(288)国家の存続

年末に入手してたちまち読み終えてしまった

のだけれど、身辺がいろいろあわただしく、PCも不調とあってなかなかここに書き出せなかった。

著者の小説は多くが自伝的なものだけれど、これもそのひとつで、とてつもなく異性に

もてすぎて右往左往する部分はともかく、生来の旺盛な探究心がえぐりだした現代社会に

対する深い洞察と危機意識と同時に、その研究し尽くした経済構造を利用して精力的、積極的に

生活へそれらを生かしてきたことは事実に近いようだ。一見理想主義に思えるけれど、

その語る内容は実際的で興味をそそられるものが多い。

メジャーなメーカーを数年で飛び出した山野智則は大阪で設計事務所を立ち上げて成功しているが、

その副業も含めての仕事に疲れて伊勢志摩のローカルな浜辺へ来た。そこで知り合った老人の孫娘陽子

意気投合して自分のマンションに連れ帰る。現代の、異性を迎えるにも、そのきっかけをつかむにも

ままならない若者たちには別世界とも思えるような展開だけれど、彼の積極的な行動は不思議にも

気にならない。物語は大阪へ戻った二人の日常と、智則がとりもつ志摩の女日照りの若者たちと大阪の

女性たちとの婚活風景を中心に進められるなか、途中から著者特有の数式による現代生活論が繰り広

げられる(人生方程式)。

Y=aX+b    Y は資産や生活レベルを表し、a は各人の能力や努力、 は時間の経過で、は普通に

生活ができるレベルを示している。これはシンプルな考え方の数式的な表現であり、誰もが直感的に心得

ているものだろう。しかしそれを目と論理で確認する経験は、たしかに目からうろこというような感動がある。

人間の経済生活のいろんな典型的なケースが線グラフになって目視できるのは面白い経験だ。

もちろん人間は経済生活だけではない、もっとさまざまな要素が重なり合って生きる意欲に関係してくる。

個人で努力できることにも限度があるけれど、特にグローバルな時代になって変動する社会へ対する個人の

積極的な働きかけ、研究と注視がより重要になったことを著者は「国家自滅への憂い」以後から強調

している。歪みきった現代の金融市場をごく一部の大資産家の横暴から取り戻し、本来の大衆株主の場

とすることで健康な世界にしようという著者の哲学が熱く語られる。

それにしても著者の多方面への好奇心と薀蓄はとどまることを知らないようだ。衰えつつある日本の諸問題

から津波への備えまで具体的な提案も怠りない。主人公が伊勢のでおぼれかけているさなかにもさまざまな

憂国の思いが卓抜なアイデアとともに浮かんでくる結末は、全体として現代の時事経済科学論文めく体裁の

本作品を小説としてふみととめることに寄与しているように思える。

特にマーケットに関心のある人には必読の書であろう。

 

発行 風詠社  発売 星雲社 連絡先 03 3947 1021  

「国家の存続」 ¥800+税

 

(287)「二重奏、恋のおばんさい」

約束の著作が送られてきた、しかも二冊同時に、思ったより早く。前項で紹介した友人の

2作、3作である。状況は知らないが、ずっと書き溜めていたわけではなく、ごく最近

思い立って書き始めた。しかもそれらは以前からの思いの爆発のようなものだったらしい。

爆発が3回あったということだろう。とりあえず第二作を読む。

独立して業を営む機械設計士の美紀(よしのり)と黒部深部の山荘で出遭った美しい

克美(かつみ)はすぐ恋に陥る。それはオイルショックで日本がゆれた’73年の冬の

出来事だった。その社会的事情自身が山荘の未完成に影響を与えており、それも

二人の出会いに自然な揺らぎをもたらす。そのあたりは山の描写の緻密で丁寧なことなどと

あわせてこの恋愛小説をリアリズムで憎いほどに盛り立てる。

主として軽い会話だけでどんどん進められていく独特の文章の無理ない筋立てが、

お互いの恋愛と結婚へいたる様々な結びつきへの障害を深刻でなくさらっと説得させる

テクニックは前作よりも洗練されている。裕福だった克美の実家を襲った没落の危機を

美紀の神技的な設計士としての剛腕と工場経営者としての辣腕ぶりで乗り切ってしまう。

主人公の神隠れと復帰を通じて幸福な結末に至るものの、美紀自身の難病が発症して

厳しい未来が窺えるのも、このライトノベル的な恋愛小説がそればかりではない苦味

をもって迫ってくるというところだ。この第二作は先の「約束の詩」に続く著者の半自伝的

モニュメントとして作られたのかもしれない。

第三作「恋のおばんさい」はドンファン的趣のある若い大学講師幸成が京都、金沢、

山寺などで魅力的な女性たちと交流しながら現代の世相を辛口の評論で分析しまくる、

好き勝手なエッセー的小品である。なかなか意図は面白いし内容は濃いけれど、

このひとつの作品の中で恋愛小説部分と評論と、どちらも生かすのはなかなか

難しいことかもしれない。どうすればいいのか、私には分からない。

第四作の爆発も近々あるらしいが、これが売れなければならない、らしい。

発行 風詠社  発売 星雲社 連絡先 03 3947 1021  

「二重奏 いつか行く道」 ¥1、400+税

「恋のおばんさい 天下国家への手紙」 ¥800+税

 

 

(286)「約束の詩(うた)」

同年の古い友人A氏が自作の書籍を送ってきた。いわゆる自費出版だろう。

350ページもの大部で装丁も店頭に並んでいる単行本に匹敵する仕上がりだ。

販促のための帯(腰巻ともいうが)までつくという凝りようでA氏の意気込みが覗えた。

ともかく古い付き合いだった彼がこんな趣味を持っていたとは知らなかったので

寝耳に水で驚いた。

早速拝読、読了した。折々に彼から聞いていたことでそれとわかる自伝的な青春小説、

基本的には恋愛小説の体裁になっている。

中学三年生になってはじめて同級になった、同窓の誰もが注目し憧れる美しい異性

由布子に恋をした15歳の主人公昌彦が、その苦しくもせつない気持ちを

打ち明けることもできないまま日々を過ごすうちに、お互いに心が通じ合い、

次第に相手とその気持ちを共有するようになる。このあたりの描写は実に自然で美しい。

幼い恋の発展を大事に育て持ち続けて、二人の成育環境の違いから必然的な

別離を味わい、違った道を進んだあと社会にもまれて紆余曲折を経たのちに、

二人は結局結ばれる。

ピアノをよくする教師のひとり娘の由布子に対して、貧しさから大学へ行くこともできない

昌彦はどだいつりあわない相手だという自覚を持ちつつも、そんな悪条件を持ちまえの

負けん気と強い倫理観を発揮して乗り越えるべく努力し、愛の対象へ近づいてく、

その古典的なプロセスが、定型的であっても人間を感動させる恋愛小説の

普遍的な醍醐味でもあるのだろう。何度同じ演題を舞台に載せ、同じ所作を繰り返しても

その都度感動できる日本の古典芸能、歌舞伎の形のように。これは三島由紀夫の名作

「潮騒」などにも通じる小説家の定石(試金石?)とでもいうものなのだ。

性愛の始まり中学時代の拙くも多彩な出来事、素朴な同窓の友人たちとのやりとりが

主になった前半の描写がいきいきとして楽しく読ませる。地方色(三重県の義務教育方針)

