ダーティヒロインたち(3)  危険美女ひとでなし編

  このシリーズも三作目になって、しばらく生みの苦しみが続いた。

結局、それは以下のことに関連している。言い訳がましくなって
恐縮であるが、今度の危険美女はヒロインが人間でないという設定である。
人間でもいいが、ある種の超能力が備わってめっちゃ強いとか、
死なないとかいうのもこれにいれようと思う。いや、ヒロインは平凡な人間で、
たまたま人間以外の世界へ入り込んでしまい、辛酸を舐めるという
設定もある。
ひとでなしどもの中の美女ということか。
異世界の美女、ヒロイックファンタジーの中で、ヒロインが大活躍で
あれば文句無しだ。アニメなどにはふんだんにある(代表作=
幻夢戦記レダ
極黒の翼バルキサス、この二作は
私の琴線に”もろに”触れるものだった!)設定ではあるが、しかし
コミックにはさほど(私好みの)メジャ−なものはないように
思える。なぜだろうか。

  創作、特に物語に手を染める人びとは、大抵が、面白い物語を
作りたいという願望から入ってくるのだろう。面白い物語(のジャンル)
にも様々あるし、面白さの色あいも随分幅があり、ひとつの尺度では
とてもくくれないけれど、共通したルールは、それを完結させたいという
前提のもとに書かれるということだ。
 このあたり、ヘ理屈をこね始めると幾らでも書けるのだろうけれど
(「物語の成立」、「文学、ひいては芸術の起源」へ引っ張っていける
のかもしれないけれど)、それこそ完結させるだけの自信はないし、
学殖のない私の手に余るテーマなので立ち入らない。ま、これくらいの
ことは言えるだろう。
(全体として)その作品が面白いものだったかそうでないかは別にして、
ともかくも終えることができたか、そうでなかったかによって、物語を作った、
あるいはそれを読んだ時の満足度は全く違う(いや、この場合、作品
そのものの完成度を言っているのではない−−もちろん関係はあるけれど)。
優れた、面白い物語は必ず納得のいくエンディングが用意されている
といって間違いではなく、感銘深い読後感は殆どそれによって
もたらされることも確かだ。

  いや、違う、と言われる面もいらっしゃるだろうか。物語は出だしで決まる。
最初の設定で殆どの優劣が決定されるのだと。確かに
物語を読み進ませる(あるいは書き進めるための)意欲は、導入部が
いかに魅力的であるか、物語の性質がいかに興味をそそるものであるかに
かかっている。では、こういうふうに書き直してもいい。
作家には二タイプあって、書き出しの上手なひと、そしてエンディングの
秀抜なひと。

  イントロだけ良くて、筋も締めくくりも良くない(龍頭蛇尾?!)となると
物語としては随分詰まらないわけだけれど、それでも一応体裁が
整っていれば文句はいえない。終わりのない、途中で切れる物語は
作品としては不完全なものであり、論外であるけれど、それがコミックには結構多く、
しかも、そんな作品でも、この世界には人気作品(作家)が存在するのだ。
甘い世界だといえばいえるかもしれない。いつか、続編が作られるに違いないという
期待感があるのだろうか。

  こういう風に言っても良い。物語を完結させることを考えず、ただ「状況」を
作り出すことが好きな作家の一群が存在する。いや、これはものごとを逆に
見ているのかもしれない。彼等が好む「状況」が極めて特殊なものだから、
論理的な筋の展開が困難になり、結局うまくまとめること、つまり
エンディングが苦しくなってしまうということなのだろうか
(これもちょっと甘い見方?)。

  どんな「状況」がこれに該当するのだろう?。いわく主人公の外見が
美女であって人間でないという設定は、やはり妖精とか、超能力者とか、
宇宙人とか、改造人間、ロボット、エトセトラ、である。美女が
別次元に入って異世界で活躍する設定も多い(ようやく本筋へ寄ってきた)。
もちろん、このような無理な(ご都合主義の)設定はコミックに
限らないけれど、SF小説では、コミックほど乱造されていないから
作家もハイレベルで限定され、商業的にはあまりお粗末な作品が
世間に流布しないということなのだろう(同人誌などにはあるのかもしれない)。
私はこの方面には不案内であるけれど。

