が温泉場になるはずだ)

地下鉄で南浦(ナムポ 以前来た時は確か洞がついてナムポドンといっていが、変わったのだ)へ戻って地下道の雑貨売り場を見る。連れが3000ウォンの伸縮ステッキを買った。夕食はタコ鍋。タコ足の踊り食いが面白かった。

 

 

4.かにを食す

 

4/2・朝はあっさりしたインスタント風のラーメン。バスに乗って景観保存で有名な甘川洞文化村へ行く。バスを降り運転手のたまり場で地図を見せたが要領を得ない返事で、昨日の2の舞を心配しながらともかく通勤の自動車の輻輳が激しい急坂を20分ばかり喘ぎあえぎ登るとモロッコ風の原色の町並み風景が現れた。

 

確かに「ナニコレ?」的風景だ。しかしこれで観光客が呼べるものか、不安になる。ともかくぐるっと一帯を回り、狭い家並みに入って犬に怖がられながらバス停へ戻る。おおむね釜山では犬は人には吼えない。普段ひどく虐げられている様子が推定できる。

南浦へ戻り、1003系のバスで釜山を横断し、松亭海岸で降り、タクシーで竜宮寺へ。中国風の仏教的景観はやはり日本とは違う異国情緒がある。

 

見終えた後またタクシーで機張(キジャン)へ。ここの市場でかにを食そうというのが運ちゃんにもばればれだ。市場の真ん中へまで乗り入れてくれたのはサーヴィスか、それともそばの店との連携なのか。ともかく左右の客引きを無視して勝手知ったる友人についていく。確かにここはかに一色だ。店先の水槽に生きている大き目のたらばかに2はいを選んでボイルしてもらうのを待つ。料理代も含めて3人分12万ウォンは高いか安いか。最後にかにの甲に焼き飯を詰めてくれて満足。

 

 

またバスに乗って海雲台(ヒュンデ)へ。パラダイスホテルの免税店でお土産を買う。そのあと美しい海岸線を1万歩ほど歩き、つかれきったところでまたタクシーで世界一の百貨店セントムシティへ。ここの地階にある風呂場スパランドにまた惹かれて入ってしまった。ガウンを羽織って癒しの空間でうたた寝するのは最高の気分だった。ここは時間制(4時間)で1万2千ウォン。

さんざん贅沢をしたので、地下鉄で南浦へ戻ったあとの夕食はそこそこの豆腐チゲ。

私は韓国の食ではこれが一番気に入っている。これを食したのは釜山庶民の食堂だけれど、連れは、来るたびに客が増えて値段も高くなっている、そうだ。それでも4000ウォンと私たちにはリーズナブルだ。ここが人気なのは豆腐がやわらかくて日本のものに酷似しているからだと思う。同じ外観のものを後日チャガルチのバイキングで取ったが、食べられたものではなかった。

食後夕日のプサン港を散策。

 

 

5・鎮海・亀甲艦とルーレット

 

/3・有名な済州家であわび粥を食した。おばちゃん連れの日本人客が同じメニューを注文していた。私は以前ここで食べたから2回目だ。高級な朝食(10000ウォン)で、濃厚な味という触れ込みだが、私には淡白なおかゆという印象だ。もっと感激しなければならないのだろう。

南浦から西面まで地下鉄。西面のバスセンターから長距離バスで鎮海(チネ)へ。ほぼ自動車専用道路を1時間ほど走って桜祭りが始まっている町の中心部へ入ったが、肝心の桜はつぼみ固し。ともかくケーブルカーに乗って展望台から行く先の見当をつけ、秀吉の軍がやっつけられた高名な亀甲艦の等身大模型を見に行くことにする。ここでもバスの運ちゃんらに道を尋ねたけれど、観光客への配慮はそこそこあっても自分の地元の観光資源への関心は皆無のようだった。鎮海は外国客はまれなのか知らん。

海軍の敷地に入ったら、ちょうどオープンの期間だったのだろう、むしろ軍人達がウェルカムの姿勢で、博物館までの臨時無料バスに乗せてくれた。ラッキーであった。博物館での収穫は、かの有名な鉄製亀甲軍艦が当時は何十となくあって秀吉軍を圧倒したということだった。これではわが海軍は勝てるはずはなかった。だが、当時の朝鮮王朝はほぼ半島北端の中国国境へまで逃げていたはずだったし、これほどの高価な鉄甲艦をたくさん作れるだけの資力があっただろうかという疑問も浮かぶ。

