御神宝・御宝物
「県古文書」の神社第1巻(明治6年)の「神社所蔵物調」に都農神社の「神面」が記録 され、現存している。 その調書は以下の通りである。 |
「古神面一」 但破損シ漸ク形ヲ存ス絵図面相添右(左図)推古天皇ノ御宇秦河勝奉勅諸国ノ大社ニ奉献セシ其一也ト言伝フ |
※世阿弥伝書「風姿花伝」の第4( 神儀に云う )の条に以下の記述が見える。
一、日本国においては、欽明天皇御宇に、大和国泊瀬の河に、洪水のをりふし、河上より、一の壺流れくだる。三輪の杉の鳥居のほとりにて、雲各この壺をとる。なかにみどりごあり。貌柔和にして玉のごとし。これ降り人なるがゆゑに、内裏に奏聞す。その夜、御門の御夢に、みどりごのいふ、われはこれ、大国秦始皇の再誕なり。日域に機縁ありて、いま現在すといふ。御門奇特におぼしめし、殿上にめさる。成人にしたがひて、才知人に超えば、年十五にて、大臣の位にのぼり、秦の姓をくださるる。「秦」といふ文字、「はた」なるがゆゑに、秦河勝これなり。上宮太子、天下すこし障りありし時、神代・仏在所の吉例にまかせて、六十六番のものまねを、かの河勝におほせて、同じく六十六番の面を御作にて、すなはち河勝に与へたまふ。橘の内裏の柴宸殿にてこれを勤す。天治まり国しづかなり。上宮太子・末代のため、神楽なりしを神といふ文字の偏を除けて、旁を残したまふ。これ非暦の申なるがゆゑに、申楽と名附く。すなはち、楽しみを申すによりてなり。または、神楽を分くればなり。
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※上宮太子とは聖徳太子の事を示す。 |
明治13年6月 久邇宮朝彦親王 御親筆
「日向国一宮 都農神社」
明治23年 奉納
子爵 秋月種英 (秋月種樹次男)