6月3日 晴


19世紀序盤、ヴィクトリア朝になる少し前のイギリスの漫画を描きたいと思ってしばらく図書館に通って資料を探してみた。なんでヴィクトリア朝以前かというと、ひとえに残酷な刑罰のシーンがある漫画にしようと思ったからに他ならない。ヴィクトリア女王の治世の頃には罪人への刑罰は監獄内で行われるようになったが、それ以前は公衆の面前でたっぷり一時間ほどもかけて絞首刑を行っていて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていたという。処刑場の側の見晴しの良い部屋が高値で貸し出され、貧乏人は屋根に登り、立ち見の観衆はこぞって腐った野菜や糞尿を罪人に投げ付けたそうだ。そういう漫画はどうかなー、などと気楽に思い付いて資料を漁っていたのだが、調べてみれば調べるほど、資料の確保や考証が難しく、一朝一夕にはいかない題材だと思い知り挫折した。いつか再挑戦したいと思っているのだが、同じような理由で魔女狩りの漫画を描こうと思って挫折したり、中世都市漫画を描こうと思って挫折したり、少年十字軍漫画を描こうと思って挫折した事がある。いつかなんて言っているようではそんな日はいつまでも来ないって事は、自分が一番よく知っている。


8月1日 曇


以前アシスタント先で「マニアックな話でもいいから」と話を振られて困った時、その作家さんが竹本泉ファンだった事を思い出し、こんな話をした事があった。「竹本さんの最近載った読み切りで、ものを考えずに言葉に出してしまう女の子、葛飾ふじ美ちゃんって言うんですけど、その子の話がすごく好きなんですけど、特に、それに出てくる男の子の小室崎くんっていうのがいて、彼の立ち姿が凄く良いんです。すらっと立った中に、絶妙な身体の傾きが入っていて、その1コマで彼の性格や人となりが表されているというか、とにかく凄く良い傾きなんですよ!」案の定、作家さんも一緒にいたアシさんもわけがわからぬといった表情で、その場の雰囲気がすごく悪くなったのだけれど、それはそれとして、言わんとしている事はつまり、「よみきりもの」10巻の89ページの小室崎くんの、ひょいと傾げた姿がたまらない、という事である。

竹本泉作品はあまりに数が膨大で、一にわかファンにとってはとても把握しきれるものではないのだけれど、もうひとつだけ印象に残っているものを挙げるとすれば、「乙女アトラス」のハルビの胸元である。ハルビというのは三つ編みにソバカスの女の子なのだけれど、彼女じつは、胸元にもソバカスがある。そこが良い。すごく良い。何がどう良いんだとか聞くな、良いから良いんだ。ともあれそのハルビの胸元に作者のすごいこだわりを感じたのだけれど、しかし、後から描いたであろう単行本の口絵に載っているハルビの胸元にはソバカスが無かったりして、あれ、実は大したこだわりでも無いのかもしれないと思ったりした。

ともあれ、いつかソバカスの女の子が出て来る漫画を描いて、もしもその女の子が胸元をあらわにするような機会に恵まれるのであらば、絶対に、もう絶対にソバカスを付けてやろうと、密かに企んでいる次第である。


9月3日 曇


原稿が上がったので、本を買いに行った。徳間書店から出ているアンソロジー「日本ふるさと沈没」である。本当は1か月くらい前、原稿が全然進んでいない時期に買ったのだけれど、そう書くとなんだか原稿をさぼって遊んでいたふうに見えるので、原稿が終わったあとに買ったことにする。しかしまぁ、表紙が鶴田謙二という時点で、すごくキタナい。卑怯だ。やり口があざとい。だって鶴田謙二のカラーが一枚拝めるかどうか、ただそれだけの理由でさえ、鶴田謙二ファンは何の興味もない本を買ってしまう。導士リジィオだろうが冬の教室だろうが買ってしまう。後に出るであろう画集にもっと大きなサイズと良い印刷で再度掲載されるとわかっていても、買ってしまう。愚か者と、指をさして笑うがいい。

それにしても、80ページ3コマ目のケツといったら、どうだろう! まったく鶴田謙二はジーンズを履いたケツをエロく描くのが上手い。後のシャワーやセックスのシーンよりも、このケツの方がエロいくらいだ。そういえばForget-me-notもジーンズやスカートごしにその存在を主張するケツのラインがエロい漫画だった。いや、その評価は正当ではない。Forget-me-notは胸もエロかった。伊万里マリエルのあの胸のラインときたら、リアルな乳に少し手心を加えた、しかし乳袋ほどファンタジーではない、そんな着衣の胸の描き方に思える。裸の胸をいやらしく描く人は数多いが、乳袋も胸元の露出もなしで着衣の胸をいやらしく描ける作家というのは、そう居るものではないと思う。

という話を以前、某氏にしたら「わっかんないなぁ〜、そういうの」と、あからさまな困り顔で一蹴された。そうか、わからんか。うん、まあ、自分でも、何を言ってるのかよくわからないよ。


9月14日 雨


学校に通っている頃は、制服の良さがわからなかった。学校というのは生活そのものだから、それ自体に格別魅力を感じる事は無かったのだ。学校に通わなくなって数年もして、初めて、ブレザーだの、セーラー服だの、ゆるんだネクタイだの、だらしなくはみ出たシャツだの、ギリギリまで短くしたスカートだの、白や黒のタイツだの、かかとを踏みつぶした上履きだの、そういうのが面白いんだと気が付いた。が、そう考えても後の祭り、いい歳こいた大人となった今では、そうした制服に身近に触れあう機会など皆無である。学生のころに何でもっと良く観察しておかなかったのかと、悔やまれるばかりである。

先日「海がきこえる」を観て、しみじみとそういう事を思った。具体的に言うと、有賀さんを観てしみじみ思った。有賀さんの「スゴイ」乳揺れ、あれは揺れだけを見ればものすごくいやらしい作画なのだけれど、近藤勝也の清潔感のある絵柄でああいう事をやられると、むしろとても健康的に感じられる。ああそうそう、クラスに一人はこういう胸の大きい子、いたよねと、そういう気分になるのだ。そしてまた、当時に何でもっと良く観察しておかなかったのかと、悔やむ気持ちにもなってくる。学校に通っている頃は、乳揺れの良さがわからなかったのだ。

海がきこえるみたいなすごく良いアニメを観て、乳揺れの事しか触れないのもどうかと思うので、もう一言だけ書いておくと、武藤里伽子みたいな鼻っぱしらの強い女の子、大好きです。


12月10日 晴

毎週観ている番組は「美の巨人たち」「世界ふれあい街歩き」、それに、最近再放送が始まった「恋するマンハッタン」「フルハウス」「パパにはヒ・ミ・ツ」と同じ、いわゆるシチュエーションコメディ。この手の番組は、とにかく笑わせてくれるのが嬉しい。始まって5秒もしないうちに何か一つ面白いことをやってくれて、見ている側を引き込んでくれる。とにかく常に何かしら面白いしぐさや掛け合いで笑わせてくれて、それでいてひとつ中身のある話になっているのがすごい。そして、外国の女の子はやっぱり可愛い。可愛い女の子は観ているだけで楽しい。

そういうわけで、外国の女の子たちを延々と観て楽しむアニメ「RED GARDEN」が面白い。同じ学校に通っているってだけで、友達でも何でもなかった4人の女の子たちが、回を重ねるごとに、ちょっとずつ仲良くなっていくのがいい。毎日、着ている服が変わるのがいい。友達どうしで学食でつるんでるのがいい。姿勢の悪さ、会話の時の手の動き、首の傾きがいい。女どうしで生々しくいがみ合ったりするのがいい。泣き叫んで逃げまどうのがいい。みんなで誰かの家に集まってご飯を作ったりするのがいい。通販番組で衝動買いしたり、腕立て伏せが1回もできないのがすごくいい。そんなアニメ。今だとGyaOで1-6話が見れたりするので、未見の人はどうぞ。最近、ケイトさんが可愛くて仕方ないや。


1月2日 晴

毎年、年賀状には何かしら新しい絵を描いて出すようにしてる。しかし、キャラクターや構図は違えど、だいたい毎年描く絵は同じ、コートやセーターで厚着をした女の子の絵である。というのも、女の子の服装というのは、思いっきり厚着をしているか、もしくはおもいっきり薄着をしているもの、このどちらかが良いという、自身の趣向に基づいているからである(残念ながら、この点に関して同意してくれる人には会った事がない)。もちろん薄着の方を描いてもいいのだけれど、さすがに冬に出す年賀状にビキニ姿の女の子などを描くと、季節感がない、無神経だ、配慮が足りない等と(特にご家族と一緒に暮らしている方々から)苦情が来るかと思われるので、結局、毎年厚着のほうになるわけである。そのうち嫌がらせで、やってみたいとは思っているのだけれど。


6月18日 晴

人に連れていってもらった本屋で、思わぬ出会いをする事がある。同級生に連れられて初めて行ったまんがの森に、ちょうど発売したばかりの鶴田謙二の画集が積まれていて、その表紙の青の美しさに、思わずレジに運んでしまったというのが、鶴田謙二にハマったきっかけである。人生を持ち崩した一因のひとつであることは、否定できない。一冊の本にも、ひとの人生を変える力があるのである。