があらわれているのかもしれないけれど、古典の相聞歌、和歌を多く取り入れた

日本文学の伝統的な遊び心も混じったやり取りや、自然描写の緻密なこと、なによりも

A氏が青春を生きたその日本が味わったどん底の戦後すぐから、更にいくつもの

当地方を襲った伊勢湾台風水害など大自然災害の深甚な影響を受けた、自身の

貧しかった(当時は私も貧しかった。それが普通だったと思)家族のデテールも

しっかり書き込まれ、更に未曾有の戦後復興と経済成長の世相、エピソードなどを

背景にした物語は、生きた地方は異なっても同時期を成長した私にも

深く共感できるものがあった。

  発行 風詠社  発売 星雲社 連絡先 03 3947 1021  ¥1、300+税

一読いたく感動して簡単なメールを送っておいた。いやー、めっちゃ幸せな青春を送った

奴っちゃなあ、とのやっかみも含めて(実際は失恋であったようだが、それを乗り越え

この作品に昇華結実するのに半世紀を必要としたのだろうか。でもこれだけの作品が

描けたこと自体おおいなる幸せの経験だろう。そんな才能も含めて)。

 

 

 

 

(285)平成28年の幕開け

 

れまでXPでしかメンテ書き込みができなかったこのホームページも、今年になっていろいろ

工夫の仕方しだいでなんとかウィンドウズ 7 でも走れるようになったので久しぶりに訪れて

みたら、なんと一年半近くもご無沙汰だった。

これだけ放置したままでも、今なお多少は来ていただける方がいて本当に有難い。これからは

心を入れ替えてちょっとづつでも書き込んで行こうと思う。ご迷惑をおかけしました。

書く気力が失われたわけではなく、分散されたということがある。多くはいわゆる

質問サイト”サイゾー質問箱”。毎日ここに入り浸って時事や技術、哲学的な質問を見て

適当な回答を書くのは、お題が向こうから提供されるので半分は手間が省ける。何より

反応がすぐ来るので楽しい。こういったことは以前もここに書いたけれど、

そういった魅力に勝てなくて抜け出られずにずっといた。ご他聞にもれず彼のサイトもネトウヨの

天下で、韓国憎し、中国けしからん。安保法制大変結構、憲法改正は絶対必要、あべさん

よくやっている、云々云々、いわゆる慰安婦問題にいたってはネットサイトの管理人が自分から

言論統制に関わって、正論を書いたら削除されるような空気なのである。

 

そういうこともあいまって孤軍奮闘、なかなか苦しくもやりがいのある楽しい日々を過ごしてきた。

いや、危機感がそうさせたのだけれど、どういうわけか(ポピュリズムだということは

わかっているけれど)底の浅いアベミリタリズムが人気を持続していけばどういうことになるのか、

これからのいちねんで冗談でなく憲法九条が書き換えられる可能性が出てきた。

これをなんとか食い止めねばならないと思う。最大の外交的懸案はやはり中国との

対決姿勢の解消だろう。根本的な解決はやはり米国との軍事同盟の解消だ。自衛隊は

これ以上強くする必要はない。アメリカとの同盟が解消できればむしろ軍事力は減らせるのだ。

中国は対外的に突っ張る必要性がなくなるので、安心して

国内問題に専念できる、したがってこちらもぴりぴりせずに済むのであるのである。

こういうことが余り理解されていない。

中国は沖縄などには攻めては来ない。大きな軍事予算はほぼ国内体制の維持のためにあるのだ。

 

尖閣諸島の国有化が大失敗だったように、慰安婦問題でもあべさんはやらずもがなの失敗を冒した。

大使館前の少女像を撤去する努力を前提に10億円を積むということで解決したはずだったが、

強欲にも「十億は撤去したら出す」と言って韓国政府を怒らせてしまった。どちらが実際は

正しいのかなんて問題ではないのだ。この稚拙なやりくちで逆に日本は国際的にも悪者に

なってしまった。そこまでいわずに撤去圧力をじわっとト掛けていくのが正攻法だったろう。

懸案の解決は遠のいた。責任が安倍さんにあるのは明白だ。

 

 

 

 

284「終戦のエムペラー」

思えば私は学校の歴史授業で日本の戦後史を学んではいない。時間切れで、そこまで学ぶまでに学年末が来てしまったのだ。中学校でも、高等学校でもそうだった。教科書にはそのあたりの記述はおおざっぱにはあったから、単純に教師が授業のペース配分を誤って戦後に間に合わなかったのだろうとその頃は思っていたけれど、それは評価の定まっていないそのあたりの歴史をうまく教える自信のない教師たちが確信的に手を抜いたということであったらしい。だから、今回観た米映画「終戦のエンペラー」の主要テーマである日本の歴史の中でも現在の状況にそのまま通じている重要な転換期、先の戦争の終結(敗戦だ)とそれにつづく米軍の占領、GHQ(総司令部という意味らしいが、実質はマッカーサー将軍の率いる日本の東京、日本生命ビルに本部を置いたアメリカ軍のこと)による日本の戦争責任の追及と、それに伴う国体の見直し、変革などの事実については、何も教わった記憶がない。

私はずいぶん政治的にはおくてだったから、このあたりに興味を持っていくつかの書籍を読んだのはずいぶん歳を取ってからだった。この映画の骨子になった「マッカーサー回顧録」だって今なお読んではいないし、日本人の関係書籍から間接的に見知ったつもりになっているだけだ。

ハリウッドで企画され製作されたこの映画は、日本統治の要素の中でも核心だった昭和天皇の戦争責任の追及が、どんな経緯をたどって、どんな結果になったのか、という内実、状況をドラマにしたてたものだ。歴史ミステリーと銘うっているので、このあたりをミステリー仕立てにしたということだろう。確かに日本人には関心が高い問題で、しかし現在でも声高に話せないタブーめく部分でもある。だからこそ”ミステリー(秘儀)”なのだ。もっとも一般のアメリカ人には関心がないことだし、こういった地味なテーマを彼らがメジャー映画にするのは考えられなかったことだ。アメリカも変わったということだろうか。

日本でもCMでなじみのあるトミーリージョーンズが扮するD・マッカーサー元帥(その好感度からいっても適役)が、敗戦後まもない8月30日、爆撃で破壊された日本軍の飛行機の機体などがうずたかく積み上げられたままの厚木飛行場にB29で到着する。その足で彼らは東京丸の内に用意された占領軍本部へ車を連ね、丸腰で向かうことになる。途中の治安を気にかけない最高司令官。そこにこのドラマの伏線が早くも現れる。巧みな筋回しだ。その機上で彼は側近で日本通のボナーフェラーズ准将(マシューフォックス)にある調査を命じる。彼はこの戦争の責任が誰にあるか、天皇はどの程度それに実質関与したのかを開戦当時天皇の言動を知る政治家、軍部、そして天皇自身の側近たち三十数人をリストアップして、ひとりひとりにあたり、尋問していく。

