カトリック仙台司教区第1地区青森市内教会ホームページ

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典礼暦 Liturgical year RECRUIT

典礼暦について About Liturgical year

※ここでは、「主日とクリスマスおよび復活祭のことにのみ掲載します。それ以外の典礼暦については、パソコン版にてご覧下さい。
1.主日について

 主日(日曜日)の朗読配分は3年周期です。西暦の年数(上述の通り典礼暦上の一年は待降節から始まるため、開始時点の年数に1を加えた数)を3で割った場合に、1余る年をA年、2余る年をB年、3で割り切れる年をC年と呼びます。A年にはマタイ、B年にはマルコ、C年にはルカの各福音書がおもに朗読されます。
 週日(月~土曜日)の朗読配分は2年周期です。西暦の奇数年を第1周年、偶数年を第2周年と呼びます。ただし、2年周期になっているのは「年間」の第1朗読だけで、福音書朗読および待降節・降誕節・四旬節・復活節の第1朗読については1年周期であり、毎年同じ箇所が朗読されます。
 また、1年を通して特定の日に聖人を記念する(カトリック教会の聖人暦を参照)。その際の朗読配分は基本的に1年周期で、毎年同じ箇所が朗読されます。
 現行の典礼暦は、基本的に以下のような構成になっています。
2.待降節について

 典礼暦上の一年の始まりです。主の降誕 (12月25日)の4つ前の日曜日から主の降誕の前晩のミサの直前まです。(待降節は11月30日、もしくはそれに近い主日の「前晩の祈り」にはじまり、主の降誕の「前晩の祈り」の前に終了します。
 待降節を守る習慣は、5世紀ころからはじまったといわれています。主の公現の祝日までの40日間を四旬節の期間にならっていました。
 後に、キリスト誕生の準備期間とされ、現在の4つの主日になりました。カトリック教会は、待降節をキリストが誕生された日、クリスマスを待ち望み準備する期間として過ごします。また、待降節の前半は、終末におけるキリストの再臨に私たちの心の目を向けさせる終末的色彩の濃いときでもあります。
 歴史は、人間の数限りない神へのそむきと、それにもかかわらずたえず人に回心を呼びかける神のいつくしみとで織りなされていますが、まさに、待降節はこの人間の罪の闇と、いつも人間を受け入れてくれる神の愛のあたたかさのコントラストが最もはっきりしている季節です。
 この待降節中に読まれる聖書は、第1朗読の旧約聖書では、救いの日の訪れを告げる預言書が読まれます。第2朗読では、主の再臨を待望するにあたっての教訓、勧告をのべた箇所が読まれます。福音書では、終末における主の再臨や第一の来臨を準備した洗礼者ヨハネの記事などから選ばれています。
 待降節の典礼色は紫色です。待降節第3主日には、バラ色を用いることができます。
 アドベント・カレンダーやろうそくは、私たちの心にキリストを待ち望むことを呼びかける助けとなっています。
 待降節は、アドベント (Advent) は、カトリック教会において、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことです。日本語では待降節(たいこうせつ)、降臨節(こうりんせつ)、または待誕節(たいたんせつ)といいますが、教派によって名称が異なり、主にカトリックや福音主義教会(ルター派)では待降節、聖公会では降臨節と呼んでいます。
アドベントという単語は「到来」を意味するラテン語Adventus(=アドベントゥス)から来たもので、「キリストの到来」のことである。ギリシア語の「エピファネイア(顕現)」と同義で、キリスト教においては、アドベントは人間世界へのキリストの到来、そして、キリストの再臨(ギリシア語のパルーシアに相当)を表現する語として用いられる[2]。
 カトリック教会では、前述の通り1年は待降節から始まるりますが、クリスマスカードの一般的なあいさつに「A Happy New Year.」が使われるのはこの意味からです。
 待降節の始まりの日にち(ただし必ず日曜日から)は、その年の12月25日を基準にするため、その年によってが違いますが、11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日からクリスマスイブまでの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まります。5世紀後半に、クリスマス前の断食の時期として、聖マルティヌスの日が開始日と定められましたが、後にグレゴリウス1世の時代に、4回の主日と定められました。最初のアドベントを待降節第一主日と呼び、その後、第二、第三、第四と主日が続きます。
 アドベントには、ろうそくを4本用意して、第一主日に1本目のろうそくに火をともし、その後、第二、第三、第四と週を追うごとに火をともすろうそくを増やしていくという習慣があります。この習慣は、一説によると、ドイツ国内の伝道の祖といわれるJ・H・ヴィヒャーンが始めたもので、ハンブルクにある子供たちの施設「ラウエス・ハウス」(粗末な家)で初めて行われたそうです。当時は、クリスマスまで、毎日1本ずつそうそくを灯したともいわれています。
 「アドベントクランツ」(または「アドベントリース」)は、常緑樹の枝を丸くまとめ、装飾したものに、4本のろうそくを立てたものですが、アドベント用に4本のろうそくが立てられる燭台を用いたものもあります。クランツのモミの枝は降誕日を、4本のろうそくは待降節の4回の主日を意味しています。クランツ(冠の意)は称賛や崇敬を表し、王たる存在のイエスを象徴し、常緑樹の緑色は救い主イエスの永遠の命を意味していると言われています。
 通常、ろうそくの色は白または典礼色に倣い紫ですが、第三週のガウデテ・サンデイのみはバラ色のろうそくを用いる場合もあるようです。また、家庭においてはろうそくの色は自由であり、実にさまざまなものが存在します。
 子供たちの楽しみとしてアドベントカレンダーがありますが、紙や布などで作られ、待降節の始まりから12月25日までの日付の窓やポケットがついており、ポケットに天使やサンタクロースなどの小さなぬいぐるみを入れたり、その日の窓やポケットを開くとイラストが現れたり、お菓子が入れてあったりとさまざまですが、いずれにしてもクリスマスを心待ちにし、敬虔な気持ちで待降節を過ごすことを子どもたちに教えるための待降節の飾りです。また、救い主イエス・キリストの誕生物語(Nativity)をあらわす馬小屋は、待降節には欠かせないものです。
3.降誕節について