そういう出会いが、この前もあった。アシ仲間のIさんが東京に出てきていて、友人のSさんを紹介するというので出向き、飲み屋で男3人、延々と漫画とかアニメの話をしたのだけれど、その飲み屋に行く前に、IさんSさんがよく行くという本屋に寄らせてもらった。初めて行く本屋というのは勝手がわからないので、ふらふらと見てまわっていると、さっと目についたのが、ピンクの背表紙。南Q太の「オリベ」であった。あ、売ってた、オリベ。雑誌に載ってた頃にちょくちょく読んでいたのだけれど、雑誌が潰れたから、単行本はでねぇだろうなぁと思っていたけど、そういや本になったって話は聞いてたな。でもマイナーなとこから出てたから本屋で置いてるの見た事ないし、ネットで頼むのも面倒だし、と忘れてたんだけど、なんだ、売ってるじゃん。といった事を考えながら、レジまで運んで買っていた。人に連れていってもらう新しい場所というのは、こういう事があるから好きなのだ。

その後、マイ・ベスト・そばかすランキングに移動があった。1位は変わらずに、すなかけ(五十嵐大介の短編)の球子さん、2位もそのままおもいでエマノンのエマノンなのだけど、3位にオリベの織部さんが食い込んできた。やはり一冊の本にも、ひとのそばかすランキングを変える力があるのである。


8月23日 晴

今日のナルト疾風伝(第246話「十機VS百機」 脚本:西園悟 絵コンテ、演出:濁川敦 作画監督:拙者五郎)が素晴らしかったです。恐ろしくキレのある殺陣や、これでもかとゴリゴリ動く背動付きアクションに目が釘付けでした。で、手元のジャンプをペラペラめくって原作と比べてみたんですが、アクションの大部分がアニメスタッフによって追加されたもののようです。三宝吸潰やサクラが八方からの刃を避けるシーンなどは原作を見事に再現しつつ、サクラ対人形多数の壮絶な殺陣や、サクラがサソリに向かうまでの間にチヨバアの人形がどんどん倒されていく、といったたまらない演出はアニメのオリジナルのようで、非常に見ごたえがありました。本当に、素晴らしいの一言です。

そういえば、先日の史上最強の弟子ケンイチの第三十八撃「かわいい子猫 女たちの肉弾戦!」(脚本:白根秀樹 絵コンテ:芦沢剛史 演出:加藤洋人 作画監督:加藤洋人、石川慎亮、大澤正典)も、艶のある絵柄と強烈なパースアクションが炸裂して素晴らしかったです。最近ちょくちょく差し替わっているOPも同じスタッフの仕事だと思うのですが、凄い動きで毎週堪能しています。某漫画家さんは疲れた時に松本憲生のアクション作画を見て元気をもらうそうですが、素晴らしい仕事というのは人に元気を与えてくれるものだと思います。なので、疲れた時には凄いアニメを見るようにしてます。ノエインの12話とか。女子高生のEDとか。エウレカのバレエ・メカニックとか。リリカルなのはA'sの斉藤良成回とか。陰陽大戦記の触手責め回とか。金子ひらく作監の水着回とか。なんだ、結局エロかよ。


2月15日 晴


アニメ「true tears」が面白いです。

見始めたきっかけは、監督が西村純二だからなのと、シリーズ構成が岡田麿里だからで、ゲームが原作らしいけど(実際はタイトルだけ同じで、ほぼ完全オリジナル)、という程度の知識しかありませんでした。しかし、西村純二はシムーンで素晴らしいものを見せてくれたし、岡田麿里は個人的に今一番ノってる脚本家だと思っているので、この二人ならばかなり面白いものを見せてくれるだろうと、そういう期待から視聴をしていました。

とにかく驚いたのは、その日常描写の細かさです。ああ、そうそう、髪の長い子が走るとこういうふうに髪が揺れるよね、とか、コートを着た女の子がしゃがむ時は、膕(ひかがみ)に手を入れるんだよね、とか、タコさんウィンナーを炒める時の油ってこういうふうだよね、とか、歯磨き粉をつける時ってこういう手首の動きをするんだよね、とか、あまりに「普通の仕種」を描くことに貪欲で、毎週舌を巻くばかりでした。普通アニメでは止め絵で描かれるモブを全部動かしてやろう、という意気込みも、素晴らしいと思います。

今週放映された6話では、みよきちの顔芸とか、湯浅比呂美の口パクとか、バスケのディフェンスの子の乳揺れとか、もちろん作画的な見どころも沢山あったのですが、お話の方も大きく動いて、俄然、目が離せなくなってきました。今一番楽しみにしてるアニメです。しんいちろーのベルトを腰にまいて、おしりふりふり、料理をする石動乃絵・・・ちくそう、かわいすぎるぜ。


5月29日 雨

好きなアニメーターはと聞かれると、キャラを五割増しでむちむちに描く金子ひらく、爆発大好き柿田英樹、直方体破片の中村豊、ゾイジェネの沼田誠也、サヴァイヴの滝口禎一などなど、挙げていけばキリがなないんですが、あえて一人選ぶとしたら、それは中村深雪という方です。

中村深雪の仕事を初めて意識したのは、レッドガーデンでの作画監督でした。もともとこのアニメのキャラクターデザインは藤純と石井久美による、外国の女の子であること、さらにはそれぞれの人種的差違までを意識した独特のものだったんですけれど、中村深雪はそれをより端正で、繊細な絵柄で描いていて、その美しさに、いっぺんで魅了されてしまいました。

柔らかそうな肌の輪郭線、細くて繊細な首、彫りの深い眼孔のライン、高い鼻、ぷるっとした唇、美しく乱れる髪……それに加えて丁寧な芝居や、派手なアクション。レッドガーデンは毎週楽しみに観ていたアニメですが、予告映像で「お、来週は中村深雪が作監か!」と気付くと、次の放映が本当に楽しみだったものです。

そのレッドガーデンが終わってから一年あまり、またあの端正な絵柄が観たいなぁと思いながらいた頃、アニメ『紅』が始まりました。この紅は松尾衡監督以下、藤純や石井久美や古市裕一などのレッドガーデンのスタッフが揃っていて、OPの作画監督を中村深雪が務めていました。おお、これは、きっと本編でも作画監督を務めてくれるに違いない!と、毎週テレビの前で、まだかまだかとわくわくしながら観ていたのですが、3話まで観ても、4話まで観ても中村深雪が登板する気配はなく、おっかしいなぁと首をかしげていました。

そして、ついに6話「貴方の頭上に光が輝くでしょう」です。この回は松尾監督自らが演出までを手掛け、声優陣のプレスコ演技、田中宏紀を始めとする原画陣の仕事も素晴らしく、さらにそれを中村深雪が作画監督としてあの端正な絵柄で見事にまとめていて、全体のクオリティが高い紅というアニメの中でも特に際立った、素晴らしいものになっていました。放映されてから一週間ほどは、あまりの衝撃に、毎日録画した6話を再視聴していたものです。

仕事机の前のコルクボードには、レッドガーデンの中村深雪作監回のキャプをプリントアウトしたものが貼ってあります。いつか、あのくらい美しい絵が描けるようになれたらなぁ、と願って。


9月2日 晴

アニメ「true tears」の放映終了、あの石動乃絵の涙から半年が過ぎ、ムック本も発売された今日この頃ですが、作画中に流す音楽はリフレクティアとセカイノナミダとアブラムシの歌、パソコンの壁紙はもちろん石動乃絵、夢の中にまで石動乃絵と眞一郎が出て来たりと、相変わらずNoefagな日々を送っています。放映中ももちろん夢中で、人に会うたびに強引にtrue tearsの話題を持ち出し布教を続けていたのですが、放映終了後も何度か通して見たりして、やっぱり名作だったなぁと、しみじみ思っています。一番好きなのは7話です。最終話は独りで歩いていく乃絵や、読めなくなった石文字を見つめている乃絵を見ていると泣きそうになるのでいけません。7話です。眞一郎に「もしかしてお前、俺が好きなのか?」と言われて真っ赤になる乃絵。「乃絵が好きだ」と言われて真っ赤になる乃絵。次回予告で「もっともっと、好きになっていい?」と言っている乃絵が大好きです。今回発売されたムック本を読むと、監督の眞一郎母LOVE、でなく、スタッフの方々の熱意というか、作品への真摯な取り組みがとても伝わってきて、ああ、俺もテキトーな漫画なんて描いてないで、もっとちゃんとしないとなぁ、頑張らないとなぁ、と思いました。というか、西村監督は比呂美LOVE過ぎるよ! もっと愛ちゃんのことも見てよ!


