御祭神
おおなむちのみこと
( 別名 : 大国主命 )
創建の由来
創建されたのは御即位6年前の神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し御祭神を鎮祭された事と伝えられる。
旧記によれば、日向国の第一の大社であったが、天正年間の島津・大友の争乱の際、大友氏の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失したものの、御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた。争乱後は長年社殿の再興も無く小さな祠があるのみであった。元禄5年に秋月藩主
秋月種政が再興し、安政6年には篤志家の社殿の寄進があった。その後、社殿の老朽化に伴い平成14年に「御造営奉賛会」が設立され、平成19年7月7日に現在の社殿が竣成されたのである。
御 神 徳
大己貴命 ( 大国主命 ) は多くの妃を娶り、その妃等との間に多くの御子をもうけました。その謂れから縁結びの神とも子孫繁栄(子授け)の神とも云われる様になりました。また医療の法を定め多くの人々を助けた事により、医療(病気平癒)の神とも云われ また少彦名命と共に力を合わせて多くの人々と交わり、次々と国造りをされた事により、事業開拓(商売繁盛)の神と云われる様になりました。
御祭神系譜
江戸時代前期の境内図
橘三喜著「一宮巡詣記」
土佐山内家宝物資料館 所蔵
※掲載については国文学研究資料館の了承済
第2、第3鳥居跡について
一宮巡詣記( 橘三喜 著書 )に、第2鳥居跡、第3鳥居跡について記載がある。 平成元年に都農町教育委員会の立てた標柱が、都農神社から南東に約3キロ程離れた位置にある。(第3鳥居跡) ※グーグルマップ(拡大地図を表示)で、都農神社第2鳥居跡、または都農神社第3鳥居跡で検索すると位置が表示されます。 |