  もちろん優れた物語と作家がコミックにも存在する(ようやく本題に入れる)。
長谷川裕一の「マップス」NORAコミックス’89〜97全17巻
 
設定の雄大さにおいて、舞台装置の壮大さにおいて、ヒロインの特殊性
(または魅力の凄さ)において、その長さ(全十七巻!、更に書き足り
なかったと見えて、他に別巻<外伝>が2巻ある)において、まさに
戦闘美女コミックの傑作といえるだろう。

  主人公の美女海賊リプミラ・ヴァイス(何と見事なネーミング!
優雅な王女めく艶っぽい悪女)は天使の形に似せて作られた巨大な
宇宙船リプミラ号のただ一人の乗員にして船長、いや、実は人間ではなく、
ロボット、つまり宇宙船のハードの一部であり、運行や故障、破損の際の
自己再生をも含むソフト、制御部、中央処理装置そのものである電子頭脳体
(半有機体合成人間)と説明される。
かつて宇宙に存在した伝説上の放浪民族が残したとされる秘宝
”風まく光”を求め、以前彼女の主人であった
カリオンの遺志をついで三百年間宇宙をさまよい、ようやくそれを
地球(日本)に住む一高校生「十鬼島ゲン」の背中に見いだすというのが、
最初の出だし数ページで語られてしまう。その背中の地図(マップ)の解読で
地球を静止させ、真っ向竹割りにしてその中心に隠されてあった秘宝
「星間地図のデータプレート」を回収するに至る。
第一話の中の大筋だが、その中で主人公は二度死に、甦り、捕らえられて
全裸にもされ、宇宙船も壊れてしまって海の中で自動修復をする。
前途多難な出だし。二話では深海のリプミラ号を調査回収しようとした
地球軍を粉砕し、マップが複数(十の魔物=マップス)となる可能性が
高まり、更に深まる謎を解くためにリプミラとゲンは広大無遍の宇宙へ
その天使型宇宙船で旅立ち、伝承族巨大天体型生命と出会う。
この伝承族の出現はひとつのエポックであり、読者には衝撃であった。
天使型宇宙船と並んで長谷川裕一のとんでもない想像力と構想力の
ひとつの傑作だろう。以後銀河宇宙を舞台として、いけにえ砲で
銀河の生命体を抹殺し,そのエネルギーを自分のこやしに取り込もうとする
宇宙最大の悪玉、伝承族の様々な手先との戦いを本筋に据え、主人公の恋
(リプミラとゲン、それにクラスメートのほしみとの三角関係)を味付けに、
様々なエピソードが絡み、気宇壮大、荒唐無稽の冒険が繰り広げられる。
つまり、このように

「−−  20億の国家と,ほぼそれと同数の知的生物を抱えた賑やかな銀河、

  それはまるで直径10万光年に拡大された地球を思わせる。

  戦争と復興、誕生と破壊とを繰り返す。だがそれでもなお

  生命に満ちあふれた宇宙−−

  この惑星ザナインはそんな宇宙に浮かぶ

  通商惑星のひとつだった−−−  。」

ではじまるアクト3(第3話)の武器取引の場面、ライフルギャングの
唐突な出現!?。しかしそれはリプミラが新米海賊ゲンを実地訓練しようかという−−−。
なんという荒々しさ、意外さ。なにもかもがしゃれていて、スピード感に
あふれている。よほど感覚を研ぎ澄ませておかないと、複雑な筋を追うのも
おぼつかない。しかも随所に仕掛けられた未来への展開のための伏線。
よくぞこれだけ思いついたものと目が回る多くの奇抜なキャラクター。
中でも傑作は、宇宙をまたにかけて稼ぎ回る金の亡者にして卑劣な武器商人
ガッパだろう。最初はリプミラを不具退天の敵としてつけねらうが、やがて
伝承族との対決が近付くにつれ、最も頼りがいのある味方になって
活躍をはじめるのである。大時代的な芝居調が勝ってはいるけれど、
いつの時代でも、ドラマとは、つきつめればこんなものだったのだし、
リプミラとゲンのラブシーンも含め、このような定番ドラマを正面切って
書ける長谷川裕一は、やはり偉いと思う。