自殺を図り、命を取り留めたが収監された東条元首相(火野正平 もちろん意図されたキャスティングだろうが、もう少し大将然とした品格のある俳優は選べなかったものか。火野は火野で翳があってそれなりに良かったが。からその前の首班だった近衛文麿(中村雅俊)、そして天皇側近の木戸幸一(伊武雅刀)、 関谷貞三郎(夏八木勲)…。が、誰一人核心にふれる証言を話さないままむなしく時日が過ぎていく。当然ながら日本的なたらいまわしの見慣れた風景だ。事実を含んでいるのだろうが良く描けている。

フェラーズ自身は日本人に知己もいて日本人の気分はよく知っているし、天皇を有罪にはしたくない。マッカーサーも敗戦後にあってもなお国民に影響力を持っている日本王を丁寧に扱わねば以後日本を統治することは難しいだろうと考えているが、本国での政治野心(次期大統領候補を狙っていた)のある彼には、この決断は複雑なものがあったようだ(天皇を断罪するべきという世論は強かった)。フェラーズが天皇の有罪、or無罪の証拠をつかむことにし失敗すると、マッカーサーはいよいよ天皇自身を尋問する決意を固める。彼なりに気を使ってこの日本、天皇家として前例のない喚問には本部ではなく彼の私邸を使い、天皇には占領者への表敬訪問という形にする。もっとも、天皇の訪問が実現したあとは、彼のペースでことを進めることになるのだけれど、昭和天皇(片岡孝太郎 好演)は大人の対応をし、話し合いは通訳がいたにもかかわらず天皇自身の英語で進められた。この場面はドラマ中のクライマックスであるが、よく描けている、と思った。マッカーサーによれば、自身が受けた”この時の陛下の感動的な印象”で日本の国体(の維持)が決定されたということらしい。

当然ながら尋問された天皇の側近たちが皆彼を庇っていることはわかっているが、フェラーズ自身がつかめなかった天皇無罪の証拠が存在しない以上、限りなく疑わしい被疑者を裁判にかけない理由を作るのは難しい。日本人とって現人神である天皇もただの人間であるのは間違いないので、おそらく、表敬訪問のときはまず命乞いをするだろう、とタカをくくっていたらしい将軍は、現れたそのひとの人柄に無私の精神を感じ、天皇制という日本の国民間における本物のカリスマ性の根源をはっきりと理解したのだろう。この人物は使える、と確信したに違いない。マッカーサーがその場で昭和天皇を敗戦国日本の再建のためのパートナーに選ぶことを即断しのは慧眼だったと私も思う。アメリカが戦争をし、勝利して統治した国で成功した唯一の国である日本、その大きな成因だったことは確かだろう。猪瀬直樹が’86年の著書「ミカドの肖像」でこのマッカーサーの決断を「日本人による天皇の戦争責任追及の最も効果的な機会を奪ってしまった…。」と書いたけれど、それは彼一流のジョークでなければ、SF的な発想だと思う。

 

283「樫の木坂四姉妹」

 

劇団俳優座公演「樫の木坂四姉妹」を観た(飯塚コスモスコモン中劇場5/17)。坂の多い長崎市内の樫の古木のそばに建った一軒家に住む3姉妹の物語。彼女達は長崎で被爆し、戦後の混乱を生きて、今それぞれの過去を背負いながら三者三様の思いを胸に秘めつつ見た目は仲良く暮らしてている。その生き方に興味を持ったアマチュアのカメラマン洲崎(武正忠明)が彼女達の日常を撮りはじめて数年経つ。長女しを(中村たつ)は学生相手に被爆者として語り部のボランテアを続けており、次女ひかる(岩崎加根子)はどうやら戦後長い間行方不明になっていたのが、つい最近この生家へ戻ってきて同居を始めたらしい。四女ゆめ(川口敦子)は姉達の生き方をよくはおもっていなくて、特に奔放なひかるとの関係がおかしくなっている。居間の真ん中に据えられたピアノはちょっと違和感があって、それが生前ピアノをよくし、被爆死した三女まりを追慕する意味をこめてゆめが購入したことが洲崎たちとの会話から浮かび上がってくる。

三姉妹の何気ない、しかしぎくしゃくしたやりとりと、親しい客である洲崎との会話が積み重ねられ、ドラマは彼女達の熾烈な被爆体験、そして先の戦争が彼女たちにとってどんなに決定的なものだったのかが次第に浮かび上がってくる体裁になっている。けれど、それにしてももどかしい。そんなわれわれのために被爆前の、55年前の家族の有様が再現される。四姉妹に加えて優秀な帝大出の長男(脇田康弘)、そして優しい父母(河原崎次郎、平田朝音)が存在し、切迫した終戦間際の状況下であってもこの絵に描いたように平和な、敬虔でのどかな平均的家族の描写が続く。音楽好きの一家と長男が弾くピアノが一家の中心になっている。

終戦直前の過去と現代、戦中にあってもそれなりに幸せな家族と、現在にひっそり生きる化石のような三姉妹のぎくしゃくした暮らしぶり、その行き来が丹念に舞台の中で繰り返されて、やがてこの家族の過酷な歴史がわたしたちの前にすっかりあらわになる。長女しをがなにげなく発する台詞

「私たちの毎日からは一度も 八月九日が消えたことがなかとよ」

が実感をもって伝わってくる。彼女達のこれまでの断片的な台詞と状況のすべてがやがて恐ろしい意味を整え、終末近くの被爆シーンの迫力と共にわたしたちを一挙に打ちのめし、告発の言葉が胸にすとんと落ちる。反戦、反核、そういった思想の告発のために「語り部」を選択した車椅子のしをと、これまでの生き方を修正して彼女に寄り添うゆめの最後のシーンには、再び夢のような回想、在りし日の家族の合唱の姿がオーバーラップする。美しい、見事な劇的構成だと思う。

劇の芯になっていたのは戦中から戦後へ自ら進んでドラマチックな生き方を通してきた次女ひかるだろう。若いひかる(小澤英恵)のシンプルな情熱と美しさ、魅力が、被爆によって別人のようにひねくれた嫌らしい老女(岩崎加根子演じる現在のひかる)に変化する悲惨、しかしその悲劇も終末近くのエピソードで浄化されるのがうれしい。

これが告発劇としての苦い重さを持っているのは至極当然としても、随所にあるユーモラスな場面とともに、こういった救いがあることが作品を重い思想劇にとどめず、作品としての感銘を深め、つくづく観てよかったと思わせる、いい意味で大衆化一般化なのだろう。

戦争体験を語らない被爆者、祈念式典に出ない被爆者、その一方で「語り部」のパホーマンスを嫌う人々。そういった現実もこの劇のテーマにはあったと思う。確かに、余りに辛い体験は聞くのも辛い、そう言う人はすくなくない(私もかってそうだった)けれど、しかしそれは自身の辛い体験を忘れたいと思うひととも通じる、いやそれよりも数倍ずるい生き方であり、いはば現実逃避ということではないだろうか。 

 

