錦眼鏡余話2:No64
杜子春:1 
 
「杜子春」と言えば、芥川龍之介の小説で有名です。
ところが、
芥川龍之介は、「杜子春」を中国の唐代の
伝奇小説集「続玄怪録」をもとに書いています。
「続玄怪録」の作者は、李復言と言う人です。

私は学生時代に、芥川龍之介の「杜子春」を読んだ際に、
そのことが巻末の解説に書かれていたので知りました。
しかし、
解説では、中国の「続玄怪録」の中にある同じ題名の
「杜子春」とどこがどう違うかは、
書いてなかったために分かりませんでした。

家の書棚に、文庫本が横積みされている棚があります。
読む本がなくなったので、寝る前に読むための本を
探していると、陳舜臣の「ものがたり 唐代伝奇」言う
「朝日文庫」(発行元は朝日新聞社)を見つけました。

薄い文庫本なので、すぐに読み終わるなあと思いながら
読み始めました。
17の伝奇がおさめられていました。

11番目に「杜子春」がとりあげられていました。

芥川龍之介が、原作の「続玄怪録」(李復言著)を
どう変えたか、またどういう考えで変えたかを、
作者の陳舜臣自身が自分の考えを綴っています。

ここで、芥川龍之介の「杜子春」が原典をどう変えて
創作されたかを、陳舜臣の説をもとに紹介してみます。

まず、物語の舞台です。
芥川の「杜子春」は、洛陽の都です。
ところが、原作は長安になっています。
芥川が何故「長安」でなく、「洛陽」にしたのでしょうか。

陳舜臣は、芥川は華やかな長安の響きより、しっとりと
落ち着いた感じのする洛陽を選んだのではないかと推論しています。

芥川は、時代設定も変えてあります。
原作は、周から隋にかけての物語ですが、
芥川の「杜子春」は、「唐」としています。
陳舜臣は、芥川龍之介が
周から隋では、まだ戦乱の余韻が色濃く残っているため、
唐の時代として、落ち着いた雰囲気を設定したかったとしています。
特に隋の煬帝のようにギラギラした人物を嫌ったためだろうと
しています。

芥川龍之介の「杜子春」の書き出しは、

「或春の日暮れです。
唐の都洛陽(らくよう)の西の門の下に、
ぼんやりと空を仰いでいる、一人の若者がありました。」

で始まっています。

芥川の「杜子春」は、「或春」と設定されていますが、
原作は「まさに冬」となっています。
ここでも、原作者と芥川の場面の設定が大きく違っています。
現実的な中国人である李復言(原作者)は、
お金を使い果たした杜子春が寒い冬の中で、
意志薄弱、遊び好き、相手にするものもいない厳しい社会を
リアルの描いています。

面白いのは、
芥川の「杜子春」では、老人からお金を貰うところを原作と大きく変えてあります。
芥川の杜子春は、老人から
「今この夕日に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当たる所を
夜中に掘ってみるがよい。
きっと車いっぱいの黄金が埋まっている筈だから。」
と教えてもらうのです。

現金のやり取りではなく、黄金を。。。それも地中から掘るのです。
中国人と日本人のお金に対する違いを感じるのは、
私だけではないと思います。