12月20日 晴

進みの悪い原稿の合間の息抜きに、軽くシムーンの話でも。

ペン入れ中に録画したシムーンを流していたのですが、今回初めて、あ、最終回のアルクス・プリーマ内のラクガキって、あれパラ様とモリナスが描いたんだ、と気付きました。で、よくよく見返してみると、フロエとかは彫りが深いけど、ユンとかは彫りが浅かったりして、あ、深い方はモリナスが彫って、浅い方はパラ様が彫ったって事か! と、ようやく理解しました。リアルタイムで見てた時、最後の最後に短く横PANで入っただけだったとはいえ、気づけなかった自分が歯がゆいです。そうかー、そういえばパラ様が彫った方は優しいタッチでほのぼのしてるけど、モリナスが彫った方はいろいろ毒がありますね。目がハートのフロエとか、言い争うカイムとアルティとか、ボインボインに描かれたあとに×で消されたパラ様の絵とか。しかし細かいもんだなぁと、スタッフの熱意に感嘆するばかりです。

シムーンの最終回はとても美しいと思います。Vガンダムや∀ガンダムなど、富野アニメの最終回にはある種の美しさがあって、それがとても好きなのですが、シムーンにもそれと同じか、それ以上のものがあったと思います。まさに「美しければそれでいい」という主題歌の通りに。過去に進み翠玉のリ・マージョンを伝えたリモネとドミヌーラ。何も選ばないことを選んだオナシアの後を継いで現在に留まったユン。男になること、女になることをそれぞれ選び、未来に進んだフロエ、パライエッタ、カイム、アルティ、モリナス、ロードレアモン。そして、永遠の少女であることを望み、どこにでもいて、どこにもいない存在となったアーエルとネヴィリル・・・。マミーナと同じ髪形をしているロードレアモン、楽しそうに中庭でお茶をするカイムとアルティ、男になってアルクス・プリーマの側で暮らしているフロエ(おそらくアーエルの事が忘れられずに)を見ているだけでも涙腺がゆるんでくるのに、最後、廃虚となったアルクス・プリーマの中で蓄音機のハンドルがコトリと落ち、流れ出すダンスの曲、そこで踊るアーエルとネヴィリルの幻影、そして、その壁に刻まれた、彼女たちの肖像。何度見ても、曲が途切れてエンドクレジットに入る頃には泣いてしまっています。いったい何なのでしょう、あの美しさは。

ともあれ、そんな大好きシムーンなのですが、なぜトップページの好きなアニメのところに名前がないのかというと、ひとえにまだ全話見ていないから、という後ろめたさからです。放映中に前半の何話かを見逃してしまって(だって最初の頃は「女の子しか生まれない星で、女の子どうしがキスすると動く戦闘機に乗って戦争する百合アニメ」にしか見えなかったんですよ!)いて、いつかお金が入ったら、そう、印税というまんが家をお金持ちにしてくれる素敵な何かが手に入ったら、きちんと買って揃えようと思っているのですが、デビューしてはや数年、まだまだそんなものに出会える日は遠いというか、まったく見えも、聞こえもしません。

では原稿に戻ります。あと宙出版は早く西田亜沙子の画集を出して下さい。


1月8日 晴

唐突ですが石の話でも。小学生低学年の頃から石が大好きで、登下校の時は常に下を向き、何かいい石が落ちてないかと捜しまわっていました。公園では砂利の山をほじくり返して遊び、石英を見つけると大喜び。愛読書は小学館学習百科の「化石と岩石・鉱物」。国立科学博物館に年に1度は通い、背伸びしながら鉱物標本をうっとりと一日中眺めて、帰りにはミュージアムショップで黄鉄鉱や紫水晶の標本を買って帰りました。中学生にもなると自分の小遣いでハンマーとタガネを買い、休み時間に校庭や裏の駐車場を歩き回っては良さそうな石を探し、ハンマーで割って断面をルーペで観察し、誕生日プレゼントにとせがんで買ってもらった鉱物図鑑と照らし合わせ、手製の標本箱を幾つもこさえてました。将来の進路は秋田大学(日本で唯一の鉱山学部があったのです)だと決めていた頃の話です。今でも時間があればそこらの河原でも駐車場でも一日中石を拾って過ごしたいのですが、時間がないのと人目が気になるのとで、できません。

ところで、石を題材にした漫画というのは、意外に少ないような気がします。有名なのは「無能の人」ですが、もっとこう、地学部マンガとかあってもいいと思うんです。人生に疲れたり、あるいは迷ったりしているクラスメイトや先生、近所の人、京都の大富豪、外国人落語家などを、地学部に所属する主人公が豊富な石の知識で救うという、そんなハートフルな人情鉱物漫画。

「ごらんなさい、この広大な鍾乳石群を」
「Oh.ワンダホー。こんなスバらしいケシキはハジメテデース」
「これができるまで、どれだけの時間がかかるかわかりますか? 水分に含まれるわずかな炭酸カルシウムが、天井から垂れる際に次第に、次第に結びつき、成長していく。わずか数センチ育つのに、何百年もかかると言われています」
「ソンナニ」
「たかが1年や2年の努力が報われなかったからって、何だというんです。努力とは、積み重ねだ。一朝一夕で得られるものなどないんですよ」
「石岡サン・・・」
とか。

「ごらんなさい、この見事な桜石を」
「見事や、なんとまぁ、美しい満開の桜や! 冬に桜を見せろっちゅう、わいの無理難題に、こんな答えがあったやなんて」
「桜石の模様がどうやって生まれるか知ってますか。ホルンフェルス中に生成した菫青石が変質し、絹雲母や緑泥石になって出来るのです。そうした偶然が幾つも幾つも重なって、美しい桜となるのです。そう、あなたと奥様が、あの日あの桜の下で出会ったような偶然が重なってね」
「石岡はん・・・」

そんな漫画。誰か描いてくれないでしょうか。


8月6日 晴

エヴァの新劇場版「破」を観に行って思ったことは、自分がアヤナミ派ではなくアスカ派だった、という事です。だから、アスカが乗ってない弐号機が大暴れしたって全然嬉しくなかったにゃー……。

んで、10数年ぶりにエヴァ熱が再発したんでTVシリーズと旧劇場版を見直したんですが、こう、惣流さんがとても可愛いんですよ。当時は「かっけーエヴァかっけー!」とか「やべー補完計画とか超謎過ぎて興奮するー!」とか、まあそんな感じで夢中になってたんですけど、いま見直すと、もう、惣流・アスカ・ラングレーの魅力にメロメロです。特に旧劇場版26話の、あのリビングでのシンジをゴミのように見下ろしたあの目! 「アンタが全部私のものにならないなら、私、何もいらない」というあのセリフ! Sie ist das Beste! Ich liebe sie!!

なので、Qでは式波大尉が大活躍するって信じています。いやもうマジで、旧劇以上のアスカ無双を頼みますよホント。


9月16日 雨

最近読んだ本の中では「おかしな二人 岡嶋二人盛衰記」が群を抜いて面白かったです。小説などまるで書いた事のなかった二人が、「乱歩賞を取れば印税が貰えて小説家になれる!」と、創作意欲からではなく就職活動として推理小説を書き始め、コンビの小説家「岡嶋二人」としてデビューし、そしてその後のコンビ解消に至るまでを綴った作品です。違った個性を持つ二人の人間が出会い、そして別れるまでを描いた小説として読んでも非常に面白いのですが、小説を書くにおいてぶつかる諸問題とそれを解決する具体的な方法もふんだんに記述されていて、創作する側の人間としてもとても参考になりました。岡嶋二人と言えばドラマで見た「クラインの壷」が面白かったので原作を買い他にもう何作かを読んでいて、かなり多作なイメージがあったので、「ああ二人だとアイディアもバンバン出るし執筆速度も2倍だし、そりゃ量産できるよな」とか勝手に思っていたのですが、これを読むと執筆当時の苦吟が伝わってきて、本当に勝手な事思っててごめんなさいと思いました。


3月25日 雨

先日最終回を迎えたアニメ『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』がとても面白かったのですが、困っています。というのも、何がそんなに面白かったのか。他の人に布教する時、このアニメはこういう内容だよと言える一言が、どうにも思いつかないのです。困っています。

・音楽を習うために軍隊に入った女の子が、国境の砦で他の女の子たちと仲良く暮らす日常アニメ。

確かにソラヲトは、彼女たちの食事や洗濯、買い出し、警邏といった日常生活を眺めているのがとても楽しいアニメです。スペインの城壁都市クエンカとアラルコン要塞をモデルにした背景美術や小物も美しく魅力的で、それを神戸監督の腰の据わったカメラワークで堪能出来るのですから、たまりません。とはいえ、ただ女の子がダラダラしてるだけの日常アニメと断ずる事は出来ません。五人の砦の乙女たちは、それぞれ何らかの影を心に抱えており(それは一見能天気に見える主人公のカナタでさえ)、決してぬるま湯のような日常を延々と映しているわけではないからです。

・旧時代の遺物である多脚戦車タケミカヅチが、修理と整備を終え、最終回でついに起動して、その圧倒的な機動性を披露するアニメ。

タケミカヅチは砦に配備されている旧時代の多脚戦車です。修理中のこの戦車が、話数を重ねるごとに整備士ノエルの献身的な作業により徐々に修復されていき、最終回でようやく出撃する姿には興奮を禁じ得ません。徹甲弾でハンガーを吹き飛ばすタケミカヅチ! 六本の脚で山脈を駆け上るタケミカヅチ! ゼロ距離での砲撃に耐え、かかと落としを食らわせるタケミカヅチ! いけいけ僕らのタケミカヅチ! ……とはいえ、じゃあソラヲトが多脚戦車萌えアニメかというと、そういう側面もあるとは思いますが、決してそれだけのアニメでもないと思います。