 主の降誕の前晩のミサから始まり、「主の洗礼」をもって終わる期間です。
 降誕節は、主の降誕(12月25日)の「前晩の祈り」ではじまり、主の公現後の主日(1月7日~13日の間の日曜日)で終わります。
 日曜日で必ず終わるので、年によって日にちが移動します。長い時は2週間と6日、短い時は、2週間です。
 教会の歴史の中で、「主の過ぎ越し」の記念に次いで、行ってきた最古の祭儀は、「主の降誕と主の公現」の記念です。「主の降誕と主の公現」の記念は、降誕節中に行われます。
 主の降誕 12月25日。祭日。伝統的には、前晩(12月24日の日没後)・夜半(25日午前0時)・早朝(25日未明)・日中(25日午前)の4回のミサが行われます。ただし多くの教会では、夜半のミサを24日の晩に前倒しして祝っています。
 降誕節は、固有の8日間をもちます。聖家族の祝日(8日間中の日曜日。日曜日がない時には30日)。26日 聖ステファノ殉教者。27日 聖ヨハネ使徒福音記者。28日 幼子殉教者。29~31日 主の降誕第。5日~7日1月1日 神の母聖マリアの祭日です。
 1月2~5日の間の日曜日は、降誕後第2主日です。
 1月6日は主の公現ですが、日本は守るべき祭日でないので、1月2から8日の間の日曜日に祝います。
 主の洗礼の祭日は、主の公現直後の日曜日に祝います。しかし、主の公現の祭日が1月7日か8日にあたる場合、主の洗礼の祭日は、その翌日に祝います。
 降誕節の典礼色は白色です。
4.四旬節

 四旬節は、灰の水曜日から始まり、聖木曜日の主の晩さんの夕べのミサの直前までです。
 灰の水曜日をもって、典礼暦年(教会カレンダー)では、四旬節に入りますが、灰の水曜日は、図で示したとおり復活祭の前の日曜日を除く40日前になります(実質は、46日間)。
注)灰の水曜日 復活の主日の46日前の水曜日。典礼は、灰の水曜日から四旬節に入ります。イエスが宣教生活に入られる前に砂漠で40日間断食をされたことにならい、教会生活の伝統では断食、節制が行われてきました。聖書において40の数字は、試練(神の計画が実現するまでの準備の期間)の時を表します。
 また、復活祭(イースター)は、クリスマスのように毎年同じ日ではなく、その年の春分の次の満月のすぐ後の日曜日。と定められています。3月22日~4月25日の期間を移動する、移動祝祭日です。


 四旬節はもともと、洗礼の準備期間でした。復活徹夜祭に 新しく洗礼を受ける洗礼志願者の準備として、イエスが公生活のはじめに砂漠で40日断食をされたことにならい、40日の祈りと節制をする期間としてはじめられたものです。やがて、すでに洗礼を受けた人も洗礼を受けた時の志を もう一度新たにするために、全教会で行われるようになりました。
 8世紀ころの教会では、もっぱら節制の期間と考えられていましたが、第2バチカン公会議は、洗礼準備期として再度取り上げ、四旬節に読まれる聖書朗読と典礼は、洗礼志願者の教育に向けたものにしました。四旬節は、キリストの死から復活への過越の神秘にあずかる信仰を確認する時なのです。
 四旬節の典礼によって、洗礼志願者はキリスト教入信の初段階をとおして、すでに洗礼を受けた信徒は、洗礼の記念と償いの業をとおして、過越の神秘の祭儀にそなえます。カトリック教会は、四旬節の心を大切にしながら、この40日をすごすように勧めています。
四旬節における聖書朗読
 四句節の聖書朗読は、次のように配分されています。
 主日においての福音朗読は、第1主日と第2主日には主の試みと変容の記事が読まれ、しかも3つの共観福音書によって朗読されます。
 続く3つの主日において、A年では、サマリアの婦人、生来の盲人、ラザロの復活についての福音が読まれます。これらの福音はキリスト教入信にとってとても重要です。そのため、洗礼志願者がいる場合には、B年とC年にも、それらを用いることができます。
 通常、B年には十字架と復活によるキリストの未来の栄光についてのヨハネ福音書、C年には、回心についてのルカ福音書が用いられます。
 第1朗読における旧約聖書の朗読は、四旬節固有のテーマのひとつである救いの歴史に関連しています。毎年、その歴史のおもな要点を含む一連の箇所が選ばれています。ですから、この時期には旧約聖書と親しむ機会にすることをお勧めします。
 第2朗読では、福音朗読と旧約聖書の朗読にできるだけ呼応した使徒書が選ばれています。
四旬節の週日において
 福音と旧約聖書からの朗読は、相互に関係のあるものが選ばれています。この季節のテーマにそった聖書朗読は、非常にゆたかなものとしてくれます。
 第4週の月曜日以降においては、ヨハネ福音書の準継続朗読が行われ、四旬節の特徴にいっそうよくあった福音が朗読されます。その中で、サマリアの女性、生来の盲人、そしてラザロの復活についての朗読は、A年の主日に読まれているので、他の年には週日にも採用することができるように考慮されています。
 聖書はいつも私たちを養ってくれますが、この時期に日々、典礼にそってみ言葉を読んでいくなら、毎日が非常に豊かなみ言葉に活かされた日々となるでしょう。同時に、四旬節に旧約聖書に親しむのを助ける本を読むことは、救いの歴史の展開について理解するのを助けます。
 ラテン語のクワドラジェジマ(Quadragesima:四旬節)の40という日数の象徴的原型は、まさにこのイエスの40日の体験にあるのです。40という数は、旧約の時代からすでに象徴的な意味をもっていましたが、キリスト者はキリストの断食と祈りに倣いたいという思いから自然にキリスト者の中におこってきたものです。
 キリスト教国でない日本では、四旬節のはじめである灰の水曜日と主の受難(聖金曜日)を、大斎(だいさい)・小斎(しょうさい)の日と定めています。大斎や小斎は、自分の心を神や人々にささげることのしるしです。四旬節にはことにその精神で生きたいものです。
洗礼の準備
 回心と罪の償いという性格をもっています。教会は3世紀ごろから四旬節を洗礼準備の季節としてきました。この期間、洗礼志願者だけでなく、全教会の信徒たちが志願者たちのために祈り、また自分たちの洗礼の時を思い起こし、洗礼の約束を更新する準備をします。教会は、この期間を、なによりも主イエスの受難と死を思い起こし、救いの「時」の中心に向かって、回心と償いの期間として過ごします。この期間に、教会は、私たちの心が本当にどこに向かっているのかを問いかけ、自己中心から神と人々に向かう「心の転換」(回心)を呼びかけています。
 今日行われる「灰の式」は、「土から出て土に帰っていく私たちが、四旬節の努めに励み、罪のゆるしを受けて新しいいのちを得、復活されたおん子の姿にあやかることができるように」願って、昨年枝の主日に祝福していただいた、棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝を燃やした灰を司祭は一人ひとりの額にかける式も行われます。灰をうけた私たちは自分に頼るのではなく、回心を呼びかけておられる神に信頼して生きることができるように嘆願します。