  さて、第七巻から形になってくる伝承族と他の銀河星雲内の
文明国圏との衝突=テュオリム通商圏を中心とした四億八千万の国
(星?文明的宇宙人?)の連合体とそれに対する”未確認宙域軍”が
リプミラと行動しているゲンを銀河統合の中心に据えようとして対立し、
十人の伝説のマップスが集うと言われる青い円卓、つまりゲンの故郷である
太陽系地球近辺の空域(宙域?)で対決する……。
この戦い(にらみあい)は伝承族と、その部下の反乱軍も加わった複雑な
様相を呈し、ほぼ九巻の全部まで費やして描かれるが、結局銀河統一は成功し、
伝説の通りマップス、
十人の英雄(このメンバーを見たら、笑うけれど)が選出され、銀河の最大の敵
伝承族に一丸となって戦う機運を盛り上げていく(ひとことで言えばこうなんだ
けれど、この壮大なえそらごと、物語の流れ、デテイル全部を具体的な絵にして、
貴方、埋めてごらんなさい。結構しんどい、というより、私なぞ、ここの筋立てに
必要な無数の宇宙人たちの、一匹たりとも思い浮かべることは出来ない。
もちろん、たとえ宇宙人たちが描けたとしても、他にも、無数の戦闘場面の状況、
舞台装置と、物語の論理的な構築が必要なわけで−−。コミックは、ともかく
全てを絵で示さなければならないわけであり、作者の凄腕の一端をここで
堪能することになるわけだ
)。

  「マップス」は、結局、美女リプミラの物語でもある。このまことに
魅力的で強力無比な女主人公(途中から、残念ながらインナーをつけるように
なったけれど、あの武器にもなる(どんな!?鞭?)という、リボン状の細帯
一本を巧妙に裸身に巻き絡ませた実にきわどいコスチュームは、作者の数多い
独創のなかでも最高に傑作だった。この作者のコミカルな絵柄でなかったら、
これほどヒロインが頻繁に全裸になり、串刺しに惨殺されたりという内容が、
鼻持ちならない悪趣味に陥る危険を避けることは出来なかったのではないか。)
はビメイダ−(人造人間、自然発生した生物ではなく、作為的につくられたもの、
この定義はなかなか難しいと思うけれど)としての誕生の謎から、
(リープタイプとかいう)様々な親戚縁者係累の確執が本筋に絡み、記憶を消され、
卑劣な多くの敵に様々翻弄されつつ、不死の肉体を持つがゆえの不幸から
何度となく無残な死を経験しながらも、再びみたび甦って熾烈な戦いに再参戦し、
濃厚なラブロマンスを繰り広げもする。そのご都合主義はこの優れたコミックの
中では最もひ弱な点としてあげつらうこともできるのだけれど、このまことに
エロチックなコミックの魅力の中心も実はそこにあることは確かなのだろう。

  長谷川裕一は、私見では唯一手塚治虫の正統的な継承者
(ユーモアのある温かい絵の作風において、その奔放な創作力において)では
ないかと思うのだけれど、この作品を眺めるうちに、いずれ手塚すら超えてしまう
のではという感すら受ける。彼の奔放自在な想像力は、しかしきっぱりとした
論理としっかりとした大きな構想で貫かれ、組み立てられており、いかなる奇妙な
設定であれ、実にたくみに料理し、優雅な結末を用意してわれわれの胸を
すかっとしてくれる(むしろ、二、三度読み直さなければ筋が呑み込めないような
複雑な内容を含んだページすらある)。ひとつひとつの半分独立したストーリーは、
それなりのエンディングで括られ、一流のユーモアと見事な詩情で彩られつつ、
更に次の冒険のきっかけを芽ぶかせつつ更に大きなストーリーの大団円へと
私達を誘導していく。このようなスケールのコミックは、手塚を含めても、これまで
そう幾つも書かれなかった。私は米国なんかのSF小説には余り詳しくないのだが、
彼等をも含めたとして、スペースオペラとしても空前絶後の物語といっていいのでは
ないか。