・任務と訓練を兼ねて、重い荷物を背負わされてレイプ目になった女の子たちが、険しい山を行軍しながら次第に壊れていくアニメ。

いけねぇこれはただの第五話のあらすじだ。

・回線保守任務のため、主人公の女の子がおしっこに行きたいのをずっと我慢しながら、本部から電話がかかってくるのを待つアニメ。

いけねぇこれはただの第八話のあらすじだ。

・敵軍の女兵士を捕らえ、そのたわわな褐色おっぱいを揉みしだくアニメ。

……もうこれでいいんじゃないかな。『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』はそんなアニメです。


2月20日 晴

アニメ「Another」を観ててミステリ熱が燃え上がってしまいました。それも読みたいのは本格もの。僻地に建てられた巨大な洋館!隠し部屋!仮面を付けた謎の当主!館に住む病弱色白な美少女双子姉妹!やがて起こる血まみれの惨劇!とか、なんかそういうのです。とはいえ手持ちの積み本にそれらしいのは見当たらず、Anotherの方はアニメをまずじっくり楽しもうと思って原作に手を出すのをためらい、とりあえず病院に行く用があったので再読しようと思っていた「名探偵に薔薇を」を持って出かけました。そして病院の待合室で人目もはばからずボロボロ泣いた帰りに本屋に寄って、今の自分の気分を満足させてくれる一冊はこれだ!と勘を頼りに手に取ったのが米澤穂信の「儚い羊たちの祝宴」だったのですが、結果としてこの選択は、近年希に見る大当たりでした。

うおおおおおおおお!使用人!お嬢様!使用人!お嬢様!お屋敷!読書!二人だけの共通の秘密!ああんもう!ああんもう!! といった感じで興奮して読み終えて、わき上がっていたミステリ熱は使用人×お嬢様熱へと転火してしまっていました。お嬢様と使用人が隠された本棚で心を通わせる「身内に不幸がありまして」、完璧なまでに別荘を磨き上げて来客を待ちわびる屋島女史が美しい「山荘秘聞」、そして何と言っても深窓のお嬢様に使用人が様々な本を読ませて導いていく「玉野五十鈴の誉れ」……溜息が出るほど、久々に素敵な読書体験をしました。はあ……飛鶏館に招かれて屋島女史に歓待されたい……そして見てはならないものを見てしまって口封じされたい……。


9月17日 雨

※沓澤龍一郎氏という漫画家のことについて、自分の思い出を書きます。沓澤氏をはじめ、以下の文中での敬称は略させて頂きますが、ご了承ください。

1998年の梅雨の時期だったと思う。友達のIがいつものように家に遊びに来た。だいたい学校が休みの日曜日の午後には彼が僕の家にやってきて、夕方まで漫画の話をしたり、二人で絵を描いたりするのがその頃の休日の過ごし方だったと思う。母が差し入れにコーヒーと、ちょっとした茶菓子を用意してくれるのも定番だった。ちなみに絵のほうはIの方が圧倒的に上手くて、ヘタクソな僕はいつも彼にコンプレックスを抱いていた。そんなIが、今日はやや興奮した面持ちで言う。
「すごい漫画を見つけたんだ」
と。そしてもったいぶりながら肩掛けカバンから一冊の本を取り出そうとし、手を止めた。
「いや、でも君はもう知ってるかもな。君はマニアだから」
いいから出せと促した僕に彼が見せたのが、『S.M.H.』という雑誌だった。つるりとしたPP加工の表紙で、『Vol.11』とナンバリングしてある。11号目、という意味だろうが、当時本屋にばかり通って、財布の中身を全額漫画本につぎ込んでいた僕でも、こんな本を見た記憶はなかった。しかも定価は1500円、親からの有り難いお小遣いが収入の全てのわれわれ青少年たちには、ちと高い価格設定だ。Iが言葉を続ける。
「寺田克也が描いてるっていうからさ。漫画でも読めるかと思って買ったんだけど」
確かに当時、寺田克也はS.M.H.にコラムを連載していたのだが、それは前号で終了していて、この11号には何の原稿も載っていなかった。パラリと誌面をめくると、飛び込んでくる『巻頭特集 関節人形』の文字。関節人形? 当時ベルメールも天野可淡も知らなかったティーンエイジャーに、その言葉と、そして裸の少女たちの人形の写真は、なかなかに衝撃的だった。
「で、巻末の漫画を見てくれよ」
せかすようにIが言う。雑誌のおしりの方のページをめくると、確かに巻末には漫画が掲載されていた。『親切』そう巨大なゴシック体で印刷された、あまりにシンプルなタイトル(最初は『おやきり』と読むと思って、親を殺す話なのかと勘違いしたほどだ)。カウガールのスタイルで遊園地にあるようなロデオの子供用遊具に、窮屈そうに乗っている女性……ただしその遊具からは鋭利なチェーンソーが飛び出している、そんな絵が描かれただけの奇妙な表紙。作者の名前は『沓澤龍一郎』。まったく聞いた事のない名前だ。行きつけの本屋、古本屋の棚を思い起こしても、見た記憶がない。とりあえず、ページをめくって読んでみることにする。Iはニヤニヤしながらそれを見守っていた。

圧倒的だった。これほど圧倒的な漫画を読んだ事はなかった。まず画力。鉛筆の圧倒的な力強さと繊細さで描かれた近未来の水没世界と、そこで暮らす若い巨乳女性と中年男性の造形を見事に描き切っている。そしてストーリー。地球は水没し、人類の大多数は人魚となり水中で暮らしている世界の中で、なぜか地上に残りサルベージをして暮らす女性と、彼女に水中生活の勧誘にきた県の生活課職員である中年男性との、軽妙でもあり、ウェットでもある不思議な会話のやりとり。タミヤのマーク、オバQの肩掛け、キティちゃん等といったちりばめられた小ネタの数々もニクい。そしてそれらの全てが、たった16ページの中に収まっているという恐ろしさ。感傷的な結末も相まって、僕はいっぺんにこの漫画が好きになった。いや……この感情を好きなどと単純に言い表していいのか今でもわからない。とにかく、もの凄い衝撃を受けたのは事実だった。

作者の名前は『沓澤龍一郎』。だが僕もIも、このもの凄い漫画を描いた人物がいったい何物なのか、さっぱりわからなかった。雑誌のプロフィール欄には元セガのデザイナーで、コミックバーズでも執筆中とある。また表紙のアオリには『伝説のコミックアーティスト久々登場!』とあった。パソコンに詳しかったIは原稿を見て「これは鉛筆画をレーザープリンターで出力しているんだ、だから線がドットで分解されている」という目ざとい指摘をしたが、そこから先に得られる推論は特に無かった。
「なるほど、つまり寡作ではあるものの、これまでにある程度の作品を発表し、もはや伝説の域にまで達しているベテラン漫画家という事にちがいない」
それが当時、僕とIの考えた推論だった。今から考えると、勘違いも甚だしい。そして、他の沓澤龍一郎作品も読みたい!と思った僕らが、沓澤龍一郎の著作を探すことを日課とするようになったのは、当然の事と言えた。だが書店でバーズを買ってみても、沓澤漫画は載っていなかった(当時すでに『魔法使いがはじまる』は掲載されなくなっていたのだ)し、本屋、古本屋をしらみ潰しに巡っても沓澤龍一郎の単行本、などというものは一切みつからなかった。インターネット環境はいちおう家にあったのだが、ネットで本や作者を探す、などという発想は当時の僕らには全くなかったし、当時のインターネットといえばサイトごとのリンクを辿っていく、いわば部屋ごとに分かれた迷路のようなもので、検索して物を探す用途が主流になるのはもう少し後の話だった。

その年の夏休み、僕とIは一縷の望みを胸に、東京へ向かった。目指すは神保町の古本街。S.M.H.の11号の表紙にはこうあった。『伝説のコミックアーティスト"久々"登場!』つまり、いつかはわからないがそれ以前のS.M.H.にも、沓澤龍一郎は登場している! S.M.H.のバックナンバーを探すことこそが、僕らに残された沓澤漫画を読める最後に残された手がかりだったのだ。当時S.M.H.を出していたホビージャパンには既に在庫がなく、本屋や古本屋でバックナンバーを探したが、成果はあがらなかった。そもそもS.M.H.を取り扱っている本屋が皆無だった事もある。そこで僕らが希望の星として目星をつけたのが、古本のメッカ、神保町である。行った事は一度もないけれど、そこに行けば全ての本が手に入るという、伝説の聖地! 夏休みのある一日、僕らは神保町の古本屋をしらみつぶしに回って、S.M.H.のバックナンバーを探しまわるのだ、そういう計画を立て、ふたりで東京への電車に乗り込んだ。