注)なお、日本料理とされている「天ぷら」は、諸説ありますが、キリシタン時代(室町時代・戦国時代)にスペインやポルトガルの宣教師らによって伝えられた、四旬節に食する質素な食べ物(肉食を禁じ、代わりに野菜や魚に小麦粉で衣をつけて揚げた料理)である「テンプロ(tenplo、スペイン語)、テンペロ(tempero、ポルトガル語)」が"南蛮料理"として紹介され広がったとの説があります。

5.受難の主日(枝の主日
)

 復活の主日の1週間前の日曜日。この日から「聖週間」に入る。
聖週間 受難の主日(枝の主日)から「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」の直前までの期間。
 西暦400年ごろ一人のシスター(修道女)が書いた「エテリアの聖地巡礼記」という記録が、近年になって知られるようになりました。それは、そのころのエルサレムにおける教会の典礼、ことに四旬節、聖週間、復活節の典礼について詳しく伝えています。
 現在「受難の主日」とよばれている主日は、「枝の主日」ともよばれていました。エルサレムにおける枝の行列は、受難の主日のミサの後に行われていたと巡礼記はつづっていますが、現在の典礼では、開祭の部で行われます。
 イエスのエルサレム入城は決定的な受難の道に入ったことを意味し、この時からイエスの歩みは一直線に十字架に向かいます。ですから、今日という日は、エルサレム入城にはじまるキリストの受難が、復活の栄光に至る道であることを思い起こす日です。
 キリスト者は、オリーブ山の教会に集まり、司教を中心に大人も子どもも手に棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝をもって「神の名によって来られた方に賛美」と、詩編や賛美歌を歌いながら行列をし、エルサレムの町に入り、聖墳墓教会(イエスが十字架につけられて死に、埋葬され、復活されたといわれるゴルゴダの丘にある教会)まで行きました。
 このエルサレムの枝の行列にならい、教会は毎年、主イエスのエルサレム入城を記念します。そして、この日から教会の典礼の頂点である「聖週間」とよばれる週に入ります。かつて、この日に使用するオリーブの小枝や棕櫚(しゅろ)の葉(手に入らない場合には、その他の常緑樹の枝)は、信徒が自分で準備して来て、祝福をいただき、それを家にもって帰り、この日を記憶するようにしていましたが、住宅事情などから自分で準備するのが大変なので、現在では教会で準備するようになりました。
 主のエルサレム入城では、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と、イエスがエルサレムに入った時に、感極まる叫びが人々から上がりました。しかし、このエルサレム入城は、イエスの受難の序曲でもあったのです。司祭は枝をもった会衆を祝福し、入城の福音(今年はルカによる福音書)が朗読され、行列(あるいは、入堂)がはじまります。いよいよ一年の教会カレンダーの頂点「主の過ぎ越しの3日間」が、近づいてきます。

注)「ホサンナ」ホサナ(ラテン語: osanna, hosanna、英語: hosanna)は、ヘブライ語(הושענא)で「どうか、救ってください」を意味する ホーシーアー・ナー(hoshia na)の短縮形 ホーシャ・ナー(hosha na)のギリシャ語音写に由来し、キリスト教において元来の意味が失われて歓呼の叫び、または神を称讃する言葉となった。アーメン、ハレルヤ(アレルヤ)などと共に、キリスト教の公的礼拝で使用されるヘブライ語の一つとなっている。
 なお、ラテン語では「オザンナ」もしくは「オサンナ」と発音する。日本のカトリック教会では公的礼拝において「ホザンナ」を、日本正教会では「オサンナ」を使用している。