282  「アイーダ 下」
当日券を売りつけた慇懃無礼な女性は、2階席はすごくいいですよ、と
言っていたが、確かに舞台全面を俯瞰できる利点はある。ただ舞台から遠い
のでオペラグラスを使わなければTVでみるのとあまり変わらない。見たと
ころ1階席はほぼ満員、2階席は6、7分の入りと見た。空いていたら降
りてもぐりこもうと思っていたが無理なようだった。九州交響楽団が
オーケストラビットに入り、イタリア人のダニエーレ・アジマン氏が入って
きて前奏曲が始まった。舞台装置の特徴は広い舞台の前後を二つに仕切る巨大
なハーフミラーだ。前傾しているので普段は舞台床面に描かれた古代の神殿の
石柱が映り、立ち上がって見える。照明の当て方しだいで後ろの光景が見えた
り消えたりする。これが左右に引かれると真ん中で二つに割れ、露出した後方
のひな壇から歌手が降りてきたりする。なかなかいいアイデアだが、急いで動
かすときのからからという騒音が気になった。
劇はアイーダをひそかに恋する軍将ラダメス、そして誇り高い巫女のアムネリス
の3つ巴の恋が、再び起こったエチオピアとの戦争と同時進行する。ソプラノ
(白川深雪)とメゾソプラノ(ラウラ・ブリオーリ)はさすがに聴き応えがあった。
2幕の勝利の凱旋の場面は有名な行進曲がファンファーレとともに高らかに
奏でられ、バレーの群舞もたっぷりと楽しめて、この歌劇のもっとも華やかな
見所であり(TVの公演では生きた軍馬の行進も現れた)ここまででアイーダは
十分という感じもする。
個人的な思い出がある。私の父はクラシック音楽など見向きもしない俗人だったが、
機嫌の良い時はこの大行進曲のトランペット部分の旋律をよく口笛で拭いていた。
だから私のクラシック音楽の記憶はここから始まったといっていいだろう。
この部分は地元のハイスクールのブラスバンドも加わっていたようだ。
勝利したラダメス司令官、捕虜となったエチオピアの兵士たちの処遇、その中に
含まれたアイーダの父であり故国の王であるアモナズロの処遇をめぐる論争は
今も古びない戦争の悲劇だろう。アイーダの嘆願を受けて処置を甘くしたために
ふたたびエジプトを見舞う戦火に巻き込まれるひとびと。不条理はいつの世も
あったのだ。よかれと思いつつ懸命に自分の生を生きるひとびとはその中で時
空を超えた運命に翻弄されるしかないのだろうか。
エジプト王にも迫れる地位を捨ててアイーダとの愛に生きようとする勇将ラダメスは
故国を裏切った罪で地下牢へ生きながらに閉じ込められ、アイーダも恋人に殉じて
一緒に牢で死ぬ。当時この舞台であるメンフィスの地下牢の遺跡から発見された古代
の男女の遺体からイメージを得たストーリーだという。
オペラの鑑賞が慣れていないこともあるのだろうけれど、歌唱が終わったあとの拍手
は演技の流れをとぎらせるし、やりすぎるような印象を持った。だらだら続けるのは
どんなものかとも思うが、歌手にはどう感じられるのか、尋いてみたいものだと思う。

 

 

281 「アイーダ
ひさしぶりに歌劇公演を鑑賞した。北九州市制50周年を記念した事業
の一つとして2年かけて市民とともに準備されたヴェルディの歌劇「アイ
ーダ」だ。北九州市もなかなかいいことをやる。この歌劇はイタリアオペ
ラの中でも豪華な舞台のひとつで、こういった記念公演にはうってつけの
題目だ。あのトルストイの晩年にかかれた奇妙な芸術論でひどくけなされ
たことでも有名になった。しかし日本ではあまり公演対象にされないようだ。
トルストイに遠慮しているのだろうか。そんなことはないだろう。ともかく
私も話には聞いていたけれど見たことがなかった。一部の楽曲を知っている
という程度で、どんな内容なのかすらも知らなかった。公演を鑑賞するまで
にそのあらましを勉強しておく必要があるだろうと思っていたのだけれど、
うまいことに、この歌劇の本場イタリアでの(去年の)公演のTV放映が直前
にあって、それをヴィデオに取って見ることができた。ヴェローナでの古代
遺跡を利用した広い屋外舞台、超一流の歌手たちが揃い、本物の馬が並んで行進をする
などこれ以上のものはないだろうと思える壮大な大スペクタクルだった。
そんなものを見せられたからには、地方都市の素人もまじってのしょぼい舞台を見る
気にならなくなるだろうといわれるかもしれない。しかし、当の NHK BS3
の放送は、どういうわけか肝心の音声があまりよくなかった。歌手たちは皆世界的な
有名歌手で当然すばらしかったけれど、屋外での録音ということもあるのか、
迫力に欠けた。ともかくこのオペラ、さまざまな見せ所があり、音楽だけではない、バレー
ダンサーだけで舞台いっぱいになって踊る場面がいくつもあるのだけれど、
ヴィデオ(ハードディスク)で見たからでもあるのか映像も細部がべたになって
いつものハイヴィジョン画面の華やかさに欠けていた。そういうこともあって、
オペラはやはり実演だというマニアを自認する知人の言いつけに従って、2月の2日間あった
公演の初日分の23日、会場で1時間前に当日券を購入して拝聴した。
小倉の旧兵器廠跡に建った厚生年金会館が最近身売りしてソレイユホールと名前を
変えた。九州では唯一パイプオルガンのセットされた大ホールはグランドオペラを
乗せるのに適した大きな舞台だ。私は15500¥のSS席は遠慮して3000¥安い
S席を指示したのだけれど、出されたチケットは思いがけず2階席だった。やはり
早めに前売りを購入しておけばよかったと思ったけれどあとの祭り。
このごろのコンサートチケットの常套手段で、S席とはいっても、ほとんど全席S席で、
申し訳程度に左右と2階席の一部にA席B席、そして学生席が配置されるのがふつうの
ようだ。ともかく日本はオペラの文化が育っていない。東京などでもオペラ公演は
少なく、高い。何年まえだったか、メトロポリタンオペラが引越し公演をしたときの
S席の値段が6万5千円だったのは語り草になっている。

 

歌劇「アイーダ」は古代エジプトの物語である。当時、エジプトは隣国エチオピアと
仲がよくなかった(らしい)。しょっちゅう戦争をしていた。この劇の中でも3度も戦争を
している。最初の戦争の時、負けたエチオピアで捕らえられ、奴隷としてエジプトの
宮殿で巫女である王の娘アムネリスの召使になっている女性が主人公のアイーダだ。
エチオピアは今でも世界的美女の産地である。背が高く、スーパーモデルになった女性
もいる。聖書にあるシバの女王もエチオピア出身説があるくらいだ。アイーダはさぞ
しなやかな細身の美女だったのだろう。歌劇が初演された140年前のスエズ運河開通の
時にすでにそういった先入観があったのに違いない。
チケットを買う直前にホールの通用口の前で入ろうとしていた九響の第一バイオリンの
マドンナが同僚のCL奏者のデムチシンさんと歩いているのに出会い、話を交わすことができた。ラッキー
さて、チケットを買ったので留めてあった車を近所のコンビニから出してホールの駐車場の
入り口で順番を待って並んでいる車列の後ろにつけた。まだ開演まで1時間弱あるのでその
うちにはいれるだろうという目論見があった。私の前に3台車があった。しかしなかなか車は
動かない。10分以上待って1台が入れ替わるというペース。いよいよ諦めるかと思った開演
20分前にようやく入れた。ラッキー

もぎりを通過して右手の広い階段をあがり、いよいよホール内へ。エスカレーターが使えなかったのが

腰を痛めている私には不満だったが、関係者らしい外人男性が入場者に会釈を繰り返していたり、

いかにもオペラの開幕前らしい華やいだ雰囲気だ。しかしこの男性の素性をボランテアの整理係りに

聞いても要領を得なかった。イタリア領事だろうか?小倉に領事館があったか?

