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「春の祭典」小考 ― 或いはバレエの猥褻性について白鳥の湖 第4幕


 昔からバレエには「関心」があった。
手塚治虫の少女漫画「ナスビ女王」コッペリア、
「リボンの騎士」
白鳥の湖などを知ったことが発端だろうと思う。
思春期に入り、いくつかの有名なバレエシーンの蠱惑に満ちた、
私などの純情な少年にはちょっと正視出来ないほどの
スチール写真の記憶があって、今から思えばそれらは他愛もない、
短いチュチュをつけたプリマバレリーナの静止ポーズだったのだけれど、                                                                                      手塚治虫「ナスビ女王」より
少年の多感な胸にはいたく刺激的だった。
ちょうどそのころ、英国ロイヤルバレエが舞台の
代表作数編をまとめた記録映画をつくって公開され、
それも私のバレエへの関心と憧れを高める原因になったはずだ。

 「関心」。その頃から、現在に至るまで一貫して私を苦しめている問題だった。
この西洋起源の大芸術は、なぜかくもセクシュアルな衣裳を
まとっているのか?。裸と誤解されかねない、
躯の線をすっかり露わにした薄ものをまとった男女の、
激しい運動を伴ったアクロバット、大げさなパントマイム。
男女の行為そのものを露骨に模したカップルの舞踊、
殊更に脚を大きく開き、短いスカートが何の用もなさないほどの、
パンツが、尻が見えるのが常という、不遜なまでの「猥褻な」舞台。
これは、バレエはハイブロウな総合芸術だという一般の常識とは異なって、
登場時世論の顰蹙をかったという大衆芸能=カンカンも真っ青なほどの
挑発芸能では、といわれても反論出来ないのではないか。

 それとも、こんな観点からこの近代西欧社会の
最もポピュラーな芸術を賤しめるのは、
数百年にわたる多くの天才達の絶えざる工夫と
洗練をくぐって実現した「美の饗宴」を、
幼少の頃からの激しい訓練と同僚たちとの間の激しい競争を経て
晴れの舞台に立つ彼女達をそんな下卑た視線で見ることは、
あるいは人倫にもとるということなのか。
つまりは、ルール違反だということなのだろうか。

 しかし、それはどんなルールなのか。女の目を覗くなという、
例の禁欲原則に係る何かなのか。まさか---。
こういった思いは誰であれ、自由な心の人間なら
一度は立ち寄る思いではないのか。

もちろんそれを、下司のかんぐり、はしたないことと心から排除する人間も
いるだろう。しかし、私のように心の中にわだかまりを残したままおさまりがつかず
結局、このように進退窮まって、吐露せねばならなくなったものも出る。
これは真実を知りたいという、ひとのこころの止みがたい必然ではないのか。
私は実にばかげたことを始めたのだろうか。
それとも----。

 高校時代と社会人を通じて一貫して私達同窓の友を高所から睥睨し、
エリートの道を突っ走って、私なぞいつも頭が上がらない畏友A君は、
ある日、この私の卑小な悩みを笑い飛ばし、言った。
「本物の舞台を一度なり観ろ。あんな美しいものは俗世にはないことが分かる。
そんな妄想なぞ霧散してしまうだろうよ。」
ああ、明快な確信。
A君をまた見直し、羨ましくも思った私は、その時、例のロイヤルバレエの映画も
正直いってまだ見ていなかった。彼の言葉はなかなか説得力があったのだけれど、
やはりそれは私の身体が受けつけなかった。数年後に私は幸いにも大阪で、
世界の一流とされるバレエを鑑賞することになったのだけれど、
年来の疑念は晴れなかった。

 レニングラード・バレエ団は恐らく超一流の風格を持った舞踊団だろう。当時のカタログ見開き
一般識者の常識として、いわゆるクラシックなだしものでは世界一だとも。
フェスチバルホールでその定番「白鳥の湖」を観た(1967年7月)。
今でも私はその時の豪華なパンフレッドを持っていて、プリマ(白鳥、黒鳥)が
ニューヨークでなお活躍中のマカロワだったのを知ることができる。同カタログより

 双眼鏡を持ってこなかったことを後悔したほどの最上階席だった。
プロポーションが高水準で揃っていると定評のある
コールドバレエ(多人数で踊る場面)はなるほど迫力があったけれど、
打ち続く公演で疲れていたのか揃わず、ばたばたした感じだった。
最終幕、王子に裏切られたヒロインは、勝ち誇った悪魔ロットバルト
強くかき抱かれ、絶望のあまり気死したようになり、大きくのけぞって、
何度もスピンする悪魔によって激しく振り回される。
私はこのヒロインの悲惨な状況に性的な興奮を味わった。
これは何の象徴だろうか。ヒロインが悪魔によって
陵辱されたのでなければ、何なんだろう。
 もっとも、このあと王子が現れて、悪魔を倒すハッピーエンドが
来るのだけれど、その印象は希薄だった。遅きに失した、という
気がしないでもなかった。