 今日の第1朗読は、有名な「主のしもべ」の第3の歌です。
第2イザヤと呼ばれるイザヤ書の40~55章は、捕囚時代(紀元前6世紀)の預言で、そこには4つの「主のしもべの歌」と呼ばれるものが収められています。今日の朗読は、その中の第3のものです。「主のしもべの歌」は、聖週間の間に、月曜日に第1の歌、火曜日に第2の歌、水曜日に第3の歌、聖金曜日に第4の歌と朗読されていきます。
 神の言葉を受け、それを伝えたために迫害を受けた主のしもべ。この主のしもべはだれのことかについては、イスラエルの民全体の運命を指すとか、または将来現れるメシアの姿としてとらえられてきました。主の召命を受け、人類の罪を背負って苦難を受けたしもべの姿は、キリストの姿に他ならないと、初代教会から大切に思われてきました。ですから、福音書記者は、人々は「イエスの顔に唾(つば)を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら…」(67節)と、イエスの受けた侮辱を記しているのです。
 第2朗読では、「キリストの賛歌」であるフィリピの信徒への手紙 2章6~11節が読まれます。このキリストの賛歌は、聖週間の間度々登場します。キリストの卑下と死にいたるまでの従順、それに続く高挙(こうきょ)を歌う点で、受難と復活神秘の神髄を示しているからです。
 キリストの地上での生活は、しもべの姿、つまり仕える者、神と人々に奉仕する姿で要約されます。人々が救い主(メシア)に抱くイメージと、イエスの生涯にはあまりにもギャップがありました。そこにこそ、神の神秘が秘められているという感動が、このキリストの賛歌の根底に流れています。これは、教会の信仰の基調を奏でている賛歌であり、それを使徒聖パウロが記したのです。
 毎年、今日のミサにおいて、主の受難の朗読が行われます。主の受難は、初代教会において重要な意義をもっていました。受難の朗読は、古くから聖金曜日に行われていました。福音書の中で受難に関する叙述は、キリスト伝の中心的なものです。四福音書のすべてに受難の叙述があります。
 A年には、マタイによる主イエス・キリストの受難(26.14~27.66)、B年には、マルコによる主イエス・キリストの受難(15.1~39)、C年には、ルカによる主イエス・キリストの受難(23・1~49)が読まれます。それぞれを比較しながら読んでみると、福音書によって受難物語の主眼点の違いが見られます。
 マタイによる主イエス・キリストの受難では、イエスと弟子たちの結びつきが強調されています。マルコ福音書は、受難の出来事を何も飾らずに、起こったとおりに記述しています。C年に読まれるルカ福音書では、出来事を正確に描写すると同時にイエスの人となりに重点をおいて描いています。
14.聖なる過越の3日間

 週の最初の日が「主の日」と呼ばれ、キリストの復活を祝う根源の祝日として、一週間の中心であるように、キリストの受難と復活を記念する聖なる過越の三日間は典礼暦年の頂点となっています。この三日間(「聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ」にはじまり、復活の主日の晩の祈りで終わる3日間。)は、十字架につけられ、葬られ、復活されたキリストの「聖なる三日間」であり、それは「主の晩さんの夕べのミサ」から始って、復活主日の晩の祈りまでの全過程をさし、受難と十字架を通して、死から生命へ移られるキリストの過越の神秘を祝う三日間です。
 主の晩さんの夕べのミサ
 キリストが聖体、ミサ聖祭、司祭職の秘跡を制定した最後の晩さんの記念を行います。ミサの中では任意の洗足式と聖体安置式があり、具体的な神の愛としての聖体と兄弟愛を思い起こさせます。