結果から言うと、S.M.H.のバックナンバーは見つからなかった。いや一冊だけ見つかったが、それには沓澤漫画は掲載されていなかった。というか、子供だった僕らは完全に、行く場所を勘違いしていた。神保町の古本街というのは要するに古書を中心とした世界であり、あの時僕らが向かうべきはきっと中野ブロードウェイあたりか、あるいはバックナンバーをいつまでも取っておいてくれるような超大型書店だったのだろう(じっさいその一冊だけ見つかったS.M.H.が置いてあったのは、古本屋ではなく普通の書店だった)。徒労感だけを得た僕らは夕暮れ、電車にゆられながら帰っていった。帰ってからまた『親切』を読んだ。こういうマンガを描きたい、いや、自分は描かなければならない。『親切』を読むたびに、僕はそういう脅迫にも似た意識を抱くようになっていた。

ともあれ、それからも僕らは沓澤龍一郎の手がかりを探し続けた。フロントミッションオルタナティヴの攻略本を何種類も取り寄せたり(後にゲーム自体もプレイした)、その攻略本に載っているコミカルな顔写真に爆笑したり、生まれ年から『親切』を描いた年齢を逆算してその若さで!と驚愕したりした。書店でたまたま見かけたバッケンローダーの攻略本にイラストを見つけて狂喜したこともあった(そしてサイン色紙のプレゼントに応募して見事に外れた)。大型書店でついに『ピーチマン』の掲載されたS.M.H.のバックナンバーを発見し、喜んだ反面『親切』とは違う芸風に戸惑いも覚えた。忙しくも、楽しい日々だった。

翌年の1999年は、僕らにとってはまさに沓澤龍一郎の年だった。S.M.H.には新作漫画『こうきしん』が掲載され、16ページながら『親切』以上の濃密な鉛筆画とSFチックな内容に興奮した。続いて村田蓮爾企画編集のフルカラーコミックFLATにも、不法就労のパキスタン人が日本野球で活躍するという『イスラマバードジャイアンツ』が掲載される。だが何と言ってもこの年一番の事件は、雑誌『コミッカーズ』で沓澤龍一郎が表紙を飾り、ロングインタビューが掲載された事だろう。僕はむさぼるように読んだし、まだ見た事のなかった絵がいくつも掲載されていたのも嬉しかった。さらに、その後コミッカーズは『error』という漫画アンソロジーのシリーズを立ち上げた。沓澤龍一郎もそれに定期的に執筆する予定だそうで、僕は喜んだ。漫画やこれまでの絵をまとめた画集を出す話もあるようだった。僕は安心し、それで、ちょっと沓澤龍一郎を追うのを休んだ。今までのように熱心に追わずとも、これからは向こうから自然と供給が来るだろうと思ったのだ。一枚一枚の絵まで執拗に追わずとも、画集が出れば、後から全部まとまるだろうし、と。

しかし、それから10年以上経った2012年の現在に至るまで、沓澤龍一郎の作品をまとめた本が出ることは無かった。

今から思い返しても、あの頃の『S.M.H.』から受け取ったものはあまりに多かった。ハンス・ベルメールを知った。荒木元太郎のオタクコラムに爆笑した。確信犯や「いやが応にも」の誤用を知った。平井宜記という『謎のSF作家』のショート・ショートに没頭した(特に11号の『聖域』は大好きだ)。城平京の『名探偵に薔薇を』も、スコット・マクラウドの『マンガ学』も、後に映画を観て大好きになる『ゴーストワールド』も、全部S.M.H.のコラムで知った。ハルヒの孤島症候群を観ていてニヤリとできたのもコラムに載っていた『衣装戸棚の女』を読んでいたからだ。藤井英俊の漫画『COME PLAY MY GAME』の迫力に驚いたし、安藤賢司の幻想的な造形も大好きだったし、鬼頭栄作の『バロック』も買って何度もプレイした。でも、その中でも一番大きなものを受け取ったのは、やはり沓澤龍一郎の漫画だった。『親切』を読んで僕は、「お前は漫画家にならなければならない。これだけの世界を自分の手で描けるようになれなければ、お前の人生は決して幸せなものにはならないだろう」と『脅迫』されたのだ。

『親切』を読んでから3度ほど、僕は『親切』をそのまま模したような漫画を描く。1度目は1998年に初めて読んだ直後で、『水に沈むツバサ』というタイトルがついた28ページの短編である。水没したイタリアを舞台に、サルベージ業を営む双子の姉妹のもとに中年男性が依頼に来る話で、学校の文化祭に出したものだ。2度目は『売夏』というタイトルの16ページの漫画で、2002年にIと一緒に作った同人誌に掲載している。鉛筆画という技法、キャラクターの絵柄、水没後の世界という舞台の何もかもが沓澤龍一郎の真似でしかない内容だ。3度目のものは2004年に描いた『水槽の街』である。「この人のように素晴らしい漫画を描きたい」という思いに対し「この人とそっくりの漫画を描く」という間違った回答を、僕は3度も続けてしまった。

あれから14年が過ぎた。今でも「どうして漫画家になろうと思ったの?」「一番好きな漫画は何?」と聞かれたら、迷わず「沓澤龍一郎の『親切』という漫画です!」と力強く言う。あの時読んだわずか16ページの漫画が、自分の人生を変えてしまったのは間違いのない事実なのだから。


1月21日 晴

花輪和一さんの「刑務所の前」が面白いです。花輪氏と言えば「刑務所の中」がもう有名過ぎるほどに有名ですが、こちらの「刑務所の《前》」の方は、案外読んでない方が多いんじゃないでしょうか。あるいは、存在自体は知っていて1巻とかを読んでみたけれども、期待した「刑務所の中」と同じ獄中生活のアレコレが思ったよりも少なく、そのまま読まなくなった方も居るのではないでしょうか。ないでしょうか、とかなんとか言ってますが、これはまあ要するに自分の事です。

「刑務所の前」は基本的に3つのパートに分かれていて、それらが混在しながら進行していく漫画です。初めて読んだ時の感想を飾らずに言えば、「面白いんだけどなァ…」でした。3つのパートのうち、刑務所パートは「刑務所の中」同様の面白さがありますし、刑務所に入る前、友人から入手したボロボロに錆びた実銃をコツコツと修理していくパートは、じつにオトコノコの工作心をくすぐる内容でこれまた大変面白いものでした(特に、緻密なペン画で描かれた銃器描写は息を飲むほどに素晴らしいです)。ですが、3つ目のパート、日本の中世を舞台にした物語には、どうにも困惑してしまった、というのが正直なところです。

前途の2つのパートが花輪氏を主人公にしたいわゆる実録モノなのに対し、この第3のパートは完全な創作です。日本で鉄砲が普及しはじめた時代、鉄砲鍛冶を父に持つ童女と、裕福な米問屋に生まれながらそれを投げ捨て祈とう師を目指す娘、このふたりの女の子の世代を超えた友情の物語です。直截な言い方をすれば暗く、どろどろした怨念うずまく物語であり、「刑務所の中」や他2つの実録パートの軽妙さとのギャップに読んでいて困惑しました。これが前途した「面白いんだけどなァ…」の「だけどなァ…」の部分です。それゆえ「刑務所の前」のほうは、2巻まで買っていましたが実録パートだけ飛び飛びに読み直しながら、この中世パートは長らくほったらかしにしていたのです。ところが。先日、ようやく重い腰をあげて完結巻である3巻を購入し、それを機に中世パートも含めて全巻通して読み直してみたところ、……面白い。改めてきちんと読んでみると、この中世パートが滅茶苦茶面白いのです。なんで初見でこの面白さに気付かなかったのでしょうか。

中世パートの主人公のひとりは鍛冶屋の娘の童女です。年端もいかない彼女はしばしば父親の鍛冶仕事を手伝いますが、それが嫌で嫌で仕方がありません。また、普段は温厚な父親は、男と逃げた母親のことを口にすると、とたんに表情が真っ黒になり、童女はうっかり口に出してしまったことをひたすら平謝りしなければなりません。彼女は仏様に「幸せをもういっこお授けください」と祈ります。家には幸せがいっこしかないから、私が幸せだと父ちゃんが不幸せになり、父ちゃんが幸せだと私が不幸せになる。幸せがもういっこ、ふたつあれば、私も父ちゃんも幸せになれるのに、と。もうひとりの主人公は米問屋の娘「うめ」で、因業な両親を強く憎み、家を出て祈とう師の所に弟子入りをします。世間体を気にする両親は何度も彼女を連れ戻しに来て、あるいは監禁したり騙したりして、彼女を家に縛り付けようとします。うめはそんな両親を激しく憎み、そして自分の中にあるそのような醜い憎しみの心をさらに憎みます。年の離れたふたりの娘は、それぞれに幾度も現実で苦しみ悶えながら、どこかにある幸せを、幸せになれる方法を探して生きようとします。