  もうひとつ、長谷川裕一「童羅」ワニマガジンコミックス’93
  全一巻完結、他に「ドラゴンハリヤー」併載  は中編とも
言えない小品であるが、作者の資質がよくも悪くもあらわになった快作といっていい。

  ヒロインドーラは悪魔界の頭領である大魔王がたわむれに
自分の世界へ引き込み、弄んだ人間の女から生まれた娘で、年頃になるにつれ、
自分の出生の謎が重くのしかかってくる。あたかも魔界では彼女の実父である
魔王が死に、その後継を巡って混乱が起きていたが、王女(ということになるらしい)
ドーラをわがものにして後継奪取に有利になろうとする魔物どもが次々に歓心を
買おうとして近づき、襲い、処女を奪おうとしたりして、彼女の身辺はにわかに
怪しいかげがさすことになる。そだての親は惨殺され、家は焼かれ、救いを求めて
飛び込んだ教会すらも悪魔たちによって占領されていた。

  彼女に襲い掛かる様々な触手系、うじむし系の魔物ども、しかし
最大の傑作は卑わいこの上ない魔界の伯爵バモク、逆一角獣ともいうべく
怪物の背中に騎乗を強いられた全裸のドーラが縦一列に突き出した陰茎に
次々に貫入されて犯され、内なる欲情に目覚めて、魔界の女王たる自身に
目覚める場面は圧巻である。

  もうひとつ、と書こうとしたが長谷川裕一「忍闘炎(ほむら)伝」ノーラコミックス

’98  全三巻  これもかなりエロチックと書こうとしたが、


ここまでで留めておく。好奇心旺盛な向きはどうぞ。

  安彦良和は端正で丁寧な絵柄と多くを古代史や近代、現代史を
丹念に調査再現した、どっしりした物語性のある長編劇画を沢山生み出してきた大家
である。私は氏の作品のかなりの部分にまだ接していないが、そのまことに
魅力的な、完成度の高い作品群をいつか全部味わって見たいと思っている。
わがサイトで話題にするべきものといえば、原作もの(原著大谷暘順
 
聖ジャンヌ・ダルク河出書房新社)のジャンヌ全三巻NHK出版
  だろう。
氏の希少なヒロインものであるり、また、漫画史上でも突出した見事な作品では
あるけれど、本文のテーマからははずれるのでここでは
深く触れない。

  マラヤ」’00,10で全四巻完結デンゲキコミックス=メディアワ−クス
    はこの文中でも最新の作品である。私はこの存在を知って
衝撃を受けた。ああ、安彦氏そなたもか……。キャットファイトが見せ場の
セクシーヒロインアクションコミックは、ゲ−ムソフトの進化もあって最近のブームと
いう感もある(それはそれで私なぞは右派ウハなのであるが)。「マラヤ」も、それら
「戦闘美少女の分析」ブームの一環として構想された形跡はある(デンデキコミックスは
以前にも取り上げた「ウイッチブレイド」の出版社でもある)。つまり、そのまことに
扇情的、偏執的ともいえる舞台設定において。

  冒頭、突然見開き全部を使って現れる胎児を引きずった
全裸の若い美女。しかもりりしくも兜をかむって戦士のたたずまいすら示す。
これは世界が終末を迎えた近未来の、雄蟻以外の男どもを社会から追放し、
一人で何千人もの子供をはらむ生母(エヴァ)を中心に据え、女ばかりで
その禁欲的な「理想」小国家、完璧の城「ハルワタート」で、その国を
実質経営する、責任ある最高位のエヴァに推薦されたヒロイン「マラヤ」の
苦悩と生きざまを描いた物語(これは「理想境」テーマのSFでもあるのだ)である。
ファンタジーであるから、巨大な怪獣は出るし、翼竜に乗った敵のスパイ
(女国家への潜入を狙う男(ソド)ども)も出る。当然ヒロインは重い長剣を
振り回して敵やら裏ぎりの自軍に単身切り込み、全く強いことこの上ない。
「マラヤ」は美しく、綺麗な脚はセクシーで、そのまことに強く、正しく、しかも
ひどい運命に弄ばれ、様々な戦闘アクションと絶体絶命の危機にもふんだんに
さらされて痛快この上ない。あっと驚くような終末近くの急展開と胸のすくような
エンディングも用意されている。様々な思わせぶりの哲学的な言辞もあらわれて
濃密な安彦世界が構築されている。

