錦眼鏡余話2:No50
辞世のうた:1 
 
若いころから歴史が好きでした。
大学では東洋史を勉強しました。
なんて言うと、漢文を自由に読みこなしてきたと思われますが、
読めなくて苦労しました。

大学生のとき、
神田の古本屋街のある書店で、
手ごろな価格の史記(司馬遷)の和綴じ本が売りに出されていました。
その史記の和綴じ本が欲しくて欲しくて、
学校帰りに、その書店へ数回通い逡巡した結果、買い求めました。
値段は当時の奨学金の3倍ほどの値段でした。

ところが、
自分のものにした「史記」を、ほとんど開くこともせず本箱に飾ったままでした。
本当に勉強しない学生でした。
(和綴じ本の「史記」は、いまだに本箱の中に積まれてあります。)

私は、歴史。。。とりわけ歴史を生き抜いた人物に興味がありました。

その頃、自分の人生は50歳までだと勝手に決めていました。笑
50歳を過ぎて、自分の歳を余禄1歳(51歳)、余禄2歳(52歳)などと数えていました。

なんで、
人生50年と決めたかと言うと、織田信長の幸若舞「敦盛」の影響です。
織田信長は桶狭間の戦いの前夜、「敦盛」の一節を謡い舞い、
甲冑をつけて出陣したと言われています。

幸若舞の「敦盛」の一節とは、
「人間(じんかん)五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度(ひとたび)生(しょう)を享け、滅せぬもののあるべきか」

「人の世の50年の歳月とは、下天(最下位の天住人)の一日にしかあたらない」
(人間「じんかん」とは、人生「じんせい」50年ではないのですね。
人の世の歳月、50年なのだそうです。)

織田信長は本能寺の変で、
明智勢と戦う最中に「敦盛」を口ずさんだとも言われています。
(歴史的な確証はありません。)
享年49歳でした。

ところで、辞世とは?
ウィキペディアでは、辞世を次のように説明しています。

「辞世と言えば一般に、この世を去る時に詠む短型詩のことを言う。
これは東アジア固有の風俗である。
基本的にはあらかじめ用意された作品のことを指すが、
末期の床でとっさに詠んだものや、急逝のために辞世をつくるいとまがないため、
最後の作品:絶句を含めて広い意味での辞世も含む。」

自分が45歳を過ぎた頃、歴史上の人物が残した辞世の歌・句に興味をもちました。
実際に辞世を集めたりもしました。
ノートに書き溜めた辞世をいくつか紹介していきたいと思います。