なぜこんなに苦しいのか。なぜこんなにみじめなのか。なぜ他の人たちのように幸せになれないのか。己ひとりで生きていくことは出来ないのか。「アルヘイ」「湯起請」「玉鋳型」「茶筅玉」といった聞き慣れない言葉が飛び交う中世日本が舞台でありながら、描かれている彼女たちの苦悩はとても普遍的であり、人ごととは思えません。そんな恐ろしい業の渦巻く物語の中で、清涼剤のような存在なのが「竹ちゃん」と「岩」のふたりの女性です。竹ちゃんは童女の親友で、おっとりとした外見と性格ながら、ときおり何気なく、真理を突いたような一言を発します。「岩」はうめの米問屋で働くそばかす顔の下女で、苦労人ながら、主人が追い払った物乞いに自分で銭をやるような善良な娘です。黒くどろどろとした物語の中で、このふたりの二心ない善良さが、しばしば主人公たちに影響を与えます。特に竹ちゃんの言葉は童女を何度も啓発し、そのたびに童女は「竹ちゃんえらいね」と洩らします。

物語は童女とうめの、ふたりの別れで幕を閉じます。単行本の書き下ろしのエピローグで、童女はこう言います。「今日は秋の一番いい日だね。」そのセリフを読んで、本当に良かったなあと思ったのです。


7月4日 小雨


まんがStyleさんの企画『あのまんが家が何度も読んだこの名作』ということで、3本漫画を挙げさせていただきました。『少女・ネム』と『菫画報』と『加藤洋之&後藤啓介作品全般』です。好きな漫画は色々ありますが、あえてこの3本を選んだのは、特に中高生の頃に愛読したものであることと、現在も比較的入手が容易であることです。なので単行本が出ていない沓澤龍一郎さんや博内和代さんの作品群は外しました。またパトレイバーなど、週刊少年誌で連載されたメジャー作品も、今回はあえて避けました。

『少女・ネム』は漫画家を目指す少女の物語で、カリブさんの原作も大変面白いのですが、木崎ひろすけさんのその絵が、もう、本当にもの凄くて。トーンを使わない線とベタだけで構成された画面、自由自在で見事な構図の数々、キャラクターから細部の小物に至るまでのデフォルメのうまさ。当時から凄まじいと思っていましたが、業界の隅っことはいえ絵を描く人間になってから見ると、ますます凄さがよくわかるようになり、あらためて、溜息が出ます。

『菫画報』は当時月刊アフタヌーンを買うようになった頃、雑誌を読んで一番最初に「あ、これ面白い。単行本買おう」と本屋に走った漫画です。新聞部という文化系の部活を舞台に巻き起こるなんてことない日常と、なんてことある非日常の毎日。身長175センチ近いけれども心は乙女な女子高生・星之スミレをはじめとした軽妙なキャラクターが織りなす洒脱な会話が魅力の作品です。

『加藤洋之&後藤啓介作品全般』というのは、加藤さんと後藤さんの二人組のイラストレーターの方の一連の作品郡です。繊細な筆致と淡い色使いが大変魅力的で、またそうした絵柄で描かれる漫画の内容が実にSFしていて、夢中になりました。画集サイズの作品集が何冊も出ているのですが、あえて一本挙げるとしたら、『トーランドットの錬金術師』に収録されている『OXID MUSIC -酸化した音楽-』がとても好きです。

まだ読んだことのない方々に、この紹介が作品に触れる機会になれば幸いです。


11月22日 晴

ほぼ4年ぶりの単行本発売ということで、ささやかなお祝いがてら、とある近所の洋食屋さんで食事をしました。住宅地の中にあり、ふつうの一戸建ての1階をお店に改装しているだけの、小さな所です。ご夫婦で営まれていて、メニューはいつものコース料理しか無いのですが、その出されるサラダにしろスープにしろ、いちいち凝った、他では見られないものを出してくれて、大変美味しく、またお値段の方も手頃です。ほんの気持ち程度に流れるBGMと、2時間ごとに鳴る鳩時計だけの静かな店内には、テラスに面した大きな窓から日が差し、シェフと奥さんは頃合いを見ては皿を下げに来て、黙々と、しかし丁寧に次の料理を運んでくれます。お店ができてもう30年近くになるようで、それだけの間、この堅実で素晴らしい仕事を続けてこられたのかと思うと、本当にこの方々に尊敬の念を抱かずにはいられません。

自分の仕事も、そのようになれればいいと願います。


10月28日 晴

2015年10月22日、漫画家の宮田紘次さんが亡くなった。高血圧性の脳出血で、まだ34歳の、作家としてさらなる活躍が期待される時の出来事だった。

私と宮田さんとは、それほど親しい間柄であったわけではない。お互い電話番号もメアドも知らないし、プライベートでの付き合いも無かったが、飲み会大好きなフェローズ(現ハルタ)の合宿や飲み会に参加した際は、いつも漫画の話をずーっとしていた気がする。その頃の話を、自身の気持ちの整理も兼ねて、できるだけ思い出して書いてみた。あまりな急逝に戸惑っているであろう宮田さんの作品の読者の方々が、『宮田紘次』という漫画家の一面について、多少なりとも知る機会になればと思う。


宮田さんと最初に会ったのは2006年の暮れだった。9年前になる。11月に月刊コミックビームの新人を中心とした読み切り企画本「コミックビームFellows!」が出版され、その打ち上げでの事だった。これは後に「Fellows!」として独立創刊され、今の「ハルタ」に繋がることとなる。宮田さんのデビュー作の14ページ漫画「猫でタンデム」は、この「コミックビームFellows!」に掲載されたものだった。前年の2005年にデビューしたばかりの私も、同じ本に自身4本目の読み切りを載せていた。

その打ち上げだが、二次会をホテルの一室を借りておこなうという豪華なものであり(※1)、部屋には大量のスケッチブックとマジックが用意されていた。おまえら漫画家はどうせシャイで口下手で人付き合いが苦手なんだから、得意な絵でも描いてコミュニケーションをとりやがれという、編集部の粋な計らいである。誰ともなくそれを手に取り絵を描きはじめ、わいのわいの騒いでいたのだが、いつしかそれは『第一回お前が一番かわいいと思う女の子を描いてみやがれ選手権』へと変貌を遂げていた。森薫(※2)や入江亜季(※3)といった当時すでに高い評価を得ていた作家陣が、きゃあきゃあと騒ぎながら自分の好きな女の子を描き、他の新人作家にもほれ描け見せろと強要する、地獄絵図である。私も宮田さんも、その地獄の輪の中にいた。それが初対面だった。

次はお前の番だとばかりに、マジックとスケッチブックを渡された宮田さん、動じることもなく、すらすらと下書きもなしに女の子を描いていく。眉毛がふとく、おでこの出た、ショートカットで、唇の厚い女の子。最初に顔のあたりをほぼ仕上げてしまうという、自分と逆の描き方をする(私は顔はだいたい最後に描く)姿を見て、「顔、最初に描いちゃうんですね」と声をかけた。宮田さんは描きながら「顔がちゃんと決まれば、あとはうまくいくからね」と答えた。素早く描きあげられたその絵を見て、「可愛いじゃないですか!」「こういう女の子が好きなんですねぇ!」と森・入江の両女史がまた騒ぐ。宮田さん、大人気。その後も隙をみては宮田さん、スケッチブックにさらさらと女の子を描いていく。上手いし、早い。絵を描くのが既に人生の一部と化していて、頭の中のイメージを出力するのに迷いや躊躇がないタイプの人だと思った。もちろん、それは相当な訓練があっての結果であろう。まだデビュー作1本を発表しただけのまっさらな新人であったが、「宮田さんは、きっとすぐ連載を持ってもバリバリ描けるんじゃないですか」と気の早い話をしたのを覚えている。

その宴も過ぎて、大半の参加者が酒と疲労とで寝入ってしまった早朝に、まだ起きて話をしている4人がいた。私と宮田さん、佐々木一浩さん(※4)、黒須高嶺さん(※5)である。1冊のコミックビームを囲むように座し、ページをぱらぱらとめくりながら、延々と漫画の話をしていた。さすがに話も途切れがちになり、お互い疲れて眠くなっているのがわかるのだが、誰からも「もう寝ましょうか」などと言い出すことはなかった。「先に寝たら負け」「最後まで起きているのは俺だ」という暗黙のルールが場を支配していたのである。阿呆だ。が、これに限らず、宮田さんは意思の強い、負けず嫌いの面があったように思う。やがて、ぽつりぽつりと起き出した他の方々と一緒に部屋を片付け、阿呆の勝負は引き分けのまま、一同は解散した。ちなみに『第一回お前が一番かわいいと思う女の子を描いてみやがれ選手権』で描かれた様々な作家のかわいい女の子イラストは最後に作家どうしで分け合ったのだが、「これも可愛いですねえ!これも!これも!!」と、興奮した森薫が大半をかっさらっていった。私と宮田さんはその姿に圧倒されつつ、最後に残った何枚かを「じゃあこれを」と分け合ってもらっていった。お互い苦笑していた。