バスセンター前の珍しい中華店でジャージャー麺を食した。私は本格的なラーメンが食べたかったのだが、まさかここでもインスタントラーメンを食わせるだろうか。

帰りの高速道路沿いにある膨大な桜並木は少しづつ花を開かせている様子だった。明日はもっとましになるか。

戻った西面(ソミョン)でロッテデパートへ入る。私は切れたカメラの交換用バッテリーを求めた。確かにぶつはあったが、充電量が30%保障だとのこと。値段も7万ウォンと破格の高さ。ともかく背に腹は変えられず、購入した。その後併設されたロッテホテルの2階のカジノへ向かい、しばらく遊興した。一番入りやすいのはやはりルーレット。美女のデーラーが仕切る一台に目をつけた。卒業旅行の雰囲気のある若い日本人客の男女3人がリラックスしてチップ1枚(2000ウォンのレートのようだ)づつけちっぽい賭け方で楽しんでいる。連れの一人が1万ウォンでチップを交換して掛けはじめ、多少増やしたところで換金して逃げた(せこい)。私はそのあと2万ウォンでしばらく遊び、一時かなり増やしたが、隣に太ったこわもてが来て日本の万札2枚で山のようなチップを元手に派手にハイリスクのプレーを連発したのでペースを乱され、結局すってしまった。ウォンの手持ちが少なくなったのでそこの為替窓口で13万8千ウォン/¥10k のハイレートで換えて貰った。成果はそのくらいのものだった。今日は電池切れで写真は撮らず

この夜はチャガルチのホテルのそばのホルモン焼き。美味で量的にもいうことなし。灯台元で案外いい店があるものだ。

 

 

6.慶州めぐり

 

4/4.天気もよく、チャガルチでラーメン朝食、そのあと地下鉄で老圃洞(ノポドン)へ、バスセンターから高速道に乗って一時間、4500ウォンでいよいよ慶州。出発直前紳士然とした運転手が客に向けて丁寧に挨拶をする。この運ちゃんなら安心できそうだと思ったが、実際はそうでもなかった。100Km/hを常時保持していた。韓国の高速道路の幅は日本よりかなり狭い。大型車が併走したら接触しそうになる。彼らの腕前はたいしたものだ。

着いたバスターミナルで観光タクシーのしつこい勧誘に遭う。今日はレンタルサイクルでめぼしいところを回る計画だったのが、長い攻防で結局運ちゃん連合が勝ち、125000ウォンで仏国寺などを広範囲に半日まわってくれることになった。日差しも強くなっていたし、長い旅の日程も終わり近く、疲労もたまった老体には山道を自転車で登るのは自殺行為だったので、これは正解だった。大体がこの日、自転車で走っている観光客など見かけなかった。早い話火野正平よりもかっこ悪いばてた老人グループが目だっていい恥をかいただろう。特に慶州観光の目玉である石窟庵に行ったときにはそう思った。

 パンフレットより

窟庵は近年郵便配達夫によて再発見された有名な石仏で、日本人が石仏を囲っていた石造りの堂をこわして、いい加減に組み立てたので材料がかなり余ったといういわくつきのものだ。しかしわれわれがつきまとった背の高い美人ガイドの説明ではそんなことは言及されなかった。疑問符つきの伝説なのだろう。釈迦如来像は色が白くつり目で韓国風だ。古い割には見た目風化がほとんどない。風雨にさらされなかったことに加えて硬質の花崗岩で作られているのが理由だと。今はガラスケースに収められていて、かび対策で常時空調されているそうだ。

中学生の修学旅行だろうか、団体の子供達が目立った。山道を戻って途中の仏国寺を見る。運ちゃんの知り合いだというわれわれと同年輩近いご仁が日本語も流暢に案内役を買って出た。断る理由もなく彼についていく。聞けば東芝関係に勤めていたと。なかなか歴史の知識も豊富だ。

 

