錦眼鏡余話1:No16
  フエ・ホイアンの旅:その3 
 
夕方の5時、
すべての手続きを済ませ、ボーディングゲイト前の控え場所
で休むことにしました。
喉が渇いたので、売店でお茶を買いました。
2万5千(約百円)ドンです。
売店を一通り見終わっても、出発まで1時間もあります。
今までの旅の記録をつけることにしました。
手のひらサイズのノートを出して、時間を追って記録して
いきました。
外は、煙っているようです。
霧雨のような感じですが、雨は降っていないようです。

椅子に腰かけましたが、
退屈なので、ボーディングチケットの文字や数字を見ていました。
隣りの椅子に座っていたIさんに解説してもらって、
大分チケットの見方が分かってきました。
「搭乗ゲイトの番号」「集合時間」「自分の座席番号」などの
情報が印字されていました。
今まで、こんな当たりまえのことすら、Iさんを頼っているために
自分で確認していませんでした。
反省!ですね。
これから、必ず自分で確認して動く癖をつけようと思いました。

出発30分前の7時40分に人々が動きました。
ゲイト入口で搭乗が始まりましたが、我々は列が短くなるまで
のんびりと待つことにしました。
友人のIさんは、旅慣れているので、Iさんに従っていれば
安心しています。

時間通りに飛行機は離陸しました。
飛行機は、ベトナムの長い海岸線に沿って飛行しています。
フエの飛行場に午後9時11分も着く予定です。
フエの飛行場からホテルまでは、タクシーです。
飛行場に着いてから、タクシーの運転手と料金の交渉をすることが
うまくできればいいなと思っています。
でも、こうした交渉も、友人のIさんがやってくれます。

フエの飛行場に定刻通り着きました。


ここで、ベトナムの古都「フエ」について紹介します。

フエは、ベトナム最後の王朝、グエン(阮)朝の都が置かれたところです。
15世紀、フエを中心に勢力を拡大したのが、グエン氏です。
1802年、グエン・フック・アイン(後のザー・ロン帝)がフランスの協力を得て、
グエン朝を建国しました。
その後、グエン(阮)朝は1802年〜1945年の間、このフエに都を置きました。
グエン朝は、フランスによる植民地化など列強諸外国に翻弄されながらも、
13代に渡って続きました。
フォン川のほとりに歴史的建造物が集まっています。
また、ベトナム戦争の激戦地ともなりました。


荷物を受け取って空港の出口で、荷物チェックを受ける
前方右手にタクシーの案内所がありました。
案内所の係員に、Iさんがタクシーの利用を告げました。
空港の外へ出ると、ひとりの男性が手を振って、
我々を1台のタクシーに案内してくれました。
乗り込むと、すぐに料金交渉です。
ところが、運転手は運転席の前にある料金メーターを指して、
メーターの料金通りだと言いました。

今回のベトナム旅行中、何回かタクシーを利用しましたが、
タクシー代はどのタクシーもメーター通りの請求でした。
当たり前のことですが、
旅行者にとっては、安心して旅ができる条件のひとつだと感じました。

1月21日(日)・22日(月)の2泊は、
センチュリー・リバーサイドホテルに泊ります。
センチュリー・リバーサイドホテルは、
名前の通りフォン川のほとりにありました。
フエの街並みは、フォン川を挟んで、旧市街と新市街に分かれています。
この街を2本の橋が結んでいます。

ホテルの部屋から外を見ると、
フォン川と旧市街を見下ろすような風景が広がっていました。
ベランダに出て、
観光船や小さな笹舟のような舟がフォン川を行き交うさまを撮影しました。
雨が降ってきそうな天気だったのが悔やまれます。
(ホテルからフォン川下流域を見る。)

Iさんとホテルのフロントへ行って、
明日実施の遺跡見学半日ツアーを申し込みました。
ふたりで、フロントへ行き、申し込みをしました。
(ホテルからフォン川上流域を見る。遠く山並みが見える。)

夕飯はホテル近くのレストランで食べました。
ベトナム料理は、味付けが薄く、私の口にあいました。

(2012年2月8日記)

「フエ・ホイアンの旅:その4」へ続く