錦眼鏡余話5:No188
四国周遊の旅:3 

今日はバスに乗って、高知の桂浜「坂本竜馬像」まで走ります。

途中、内子と四万十川の観光をします。

 
内子は、白壁の残る古い町並みを見学します。

また、内子は「木蝋の産地」としても名高いそうです。

江戸時代後期から明治期にかけて、内子の財政を支えた「木蝋」。

町並みの一角に「木蝋資料館」(上芳我家)がありました。

 
ガイドさんや資料館の方の説明をもとに木?について説明します。

木蝋は、ハゼ(櫨の木)の実から採るそうです。

ハゼは、不用意に触るとかぶれます。

ところが、冬になって枯れるとかぶれないそうです。

寒い冬、

ときに雪の中、山に登ってハゼの実を採集するのは大変な労力だそうです。

ハゼの実を京都へ送って加工します。

「口紅」や「びんつけ油」、「和ろうそく」などの原料になるそうです。

 
町並みを歩きながら、絵になる写真を撮ろうともがきました。

下の写真は、町並みを撮った1枚です。

 
 

途中、外国人のツアー観光客に会いました。

 
内子を後にして、

今度は四万十川を屋形船で遊覧するため、バスは走りました。

四万十川は吉野川より若干長く、四国で1番長い河川だそうです。

 
途中、高速道路で事故があったらしく一般道へ降りました。

 
昼食は、四万十川を遊覧する屋形船の中でした。

喫水の低い船でした。
 
ガイドさんの説明によると、
喫水の低い理由は沈下橋の下を潜るためのようです。
四万十川には、今でも40個以上の沈下橋があるとのこと。
 
欄干がなく、橋げたが低いため、
水かさが増えたとき、濁流の中に沈みます。
流木などが流されてきても、
沈下橋の上を流れていくため、沈下橋は壊れずにすみます。
長い間の先人たちの知恵ですね。
 
四万十川は、
昔から川の流れを人工的におさえることをしませんでした。 
堤防などをつくらず、自然のままにうねうねと蛇行をしています。
 
屋形船に乗ると、お弁当が用意されていました。
船頭さんが、舟の前へ出ても構わないと言ったので、
急いで食事をすませ、カメラを持って立ち上がり外へ出ました。
は、抜けるような青空です。
四万十川の流れも、空の青さを受けてきれいでした。
 
両岸の水辺近くの樹木が、どれも水の流れの方向に傾いていました。
強い陽ざしの中、腰を降ろしカメラを抱えて、
手振れを起こさないように気をつけました。
 
屋形船が沈下橋の下を潜りました。
カヤックをやっている若者がいたので、シャッターを切りました。
 
屋形船の遊覧を終えて、
坂道を登り土産物屋さんへ入りました。
そこには平成19年9月の台風14号の被害の惨状が記録されていました。
洪水は土産物屋さんの天井まできたそうです。
写真の1枚は、天井が無残にも剥がされたものでした。
土産物屋さんのおばさんは、
「何もかも流されてしまいましたよ。」
と、静かに話してくれました。
 
土産物屋さんの前を通る道路の崖面に、洪水の記録が記されていました。
下の写真がそれです。
平成17年の洪水の痕跡が1番上に記録されています。
赤い線が見えますね。
道路からゆうに、3m上に赤線の記録版がありました。
土産物屋さんは、川面から10mはありそうです。
 
それでも、四万十川は自然のままに流れているのだそうです。
四万十川流域の人々の自然を愛する強い心を感じました。
 
バスは、高知:桂浜へと進んで行きます。
まだ明るいうちに桂浜へ到着しました。
 
台座のおそろしく大きな「坂本竜馬像」を見学しました。
竜馬像は、有名な写真(長崎で撮った)をもとにつくられたそうです。
 
ついで、桂浜を散策しました。
桂浜は、急に高波が来るので、
絶対に遊歩道から降りて海辺へ行かないように注意を受けました。
こんな穏やかな海でも、突然高波が来るのだそうです。