錦眼鏡余話5:No168
イスタンブール紀行:9 

朝9時、エフェス観光へ出発です。
余計な荷物は、
ペンションで預かってもらえることになりました。
おかげさまで、
私はカメラとパスポート、それに財布、折畳傘だけと言う身軽さです。
 
まず、お客さんが来る前のバザールのお店の脇を通りながら
駅へ向かいました。
 
(まだお客さんがほとんどいない土曜バザール:道路につくられた特製野菜売り場)
 
駅へ行くのは、今日の帰りの切符を買うのと、出発時間の確認のためです。
ところが、窓口では「午後から売るから。」と素っ気なく断られました。
仕方がありません、諦めてエフェス観光へ向かうことにしました。
 
ガイドブックによると、
エフェス観光の入口までは、バスで行くようになっています。
バスの発着場の「オルトガ」(バスの発着場の意味か?)へ向かいました。
「オルトガ」までは、歩いて5分ほどです。
停まっているのは、マイクロバス(ワゴン車?ミニバス?)ばかりです。
 
「オルトガ」に着くと、私達を見つけた、
でっぷり太った声の大きなトルコ人が、私達の希望をすぐにかなえてくれました。
小さなマイクロバス(ワゴン車?)へ乗り込むと、すぐに車は動き始めました。
料金は2TLです。
随分安いなと思いましたが、
運転手の言うように2分ほどで「エフェス入口」に着くなら、
2TLは妥当な金額かと思いました。
 
市外の大きな道路へ出ると、車は猛烈なスピードで走り出しました。
「エフェス入口には、2分で着くよ。」
と、運転手さんが言ったように、すぐに「エフェス入口」に着きました。
中央分離帯のある道路の反対側に「エフェス入口」の看板が
大きく掲げられてありました。
猛スピードで、車が走ってくるので、用心して反対側へ渡りました。
 
ガイドブックによれば、エフェスはここから徒歩で15分ぐらいだと
書いてありました。
でも、ほとんど人通りがありません。
ちょっと心配になってきました。
私達をタクシーや大型のバスが追い抜いていきました。
 
少し行くと、四差路にぶつかりました。
樹木が1本あって、木陰をつくっていました。
その木陰に馬車がとまっていました。
男の人が何か言いました。
何を言っているか分りません。
多分、馬車に乗らないかと言っているのでしょうか。
私達は、手を横に振って通り過ぎました。
 
道がぐるっと半円を描くようになっていました。
その先にたくさんのバスや乗用車、タクシーがとまっていました。
入口に着いたようです。
 
入口で入場券を買いました。
ガイドブックでは25TLでしたが、30TLになっていました。
トルコでも、諸物価等の値上がりがしているのだなと感じました。
 
入口を入ると、野良猫と野良犬が多くいました。
観光客が餌をあげるからでしょうか。
入口を入って、遺跡に続く道は、大きな樹木(松)の並木道になっていました。
右側にたくさんの石棺がむき出しに置かれていました。
 
左手奥に大劇場が見えてきました。
大劇場は、山を利用して造られたと言われています。
ローマ時代には、
2万人を超える人数を収容できたという大観客席は、
直径154m、高さ38mの半円形をしていました。
 
大劇場の端に立って、パノラマ写真を撮りました。
無理な位置からのパノラマ写真だったので、
繋ぎ合わせた写真が半月型になってしまいました。
でも、雰囲気が出ていると思います。
 
 
動くパノラマ写真を「錦眼鏡写真館」に載せました。
下のURLをクリックすると、上の写真が動くようになっています。
 
科学技術が進歩した現在でも、これだけの建造物を造るには大変な工事になるでしょう。
機械と言えるものがなかった4世紀以前、
人力だけで、これだけの石をどのように運び、どうやって造ったのだろうかと
驚きと感嘆の思いで、しばらくの間、見とれてしまいました。
 
次に「ケルスス図書館」が見えてきました。
正面に、知恵・運命・学問・美徳を象徴する女性像があります。
右側の2人の女性像は、頭がありませんでした。
 
 
ガイドブックを参考にしながら、「ケルスス図書館」を紹介します。
 
図書館は、20世紀初頭に発見されたそうです。
ここには、1万2千巻の書物が所蔵されていたそうです。
ローマ帝国のアジア州執政官・ケルススの死後、
彼の息子が父親ケルススの墓室の上に記念に築き上げたものだそうです。
その後、木造部分が焼失したり、地震にあったりして、かなり壊れてしまったそうです。
 
1970年代に修復されたのが上の写真です。