 漸時バレエから離れる。

 ヒューマニズムの漫画家とされる手塚治虫の作品にも、
サディスチックな場面は少なからず見うけられる。
例えば「火の鳥・鳳凰編」。行きずりのあそび女が村人に捕らえられ、
たて穴に投げ込まれて石うちの刑を受ける。(最近イランで、
ポルノ映画に出演した女優がこの刑で実際に刑殺されたとの
報道があった!)。「鳥人大系」で、迫害された人間の女が高架に
妙な姿で縛りつけられ、蟻責めで殺される、など、思いつくままを挙げた。
著者の作品を全部見たわけではないから、もっとあるのだろう。それにしても、
異色の長編「奇子」の、函の中の暗闇を好む美女の不気味さはどうだろう。
こんな趣向が青年漫画に多いのは当然ともいえるけれど、
作者は一体、どんな気分でこの、さして必然とも思えない
刺激的な場面























を想定したのだろうか。
大抵の画家が春画に手を染めるというけれど、
自由な精神の表現者が夢想する定番のひとつがこれなのだろうか。
上図 ROBA様よりのNEWプレゼント ’06.4/22

 人類が文化を持ち、日常から遊離した(時には危険な)思想を
ヴァーチャルな世界として具体化する、いわゆる
芸術というものを知り、その表現技術を獲得してから、
それら刺激的な題材が主として取り上げられることになった、
というより、それらが彼等のエモーションを強く刺激するゆえに、
好んで取り上げられることになったのだろうか。
それが芸術の定番、ヌードと結びつけば無敵、
彼等としても、もう言う事はない。

 サディズムの劇化は古代ギリシャの昔から盛んであり、
その代表的な主題「アンドロメダ」は、ソフォクレス、
エウリピデス
などが競って手を染め、しかも彼等の
"最も美しい作品"として言い伝えられてあるほどだ
(いずれもオリジナルは残っていなくて、断片だけで
その内容を推測するしかないらしい)。アングル・ロジェとアンジェリック

 しかし、私達は幸いにもその内容の一部(クライマックス?)を現在も、
アングルなどの見事なタブロゥ(ヌード絵画)で嘆賞することができる。
風波吹きすさぶ荒荒しい海辺の大岩に全裸を晒して括りつけられたうら
若い美女と、その甘い好餌に襲いかからんと醜悪な姿を現した巨大な怪物。
絶体絶命の身をよじらせて狂い慄く哀れな生贄を救うために
怪物に駆けより、まさに長槍を突きかけた勇敢な騎士---。
 この神話は、猛悪な時の権力者に献上されかかったた美女との
悲恋を貫いた若者の物語として一般化できるだろうけれど、
この臆面もない性妄想的、嗜虐的な語り口は何なのか。
それ以前の、ヒューマニズムがまだ社会に現れていなかった
ころは、そんな実際例が日常だったと言う事なのか。

 いずれにせよ、強者が弱者をおおっぴらに思い通りにして愉しんだ時期が、
長く続いたはずだ。例えば、部族の婚礼の前夜、
長老が花嫁の処女を奪う中東の習慣「初夜権」。
先立たれた夫の葬儀に、残された妻が殉じなければ、その場で殺される
こともあるというサティ「殉死」、これは現代もなお続く、インドの地方習俗だ。

 マヤ、アステカ、インカといった主として中南米の国々では、
生贄の儀式」なるものが盛んに行われたと。
(彼等の歴史は今なお言語が不分明で、細部がはっきりしないが)
意識のある若者の腹を裂いたり、首を切り落としたり、それは凄惨な
ものだったというし、若い美女たちも多く犠牲になったらしい
わがサイトの物語「アマゾン」を見よ)。

 それらが現代文明とは異なった、今は滅亡した文化に発生した
事象だったということで安心するのは気が早いというものだ。
 いわゆる「魔女裁判」の暗黒時代は我々の文化の正統である
ヨーロッパの中世から、つい二百年ほど前まで行われていた、
マヤの生贄の儀式にも劣らない凄惨な習俗だった
わがサイトの物語「エセックスの魔女」を見よ)。