  だからこそ、巻頭やそれに続くヒロインのヌードシーンから
以後の更なるエロチックなシーンに期待する向きには残念であるが、
予め想像されるほどの内容の不健康さはなく、美しいマラヤの肢体を含め、
むくつけき男どもの惨殺全裸死体はあっても、美女のそれは、乳房すら殆ど
見られることはないのである。もちろんファックシーンなどは皆無で、読者は
安彦画伯の細部までよく描き込まれた細密画のようなひとこまひとこまの
美しいシーンを安心して楽しむことが出来るだろう。

  川崎三枝子はアダルトで端正な正統的劇画の名手として
多くのファンを持つ。妖あどろ」芳文社コミックス’79全五巻
 
その題名にもふさわしいどろどろした情念に彩られた不思議な作品である。
主人公麻利亜は、かつて盲目だったが、強い超能力を現したので、チベット僧で
自身超能力を持ち、野心家でもあるサーラに見いだされ、目を治されて
その能力を更に磨き抜かれ、同世代の女学生たちのカリスマ的存在になる。
サーラの究極の目的は、南米ペルーアマゾンに十四名の選ばれたチベット僧に
守られた「聖あどろ」と呼ばれる超能力者を自分のものとして、その絶大な力で
世界制覇を果たそうというものだった。サーラは麻利亜を自分の手駒として
あどろのもとへ遣わせ、彼女を仲立ちにし、使い捨てにすることによって、
結局その目的を達成する。あどろの破壊的な能力を知ったペンタゴンや
ソ連の軍部は彼女を軍事力の一端として利用するべく次々にアマゾンへ
部隊を送り込む。彼等の手先として見いだされ、利用されていた超能力者
たちをも含めた三つどもえ、四つどもえの闘いがアマゾンのジャングル深く
繰り広げられる。

  主人公麻利亜のピカレスク的汚れヒロインの凄まじい扱われよう
(暴虐、凌辱、拷問、災厄等とう−−)は、表題になった「あどろ」の清浄可憐さと
全くの対照をなし、川崎好みの見事な女体、性描写の横溢もあわせ、
アマゾンジャングルの見事な細密描写ともあいまって、全編息をつかせぬ迫力である。

  かきざき和美は特異な作家である。中世の女剣士を思わせる
ヒロインの時代ものコスチュームプレイという雰囲気を帯びたリアルでエロチック、
残虐な劇画風剣技格闘コミックを書いて名をはせた。私が知っているのは
次の三作品である。

闘奴ルーザ」三巻(アップルコミックス’86〜)、古代ローマ風の競技場の
大観覧席を埋めた観衆の前で、子供の頃から格闘の技を教え込まれた
若い女たちが一対一で生命を賭して闘う。ルーザは初めての舞台で
姉と慕われた同僚と闘って勝つが、自分も片腕を失う。闘技相手の陰謀に
はまり、自分のパトロンを殺したとの濡れ衣から国軍に捕らえられるが、
無類の強さで一個軍隊を圧倒し、森へ逃げ、自由を得る。彼女の首に
賭けられた賞金稼ぎと闘って重傷を負い、助けられた森の家で養生をするが、
そこにも追っ手は迫っていた……。長々しく闘いは続き、血にまみれ、
首が飛び、腕が切り落とされる場面の連続。未完。

タルナ」(全)一巻(白夜書房’87、単行本は’90刊)、美しい悪魔と
呼ばれる女剣士タルナは、翼手竜に乗ってかつての師で剣聖シャムス
影を追って旅をしている。彼にめぐりあい、その魔剣イブリーズを譲り受けて、
二人が仕えたゲンマ姫の捜索を続ける。これも挿話と本筋が様々入り乱れ、
前後して、まだ未完のままである。

