エピソード1
 
 


 1962420日。私は浦和市の産院で父・信義、母・恵子との間に二男として生まれた。

 生まれたときには2500gに満たず、いわゆる未熟児であったという。

 幼いときのエピソードというと、とにかく「きかん坊」で「目が離せない子」だったと聞いている。気に入らないことがあると、ただひたすら大声で泣いた。泣き始めるとどんなになだめられようとも、怒鳴られようとも、決して泣きやまずできる限り大声で泣いたものだった。

 ある日連れていってもらった浦和のデパートでおもちゃを買ってくれとダダをこね、父親にゲンコツをもらいながらも頑として譲らず、ついには中山道のどまん中に大の字になって寝てしまい、往来の自動車を全部止めてしまった。当時住んでいた北浦和までひきづられながら帰ってきたらしいが、私自身はほとんど覚えていない。よほど恥ずかしかったのか、父親は昔話というとこの話を持ち出してくる。当時父親は小学校の教員をしていて、なんでもこの道すがら教え子に会ってしまい、ひどくバツの悪い思いをしたらしい。

 母親がよく話すのは、「柵の間に首を突っ込んだ事件」で、まだ歩けずハイハイをしていた頃、廊下の端に頭が入らない幅で柵をこしらえた。廊下から落ちないようにとの配慮からである。この柵は頭を縦にして突っ込んでも入らないのだが、実は横にすると入ってしまう設計上のミスがあったらしい。私は頭をぐいぐいねじこんで、柵の間に頭を突っ込むことに成功した。ここまでは良かった。ところが、柵から出ようとしても耳やアゴがひっかかって出られなくなってしまった。ワーワー泣いているところを母が発見し、それはそれは苦労して柵から救出したらしい。せっかく作った柵だったがもちろんただちに撤去された。


20008月発行 院内新聞「まうす」第39号より


 

きかん坊