その後も折にふれ、飲み会で宮田さんと話をした。2008年にコミックビームから離れて「Fellows!」が正式に創刊される際の前祝いでは、宮田さん、百名哲さん(※6)と3人で話した。宮田さんが「俺、女子高生からファンレターもらったことありますよ」と言ったのに百名さんが大変に食いつき羨ましがったので、私は「そんなことで羨ましがってどうするんですか。我々は漫画家です、宮田さんがものすごく面白い漫画を描いた時にこそ羨ましがるべきです」と説教をした。実際、この時の宮田さんは既にコミックビームで初の連載「ききみみ図鑑」をスタートさせており、その人気は本誌アンケートで1位を獲得するほどのものであったので、本心を言えば既に羨ましかった。後の話ではあるが、この「ききみみ図鑑」は2010年に単行本として出版され、即重版が決定するほど人気を博した。単行本の装丁については、宮田さんと担当氏、そしてデザイナーの染谷洋平さん(※7)とが入念に話し合い、方向性を定め、「ききみみ図鑑」の内容を面白いと思ってくれるであろう読者層の食指が動くような表紙を、ということで作られた。単行本を持っている方ならわかるだろうが、表紙に限らず、一冊の本の装丁として工夫が凝らされ、手元に置いておきたくなる作りだ。表紙の絵、いいねという話をしたら、宮田さんは「いやあ、染谷さんがよくデザインしてくれたんですよ」と謙遜した。褒められると、逆にちょっと気まずそうにする人だった。短編集は売れないと言われるなか、新人の短編集がきちんとセールスを出したという実績ができたことで、その直後に私の短編集を出す話もすんなり通してもらえることとなる。拙作「寒くなると肩を寄せて」が出版できたのは、宮田さんのおかげだった。

地下鉄に乗って移動するとき、電車に乗り込んできた制服の小学生ふたりが、宮田さんを見て目をまん丸くして驚いていたこともあった。宮田さんは身長196センチの巨漢である。作家に限らず、私が会った人間の中で一番背が高い。こんなに大きな人は生まれて初めて見たのであろう、見上げてあんぐりとする小学生たちに、ニコニコと笑顔の宮田さん。慣れたもんだという感じだった。2009年に「水着フェローズ」という水着だけにテーマを絞ったアンソロジーが出るときに、その仕事の確かさ(絵が上手い・カラーが描ける・締め切りを必ず守る)から宮田さんが表紙に抜擢された。編集部で表紙の見本を見せてもらい、「いいですねえ! この表紙なら、書店で見かけたら買っちゃいますよ!」と褒めた時は、珍しく素直に喜んでくれた。大胆な尻のエロい表紙である。宮田さんの描く女性のお尻には定評があり、「Fellows!」の巻頭企画であるカバー・ストーリー(※8)でも、その尻力は遺憾無く発揮された。宮田さんが担当した号の次のカバー・ストーリー(※9)を担当した森薫は、同じくむっちりとした尻の短編を描いてきて「いや、宮田さんから尻のバトンを受け取ったから…」などとわけのわからないことを宣った。

宮田さんと最後に会ったのは2011年のフェローズの新年会だった。私は年末に自身の初連載「蝋燭姫」が最終回を迎えており、同じ号で宮田さんも連載の「真昼に深夜子」の最終回を描き切ったばかりであった。この時は新年会とは名ばかりで、会社の会議室に通されたわれわれ漫画家一同は突然編集部より「お題」を突きつけられ、その場で題材に沿った内容のネームを即興で描かされる羽目になった。同じ題材で皆にネームを描かせ、その後それを互いに品評しあい、作品の糧にしようという目論見である。お題は確か「ある日起きたら性別が逆になっていたけれど、しばらくしたら元に戻った」。無茶振りもいいとこである。飲めや騒げやを期待していた作家陣は、全員地獄の底に突き落とされ、逃げ場のない会議室の机で真っ白なネーム用紙と戦うこととなり、編集者が淡々と残り時間を告げるなか、涙ながらにネームを書き散らした。そうした状況でできた私のネームを読んで、宮田さんは素直に「ん、面白かった」と言ってくれた。世辞で作品を褒める人ではないとわかっていたので、嬉しかった。次回作について、ぼんやりと「現代物か時代もの、どっちがいいのかねえ」と話している私に、「鈴木さんはねえ、鬱屈した少年の話を描けばいいんですよ」(※10)と言ってくれた。「鈴木さんは、それが一番好きなんでしょ? わかってんだから」とでも言いたそうな、お見通しの、ニヤニヤとした笑顔だった。

ネーム地獄が終わったあとは普通に新年会が催された。カラオケ大好きな室井大資さん(※11)が参加者を募ったのだが、びっくりするほど誰も乗ってこなかったので、宮田さんと私との3人でタクシーに乗り近場のカラオケに向かった。室井さんと宮田さんは特に仲がよく、お互いに漫画、音楽、映画が大好きなので、ウマが合うといった感じだった。二人の会話を眺めているとまるでコントのようで、室井さんの滔々と話すボケ話に、宮田さんが時折鋭く長い、シニカルなツッコミを入れる。名コンビだと皆言っていた。カラオケは3人だけで行ったことにより、逆に一人ひとり歌数を多く歌え、楽しかった。明け方、翌日も午前中に合宿があるので、編集部がとってくれていたホテルに戻ると、室井さんはかなり酔っていたので部屋に戻って寝てしまった。が、私と宮田さんは互いに「どうせ寝ないんだろ?」と思っていて、そのまま宮田さんの部屋に招かれてベッドに座ると、朝食の時間まで二人で漫画の話をした。勉強熱心な宮田さんはこのあいだ新連載が始まったばかりの某漫画の第一話を雑誌から切り抜いて持ってきており、それを読みながら二人で、新連載の第一話はどうあるべきか、何が必要なのかという話をした。連載が終わったばかりで単行本作業も残っている私は、まだ次のことなど何も考えていなかったが、宮田さんは既に次の新連載の、それも第1話について既に具体的に考えを巡らせているようだった。ひととおり話したあと、宮田さんが珍しく、私の肩を叩いて「いやあ、俺たち、頑張ろうよ」と言ってくれた。コミックビーム時代から、諸々の荒波を同じように体験してきてた者同士にのみ通じる『俺たち』だった。私も「うん、頑張ろう」と頷いた。

以後、宮田さんと合う機会はなかった。私がフェローズを出たので、つながりが切れたからだ。ただ、まんがという道を歩いていればどこかでまた会うこともあるだろうし、何かの機会であの巨体を見かけて、「どうも、久しぶり。調子よさそうじゃない」ということもあるかと思っていた。それが突然の訃報で、通夜の席での再会という、本当に残念な形になってしまった。通夜では前日にSNSで情報が拡散されたこともあり、大変多くの弔問客が集まっていて、列の整理をしている係の方々も困惑していた。訃報を聞いて飛んできたという読者の方から直接お話を聞くこともできた。同業者の方もたくさん集まって、皆で宮田さんの作品と、その人柄を偲んだ。温和で、怒った姿など見たことがない。たまに言うシニカルなツッコミが心地いい。締め切りは必ず守る誠実さ、誘えば必ずやって来るノリの良さ。漫画と音楽と映画が大好きな巨漢の漫画家は、誠実に仕事を終え、未完の作品を残すことなく、12冊の単行本を出しこの世を去った。ご冥福を、お祈りします。



(※1)二次会のホテル…のちに出入り禁止にされた。
(※2)森薫…当時コミックビームで「エマ」を連載していた、現在も押しも押されぬ大人気作家。
(※3)入江亜季…当時コミックビームで「群青学舎」を連載していた気鋭の人気作家。宮田さんは原稿を手伝ったことがあり、「俺の師匠は入江さんだなあ」と尊敬していた。
(※4)佐々木一浩…当時ビームの新人で、後にフェローズで「電人ボルタ」を連載。
(※5)黒須高嶺…当時ビームの新人で、現在はイラストレーターとして活躍。
(※6)百名哲…宮田さんと同じえんため大賞出身の漫画家。後にフェローズで「演劇部五分前」を連載。
(※7)染谷洋平…デザイナー。コミックスの装丁の他、「魔法少女まどか☆マギカ」のロゴデザインなども担当。
(※8)宮田さんのカバー・ストーリーはFellows!の第3号に収録。
(※9)森薫のカバー・ストーリーはFellows!の第4号および「森薫拾遺集」に収録。
(※10)鬱屈した少年…拙作「友達だなんて思ってないんだ」に登場する芹沢や、「淑女はドレスに着替えない」のアンリのこと。
(※11)室井大資…フェローズで「ブラステッド」「秋津」を連載。飲み会大好き。



『第一回お前が一番かわいいと思う女の子を描いてみやがれ選手権』の様子を携帯のカメラで撮影した、当時の写真。元データは失われてしまい、プリントアウトしたものだけが残っている。左上が入江さん、真ん中のヌードが森さん、その下が宮田さんの絵。


上段左から佐々木さん、宮田さん。下段左から私、森さん、福島聡さん。


8月25日 晴

友人作家らがコミティアに出ているので、ぶらりと会いに行った。会場に行くとサークルにはひっきりなしに人がきて、みなサインしたり接客にとたいへんに忙しい様子。店番をしながらちゃっかりと横から、その作家と読者の方々との暖かい交流を見守っていた。みんな楽しそうで、うらやましい。ひとりは先日連載を終え最終巻の単行本を出し、またひとりは来月に初単行本を控えていた。お祝いをしたいねという話を前からしていたのだが、この日都合よく4人集まったので、そのままお祝いをすることになった。コミティア会場を出たあと、うだるような暑さのなか、オフィス街にある静かなイタリアンレストランで乾杯する。コミティアでのこと、業界のこと、お互いの漫画のこと、延々と喋り続けてたいへんに楽しかった。