6. 主の受難

 キリストの御受難御死去の記念日です。キリストの死を黙想するとともに、十字架の勝利を賛美するために十字架の顕示の後に、十字架の礼拝式が行われます。
なお聖金曜日と聖土曜日は主がご死去し、墓に安置された日であるという古来の伝統に基づき、この両日にミサは行われません。
 復活の聖なる徹夜祭
 古来の伝統に基づき、今夜は神のために守る徹夜とされています。参列者はあかりをともして主の帰りを待つことをあらわすために「光の祭儀」(第一部)があり、それに続いて聖なる教会は、神が始めからご自分の民のために行われた偉大なわざをしのびつつ、また神のことばと約束に信頼しつつ徹夜を行い(第二部、「ことばの祭儀」)、やがて復活の日が近づき、洗礼によって生まれた新しい教会の成員(第三部、「洗礼式」)とともに、主が死と復活を通して私たちのために準備された食卓に招かれる「感謝の典礼」(第四部)が行われます。
(1)「主の晩餐の夕べのミサ」(第1日目)
 聖なる過ぎ越しの3日間の第1日目が、聖木曜日です。この日、午前中は各司教座聖堂において「聖香油のミサ」があります。司教は司祭団と共同司式のミサを行い、その中で司祭団は司教の前で司祭叙階の日の“司祭の約束”を更新します。
 「キリスト」とは、油注がれた者という意味です。旧約聖書では、王、祭司、預言者が注油を受けていました。イエス・キリストは新約の唯一の大司祭、預言者、王として、油注がれた者=キリストとよばれます。私たちも洗礼、堅信のときに、聖香油を受けます。また、司祭が叙階されるときにも用いられます。
 このミサで、洗礼志願者の油、病者の油が祝福されます。このミサで読まれる朗読は、第1朗読:イザヤ 61章1~3a、6a、8b~9節、第2朗読:黙示録 1章5~8節、福音朗読;ルカによる福音 4章16~21節です。
 木曜日の日没後に「聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ」が祝われます。
 「主の晩餐の夕べのミサ」は、最後の晩餐を直接記念するものとして、必ず夕方に行われます。主の晩餐を木曜日に祝った最初の記録は、4世紀後半です。
 古代エルサレムでは、このミサが終わると、一同、家に帰って食事をすませてから、今度はオリーブ山に集まり、真夜中になると、主が捕らえられた場所へ移り、そこで聖書の記事を読み、主の受難を思い起こして泣いたと伝えられています。聖地エルサレムでは、その日、そのときにふさわしい聖書の箇所を朗読するだけではなく、そのとき そのことが行われた場所に集まることができたのです。今でも聖週間には、聖地エルサレムにたくさんの巡礼者が訪れ、あのイエスの出来事を再現しながら過ごしています。
 第1朗読では、出エジプト記12章が読まれます。この箇所は、ユダヤ教最大の祝日、過越祭の行い方について述べられているモーセの言葉です。今日読まれる箇所とその後21~23節に記されている儀式は、旧約聖書にいろいろと書かれている過越祭のうち、最古の形を反映したものということです。モーセは、イスラエル全会衆にこの祝日の儀式と意味を説明するように、神からのいのちを受けます。
 厳密な意味でのイスラエルの歴史は、出エジプトの時点からはじまるわけです。イスラエルの宗教暦は、過越祭を祝うことが新年の第1月となります。この月は “アビブの月”と呼ばれ、“穂の月”の意で捕囚後は“ニサンの月”と呼ばれました。この月の14日の夜にこの祭りが祝われました。
 式の次第は、その夜、家畜の群れに神の祝福がくだるように、いけにえの動物には傷のない雄の羊かやぎが選ばれ、当歳の動物が主にささげられました。その血は、神の保護のしるしとして家の戸口に塗られ、一家族全員がその肉を旅のいでたちで、種なしパンと苦菜と一緒に急いで食べるのです。この式が主の過ぎ越しであると言われます。過越祭は、モーセの時代やエジプト脱出以前にさかのぼると言われますが、この祭りに決定的意義を与えたのは、エジプト脱出の出来事です。
 この過越祭の出来事は、「主の過越」のかたどり(Ⅰコリ 5.7 参照)として新しい意義をおび、キリストの血によって、罪と死の束縛から解放される真の過ぎ越しの小羊として、十字架上のキリストのいけにえを意味するのです。
 第2朗読では、使徒パウロのコリントの手紙から読まれます。この日の朗読は、「わたし自身、主から受けたものです」とはじまります。つまり、主キリスト自身に由来していると言います。
 聖体祭儀制定については新約聖書に四つの記述があります。コリントの手紙は4福音書よりも早く書かれたものなので、今日の朗読で読むイエスの言葉の記録としてはもっとも古いものと言えます。また、教会の聖体制定の儀式の正当な理由もここに見いだすことができます。その意味でも今日読まれるために最もふさわしい聖書と言えるでしょう。
 「わたしの記念としてこのように行いなさい」とのキリストの命令を、パンと葡萄酒の両方で繰り返しているのは、パウロのみです。聖体の儀式は、「新しい契約」と書かれているように、神と人との古い契約は、律法に基づくものでしたが、「新しい契約」は、イエス・キリストの血によって立てられたものです。パウロは、キリスト者共同体における聖体祭儀の深い意味をはっきりと述べています。つまり、彼によると、聖体祭儀は、私たちの罪をあがなったキリストの死と終末における栄光に輝く主の来臨という過去と未来の両方に関わっていると言います。ですから、ふさわしい状態で「主のパン」を食べ、「主の杯」を飲む必要があるのです。
 主の晩餐の夕べのミサでは、ヨハネ福音書による最後の晩餐の最初の部分が読まれます。その箇所は、イエスが受難と復活によって栄光の主になったことを語る「栄光の書」の導入になっている箇所です。
 ヨハネにとって、最後の晩餐から十字架の死にいたるまでの場面は、イエスの弟子に対する愛のあらわれからはじまり、その完成までのことを述べたものです。御父のもとに移るときがきたことを知ったイエスは、群衆を離れ、静かに弟子たちと共に最後の晩さんのときを過ごされます。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分のときが来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。「愛する」「この上なく(限りなく、終わりなく)愛された」、非常に心に響く言葉として中に入ってきます。十字架を前にしてイエスが、ますます愛高まったさまが描かれています。
 イエスは愛のきわみをあかすために、弟子たちの前にひざまずき、彼らの足を洗います。イエスの時代、洗足はしもべの仕事でした。イエスが弟子たちの足を洗われることにより、イエスが彼らのために仕える者、命を与える者になったのです。この洗足(せんそく)式もヨハネの文脈で見るなら、洗足式はイエスの福音宣教の結び、その奉仕の最高のあらわれ、愛のきわみです。イエスの使命の本質を示すものなのです。
 この日、教会では「洗足式」が行われますが、これは、4世紀ころ西方の教会で、洗礼式との関係ではじまったものです。また、人を受け入れる、愛のおきての実践として、修道院で客を迎える儀式としても行われていました。今日は、この福音を何回も読みながら、心に一言ひとことを入れながら、イエスの言葉を観想する日としたいと思います。
 このイエスの思いが世界中の人々の心の中にまでしみ通り、親しく交わる世界の訪れを祈りたいものです。「聖体こそ交わりを造り出し、交わりをはぐくみます」(教皇ヨハネ・パウロ2世)。この教会の交わりを深めていくのは、私たち信徒一人ひとりのつとめなのです。キリストが聖体、ミサ聖祭、司祭職の秘跡を制定した最後の晩さんの記念を行います。ミサの中では任意の洗足式と聖体安置式があり、具体的な神の愛としての聖体と兄弟愛を思い起こさせます。聖体拝領後、前もって準備された聖体安置所に行列をもって聖体を運びます。この安置された聖体の前で礼拝をすることが勧められています。

(2)「聖金曜日・主の受難の祭儀」
 聖なる過ぎ越しの3日間の第2日目が、聖金曜日です。

注) 金曜日の日中に「聖金曜日・主の受難の祭儀」が行われる。「聖金曜日・主の受難の祭儀」は金曜日の午後3時ころを目安に行われるが、信徒の便宜に配慮して金曜日の夜に行う教会も多い。