  ライザ」全二巻(アフタヌーンKC’89〜)。アフリカのサバンナを
思わせる草原に現れたマント姿の美女ライザとそれに従うマサイ族を連想する
三人の大男。行く手に立ち塞がる四人の戦士を見ると、マントを脱ぎ捨て、
ビキニめく麗わしい裸身になって闘い始める。強い。見る間に三人を倒し、
一人が馬に乗って逃げ始めるのを認め、はるか後ろから槍で馬を仕留め、
徒歩で逃げる兵士の後をつける。見事な出だしである。彼女たちはさらわれた
クヴァ族姫ゲンマを悪漢どもから取り戻すためにサバンナをここまで
やってきたのだ。ライザ達はクヴァ族の戦士で、侵略者カマール帝国に
対抗して、かつて彼等に追われた聖地べダンを奪回しようとしている。
帝国の植民地ベダンには、彼等の繁栄のもとになった悪魔の木マナがあり、
それを切ることの出来る秘剣イブリーズを何故か彼女が所有しているという。
ゲンマ姫といい、秘剣イブリーズといい、前作の続きとも取れる良く似た
設定ではある。

  帝都へ潜入したライザは捕らえられ、満員の観客が興奮して
騒ぐ闘技場で、ライオンの餌として供される。しかし、かつてベダンを支配した
マナの神官の血をひくライザの体質は、危機に及んで自分を奇怪な怪物
ゴメイザに変身させ、ライオンをも素手で屠る力を持つに至る。
カマール帝国の女皇帝フルドはベダンのマナとゴメイザを私物化せんとして
大軍を起こし総督側についたライザと対決する。マナが諸悪の根源と悟った
ライザは、この巨木を倒し、自身も巻き込まれて死ぬ。途中本筋が分かりにくく
なる瑕瑾はあるが、一応のまとまりをつけており、作者の代表作であることは
間違いない。

  聖狼少女」全二巻  原口清志  白泉社
ジェッツコミックス’88 
いわゆる狼人間の物語は手塚治虫の名
バンパイヤ」で決まりということではあるけれど、狼美女というのは盲点だった
のではあるまいか。コミックではないが、平井和正氏の狼人間シリーズにも
狼女はなかったと思う。まずその独創性に脱帽。絵柄は少女コミック風で、
内容と必ずしもマッチしない面はあるけれど、それが裸と血の横溢、
残虐なシ−ンの過多、エロ、グロになりがちな内容を明るくしている。
作者が独白しているように、氏の本質は明るいユーモア(ナンセンス)路線
なのだろう。
しかし、この夜な夜な変身して同じ高校のクラスメートを襲うという噂の中心に
なっている狼少女の「石動萌」は徹底的に悲劇的な人生を突き進む。
同居している圭介はこの運動能力抜群の魅力的ないとこに惹かれているが、
彼女の暗い謎に深くかかわるうちに、第二の狼少女の存在が明らかになり、
萌の潔白が証明される。
国際的な「狼ハンター」がニューヨークに現れ、狼人間の殺戮を開始する。
彼等は日本の狼少女の存在を重視し、やがて萌は狙われるに至る。
後半全裸になって大活躍する長い金髪の魔狼こと萌は実に魅力的である。
彼女をサポートしてきた圭介は、やがて自身もその宿命の血をひいて
狼人間になってしまう。納得できるしっかりした筋もない、他愛もない
狼人間さわぎであるが、萌の魅力に免じてあげてみた。原口氏には他に
ヘルマドンナ(魔女のモンスターバスター)全三巻’92があるけれど、
やはり「狼少女」のほうが絵も丁寧だし、未完ではあってもともかく
まとまっていると思う。