お祝いなので、会計は全部こちらで持った。まんが仲間にこういうことが出来る機会ができたのが嬉しかった。というのも、自分も今までさんざん奢られる立場だったからである。ある暑い夏の日、アシスタントを終えて駅まで車で送ってもらう途中、寄り道をして本格的なかき氷屋さんに連れていってくれた福島聡さん。仕事がなくてくさくさしていた時に、気晴らしにと飲みに誘ってくれて全額奢ってくれた室井大資さん。他にも諸々、受けた恩は数限りない。こういうのを、ご本人にお返しする機会というのはなかなか無いのだが、せめて自分も機会があれば、後輩や他の仲間に同じことをしていきたいと思っていた。だから、奢ることができて本当に嬉しかった。

そしてまあ、自分もいずれ落ちぶれたときは、また誰かから奢っていただきたい。本格的に養っていただきたい。そう切に思う所存である。


2月8日 晴

ほぼ終電に近い電車に乗って最寄駅に着いてから、コンビニに寄って帰ることにした。100円くらいで売ってる縦長の豆乳のパック、緑とかいろんな種類のあるやつ、あれが飲みたくて。入り口に置いてあった星野源のエッセイ本にちと食指を動かされつつも、雑誌コーナーと漫画棚は義務として必ずチェックし、さていざ飲み物のコーナーに向かおうとしたら、ちょうど品物が届いたばかりなのか、そこかしこで店員さんが絶賛陳列中であった。ケースの山が通路を塞ぎ、ただでさえ狭いコンビニをメロンブックス秋葉原店入口のようにしている。もちろん、お目当ての豆乳がある飲み物コーナーでも、ほぼ白髪頭になった初老の男性店員が積み重なったケースの隙間に腰を落とし、黙々と品物を陳列をしていた。

こうなると迂闊に手を出せない。ただでさえ、陳列中の店員さんの隣で品物を物色するのは気がひける。邪魔にならないかなとか、逆にアナタのこと邪魔になんて思ってませんよとか、気を遣いすぎてなんとやら。しかもこの男性店員(なんとなく年齢から推察して「店長」と勝手に心の中で呼ぶことにする)、ものすごく、おそろしいほどに正確に、慎重に、几帳面に陳列しているのだ。この店長の動きはまるで一分の隙もない演武のようで、ゆるやかに、しかし正確無比。あたかも宝飾店でダイヤモンドかマイセンでも並べているかのように、等間隔、きちんとラベルを真正面に向けて配置を続けていく。店長、店長! そんな几帳面に並べたところで、どうせコンビニの棚じゃないですか! ほら、今にも終電帰りの酔っ払いがウェーイとやってきて、ウコンのなんちゃらを求めて棚を手汚くまさぐるに決まっているじゃないですか! でも、そのプロの、プロ根性としか言いようのない仕事っぷりは見ていて気持ちがいいし、心の中で応援してしまう。がんばれ店長。ああ、けど今日は疲れたし、さっさと豆乳を選んで買って帰りたい! だいたいコンビニが24時間営業なのが悪い、開店中に客の隙間を縫って陳列するのではなく、きちんと開店前に陳列する時間があればいいのだ、われわれ日本社会というのは常々…などと思っていると、そこで、ようやく立ち上がり棚から離れる店長。芸術的陳列がついに終幕したのか?と思いきや、ちょっと離れて観て並び具合をチェックして、また座り、黙々と陳列を続ける。店長、店長、店長!!

「すぅイマせぇ〜ん〜!」

出し抜けに、深夜のコンビニに相応しい、気の抜けたチャラい呼び声。見れば、無人のレジの前で会計を待つ、これまた深夜のコンビニに相応しいチャラい客の姿。しかし店長、そこはやはりプロ。即座に陳列を中断し、きびきびとした動作でレジに向かい会計をはじめる。すわ、今こそ好機なり! 店長の離れた隙に棚に向かい、素早くお目当ての豆乳を手にとろうとする私。これでスムーズに会計に向かい一件落着……。

取れない。取れなかった。斜めからチラ見しているだけではわからなかった、正面から見てはじめてわかる、想像以上のあまりにも美しい陳列力! 一分の隙間もなくキッチリと並ぶ美しい商品の陳列は、まさに一糸乱れぬ隊列のテンプル騎士団の如くか、あるいはハニカム構造で整然と並んだ未来都市か。できない。こんな美しい棚から、豆乳だけ引っこ抜いて、この美しい国士無双の手牌を崩すことなど俺にはできない! ああ、でも、今ほどの好機、他になし!

まあ結局引っこ抜いたのだけれど。そしてチャラ客の後ろに並んで、手早く会計を済ませる。動揺していて、目当ての豆乳じゃなく隣の黒酢を買ってしまったのだけれど。ついでに星野源のエッセイ本も買ってしまったのだけれど。まあいい、コンビニを出て、寒空の闇の下を歩きながら、あの美しい棚のことを思う。きっと店長は毎日毎回、納品のたびに同じように、同じような几帳面さで美しい陳列を続けているのだろう。その陳列が美しいまま維持されるのはせいぜい1分か、2分だろうか。いったい何人の人が見るというのだ。誰がその苦労を、美しさを知る。でも、いずれ必ず訪れる崩壊を知りながらも、プロ意識か、己の美学からか、一瞬の美しい陳列に腐心するあの店長に、心の中で敬礼しながら家路を歩く。自分の仕事というものも、かくありたい。


2月9日 雪

一年の長さは常に同じではない。年をとるごとに、現在の時間は過去の総和と比較され相対的に短くなってしまうので、体感的に時が経つのがどんどん早くなるというあの話。あれ、ちょっと違うと思うんすよね。年を取ると体感時間が早くなる傾向はまああるかと思うんですが、原因は過去の総和との比較ではなくて。原因はイベントの多寡にあると思うんですよ。

子供の頃って、毎日がイベントだらけだったじゃないですか。単純に無知で、どんどん新しいものと出会うというのもあるんですが、まずほら、学校。学校ってイベントの塊で。一時間ごとに授業というイベントが切り替わるし、休み時間や給食などを入れたら学校だけで一日に10回くらいイベントあるんじゃないですかね。おまけに色んなやつと話したり、話さないにしてもすれ違ったり、常時何かしらに溢れてる。さらに通年で考えれば、運動会だの林間学校だの、特殊イベントも満載ですよ。ところが大人に、社会の一員になるにつれて、このへんのイベントがどんどん減ってって、一日が、一年が平坦になっていくのが、体感時間が加速する原因なんじゃないかと思ったりします。

自分で言えば、去年の今頃のアニメが放映されてた三ヶ月間。あれがものすごく長かった。一週間が一ヶ月くらいに感じられ、三ヶ月で一年くらい経った気がしました。とにかく色々あったから。制作サイドとしても色々あったし、アフレコだの初体験だらけだったし、毎日告知だのなんだのやること、チェックするものが大量にあって、本当に体感時間が長かった。まあそのぶん死ぬほど疲れましたけど。逆に、一日酒飲んでネット見てダラダラ過ごすような、イベントのなんもない日なんか、本当に一日が過ぎるのが早すぎると思います。二十四時間が一瞬で終わります。こいつはいかん。お酒を飲むと楽しいけれど、充実してないのは困りもの。なるべく一日を長く使いたい。最近そう意識して、自分からこまめにイベントを作るようにしました。

まず洗い物。食器とかつい数日ぶん、台所に平気でためちゃってたんですけど、こまめに一日1回、なんなら2回3回とその都度洗うようにしました。一週間に一度くらい、まとめてどばっと行ってた食料品の買い出しも、ほぼ毎日どっかに出かけてその日の食うぶんくらいにして、無理して買わなくなりました。食材なり日用品なり、なんか足りなくなったら溜めないですぐ出かける。本屋にも行く。とにかく一日1回は外出して、日光を浴びて近所を歩く。もちろん仕事もきちんとこなした上での話。でも、こうした合間合間にイベントを挟むようにしたら、一日が今までより、恐ろしく長くなりました。今日は朝から仕事して、目処がついたのでメールで連絡したあと昼に本屋にでかけ、切れていた文房具を買い、コミティアの準備に100円ショップに寄り、散髪して、カレー屋でランチセットを食べていたら窓の外の雨が雪に変わる瞬間を目撃し、チャイを飲んで、働かないふたりの最新刊をパラパラと読み、最近行けるようになった焼きもの屋でマグカップを買い店主に手入れの仕方を教わり、帰ってからメールをチェックし、最近買った音楽のアルバムを聴きながら仕事を再開し、合間に星野源のエッセイを読み、風呂を洗い、コーヒーを飲んで、自分でもチャイを作って、たまっていた不燃ゴミを出して、この日記を書いて、まだ一日が終わらない。仕事があと一踏ん張りなので、それを終わらせたら風呂をわかして入ったあと、ホラー映画の本をちょろっと読んで寝るつもり。できるだけ長く長く1日を過ごしたい。どんどん新しいものと出会いたい。だってそのほうが、絶対楽しい。そしてそれは、漫画を続ける糧になる。


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