 古代エルサレムでは、聖木曜日の夜、オリーブ山に集まって主の受難をしのび、そのままそこで祈りあかした人々が多くいました。一同は明け方になって町に帰り、カルワリオの丘に建てられた十字架堂に集まり、キリストの受難の朗読の中の、ピラトから尋問されるところまでを聞いたのです。その後、昼までは十字架の遺物の崇敬を行いました。正午から3時までは、その日に適した聖書の朗読に耳を傾け、さらに元気な人はその夜も復活堂に集まり、主の復活に希望をもって祈ったと伝えられています。
 教会の伝統の中では、イエスが死刑の宣告を受け、十字架を担ってゴルゴタの丘へ向かい、死んで墓に葬られるまでの出来事を「十字架の道行き」という祈りで祈っています。歴代の教皇は、聖金曜日に、ローマのコロセウムでご自身で十字架を担い、この十字架の祈りを行われます。一定の祈りの形式のもとに、キリストの受難の場面場面に留まりながら祈り、イエスの苦しみを黙想する「十字架の道行き」の祈りは、カトリック教会の伝統的な美しい祈りの一つです。この機会に「十字架の道行き」の祈りを祈ってみませんか。 この日の典礼は、このようなエルサレムの習慣からから発展したものです。しかし、キリストの受難と死を、単に時間の流れにそって再現するのではありません。むしろ、人類への救いの歴史全体における意義を思い起こし、復活への希望をもって主の十字架の勝利を賛美するものになっています。
 十字架は、二つのことを語っています。人間は本来なにものであったのか、つまり、罪、のろい、わざわい、みじめさそのものであったこと。同時に、ご自分の子をおしまずに与えられた神の愛。イエスの死において、罪の秘義とその罪をゆるす愛の秘義とが示されています。
 ことばの典礼は全教会、全人類のための荘厳な共同祈願で結ばれています。古代の伝統に従い、教会は聖金曜日と聖土曜日にはミサを行いません。
 聖金曜日はなるべく午後3時ころに行います。この祭儀は、ことばの典礼、十字架の崇敬、聖体拝領の3部からなっています。通常のように祭壇布をかけず、ろうそくもおかず、入祭の歌も歌いません。ここにキリストの死のかたどりをみます。司式者は祭壇につくと、床にひざまずくか、伏すかし、沈黙の後に集会祈願にはいります。
主の受難の金曜日の典礼行為は、イザヤ書で主のしもべとして告げ知らされた(イザヤ 52.13~53.12)、キリストがただ1度ご自身をささげたことにより、救いを成就したことが述べられた(ヘブライ 4.14~16, 5.7~9)キリストの受難と復活をたたえる古いキリスト賛歌(フィリピ 2.8~9)自らを父に奉献して実際に唯一の祭司となられた方の受難が(ヨハネ 18.1~19,42)が、読まれるときに頂点に達します。
 キリストの受難と死は過ぎ越しの途上の出来事なので、「主の過ぎ越し」を記念するミサは伝統的に行いません。しかし、昨日の「主の晩餐(ばんさん)の夕べ」で聖別されたご聖体をいただき、キリストとの一致のうちに、復活への希望を新たにします。
 主の受難の金曜日には、過ぎ越しの聖なる断食が行われます。
 この日は、聖地のために献金をします。1887年、教皇レオ13世は、聖地のための献金を全小教区に命じました。この日、全世界の教会から集められる献金は、イスラエル、ヨルダン、キプロス、パレスチナ自治区内にある数多くの巡礼所、聖堂などの維持管理や、聖地の貧しい人々のためなどに使われています。