4時間の長丁場で腹こしらえのために、パーラーでサンドイッチでもと思ったら、うりきれていた。しかたが
ないのでバウムクーヘン半分ほどのケーキを食べた。

                                          後半「アイーダ 下」へ

 

 

280「土の文明史

ずっと疑問に思っていたことがあった。古い遺跡が土に埋もれているのはなぜだろうということだ。私がその理由として推理したことは、宇宙から、遠くから、近所から、風に乗ったりして飛んできたゴミや砂粒が地面に降り積もる。そういった長期間の自然現象は規則性があるはずだから、その層の厚みなどで年代がわかるかもしれない。ネットの質問欄で聞いてみたが、そういったことは考えられていないらしい。遺跡が埋もれるのはローカルな特殊事情がほとんどで、多くは水害や砂嵐などの災害の仕業だという。確かに宇宙ゴミがそんなにたくさんまんべんなく降ることはないだろうし、普段から砂が移動し合っていても全体としてはイーヴンで、世界全体に積み増すことはないはずだ。何千年も経れば水害は数おおく襲うだろう。火山灰もある。黄砂もあったろうが、しかし水害にも砂嵐にも火山にも無縁な場所もあるはずだ。そんなところでは遺跡は作られた時のままに立っているのだろうか。

土の文明史 D・モンゴメリー 片岡夏美訳 築地書館」を読んで、この疑問が氷解した。土、地表面の土壌は、自然では常に作られて積み増され、盛り上がっていくのだ。その主役はなんとあのみみず(の食生活の結果)だと。それを発見したのがあの C・ダーウインだというのも驚きだ(「みみずと土」1881刊)。その結果、昔の遺跡は周囲の地面の盛り上がりに取り残され、やがて同じ高さになり、そして埋もれて地上から姿を隠す。もちろんその盛り上がりの速度は極めて遅く(100年に1cmから2.5cm)、私たちが気づくことはあまりない。そういったことが一部であれしっかり認識されたのはごく最近のことらしい(ダーウィンの最後の著書も、耄碌した大家のくだらない繰り言だと言われた)。そして遺跡が埋もれるとかいうことは、実はそれほど重要なことではない。もっと重要な、人間の文明の盛衰に関わる重大なことがこの事実には含まれているのだ。

土は人間の食糧を作るという大文明発祥の原因であり、今も変わらず最重要な営みである農業に不可欠な資源、基本資材だ。そして、人間が農業をはじめて以来、土は人間たちの勤勉な営みのために一貫して減り続けているという。メソポタミアなど文明の発祥の地をはじめ、地域によってはほとんど消失して岩肌を晒し、荒地になってしまった。

土の消失は農地の消失、つまり人類の食料生産が不可能になり、文明の滅亡に直結するということだ。実際にそのために滅亡した国や文明は多い。

農業を営むとなぜ土が消失するのか。農業をせずに土地を自然のままにしておくと、草が生え、木が茂ってみみず(だけではない、様々な小型の虫や微生物やバクテリアなども)が枯れた草や木の葉などの有機物を食べて土に変え、それ自身が土になり、土を積み増していく。われわれが泥と呼んでいる有機物を豊かに含んでいる表土がそれで、その下の下層土と呼ばれている硬い土では農業はできない。土地(多くは森林)を伐採し、はだかの地にし、耕耘するとミミズなどがいなくなり、土が作られなくなり、逆に土が風に飛ばされ、雨が土を流し、次第に土がかさを減らし、その有機成分を使い尽くして、やがては農業ができない地になってしまう。特に傾斜地での土壌の深さは下方への移動のために浅く、耕作が始まってから早い時は数年で土が失われ、大きな侵食溝(谷)ができてて放棄されることが多い。

自然で見られる土壌の厚みは地域によってさまざまだが、平均して30センチから1メートル、その変化は人間の感覚では感じられないほどなので、数代の人間家族が農業を続けるうち、気がついたらそうなっていたということが多い。農業が起こった当初から土地が痩せるということは知られていて、やせた土地を放棄して新しい土地を開梱し、農地にする。そこがダメになれば更に別の土地へ移る。そういったことを繰り返すうちに最初の土地が地味を回復したのでそこへ戻る。いわゆる休耕で、11世紀のイングランドでは実際にその年耕作するのは全体の農地の5%だった。

西洋でそれが出来なくなったのは、人口が増えて食糧増産が必須になったこと、土地の所有者と農業従事者が別になったこと、それに貨幣経済が進んで穀類などが金儲けに直結したからだ。古代ローマでもそうだったけれど、産業革命以後のヨーロッパでは自国の不足分を植民地からの輸入でまかなった。土地使用の長期的な収支など考えず、収奪だけが、当面の利益だけが優先したのは、土地などは(新大陸などには)無限にあると考えたからだ。

機械農業が発展し、更に窒素肥料が大量に生産されるようになって、土地への収奪は加速された。化学肥料で見た目地味が回復しても、それは一時のことであり、いわゆる「緑の革命」は進展がなく、深刻な土地の劣化は進んでいるし、土そのものの消失は避けられない。世界の輸出食料の大半を担っている広大なアメリカ大陸に食糧増産の余地はなくなったとされる。

地球温暖化にも少なくない関係性を持つこの食糧問題は、温暖化そのものよりも喫緊の深刻な問題ではあるけれど、問題の要素がすくないだけに解決の方法は知られている。基本的には農業を、その主役である土壌を産業システムの一部として考えず、生命系の一部としてあつかうことだと本書は主張する。

最近でも国単位でその解決に成功した例はある。キューバはソ連崩壊のあとをうけ、社会主義的一党独裁体制のもとで、従来行われてきた慣行農業を労働集約的な有機農業に大転換し、同じように農土の荒廃に苦しんでいる隣国ハイチを尻目に一国で食糧の自給に成功した。こういった事実は将来に希望を感じさせるけれど、資本主義経済が主流の世界の多くの国にすぐ受け入れられることにはならないと思う。日本の水稲農業やエジプトのナイル河流域の農業などのように土壌の喪失劣化から比較的強い農業もあり、傾斜地には段畑や、等高線耕作などをとりいれるというように、要は地域別に何がそこに一番適した農業なのかを見極めて科学的にそれを実施することなのだ。

農業哲学の転換が求められている。農業の需給で世界は一体化しており、今の土地を使い果たしてももう新しい土地はない。次世代以後に今の肥沃な耕作農地を引き継いでいけるような農地保全への努力が普及して、世界文明の終焉の要因にならないようにしなければならない。継続可能な文明という言葉がエネルギーに関して言われるが、それよりも身近な”地についた”この問題をもっと意識していかなければならないと思った。訳文もよくこなれて読みやすかった。




279「反原発?」

 

予想に反して今年も暑い夏になりそうだ。

「反原発デモ」という新しい社会現象がNHKTVでも取り上げられるに至った。これも予想に反して、というべきかもしれない。いずれ、NHKも社会現象というモノに関して全く無関心ではいられないのはマスコミたる宿命なのだろう。それにしても民放の大衆迎合は、マスコミとは所詮こういうものだという我慢の限度を超えている、とはいえないだろうか。

