どこの家でも、その家の記録があると思います。
その時代の記録媒体で残されているのではないでしょうか。
我が家にも、昔の思い出は、
写真(アルバム)、8mmフィルム、スライド等の形で残されています。
我が家には、ビデオフィルムはありません。
最近は、パソコンの記憶媒体で記録が残されています。
主に、CDやHD(ハードディスク)に直接記録されています。
娘たちが家にいた時代、
猫のジローとミーを、娘たちがカメラでとらえ記録してくれていました。
それが1冊のアルバムとなって残っています。
アルバムを開くと、
下の娘が拾ってきたときの「ジローとミー」の姿を見ることができます。
手の平に乗るほどの小ささだったと記録されています。
特に、ミーは弱々しく、育つかどうか危ぶまれたそうです。
拾ってきた状況から、ジローとミーは兄妹猫でした。
その頃、仕事に忙しく追われていた私には仕事以外の
ことに目を向ける時間も余裕もありませんでした。
2匹の猫の躾はトイレも含めて、もっぱら下の娘がしたそうです。
いつの間にか、2匹の猫が我が家の中心になっていました。
そして、2人の娘たちも2匹の猫を置いて結婚して家を出て行きました。
2匹の猫の世話は、私達夫婦がするようになりました。
小笠原に単身赴任している間に、ジローは亡くなりました。
ジローはかかりつけの獣医さんによると、16年生きたそうです。
ジローの介護をした妻が一番辛い思いをしたようです。
今でもジローの話になると、妻は涙なくしていられません。
私も、急いで話題を転じるようにしています。
ミーの話をしている時でも、
意識的にジローのことには触れないようにしています。
小笠原から帰って落ち着いてから、
娘や私が撮りためたジローの写真の中から選び、ジローの追悼集をつくりました。
それを音楽入りのCDに焼きました。
2人の娘が久しぶりに来て、さっそくジロー追悼集のCDを見たそうです。
「愛ちゃん、来て来て」と、娘たちが呼んでも、妻は来なかったそうです。
辛い思い出がよみがえるのが嫌だったからでしょう。
先日、久しぶりに「猫のアルバム」を開いてみました。
ジローが亡くなって約6年。
今度は、ミーがそろそろ危ないのではないか。。。
最近は、
そう思って心配していると立ち直り、また元気になりを繰り返しています。
22年目も、半ばを過ぎたミーのこと、いつ不測の事態がくるかわかりません。
そろそろ、ミーの追悼集の写真の準備をしておこうと思い、
パソコンに納められているミーの写真を見てみました。
こんな時代があったのだと、昔の思い出に浸りました。
その中から、何枚かを選んで、写真をスキャンしました。
パソコンのHDに「ミーの写真」としてまとめてみました。
その何枚かを紹介したいと思います。
飼い主のネコっ可愛がりにお付き合いください。
大きく育つか心配するほど、痩せて貧弱なミーでした。
拾ってきた当初、下の娘に、
「10日以内にどこかへやらないと、保健所へ持っていくぞ」
なんて、半ば本気で話しました。
ところが、
2匹の猫たちはいつの間にか我が家の家族になっていました。
下の娘が献身的な世話をしているのを見て、
「捨ててこい!」とは言えなくなっていました。
それより、いつの間にか、
家族みんなが2匹の子猫の可愛いしぐさの虜になってしまったようです。