錦眼鏡余話6:No209
下北・津軽半島:その3 

薬研ホテルでの
翌朝、
友人のIさんが朝風呂へ行くというので、
 
私はカメラを持ってホテル周りを散策することにしました。
今にも泣きだしそうな空模様でした。
ホテルのすぐ裏手に散策コースがあったので、
そこを歩くことにしました。
散策コースは、薬研川にそって続いていました。
 

薬研川は水が澄んでいて、魚が泳ぐ姿を見ることができました。
川面に周りの景色が映って綺麗でした。
川へせり出すような岩場があったので、そこに立って写真を撮りました。
 

 

逆側を見ると、ホテルが川面に映っているではありませんか。
川のよどみのようになっている場所なので、
あたり全体の景色が川面に映っていました。
 

 

3日(木)、朝の出発時間は8時40分でした。
今日は、
下北半島の斧の刃の1番下にある「脇野沢港」から陸奥湾を横断するフェリーに乗ります。
フェリーの名前は「むつ湾フェリー」だそうです。
 

「脇野沢港」は、それほど大きな港ではありませんでした。
港のパノラマ写真を撮影しました。
8枚の写真を合成したのが下のパノラマ写真です。
カメラを振るとき、ちょっと下向きになったので、一部写真が切れました。
 

 

「むつ湾フェリー」が目指す港は、
津軽半島の陸奥湾側の中ほどに位置する蟹田港です。
蟹田港へ向かう
途中、
津軽半島から平館海峡を挟んで、下北半島までの大パノラマ写真に挑戦しました。
ところが天気が悪かったため、遠くの景色が明るく撮れず、パノラマ写真は諦めました。
 

蟹田港からバスに乗って、金木町ある太宰治記念館「斜陽館」へ向かいました。
「斜陽館」は、平成16年12月に国指定の重要文化財に指定されました。
 

 

太宰治(本名:津島修治)は、明治の大地主:津島源右衛門の6男として、
入母屋造りの大きな家で誕生しました。
米蔵に至るまで日本三大美林のヒバを使い、1階11部屋、2階8部屋があり、
1階と2階で394坪の大きな家でした。
和洋折衷の建物でした。
 

 

当時、小作料は収穫の半分だったそうです。
小作人から集めた小作料が米俵となって、3つの米蔵にびっしりと積まれたそうです。
その数9000俵にもなったと言われたそうです。
 

父・源右衛門は貴族院:貴族議員として、東京で生活していたそうです。
ひと月に数日、青森県金木に戻ってきたそうです。
 

「斜陽館」のある「金木駅」から
ローカル線の「津軽鉄道」に乗りました。
乗車区間は、「金木駅」〜「津軽中里駅」で、
乗車時間は20分程度でした。
 

3日目の宿は、
鰺ヶ沢温泉のナクア白神ホテルリゾートでした。
ナクア白神ホテルリゾートは、ガラス張りの明るい感じのホテルでした。
ホテルのすぐ脇にスキーのゲレンデありました。