処で見た寺も同じような印象だったが、これらの韓国で代表的な寺の建築はみな極彩色で塗りたくられていて、それはここで見た吊り木魚も同様だったが、一様に安っぽいくたびれているような印象だった。古いということだけれど、日本のそれらは古いなりによく整備された印象なのだけれど、ここのそれは彩色が剥げたらさほど神経を使わず塗りなおす。その間はなにもしない、という印象だ。その点日本の仏像などは、剥げても塗りなおすことはしない。オリジナルを後生大事にする。だから剥げた後は木そのものの地がみがかれてむしろいい味を出すようになる。最初から塗らず木そのものの肌目を大事にすることのほうが主流のようにも思える。素人の印象だから間違っているかも知れない。いずれにせよこちらは木造の部分よりも石造りの部分が立派で、主になっている。多くの戦火を経て焼けず残ったからだろう。

見物を終え彼の民芸品店へ誘導された。連れは皆相手にならなかったから私が生贄になって1万ウォンのざくろ石のストラップを購入した。あと国立博物館で古代新羅王朝の遺品などを見る。建物は立派で新しく最近開館したような、スペースをもてあましているような、全体に未完成のような印象があった。併設の美術館は閉館中。

昼食は韓定食、品数が多くて豪華に見えるが、なま野菜がほとんど。食べ方がいろいろ決められているようだ。メインはいしもち(魚)のフライのようだったが、3人に対してひと皿2匹しか来ない。吸い物の他はほとんどがそういった半端な数、量で、韓人は集まっても厳格に階級がこまかく定まっていて、その上位から遠慮なく食べたいものを取っていくのだろうかと思いたくなる。ここの3人では私は最も歳下だから、これは食べられないのだろう。そう思って手を出さないでいたらすぐなくなったけれど、あとでまたこれは2匹補充されて、今度は頂くことが出来た。

古墳公園、大陵苑というところを散策した。円墳というのだろう。日本のような大石で組まれた玄室やそこへの通路は作らず、棺を木材で覆ったあとひとかかえくらいの丸石を根気強く回りに積み上げていく。ものによっては高さ25mほどの石の山になる。その上に土を被せるのだが、埋蔵品を盗るには根気強く逆のことをしなければならないので盗掘はなかったと説明していた。古来貴人の墓はピラミッドをはじめとして盗人たちの格好の餌食だったのだ。ユニークな古代朝鮮人の知恵というべきか。

TVドラマで高名な善徳女王の時代の天文台だという遺跡を見た。どこの寺も(タクシーの運ちゃんが切符を買ってくれるのか)入場料は不要なのだ。皆国宝で世界遺産なのだが日本では考えられないことだ。

数日後にはここで国際マラソンが開かれる。だから計画では桜も咲いているだろうという期待があったのだけれど、前日の鎮海にもましてここは桜のつぼみは固かった。半月城址ヘ向かったが観光バスがつかえていて、しばらく待ったが駐車場へ入れる気配がない。結局ここで切り上げてターミナルへ向かった。釜山最後の晩餐はチャガルチ農協5階で焼肉バイキング12000ウォン。ここのいか焼きは最高なのだ。

 

 

7・帰途

 

朝は踏まれないようにベッド組より早く起きてトイレをし、シャワーで頭を洗い、廊下でひさしぶりのインターネットをした。日本とこちらとの違いはいろいろあるけれど、最大の違いは洗浄便座が普及していないということだろう。ウォシュレット(TOTOの商標)は偉大な日本の発明なのだけれど、韓国では高級ホテルでもまったく普及していないようだ。なぜだろう?無関心?くさいものにはふた?

タクシーを呼ぶ予定だったが、この旅の間、予定外の贅沢を繰り返し、相当に予算オーバーしたので1時間半ほど早めにホテルを出、歩いて釜山国際港へ向かうことにする。途中で韓定食をという意見も出たが、予算のこともあり早めにフェリーターミナルについて手続きを済ませ、ゆっくりしてからそこの食堂でインスタントラーメンでも、という意見が多数を占めて、ともかく港へ急いだ。7時に着いたが、まだ税関はあいていなかった。個人的に最後の驕り、コペショップでエスプレッソ、6600ウォン。韓定食の恨みかゆっくり飲ませてくれない。9時釜山港発。先頭の座席になり最高の景観が見れてラッキーだった。ほぼ3分の客。すぐ先をビートルが進んでいたがやがて水平線へ消えていった。往復とも最高の天気、凪でいい旅が締めくくれた。

  おわり

 

 

 

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