「死にそうになった話」というと、大げさかもしれないが、実際のところ運が悪かったら死んでしまったかもしれない事件がいくつかある。
4才か5才の時だったと思う。この時は梨をのどに詰まらせた。家族で梨を食べていたのだが、母に「梨はのどに詰まってしまうから走りながら食べるのはいけないよ」と注意されたそばから、兄とのケンカの勢いで、梨をほおばりながら、追いかけっこを始めてしまった。
急にのどに起こった違和感で梨がのどに詰まったのが、幼かった自分にもはっきりとわかった。息ができなくなり、私はのどをおさえながら、咳き込んだり、むせ込んだりした。涙は出てきたが梨は出てこない。とにかく苦しかった。母親が駆け寄り背中をドンドン叩いたが、無駄だった。気が遠くなってきたが、母親の顔は真っ青になっていたのは良く覚えている。
なぜか、いつも不在の父がその場にいて、しかも、なぜか妙に冷静で「だから言っただろう。」と言い放ちながら、私を風呂場に連れていった。父は私の足をもって逆さに吊り上げ、同時に母親が背中を「ドン!」と叩いた。梨が口からポトリと落ち、私は助かったと思った。「まったくあの時は慌てたよ。」と母がいまでもこぼす。
今度はもうすぐ小学校にあがろうかという時だから、6才だったと思う。友人の家の2階の窓から落ちたことがある。
下をのぞき込んでいたら、頭が急に下がって、そのまま宙に浮く感じがして、ドン!という衝撃が来た。ああ、2階から落ちたんだなと思ったが、そのまま気を失い、次に気がついたら病院だった。
友人の母親が青ざめて立っていた。やがて、母がやって来て心配そうにのぞき込んだ。幸い、落ちたのが土の上だったので、怪我もなく、ただ「頭を打っているので気分が悪くなったら、すぐに連絡を。」という注意をお医者さんから受けて帰された。運が良かったのだろう。翌日はケロッとしていた。念のため3日間幼稚園を休まされたので、ひどく退屈だった。何日か後、その友人が鉄棒から落ちて手を骨折した。友人の母親は「マコちゃん(はずかしながら私はそう呼ばれていた)は、2階から落ちても大丈夫だったのに、まったくうちのときたらひ弱で・・・」とこぼすことしきりだったが、私としては妙に複雑な心境だった。
最後は小学2年生の時の話だが、電気のコンセントに手を触れたことがある。
丁度、電池に豆電球を付けると点灯することを覚えた頃で、電池がまだ使えるかどうかは「なめてみるとわかる。」と、居候していた大学生の従兄に悪知恵を入れられ、電池を見るとなめて確かめてみたものだった。実際、渋いような味がする時は、まだ電池が残っていて、豆電球が明るく灯った。こうなると、当然・・・
「じゃぁ、コンセントはどんな味がするのか。」ということに興味をひかれてしまう。コンセントにソケットを中途半端にさしたり抜いたりすると、青い光がパチパチと見え、さすがにそこをなめるのには勇気が足りなかった。そこで、ひとまず触ってみることにした。というわけである。結果はもちろん、触った途端、全身の筋肉が伸びたのか縮んだのかわからないが、気がついたときには後ろに跳ね飛ばされていた。なめなくて良かった・・・と心から思った。一説によると、100v位では死に至らないとか、右手ならいいが、左には心臓があるから、左手で触ると死ぬとか、後で色々聞いた。勿論、もう一度触って確かめてみようとは思わないし、我が子達がコンセントに興味を示すと、この話をして諭す(?)ことにしている。
余談だが、先日、蛍光灯の修理をしていて、わずかに感電してしまった。大事には至らなかったが、子供時代の無鉄砲ぶりを思い出す、実に懐かしい感触だった。
2000年12月発行 院内新聞「まうす」第41号より