(3)「復活の聖なる徹夜祭主の晩餐の夕べのミサ」(復活徹夜祭 聖土曜日 第3日目)
 カトリック教会は、聖土曜日には、主の墓のもとにとどまって、主の受難と復活をしのび、祭壇の飾りを取り除き、ミサもささげません。キリストが墓に葬られたあとの大安息日として、エルサレムでは、一日中復活徹夜祭の準備をしました。この夜は、神のために徹夜をする日とされ、キリスト者はあかりをともして主の帰りを待ち、ともに復活の宴にあずかって主の食卓に招かれるのです。この復活徹夜祭の中で、キリスト教入信式(洗礼、堅信、聖体)が行われていたことが2世紀ころに書かれた書から知られています。
 キリスト教の最大の祭りは、クリスマスではなく、復活祭です。復活徹夜祭は、一年の典礼のうち、最も盛大で、中心的な祭儀です。
 復活徹夜祭は、はじめユダヤ人の伝統に従い、週の何曜日になっても、春の満月の日に祝っていました。後に、ローマの教会とそれに続くすべての教会は、キリストの復活を第一にして、春分の満月に続く第1の日曜日に、「主の日」を祝いました。
 「祝い」は、断食の日にはじまり、日が落ちてから、信徒は祈って夜を過ごすために集まりました。徹夜のはじめに、ユダヤ人の伝統に従ってランプをともしました。それは、大いなる夜の集いであり、聖アウグスチヌスは、「あらゆる徹夜の母(すべての徹夜の中でもっとも荘厳である)」と呼び、もっとも意義ある徹夜として、主の復活を目覚めて祈りながら待つようにとすすめています。「あなた方は、集まって眠ってはいけない。あなた方は、一晩中祈りと涙で徹夜を守りなさい。」
 聖書の朗読は、復活の神秘に関係があるものが選ばれています。出エジプト記の過ぎ越しの小羊の記事(ローマでは、預言者ホセアの書)が読まれ、鶏鳴が新しい日、祝祭の日、喜びの日を告げます。そして、断食が終わっていました。
 私たちが今夜行う式は、旧約の時代から守り続けられ、死んで復活された主キリストに向けられています。このことを思うとき、私たちは、よりいっそう徹夜祭の儀式の意味を理解できるでしょう。
 復活徹夜祭の典礼は、4つの部分からなりたっています。
1.光の祭儀
 復活徹夜祭の一つの主役は火であり、光です。復活されたキリストのシンボルであるローソクの祝福と、光の行列があり、復活賛歌が歌われます。一同は、聖堂の外に準備された火のそばに集まり、司祭は火を祝福します。その後、この火で司祭は復活ローソクに火をともし、「キリストの光」と歌いながら暗闇の中を進みます。
 キリストこそ、「この世を照らす真の光」であり、私たちはキリストの復活によって、闇から救いだされて「光の子」とされたことをあらわします。光は神の存在のしるし、神の力や恵みをあらわすしるしとして聖書にたびたび登場します。ですから、復活徹夜祭に光の祭儀が行われるのは、キリストの復活のしるしです。
 朗読台のそばにあるローソク台に復活ローソクをたて、「声高らかに喜び歌え」と、「復活賛歌」が歌われます。そして、ことばの祭儀へと移っていきます。
2.ことばの祭儀
 救いの歴史をあらわす旧約聖書から7つの朗読、使徒の手紙、福音が朗読され、神の救いのことばと約束に信頼しつつ復活を待ちます。神がこの世のはじめから、いつも私たちの救いを望んでおられたことを語る救いの歴史を旧約聖書から朗読します。
 1)創世記:世界の創造、
 2)創世記:アブラハムの犠牲、
 3)出エジプト記:イスラエルの民の紅海の渡り、
 4)イザヤ書:新しい契約と新しいエルサレム、
 5)イザヤ書:救いをもたらす水と神のご意志を果たすことば、
 6)バルク書:知恵とその輝き、
 7)エゼキエル書:新しい心
 この朗読が終ると、新約聖書の中から、「主の復活にあずかる洗礼」の意味をのべる“ローマの信徒への手紙”が朗読されます。その後、「キリストは復活された」と述べる福音書が朗読されますが、今年は“マルコ福音書”が読まれます。そして、洗礼の部に移行していきます。
3.洗礼の典礼
 初代教会からこの日に洗礼が行われてきましたが、洗礼の儀で、洗礼式が行われます。洗礼を受ける人がいないときには、参加者が洗礼の約束と更新をします。この日のためにずっと準備し、四旬節を励んできた洗礼志願者が、いよいよ教会共同体のメンバーとなる洗礼式です。洗礼は単に個人的な出来事ではなく、教会共同体へ入るわけですから、洗礼の儀では、まず洗礼志願者の紹介があります。
 そして、諸聖人の取り次ぎを願う連願(れんがん)、水の祝福、信仰宣言、洗礼、堅信が行われ、信徒一同は洗礼の約束を更新します。
4.感謝の典礼:
 新しく洗礼を受けた人たちとともに、感謝の典礼に入ります。ここで、主が死と復活をとおして私たちに準備された食卓に招かれます。この祝いをとおして、教会共同体はキリストの復活にあずかり、新たにされるのです。週の最初の日が「主の日」と呼ばれ、キリストの復活を祝う根源の祝日として、一週間の中心であるように、キリストの受難と復活を記念する聖なる過越の三日間は典礼暦年の頂点となっています。この三日間(「聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ」にはじまり、復活の主日の晩の祈りで終わる3日間。)は、十字架につけられ、葬られ、復活されたキリストの「聖なる三日間」であり、それは「主の晩さんの夕べのミサ」から始って、復活主日の晩の祈りまでの全過程をさし、受難と十字架を通して、死から生命へ移られるキリストの過越の神秘を祝う三日間です。

7.「復活の主日」(復活祭)

注) イースターは、イエス・キリストの復活を記念する復活祭のことです。
 そして、教会で最も古い祝日です。イースター(Easter)という言葉の由来は、アングロ・サクソン民族の、厳しい冬が終わり、あたたかな光の中、いのちが芽生える春を祝う「春の祭り」です。この祭り、あるいは春の女神の名前は、OSTARAとか、OSTERA、EOSTOREと呼ばれていました。ドイツ語でOsternとなって、英語ではイースター(Easter)となりました。キリストの復活祭が、春に祝われることから“イースター”と呼ばれるようになりました。フランス語のパーク、イタリアやスペイン、スウェーデンなどで使われるギリシャ語のパスカは、ユダヤのペサハからきています。これは、「過ぎ越し」の、ギリシャ・ラテン語化されたものです。また、ラテン語のパスカ(Pascha)の語源は、ヘブライ語の一種でイエスが使われたといわれるアラム語の “Pesach”です。
  カトリック教会では、復活前日の土曜日の日没以後に、復活徹夜祭が行われます。祝福された大きな復活のローソクに火を灯すことからはじまります。そして、復活を祝う期間は、聖霊降臨の主日まで、50日間続きます。キリスト教の最大の祭りは、クリスマスではなくこの復活祭なのです。
 このように決められたのは、325年のニケア公会議においてです。それより以前は、ユダヤ教の、過ぎ越しの祭りとともに祝われてきました。イエスが最後の晩餐(ばんさん)を行ったのが、過ぎ越しの祭りのときであったことからこのときに祝われてきたと思われます。西方教会は、グレゴリオ暦を使っていますが、非西方教会(たとえば、ギリシャ、ロシア教会など)では、ユリウス暦を用いていますので、カトリック教会とは違った日に復活祭を祝います。