 もちろんわが国のキリシタン迫害も、避けては通れない
ひどい歴史だ。芥川龍之介「ある奉教人の死」があった。
美しい隠れキリシタンの娘の落魄、女乞食の悲惨な死。

 生贄=人柱という概念は洋の東西を問わず一般的だ。
南方熊楠の「人柱の話」には、彼が大英博物館などに入り浸って
渉猟した資料を縦横に使った豊富な事例が並んでいて、実に
楽しい読み物になっている。それらは、元来歴史の恥部として
世には明らかにならなかったものが多かったはずだし、
それだけに、興味本位に事実を歪曲して伝えられたものも
あるのだろうけれど、
はっきりしていることは、それらが、大抵は、時の権力による
快楽殺人という面を持っていたという事だろう。
雨請いのため、または難工事の成就のため、
更には大建築物施工安全の祈念の名目で、
涸れ池の泥へ投げ込まれ、或いは大杭の下で潰され、
壁の中に塗り込まれて死ぬまで細穴から監視され続けた若い美女たちは、
神へ奉げられたのではない。神の名の下に、時の非情な権力者
たちのサディスチックな快楽の犠牲になったのだ。

 そんな光景が、実際はどんなだったのか。恐らく興奮させられる
一種スペクタクルであったろうことは確かにせよ、やはり常人には
目をそむけるような、悲惨極まりない情景だったろうことは
想像に難くない。
もちろん私たちとしては着飾り、強い化粧を施された彼女たちがその時
長くもなかった生涯で最も華やかに輝いていただろうことを
信じたくもある、死ぬべき運命を余儀なくされた彼女たちのためにも。

 二十世紀最大の音楽家、ストラヴィンスキーの最大傑作といわれる
バレエ音楽「春の祭典」は、ご存知だろう、作者の性妄想から生まれたとされる。
つまり、こういう妄想だ。

私は空想のうちに、おごそかな異教の祭典をみた。
輪になって座った長老たちが、死ぬまで踊る若い娘を見守っていた。
彼らは春の神の心を和らげるために彼女を犠牲に供したのである」

(『ストラヴィンスキー自伝』塚谷晃弘訳)

既に「火の鳥」などの大作を仕上げて、巨匠と
なっていた作曲家は、その想を思い浮かべてすぐ、その
構想をオーソライズするために民族学の権威である
学者レーリッヒを呼び(もちろん彼の博学をもってしても
作者の妄想に対応した民俗、実際の伝承など見つけられる筈もなかったが)、
ともかく協力しあってバレエ台本に仕上げていく。
 その2幕

夜。丘の上。処女たちが輪になってぐるぐる回りながら、
神秘的な遊戯をおこない、ひとりの処女を選び出す。
選ばれた処女は恐怖におののきながら踊り、
太陽神に生け贄として捧げられる。


作者は生贄の一挙手一投足に至る、
この陰惨なドラマの様々なシーンを思い浮かべながら
あの激しい、ドラマチックな音楽を作りあげていったのだろう。
そして台本はその際の彼の思想、妄想などを
端的に示しているはずだけれど、これは随分簡単なものだ。
バレエ台本とはこのようなものなのだろうか。作者は
煮詰められたプロットだけを提示し、あとは舞台監督やら振り付け師たちの
自由な脚色、創造力に任せる、ということなのか。
 しかし、この一見、抽象的な言葉が堵列しただけの
ひときれのメモに過ぎない「台本」を受け取ったコレオグラファーは、
随分戸惑ったに違いない。そして、彼等なりの性的連想に
ふけったことは間違いない(例えとしては適切でないかもしれないが、
谷崎の断片「白日夢」の周りを稚拙な足取りで徘徊し続けた
映画監督のように)。

古代の丘、夜の処女たち、「神秘的な」遊戯、
恐怖の舞踏、太陽神への生贄、----。あらゆる言葉に陰があり、淫靡で
すらあり、しかもひどく矛盾して、疑問だらけである。

恐怖の舞踏、夜の太陽神、ひとりの処女はいかにして選ばれたのか、
なぜ辛い踊りを踊らねばならないのか、太陽神は何故に生贄を要求したのか、春の祭典・モーリスベジャール                                                                                         20世紀バレエ団
哀れな生贄はどんな死を迎えるのか---。


 この舞台を初演させる栄光を担った、彼自身天才舞踊手だった
ニジンスキー版をはじめとして、このバレエがいつも
強烈にセクシュアルな色合いで脚色され、踊られる(ある脚本では
沢山の男性に輪姦され尽くしたヒロインの踊り子が最後に狂死するという設定もある

こと、つまり、
この作品が誕生以来、おおいにもてはやされ、
常にバレエの最前衛に位置しているということは、

結局、バレエという芸術が、セクシュアルな芸術の代表的な
存在だということをはっきり証明しているといえるのだろう。


                一応脱稿、常時推敲あり ’01・05・26初出、’03、11,13改稿

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