  ネットでは評判の高いブランデッド」戦国くん(作者名)蒼竜社プラザコミックス

’00  全一巻。「鉄によって人間が急速に発展を遂げつつある時代、
そして鉄に触れ得ぬ妖精や悪鬼たちがその地位を追われ、確実に滅びへの
道を歩みつつある時代……」と物語は説き起こされる。その文章の意味を
実際の人類史と比較するなどして深く考えることはないのかもしれない。
実際、物語では、妖精たちは鉄で作られた剣を持つとひどい火傷を
負ってしまい、たやすく鉄を利用できる人間どもに駆逐されてしまう。
これは現人類と他のヒト科類人猿の相克と取ることも出来るかもしれない
けれど、このドラマ自体はたあいもないものである。つまり、その中にあって、
主人公(ヒロイン)で妖精の女剣士ソフィアだけは、人間の血を一部受け継いだ
おかげで鉄剣を持っても軽傷で済み、そのために無類の強さを誇る。
もっとも、その強いはずのソフィアが、冒頭ではいとも簡単に人間の
ならずどもたちにやっつけられて強姦、凌辱を受けるのである。
その後も大して必然性のない裸、強姦シーンが続くのは、まあ、それが
売りのひとつなのだろう。余り猥褻性のない絵柄なので、さほど気には
ならないけれど。
 さて、ヒロインは、かつての村の同輩で、村を捨て、人間と対抗する
妖精トロールのゲリラの群れに投じた美女アヴィディアを捜して旅を続けている。
とある森の中で彼女たちと邂逅し、彼女を殺さんと孤軍奮闘するが及ばず、
捕らえられ、またまた彼女の取り巻きの戦士どもに凌辱される。全く
勝ち目のない闘いで、もう少し工夫があってもいいのではないか。
ま、それはいいのだが、一番の不満は、なぜソフィアがかつての友人
アヴィディアを憎み抜き、生命を賭けて闘い続けようとするのかが、
どこまでいっても解きあかされないのである。物語ははっきりした道筋が
つかないまま、不完全燃焼のまま未完に終わる。ヒロインはまあまあ
感情移入できるだけの愛らしさであるが、アクションを含め全体に
水準以下の絵も、もうすこし(続編では)どうにかしてほしい。

  最後になったが、これもネットなどでは評判の高い「奴隷戦士マヤ」
’89〜
  このどんと。全三巻  未完で、
現在某誌で執筆再開されているらしい。未確認。
英語のテストを明日に控えた女子高校生水谷まやは、不思議な
魔術にかかり、異世界の星エストリーダへ飛ばされ、言語に絶する仕打ちを
受ける。マヤがおちたこの世界はまことに奇妙な、地球の中世的世界と、
天体宇宙間を自由に行き来するような未来的科学技術と、いたいけな
少女(といってもマヤは既に見事な成熟した肉体を持った美女ではあるが)
を罪なく捉え、裸にして売買したり、いわゆる未成年少女の性的暴力などを
簡単に容認したりする原始社会でもあるのである。もちろん奇怪な
人でなし(宇宙人?)もあらわれてシーンをつないだりもする。
性的虐待を受ける奴隷の身から全裸で逃げる間に行き着いた神殿(遺跡?)
の祭壇に無造作に置かれてあった剣を取ると、全く人が変わって強くなり、
それでマヤは「ドルイドの戦士」ということにされてしまう。

  一旦は可愛い剣士の衣裳も整ったマヤだったが、
それで聖戦士としてさっそうと活躍を始めるのかと思いきや、そうはならず、
魔道士の呪文にかかると簡単にまた衣裳を脱ぎ、再び更に惨たらしい
肉奴隷の道へ落ちていくのである(第一巻の全般二章目)。以後、
作者の想像力は延々とこの少女っぽい美女をどのようにしてひどい目に
遭わせ、男どもを様々に襲わせて凌辱の限りを尽くさせるかに集中する。
第二巻雌伏編、第三巻放浪編、ともに背後で帝国軍、共和軍の戦闘と
小競り合いが並行し、「ドルイドの戦士」への関心が語られるが、
二つのドラマともいえない現象的シーンは実質影響しあうこともなく、
体内に植え込まれた巨大寄生虫の卵発生器になりさがったマヤは、
別のこそどろ共によって星間をあちこち移動(放浪?)させられつつ
職業売春に供され続けるのだ。
なかなか覚醒と「聖戦士」への道は遠いのだけど、ここでは作者の
卓抜な想像力に脱帽する以外ないだろう。
次巻では、思わせぶりではなく、今も全巻の表紙をいろどる戦士マヤの
活躍が見たいものだ。

                                      危険美女ひとでなし編おわり

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