双極性障害


俺は、双極性障害(躁うつ病)のラピッドサイクラーだ。
ラピッドサイクルというのは、躁状態とうつ状態が切り替わる期間が短い事をさす。
数か月か数年で切り替わるのが普通なのだが、ラピッドサイクルだと、数日、または、1日で変わってしまう。
つまり、不安定なのだ。
俺の場合は、だいたい一週間前後で切り替わる。
うつの時は、大変苦しい。
自己否定に始まり、死にたくなる。
躁状態の時は、気分が高揚し、なんでもできる気になる。
空を飛べると確信し、鉄橋から飛ぼうとしていた事がある。
そうでなくても、暴れたい衝動や、物を壊したい衝動にかられる。
いずれにしても、ひどくなった場合である。
医師に教えてもらったのだが、躁状態になる事を”上がる”と言い、うつ状態になる事を”下がる”と言う。
つまり、ラピッドサイクルは、上がり下がりの周期が短いという事だ。

俺は、2007年に発症した。
当時は、まだ会社員で、国家プロジェクトの大型装置のプロジェクトリーダーを任されていた。
国の下請けに大会社が入り、その下にわが社、その下に機械設計を発注していた。
国からの要求が多いし、大会社からの要求も多く、その対応に追われていた。
また、その度の納期の要求が厳しく、下請けの会社が対応しきれず、自分で設計にも手を出していた。
当然、毎日深夜残業で、土日祝日などは返上で働いた。
徹夜の仕事も、何度もやった。

そのうち、夜に布団に入っても、眠れなくなった。眠らないまま、出勤していた。
そして、出勤途中で、吐き気がするようになり、家に引き返して休むようになった。
これはいけないと思い、睡眠薬を処方してもらおうと、病院へ行った。
最初、内科を受診したが、とくに眠れないようなものは無いと言われた。そして、心療科を受診するように奨められた。
心療科を受診し、うつ病と診断され、無期限の休養を命じられた。
気が引けたが、会社に連絡し、休みを取った。

2ヶ月後ぐらいか、会社から電話があり、手が足りないから来てくれと言われた。
調子が良い感じだったので、要請に応じて、出勤して仕事をした。
何ヶ月だったか、また眠れなくなった。
再び心療科を受診したら、躁病に転じていると診断され、双極性障害、つまり、躁うつ病と診断された。
再び、自宅療養を命じられた。
俺は、休んでばかりで、会社に申し訳ないので、辞表を出した。
会社は、俺の病気に責任を感じてくれて、ずいぶん引き留められたが、病気がどうなるかわからないし、仕事にも支障をきたして、同僚に迷惑がかかるので、結局辞めた。

辞めた後は、ひどかった。
ローンが払えない為、車は取られてしまった。
持ち家も、任意売却をかけたが売れず、競売で安く売られてしまった。
息子は、ちょうど高校卒業の時期で、新聞奨学生という道を選んでくれて、東京で頑張っている。
今、夫婦でアパートぐらしだ。

医師が、新たに処方してくれたジプレキサという薬のおかげで、ラピッドサイクルの状態は残っているが、ひどくはならず、落ち着いている。
今、服用している薬を、書いておく。

朝、昼、夕食後
リーマス 200mg
デパケン 200mg

寝る前
リーマス 200mg×3ヶ
デパケン 200mg×3ヶ
アモバン 10mg
ロヒプノール 2mg
ジプレキサ 2.5mg

2012年5月16日の診察で、寝る前の薬の内容が変わった。
症状を、より安定させる為、ジプレキサの量を2倍にした。
それから、昼間から夕方にかけての眠気を防止する為に、ロヒプノールを無くした。
睡眠導入剤としては、ロヒプノールの分を、ジプレキサが補うという考え方だ。
つまり、こうなる。

デパケン 200mg×3ヶ
リーマス 200mg×3ヶ
アモバン 10mg
ジプレキサ 2.5mg×2ヶ

リーマスとジプレキサは、症状を改善する薬で、デパケンは症状を抑える薬だ。
アモバンとロヒプノールは、眠るための薬で、ジプレキサは眠る方にも良く効いていると思う。

医師に言われた。
この病気は、一生治らないと。
俺は、腹を決めた。
だったら、薬で抑えながら、一生、この病気と付き合ってやろうと。


Minomushi
'12.5.18