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音律について

信也の調律
音作りは真剣そのもの

私が好む古典調律とは、、
 1970年の初め頃から独学で始めた調律の勉強に全く終わりはなさそうだ。
調律とは、同時に響く二つの音の周波数のずれによる干渉現象よって発生するうなりを聞き、その数を決まり通りに当てはめていくという方法をとる。しかし制作過程の問題によるピアノ線の捻れや材質の均一性の問題で一本の弦から同時に複数のうなりが聞こえる場合があるからやっかいである。私はメトロノームを60/秒に合わせておき、それに合わせてうなり数を正確に当てはめていくという方法をとる。注意しなければならなのは、唸り数がゼロに聞こえる音程に幅があるということだ。累積していくと、おおきなズレとなる。


 私が好きな調律法は何といってもヴェルクマイスターの第3番である。ヴェルクマイスター調律法とはオルガニストで音楽理論家の Andreas Werckmeister (1645ー1706) が1691年に著した "Musikalische Temperatur" の中で書いている調律法の一つである。ここでその特徴の一部を書いてみたい。例えば3度音程をC→E 、E→G#、G#→Cと3回重ねるとオクターブになることは誰にでも判ることだろう。ところがここで問題なのは純正な長3度は386セントだから386×3でオクターブが1158セントにしかならないと言うことだ。これでは純正オクターブの1200セントに42セントも足りない。そこで各3度を純正より広い方へずらし、400×3=1200にして1200セントにする。とろでこの3度音程の広げかたにはいくつかの種類があり、これが様々な調律法が存在する理由となっている。平均率では総ての3度の幅が均一なので各調の主和音の響きの違いは音の高低だけだが、ヴェルクマイスター調律法ではこの3度音程が均一ではないので、よって各調の主和音の響きは異なることとなり、その違いが色彩となり個性となるのである。平和な響きの調、悲しい響きの調など調によって個性が異なるのだ。


 このヴェルクマイスター調律法こそがバッハが認めた調律法で、いわゆる平均率クラヴィア曲集Das Wohltemperierte Klavierが生まれた。バッハは全ての調が異なる性格で表現できることを実感して作曲した事を信じて疑わない。このWohltemperierteが間違って平均率と言われ出したのはいつの頃からなのか。それまでの調律法では一回の調律で全ての調を演奏することが不可能だった。しかしこのヴェルクマイスターで初めて調律変え無しで全ての調が演奏可能になったので、それが誤解を招いた原因ではないか、と言われているようだ。音律に関する興味はどこまでも尽きない。


五度圏
 ある音から出発して上方(または下方)に完全五度を重ねていくと12回目で出発した音に至る。この循環を円周上に表した図を五度圏という。ここで問題になるのは完全五度を12回重ねて同じ音に至るとはいっても実際にはピュアな点を通過して五度圏をはみ出してしまうという事だ。これでは困るので五度圏を閉じなければならない。オクターブは総ての調律法でピュアだから、オクターブ以外を割り振ってつじつまを合わせてることになる。これらの割り振りかたによって様々な調律法が存在することになる。ヴェルクマイスター調律法には八つの純正五度と四つの狭められた五度がある。三度の幅は平均率では一様だがヴェルクマイスターでは様々で、これらの三度の同一でないうなりが各調の主和音に異なった色彩(個性)を与えることになる。総てをピュアにすることが不可能という宿命を持った鍵盤楽器は実にやっかいなものだが、しかし同時にこの宿命が逆に個性となって色彩的で立体的な音の世界の表現を可能にしてくれるのだから面白いものである。これらの特徴は残響が長いオルガンやピアノにおいて顕著である。


調律とは人生そのもの
 余談だが私は平均率、古典調律を問わず調律というものを人間関係そのもののように感じている。何となれば純粋ばかりを主張すれば成立しないからだ。好むと好まざるに関わらず相手の言うことを聞き、譲りあい、溶け合って全体が成立するというところが調律と人間社会が似ていると思うのである。五度圏を閉じる(オクターブを純正にする)と言うことはまさに人生そのものだと言えるのではないだろうか。


ちょっと一言、、
 平均率(Equal temperament《1オクターブを12等分した音律》は1636年にメルセンヌによって考え出された)も出来上がりは調律師によって様々だ。どんな調律にしても最初にオクターブ12の音を割り振ってからそれを左右のキーに広げるわけだが、そのやり方が調律師の好みによって様々である。調律曲線なるものがあるが、これをやりすぎるのは問題である。(共鳴現象を妨げるので私は好まない)しかし多かれ少なかれユニゾンを狂わすことは当たり前になっているようだ。調律師によっては聞いていられないくらいひどい場合もある。古典調律の場合、例え最初のオクターブをヴェルクマイスターに割り振ったとしても左右に拡張する際にユニゾンを少しでも狂わせたり調律曲線を行ったりすると、せっかくのヴェルクマイスターも平均率と同じような響きになってしまう。何故、いつの頃から始まったのか知らないがユニゾンをずらす(狂わす)という方法、私はどうしても好きにはなれない。
私の生涯の目標はErstrebe noch schöneren Klangである。(より美しい音を求めて・小出造語)







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