第1回 

太平洋戦争中、日本を代表する有名な戦闘機といえば「零戦」。

 徹底的に軽量化を計った設計等による桁外れの航続距離と卓越した運動性能で、緒戦は向かう所敵なしで、米軍からは「ZEROとは1機で戦うな」というほど恐れられましたが、その後研究されグラマンF6FやP51ムスタングなどの2000馬力級戦闘機の登場により、戦況と同じくしだいに不利になってきました。

 同じライバル機としてドイツのメッサーシュミットBf109やスピットファイヤなどが戦中通して、最初の軽快だがちょっと華奢な形から最終型の力強さみなぎる変化をしたのに対して、零戦は目を見張るグレードアップは出来ませんでした。しかしそれは零戦が1000馬力級戦闘機のひとつの完成された形だからなのではないでしょうか。

ここでは、その変遷を追ってみました。

モデルは全てハセガワ 1/72スケールです。

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零戦11型及び21型

  1940(昭和15)年=当時の紀元節である2500年、つまり0年に正式採用になった戦闘機なので零戦(れいせん)といいます。量産型初期の11型を艦載機として整備したのが21型。真珠湾攻撃はじめ太平洋戦争初期に活躍した型式で、その卓越した航続距離と徹底的な軽量化による運動性能で緒戦は無敵を誇りました。

零戦22型

  21型のエンジンをパワーアップした機体で、この方が一番バランスの取れた零戦との評価があります。

零戦32型

  翼をたたまずに空母の格納庫におろす事が出来るように、22型の翼端を短くしたのがこの32型、そのせいで持ち前の航続距離は短くなった。

零戦52型

  32型の翼端を少し戻しエンジン性能をアップした機体で、零戦といえば一番有名な機種はこの52型です。1995年にP51と共に各地でエアショーを行なった機体も型です。

二式水上戦闘機(二式水戦)

 21型にフロートをつけて水上から離発着できるようにした戦闘機で俗称「下駄履き(ゲタバキ)零戦」と呼ばれた。

 

 

 第2回  「ジャンボ機の頭はなぜふくらんでいるの?」