確かに原発について、政府や政治はやりすぎていた。「安全神話」というやつだけれど、これだって必ずしも国民をはなから馬鹿にしていたわけではない。彼らなりの確信があって、お国のことを思って突っ走ったという面はあったのだろう。そして、確かに彼らは失敗した。かなり大きな失敗だった。福島第一の悲劇である。もちろんそのことのおとしまえはつけねばならないけれど、あまりに攻守ともにそれにぐじぐじとコダワッてその先に進めないでいれば、これは失敗にとどまらず、敗北というさらに悪い結果を生んでしまうだろう。

いい加減で立ち直らねばならないと思う。失敗を糧にして、前を向いて進んだからこそ戦後の日本の飛躍があったのだ。私が言っているのは、原発の失敗をこれから技術に取り込んでもっと良い原発を作り世界に貢献するべきだと言っているのだけれど、そういった議論は国家レベルでは皆無である。もうそろそろやめにしたらと思うのだけれど、社会が放射能ノイローゼになって、トラウマを克服できないまま日本は3流国家へ縮小していくような嫌な予感がしてきた。

藤沢数希というひとは寡聞にしてこの著書で初めて知ったのだけれど、理論物理学者で欧米で博士号を取得し、スーパーコンピュータを駆使して金融界にしばらくいたらしい。つまり理論派の科学者なのである。このひとが覚めた目で部外者の立場から「反原発デモ」を見たらどう思ったかということだ。これを読むともっともなことしか書かれていない。不思議に思うのは、かの「反原発デモ」の先頭に立つそうそうたる知名人、言論界での指導者たち(皆いい大学を出た優秀な日本人だ)はこれを読んでいないのだろうかということ。

もうひとりは私もネットのブログでよく卓見を拝見して感心していた池田信夫という経済学者。二人共経歴上視野が広く、原子力発電に関しては専門家とは言えないけれど、それだけに一歩も二歩も引いて今の現実を客観的に見つめられる人間だった。この二冊の小冊子(一日で読める)が主張していることは同じことで、至極わかりやすい。市井に広がっている原発、そして放射能への科学的でない恐れ、誤解の払拭に成功している。

史上最大の深刻な原発事故であったチェルノブイリに関しても、それ以前に恐れられていた原発事故で危惧された人的災害のレベルにはならなかったということだ。そして放射能の怖さに関しても大きな誤解があり、かの事故からの教訓(必要以上の大規模な避難、強制移動などの対応が住民に心的なストレスを与え、それによる社会的経済的被害の方がずっと大きかったという実態)が全く生かされず、福島でも繰り返された。

広島、長崎の原爆被災者を調査した結論として、一時に100ミリシーベルトの放射線を浴びたかどうかというところに影響がある(0.5%ガンになる確率が上がる)か、ないかの閾値があるというのが専門家の結論なのだ。そして、この値を年間の累積値にしたのが放射線作業者の限度となっている(彼らも人間であり、彼らがよければ一般人も良いはずだ)が、この放射線被害は100ミリシーベルトを一度に浴びることで起こるので、それ以下の弱い放射線を浴びても被害は見られず、人体の修復能力も期待できるので、この年間の累積値は無意味に近い位安全性が高いと言えるわけだ。

体内被曝を恐れる論調もちまたにはあるけれど、500ベクレル/Kgに汚染された肉を毎日1Kgづつ食べて初めて危険な有意性があるのであって、常識的に恐れる必要がない。

こういった科学的根拠を信じないという立場もあるだろう。それは神経性の病気だといって片付ける訳にはいかないのだけれど、そういった病気を「反原発」というイデオロギーにして社会運動にしたてる指導者がいるのはどうも信じられないことだ。原発はことエネルギー資源のない日本において、海外の新興国において、さらには地球温暖化に対処するためにはまだまだ必要なのだ。

いろいろ両書に目を開かせてもらったことは多いのでここには書ききれない。ひとつづつポイントを書かせてもらって終わりにしようと思う。9/11テロで仰天したブッシュJRはテロからアメリカを守るという名目で戦争を始めたけれど、この10年でそのために余計に死んだひとたちはアメリカ人だけでも9/11で死んだ人の2倍以上、イラクやアフガンの人々を含めると75倍が犠牲になった。原発を停めて命を救うと彼らは言うが、原発以外の火力や水力、特に石炭火力は主に大気汚染によって原発の千倍以上の多さで犠牲者を出している。福島以後、日本は新しい9/11、いや3/11の戦争を始めたのかもしれないと。


池田氏はあとがきで「
啓蒙によって技術は人間のコントロールを離れ、ひとびとの理解できない新たな呪術になった」と書いた。「…だから科学が必ずしも信用できないというのは正しい。低線量被爆に見られるように、フィールドでは科学でも白黒のつけられない問題は多い。ファイヤーベントが指摘したように「科学は政治」であり、どのパラダイムが正しいかを決めるのは学界の政治力学なのだ。」「科学に限界があるというのは今わかったことではないが、その代わりに人々の実感や安心などの感情に依拠することはさらに大きな混乱をもたらす。科学の限界を自覚しながら、論理と事実にもとづいて考えるしか現在の危機を収拾する道はない…。」と。


278「王女メディア」

話題の幹の会+リリック公プロデュース公演北九州リバーウォークで見た(5/14 夜)

初めて観る古代ギリシャ悲劇、しかも稀代の名優平幹二朗がこの劇、配役に魅せられて何度も演じ、劇の故郷ギリシャでも1983、’84と二度上演して好評を博したと聞けば、芝居好きでなくてもどんな劇なのかと構えてしまうだろう。私もこの話題の舞台を見るまでにこれまではしなかったシナリオを読むなどいろんな準備をして、予感で頭いっぱいにして鑑賞に臨んだ。その甲斐あって?内容はかなり呑み込めたと思う。が、なにせ古い。BC400年あたりの作品だというが、作者のエウリピデスはそのころの最新の啓蒙主義者だったとある。前衛的な作者だったのだろう。今でもそんな感じがしたのは新しいものはいつでも新しいということか。実際にあったことを脚色したようだけれど、人間は2400年たっても変わっていないということか。

私が感じたこの悲劇の要点は次の4つだと思う。

1)メディア(平幹二朗)は忠実に従ってきた相愛の夫イアソンに裏切られ、その憎しみを自分でもどうしようもなく高ぶらせ、愛も母性も否定して自身の知力のすべてをその対象へぶっつけてその解消をはかろうとする。彼女のおそろしいもくろみはあらかた成功するが、彼女自身も破滅が暗示される。

2)イアソンは優れた勇気と実行力のある英雄(城全能成好演)であったが、異国にあって自分の未来を開いていくにはメディアと離縁し、この国の王女と再婚するしかないと思うに至った。これはひいてはメディアと息子たちを近未来において幸せにできる唯一つの策であった(とイアソンは思っている)。しかしその思いは嫉妬に狂うメディアには伝わらない。