 「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」が祝われ(ただし多くの教会では土曜日の晩に前倒しされている)、日曜日の夜明け後に「復活の主日・日中のミサ」が祝われ、日没前の晩の祈りで終わります。また、主の復活の8日間は、復活の主日から次の復活節第二主日(神のいつくしみの主日)までの8日間で、すべて祭日です。
 復活の主日の朝は、何よりも復活した主を思うときです。朝早くからマリア・マグダレナは動き、走っています。あの方のことが気になってたまらないからです。復活の喜びのメッセージは、女性によってもたらされました。その足取りは、はやる心をおさえきれず、小走りになっていました。この日からはじまる「復活節」の間、弟子たちが復活の主と出会った記事が読まれていきます。
 私たち一人ひとりは、この偉大な出来事を宣べ伝えるために派遣されています。
 初代教会から日曜日は「主の日」と呼ばれ、大切にされてきました。日曜日は、1年中「主の日」と呼ばれ、毎週主の復活を記念しますが、復活の主日はこの主日の頂点、祝日中の祝日です。キリストの復活こそ、私たちの信仰の源であり、この出来事は福音書によると、週のはじめの日、つまり日曜日におこったとされています。この日曜日については、教皇ヨハネ・パウロ2世が書かれた『使徒的書簡 主の日』についてお読みになることをお勧めいたします。この上ない日曜日についていろいろの視点で深めることができます。
 この日の朗読箇所は、古代から用いられてきた伝統的な箇所です。毎年、同じところが読まれます(ただ第2朗読は、コロサイ、または、コリント1から選択することができます)。
 復活節の第1朗読は、ABC年ともに「使徒言行録」から読まれます。10章から、テーマは証人としての使徒です。
証人とはギリシャ世界において、見聞きしたことを法廷などで正式に証しする人、また自分の確信を宣言する人を言います。ペトロが、天井の幻と聖霊によって勧められ、カイザリアの「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長コルネリウスの家で福音を告げた説教からです。彼は、イエスの生涯、受難とくに復活を直接体験した出来事として証言します。しかもその意義や救いの歴史の中での位置をも確信をもって証言します。
 ペトロは、イエスが、
 ・ヨハネから洗礼を授かり、聖霊により油注がれた者となったこと
 ・十字架につけられて殺されたこと
 ・弟子たちは復活したイエスと共に食事をしたこと
 を紹介し、また、
 ・イエスは全人類の審判者として定められていること、
 ・聖書(旧約聖書)に預言されたとおり、罪のゆるしを与える方であること
 を証ししています。
初代教会が聖霊に導かれて歩み、その中で力強くイエスを証しする弟子たちの姿を味わっていきたいと思います。
 第2朗読は、コリントの信徒への手紙1、または、コロサイの信徒への手紙から選択することができます。パウロは、コリントの信徒の手紙で、キリストの死と復活の出来事を、「出エジプト記」12章に記されている、救いの出来事と種なしパンの祭りとに関連づけて書いています。キリストの過ぎ越しのいけにえは、旧約のそれとくらべてはるかにまさる新しい出来事であることを述べます。キリストは私たちの「過越の小羊」として屠られたので、「純粋で真実のパンで過越祭を祝おう」と言っています
 コロサイの信徒の手紙では、私たちは洗礼によってキリストの復活に与ることができたこと、そこで、キリストによって新しい命に生きるキリスト者の新しい行き方を述べています。私たちの命はキリストと共に神のうちに隠されていること、キリストが現れるときには、キリストと共に私たちの命も現れるのだと教えます。
 「上にあるものを求めなさい。…上にあるものに心を留めなさい」と2回もパウロが勧める言葉は、心に響いてくる呼びかけです。
 福音書には、復活を伝えるとき、伝統的な思想があります。復活は生きておられる神の力のあらわれです。「神は生きている者たちの神なのです」。復活は終末的出来事であり、それがイエスの復活で、あのイエスの中に実現されました。イエスの復活の主役は、イエスを復活させた神とイエスご自身。人間の側からは、ペトロ、ヨハネを中心にする弟子たちと、マグダラのマリアをはじめとする女性たちです。
 復活を伝える伝承にはいくつかありますが、主の復活のメッセージを弟子の視点で見るときに、私たちと主との出会いはいっそう深められることでしょう。イエスの十字架と復活の出来事が、私にとって意味あることになるでしょう。
 この日から復活節第3主日まで、福音朗読は、「キリストの出現」が述べられます。キリストの復活は何を語っているのか、テキストを参考にしながら深められてはいかがでしょうか。
 復活の主日の今日の福音は、ヨハネによる福音書の「空(から)の墓」についてです。ヨハネの記述は、共観福音史家とは異なっています。
 ヨハネの証言は、まず、マグダラのマリアの話からはじまります。1~2節は、彼女が墓を訪れ、空になっているのを発見し、弟子たちに告げます。3~10節は、ペトロと他の弟子たちが墓に行って、亜麻布を発見し、他の弟子たちは「見て、信じた」という話です。
 この短い記事に「見る」という言葉が数回見られます。見る、この体の目で見る、心の目で見る、そして、クライマックスは最後の信仰の目で見ると構成されているようです。いきいきと語られている復活体験の記事を読みながら、自分がその出来事の場にいあわせたらどのように振る舞うのか、弟子たちや人々の示した反応の中で、あなたの反応はどんなか、などの視点からこの時期を過ごしてみるのはいかがでしょうか。そして、そのことはあなたに何を語ってくれているのでしょうか。
 主の復活の8日間、古代教会では復活祭は8日間続いて行われていました。復活徹夜祭に洗礼者が多かったからです。この8日間は「主の復活の8日間」と呼ばれ、主の祭日のように祝われます。復活の8日間、福音では主の出現の記事が朗読されます。8日間、毎日違った固有の典礼があり、受洗した新しい信徒は、毎日ミサに参加することができました。8日間の最後の日が、受洗者として白衣を身につける最後の日でした。