〜〜〜友と山々に感謝し、100名山達成〜〜〜 |
上京した昭和43年に筑波山に登っている。この山が100名山とは全く知らないが100名山の第一歩だった。
その後、気に入った山は幾度も歩くが100名山を意識していないので踏破は牛歩の如くだった。
それでも定年後、数えてみれば…、出来るかもしれないと意識し歩いた。
そして今日、越後駒ヶ岳に登ることによって、やっと100名山を達成することが出来た。
以前からお祝い登山をしてくれるという友人3人と家内と5人で新潟を出発。
予定より早く登山口の枝折峠に到着。
準備が出来次第入山届を提出し登山開始。しばらくは明るく歩いやすい道(銀の道)が続く。 |
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枝折峠の駐車場は略満車だった |
しばらくは明るく緩やかな登山道を進む |
この銀の道は往時を偲ばせる道であることが、石像や祠からも感じられる。 |
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穏やかな笑顔で迎えてくれる。手を合わせ安全登山を祈念する |
大明神の祠、此処で銀の道と分かれ登山道に入る |
雲が登ったり流れたりと十分な展望では無かったが、道行山と小倉山を結ぶ稜線からは200名山の荒沢岳の素晴らしい山容が目には良いてくる。 |
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道行山を過ぎると素晴らしい山容の荒沢岳が目に入る |
計画通り小倉山山頂で昼食休憩 |
小倉山を過ぎると、アップダウンが厳しくなり、百草ノ池等の低い処には小さな池(水溜り)が点在し湿っぽい。(蛇が…)。
やがて大きく展望が開ける場所に出る(前駒らしい)。ガスの流れが速く展望が観えたり隠れたり。 |
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この場所からは何も見えない |
前駒付近(標識は無い) |
前駒を過ぎると一気に樹林帯を抜け雄大な展望が楽しめる。駒の小屋のアンテナも観えてくる。
しかし、此処からの道は岩場で急登、三点支持で慎重な歩きが求められる。 |
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前駒から観る山頂と中ノ岳につなぐ稜線 |
前駒からはこんな急な岩場が続く(下山時撮影) |
両手両足を使い岩場を登って行くと、小屋の屋根が観えてきた。やっと着いた。
小屋の前には広い庭がありそこからの展望は素晴らしい。 |
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やっと駒の小屋に到着しました(後方が山頂) |
駒の小屋の庭からは歩いてきた稜線が観える |
到着後、小屋の2回に寝床を確保し、庭に出て夕餉の支度となった。
友人たちが持ち寄ってくれた料理を並べ「カンパ〜イ!!、おめでとうございます」と100名山達成を祝ってくれた。(明日登頂なのだが)
暮れゆく小屋からの眺めは雲海に浮かびとても幻想的で素晴らしかった。 |
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沢山の料理を前に「カンパ〜イ、オメデトウ」 |
暮れゆくまで庭で楽しんだ |
早朝暗いうちから目が覚め小屋の外に出る。
やがて東の空に明るい筋が…、ご来光が観えるかもしれないと期待する。
しかし、中ノ岳への分岐点に来るころには濃いガスが覆い始めた。 |
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明けいく東の空(ご来光を期待) |
中ノ岳との分岐点(右が山頂) |
到着した山頂はガスで覆われ期待した展望は皆無だった。
それでもメンバーとともに暖かいコーヒーとケーキ等で祝杯を挙げた。とても味わい深いものがあった。
友に感謝、そして今まで楽しませてくれた山々にも感謝。 |
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越後駒ヶ岳山頂標(ガスで展望は無い) |
家内と達成記念写真 |
しばし山頂で達成の余韻を楽しんだ後下山し、小屋の前庭で朝食。
朝食後、少し軽くなったリュックを担ぎ、駒の小屋を後にした。
下山途中、登り時に立ち寄らなかった道行山山頂に上がり駒ヶ岳の姿を目に焼き付けた。 |
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駒の小屋にお別れ |
道行山から観る越後駒ヶ岳 |
予定より少し早く下山し、「白銀の湯」で汗を流す。良い風呂だが少し高い。
しかも、食事が出来ないので早々に移動しIC近くの道の駅で少し遅い昼食を頂き、帰路についた。
今回は友人3人とともに思い出深い100目山達成登山が出来たことを心から感謝したい。
≪今回出逢えた可憐な花々の一部です≫ |
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