3)イアソンが入り婿に入ろうとしている王女の父王(この地の領主)はすでにそんなメディアに愛想を尽かしており、国外追放という最後の引導を渡しにメディアのもとに来る。冠を被った王ではあるが、三浦浩一演じる王女の父は既に威厳もなくメディアへの憎しみに満ちている。

4)彼らを結ぶのが土地の女たちだ。従来の劇では彼女たちはコロスとして舞台のそでで劇を進行させ、物語の筋を理解させるための歌を唄ったりするのだろう。彼女たちの役割は極めて重要だ。いわゆる世間の耳目、あるいは噂話を広めるマスメディアの役割を忠実に遂行していく。メディアをたきつけ、イアソンたちをいらだたせ、しかしメディアがやりすぎると今度はなすすべもなく恐れ、恐慌に至って彼女から離れていく。

古代ギリシャの神話的悲劇ともいえる端正かつ大胆な闇黒とあやしい炎で統一された舞台装置は素晴らしかったが、その中での彼女たちの群像的な動きは妖しいほど美しく、みごとだった。

私たちがあらかじめ聞いていた舞台、最後に竜車に乗って颯爽と隣国へと逃亡するはずだった主役メディアは、近未来での悲しい結末を暗示するという「意外性」を見せたけれど、この人間性同志、情念と論理のぶつかり合いの人間悲劇は、それで私にとっては現代的な、むしろ整合性のあるものに思えた。

メディアは神によって罰せられたのだろうか。




277)「ホブソンの選択」

 パンフレッドより

 

無名塾」の喜劇「ホブソンの選択」を観た。1/16 小倉北九州芸術劇場(中ホール)。130年前のイギリス、活気にあふれた町の靴屋の主人ホブソン(仲代達矢)の3人娘が適齢期で彼の悩みの種だ。長女のマギー(渡辺梓)がやり手で、今は店を一人で切り盛りしている。彼女が自分のパートナーとして目をつけたのが店の若い職人ウィーリー(松崎謙二)。学はなく自分の信念もまだなく、ただ親方の言うなりになる男だけれど、職人としての腕は際立っている。頑迷な父親に叛旗をたてて家を出たマギーはこのウィリーに教育を施して見事な一人前の男にしあげ、父の靴屋を乗っ取っる計画を実行に移していく。

 

「ホブソンの選択」とは、『選択の余地のない選択」というほどの慣用句らしいが、劇では頑固な父の娘たちへの恣意的で不条理な命令(嫁にいけ、いや、行くな)が、逆に彼女たちの意趣返しとして自分に戻ってくる皮肉。呑んだくれのちょっとした過ちを種にされて巧妙な罠にはめられた、彼自身選択の余地のない辛い選択(娘たちの結婚と持参金の承諾)を強いられるようになるという喜劇的な結末を言っているのだろう。

 

設定された舞台、時代も、現代の日本とは大きく異なっているけれど、親子の情愛、人間関係や商売に関するひとびとの思いはさほど変わらない(手作り職人の生き残る余地は、いまや限りなく狭くなったが)。いつの世でも男親はなんとなく娘には弱いものだし、頑固なホブソンにしたって、飲んだくれたりがみがみ厳しいことは言っても、結局は彼女たちのいいなりになってしまうのだ。それで世の中はうまくいくのだということだろうか。イギリス、ヴィクトリア朝後期のさまざまな風俗が紹介されて興味深く、若い女性の華麗なファッションなどまことに楽しかった。そんな時代との距離が小さくなった感じだった。

 

重厚で倫理的、生真面目一方の役柄をいつもフルスロットルで演じてきた彼には珍しい、若い自分の娘にとっちめられる情けない道化役を軽々と演じて今回も主演仲代御大は楽しませてくれたけれど、やはりこの劇の主役は渡辺マギーだろう。美しく、嫌らしいほど強く、聡明で、老若二人の男ばかりか、妹たちの婿どの達まで自身の大きな構想の下に自在に操って、自らの人生を思うとおりに切り開いていく。最後は自分が教育して創りあげた夫の伴侶としてその陰へ引きつつも穏然たる存在感を示す。最初の場面で地下の作業場から現れた冴えない松崎ウィリーが後段見事な変身を遂げて、かっての親方と渡り合う痛快さもみものだった。そんな現実にはありえないような設定も、大芝居のあとの彼の本音と嘆息などそれなりのリアリズムが仕込まれてあり、この中心人物3人の3つどもえの絡み合い、緊密な筋立てがこの劇の魅力なのだと納得させられた。

 

 

 

276)年賀状と自転車旅行

新年の楽しみは年賀状。年一回だけの音信をずっと何十年も継続している旧友が何人もいる。これは切ることが出来ないという義理のようなものでもあるけれど、そういった切れそうで切れない人間関係というものもあっていいのではないだろうか。それは一種の個人の存在証明、時間が形成するアイデンテティ、社会的歴史的な精神財産のようなものだろうからだ。こういったものは一朝一夕に作れるものではない。貴重なものだ。

わたしたちは有名人ではないから社会に濃密に存在感を誇れるわけではないけれど、彼らの一方的な関係ではなく、お互いそれなりに繋がりあっている存在なのだという気分がひとを充実感と責任意識に導く。はやり言葉で言うと『絆」だろうか。現実主義的に言えば、近未来において何らかの役に立つのではないかということもいえる。そう思えば年に50¥のコストは安いものだ。

さまざまな個人的ニュースもそれらから得られるし、それは楽しいだけではない、自身の立ち位置の再確認もさせられる。今年もいくつもの個人的ニュースが私を愕かせた。一昨年リタイアした元会社の同僚M氏の華々しい活躍、世界各国を自転車旅行して回っているという噂が確認できたということがある。

 

日本有数の巨大企業から鄙の系列小社へ降臨した優秀な選良としてまばゆいばかりの存在だった彼は、その後社内の派閥抗争に巻き込まれ、不遇なまま関連企業で過ごしたわけだけれど、結局私よりも長くその境遇にいて大いなる業績をあげ、先年勇退したのは実に勤め人の鑑というべきだと私などは思う。現役中もスポーツマンでありマラソンに挑戦したりしていて、そのタフさ加減は知っていたけれど、退役直後からハードな自転車旅行をはじめ、次々に実績をこなし、88箇所巡礼をてはじめにニュージーランドやドイツヨーロッパへまで足を伸ばしていたのには正直びっくりした。もっとも、40年前大学時代にやはり自転車でアメリカ横断をスポンサーつきで実行した英語堪能の男でもあったということを私はあとで思い出した。

毎日あちこちにサロンパスを貼って畳の上でかつかつ生きている私などには、同年の活躍は雲の上である。

詳しくは後記のブログを参照されたい。

 

http://pub.ne.jp/dojio/

 

自転車旅行といえば、メール仲間のC氏は去年北海道から日本縦断を敢行し、私は彼の九州上陸を小倉岸壁で見守った。その後大分周りで宮崎まで進み、台風に出遭ってそこで中断した。今年はそこから更に右回りで福岡へ向かうという宣言を受けた。

更に自転車がらみではそのほか京都の設計屋の現役いささか若輩のA氏は自転車の曲乗りの選手権によい成績を上げた由である。これも意表をついたもので、私を愕かせたニュースだった。

