評論「 映画 地獄でなぜ悪い」

表記の日本映画(監督 園子温)を観た。常識を超えた映画で、よくわからなかったけれど、面白かったので以下感想。

全然意味が取れない題名はじめ、いろいろ不満はあるのだけど、結局「表現者の夢」とでもいうような筋書きに好感がもてた。でも、こんなことって結局夢でしかなく、実現できるはずもないよね。

筋はこうだ。生涯で一本だけでいいから最高の映画を撮りたい、という夢に取り付かれた平田(長谷川博巳)とその仲間3人がたまたまやくざの抗争に出くわして、その血まみれの姿を撮る。

抗争が続くやくざ集団。大きな出入りがあって、一方の組長武藤(国村準)の浮気で不在の最中に襲ってきた相手を妻しずえ(友近)が包丁で撃退し、過剰防衛で10年の罪に服す。平田が撮ったのはそのときに傷ついた池上(堤真一)だった。

武藤は一人娘を女優にしたいという獄中の妻の願いを重く受け取っている。妻が刑期を終えるまでにその夢をかなえたいと、映画に端役で出演させるも、娘ミツコ(二階堂ふみ)は好きな男にだまされて現場をキャンセルし、今は組をのっとって自前の組を立ち上げた池上組長率いる仇敵のアジトに囚えられる。ミツコは池上にぞっこん惚れられてしまうが、そのわりには椅子に括られてひどい扱われようだ。ともかく出入りのどさくさにまぎれて二階の窓を破って逃げるところからこの破天荒なヒロイン活劇の本編のはじまりといえそうだ。

逃走途中に追っ手をごまかすため恋人にされた不運な男(星野源)は抗争に巻き込まれて最後までつきあうことになるが、この役が舞台まわしなのだろうが役立たずでどうもわからない。ともかく裏切ったもと恋人を死の接吻で私刑にするという肝の据わった娘の主演映画を撮りたい武藤は十年間映画制作の夢に取り憑かれたままの平田とそのチームに監督を依頼し、組が実際に池上へ殴りこみをかけ、そのシーンを映画に撮ろうという。

「地獄」とはその血まみれの修羅場、地獄ノシーンのことであるらしい。もちろん平田は映画を知っているからぶっつけでそういった現実シーンをまともに撮れるはずはないこと位分っているが、シナリオも出演者たるやくざの子分たちの訓練もまったくままならないことを知り、ともかくけんか相手の池上へミツコたちも従えて了解を取りにいく。ミツコにぞっこんの池上はその異様な依頼をあっさりと承諾してしまう。ともかく飛び道具はだめ、刀剣だけを武器にするという幾分まともなルールを言い交わして、映画資材を敵地内部へ持ち込み、ふすまをはさんで敵味方が待機し、「用意、スタート」という号令一下、演技とも真実ともつかない戦いがスタートする。延々と続けられる血みどろの立ち回りは「キル・ビル」にも匹敵しなんともみごたえがあったが、そのなかでホットパンツのヒロインミツコの動きは想像の範囲で平凡だった。もう少しいじっても悪くはなかったと思うが。いずれにせよ周囲が盛り立てるだけの日本人ばなれした魅力ある逸材ではあった。

このおさだまりの幻想的な撮影シーンが果たして筋的にはどこまで本物なのか、現実と考えねばならないのか。観客は混乱してしまうけれど、それも劇的には計算のうちという複雑さ。

こういった近接戦をリアルに撮ろうとすれば、それこそ大変な準備と時間が必要だろう。だからこそこの破天荒な設定が生きてくるということだろうが、そのあたりの描写がいささか平板だったことは悔やまれる。

どんどん血しぶきが飛び始めて、案外早めに武藤の首が飛んでしまうのは混乱のせいか、わざにトリックめいたあざとさ。このあたりからルールがくずれはじめ、音声収録で入っていた武藤の幹部本城丸裕がたまたま目前に現れた池上組長を拳銃であっけなくやってしまい(これはリアルだ)、これを契機にすさまじい銃撃戦が開始される。踏み込んできた武装警察隊もつられてどんぱち戦に参入し、はては撮影スタッフもマシンガンを撃ちまくるというファンタスチックなはちゃめちゃ惨劇。ミツコ含み全員が死に絶えてただ一人生き残った平田監督がスタッフらから撮り終えたフィルムマガジンを抱えて狂喜しながら走り去る。

ここまででも十分成り立つスーパーヒロイン活劇だったけれど、そのあとについたコーダでどんでん返しというか、ごく常識的なハッピーエンドになってしまったのはどうだろう。

 

ともあれヒロインを支える充実した助演陣、随所に現れる壁紙的美女たちも含めて、サーヴィス意識丸出しの徹底した娯楽映画として出色であった。

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