都農神社古文書館

このページでは、都農神社に伝わる古文書をご紹介致します。
 永友司日記  
 永友 司 ( 寛政11年4月2日生、明治13年7月28日没、享年82歳。)

 八幡宮(旧高鍋藩領内神社)の神主であった。
 文久2年に日向国一之宮都農神社社家の金丸肥前が病死し、その子息の和太郎
  ( 後に大和に改名 ) が幼年であった為、藩命により都農神社の受持 ( 兼務 )神主
 となった。
 永友司日記は、安政4年から明治7年までの高鍋藩領内の事柄が記録されており
 この年代に何があったのかを調べる上で大変貴重な資料となっている。
大泉寺文書
 大泉寺は都農神社の神宮寺であった。また、児湯地域の修験寺としての役割を
 果たしたと伝わる。明治時代の廃仏運動により廃寺となった。
 都農神社の祭礼に関りを持ち、特に尾鈴山での雨乞祈祷では、度々修験僧を引
 き連れて 神楽修行を行ったと伝えられる。

宗義(司)西南戦争日記

その1

その2

その3

その4

その5

 宗義とは永友司の本名である。
 明治に入り、住居を高鍋から都農に移した頃からの記録である。


 ※データ容量が大きい為、分割しております。