錦眼鏡余話2:No62
カースト制度:1 

かなり以前から、私は「インドを旅行したい」という願いをもっています。
「願えば叶う」
いつか実現すればいいなあと考えています。

インドへ行きたい理由は、2つあります。

一つ目は、
インドのカースト制度が気になっていまいます。
目覚ましい経済発展の中で、
カースト制度が変容をとげていると考えているからです。
実際に旅行して、自分の目でそれを見てみたいのです。
世の中の暗部は、
単なる旅行者・観光客には見えにくいものだということは分かっていますが。。。

25年ほど昔、北部インドを12月に10日間ほど旅行したとき、
オールドデリーの広々とした公園の脇をワゴン車で通りかかりました。
午前中の早い時間でしたが、公園に点々と黒い塊がありました。
始めは、黒い点々が何だか分かりませんでした。
そのうち、その黒い点々は、人々が蹲っている姿であることが分かりました。
蹲っている人々は、毛布のようなものにくるまってじっとしていました。
ガイドさんの説明では、家のない人々がこうして夜を過ごしているのだと
いうことでした。
温暖な地方とはいえ、12月です。
夜になると、冷えるはずです。
私の英語力がもっとあったならば、どんな人々なのか聞くことができたのですが。。。
かなりの数にのぼる点々は、
私の見ている間、身じろぎもしなかったのが印象的でした。
そのとき、蹲っている人々がカースト制度の最下層なんだろうと思いました。

二つ目は、アジャンター・エローラ遺跡を訪れたいという願望があります。
仏教発祥の地、インドで何故仏教が滅んだのか、大学生の頃から疑問に
思っています。
この2つの遺跡を見ると、それが分かるような気がするのです。

まず一つ目ですが、
インドの目覚ましい経済的な発展は、
カースト制度(身分制度)に大きな影響を及ぼしていると考えています。

日本でも、江戸時代、士農工商の身分制度があり、
身分制度外に「触民」がつくられていました。
明治政府は、「解放令」を出したものの、社会の差別はなくなりませんでした。
(島崎藤村の小説「破戒」は、この問題を取り上げています。)

10月頃の朝日新聞の朝刊に「カオスの深淵」という連載記事が
4回シリーズで載っていました。

その3回目に「知識を得て底辺脱出」という見出しで、
インドの実情が報告されていました。
サブタイトルに”新世代の「グル」ー群がる成功者たち”とありました。

インド南部の都市バンガロールの超高級ホテルで、
今年の8月26日にあるパーティーが催されたそうです。
パーティーは、カースト制度の最底辺の階層「ダリット」出身者でつくる
商工会議所の支部設立総会だったそうです。

「最も貧しいと思われてきた私たちが、最高級ホテルで
パーティーを開く。常識を覆したかった」
と会頭が話してくれたそうです。

最低辺層の「ダリット」は、カースト(制度)外と位置づけられ、
かっては「不可触民」と言われきました。
インド全土で約1億6600万人いるとされ、インド全人口の
14%を占めています。

ダリット商工会議所は、
ダリットの中から新興エリートに転じた経営者の集まりだそうです。

会頭のカンブレさんは、西部プネーで建設会社を経営していて、
年間売上高は約15億円。
従業員は約500人だそうです。

何故、カンブレさんは成功できたのでしょうか。
新聞によると、
インドは1950年の憲法施行後、「ダリット」などの境遇をよくするために、
進学や就職に優先枠を設けたのだそうです。
優先枠のおかげで、大学の奨学金を得て、
教師にも優先的に採用されたそうです。

カンブレさんは
「教師は社会的地位が高いので、経営者への道に入り易かった」
と説明しています。

インド社会では、まだ差別は解消されていません。
成功する「ダリット」は、まだほんの一握りだそうです。

インド工科大学は、世界のIT分野で存在感を示している大学です。
この大学にも、ダリット優先枠を使って、超難関を突破して入学した
ダリット出身者がいるそうです。

彼らが目指す先は、アメリカのシリコンバレーだそうです。
そこで、成功して企業経営者になるインド人は、
米シリコンバレーの企業経営者の4割を占めていると言われています。
その中に、ダリット出身者もいるそうです。

近年、米シリコンバレーのインド人企業経営者の間で、
インド回帰が進んでいるそうです。
科学・技術の知識を身につけ、アメリカ社会から故郷へ戻り、
グローバルな考え方をもった新しい経営者たちがインドを
大きく変えていく原動力になっていくような気がします。