NHKTVでは火野正平の自転車ブラり旅が人気らしい。私も九州編を中心に楽しませてもらった。今年は向井理のオランダ自転車旅が始まるらしい。これも楽しみだ。そして、私は息子の自転車収納にひと肌脱いだ以外は、今年も絶対乗らないだろう。

 

275) 「今年という年」

 

毎年こういったものをまとめているわけではないけれど、今年は並みの年ではなく、さまざまな大事件が起こったので、考えたことも多かった。年末随想といった形でまとめてみる。

東北の大震災とそれをきっかけとして起こった原発災害は日本がいかに多くの危険にさらされているかということを改めて思い知った。こうしてみると、私が社会で働いていた半世紀近くが、いかに恵まれた特別幸せな時代だったかということだ。

資本主義と自由主義、民主主義がさほど破綻もなく順調に発展してきた平穏な時代。そこでわれわれは全く苦労がなかったわけでもないけれど、その間会社も社会も激しい浮き沈みがなく、ほぼ一貫して成長路線だった。2年前の世界恐慌(リーマンショック)は100年に一度といわれたけれど、1926年に起こった歴史的な恐慌とほぼ同等のものだったのだ。考えてみれば、日本はその20年前にバブル崩壊が起こっていて、土地神話が終焉したのだけれど、これはリーマンショックとそれ以降の長期世界不況の前触れだったのだろう。それを考えれば、今の状況を想定できなかったわれわれに想像力がなかっただけだといわれても反論できない。

東北大震災とフクシマの事故はそんな弱った日本社会に更なるダメージを追加した。政治の貧困が追い討ちをかけて、日本は世界の一流国家から今は経済力も技術力も低下した二流国家へと落ち込んでいくさなかにある。そのなかで期待された政権交代も成果をあげられないままこの災厄に満ちた’11年は暮れようとしている。なさけないことだ。

民主党のマニフェストが総崩れになったというのもあながち予想できなかったわけではない。なぜかということを私なりに考ええて見ると、今年読んだ「日本中枢の崩壊」(古賀茂明 著)にゆきつく。日本を長年動かしてきた官僚システムが昨今のような危機的状況に機能せず、従来のパターンで一旦決めた路線を走り続けるしかないからだ。それは単に政権交代だけではつきくづせない堅牢でとりまわしの困難な旧式の蒸気機関車のようなものなのだろう。ただ単にすべての省庁の事務次官の頸をすげかえたところで改善されるわけではないのだろうけれど、そんなことすらも出来そうにない。

自民党時代からむしろ後退したといわれる公務員制度改革の推進徹底は絶対必要だけれど、彼ら政治家がやらずに誰がが出来るというのか。出来ないのはやはり彼らの政治力のなさ熱意のなさなのだろう。

福島第一原発が水素爆発を繰り返したのもこういった日本社会の動脈硬化状態と無関係ではないと思う。危機管理が苦手というのは日本人だけでなく、いずれ非常に難しい柔軟性と創造的な能力を必要とするものなのだ。ここでさらけだされた技術管理能力の欠如が日本の技術力の誇りを大きく損ねたことは間違いない。この威信を取り戻すには、この原因をいち早くすべてさらけ出して改善する必要があるのだけれど、なぜ東電サイド以外からの報告がでないのだろうか。早くこの結果をうけて社会が納得の行く責任者の処分に持っていく必要がある。社会正義は躊躇なく最低限なされねばならない。

今の民主党第3次内閣もこの日本の危機に際して現状追認のまま消費税値上げの一手しか打てないのは、結局今の状況を乗り切る知恵と力を持たないということに尽きる。国民への説得力はやはり筋を通すこと、少なくとも高級官僚と中央官庁がエゴイズムを捨ててさまざまな優位性を差し出し、政治と痛みを分け合ったという実績を示せなければ、税の値上げは結局社会が許さないだろう。

日本を今の不況、経済的ジリ貧から救うには、やはり原発の早期再稼動が必須だと思う。九電の問題にせよ、東電の開き直りにせよ、そういった方向に背を向けているとしか思えないのだが。

 

274) 「チョコレート」

 

表題の映画をDVDで観た。2001年の話題作で主演の黒人女優ハル・ベリーがアカデミー主演女優賞を受けたことでずっと気になる映画だった。どんな内容なのか分からないまま観たのだけれど、やりきれないほどの暗い設定で、このような地味な映画が作られて、それを世界的にヒットさせるアメリカ映画の底力を改めて感じさせられた。

 

米南部の黒人差別は今でも深刻らしい。国全体としても白人優位社会という状況はなかなか変わりにくいものなのだ。人間の心は古い記憶に縛られるということで基本的にそういった保守的なものなのだろう。舞台の南部ジョージアは、もちろん近所に黒人が住み近傍を通過する(以前は白人の住むゾーンだったのだろう)だけでも抵抗のある老人が普通にいる。その州立刑務所に勤務する息子ハンクも父に感化されて勤務中に黒人の同僚を黒人だというだけで意味なく罵るような男である。二人とも妻に去られたり死別して父子のやもめ暮らし。

 

3代目の若い息子ソニーもまた同じ刑務所勤務なのだが、気のやさしいところがあり、近所の黒人の子供と交際をしているのを父らは良く思っていない。その優しいソニーは刑務所勤務に馴れず、失敗を繰り返す。ソニーは父に激しく叱責されて面目をつぶされたことでひどく傷つき、彼らの目の前で拳銃自殺をしてしまう。

 

深く衝撃を受けたハンクは刑務所を辞め、鬱屈した日々を送るが、これまでの生活と決別して新しい人生を切り開こうと思っている。いつも行くカフェで知り合った黒人の給仕女レティシア(ハル・ベリー)に惹かれ、次第に心を通じ合わせてきたこともそれを促進する。貧しいレティシアには息子がいたが、古い車は故障して歩いて二人で帰宅する途中事故に遭う。ちょうど通りかかったハンクは躊躇しながらも決断する。血まみれの息子たちを車に乗せて病院へ送るが、その息子は甲斐なく死ぬ。

レティシアには死刑囚の夫がいて、11年間の収監のあと執行された。その執行がハンクとソニーの確執、そして自殺のきっかけになった勤務だった。ハンクはそれを彼女との交際の初めごろに知ってしまうが、レティシアはずっと知らないまま男の厚意を半信半疑で受け続ける。

 

ご都合主義満載の甘いラヴロマンスととれないこともないのだけれど、アメリカの底辺近いひとびとの生活の現実を見据えながら、これから必ずしも順調ではないに違いないこの二人の交際の、特に性のリアリズム:やもめハンクの寂しい娼婦とのバックだけの性処理から、レティシアとの真に心の通じ合ったラヴシーンををきれいばかりでなく誠実にしっかり描写しきったところにこの映画の大きな見所があったと思う。

レティシア=ハル・ベリー

 

チョコレート」という日本での題名(原題はモンスター・ベルだと)は、ハンクの甘いもの好きとレティシアの息子のチョコレート好きが二人を(特にレティシアの息子への憐憫が男に向かったということだろうか)結びつけるきっかけになったということなのだろうけれど、私は何か美しい黒人女の隠喩なのかと思ってしまった。ハル・べりーはチョコレートのように甘くて、いや、うまくて美しかった。

 

 

273) 電気工事士

 

3月から準備していた第二種電気工事士免状がようやく送られてきた。あれば便利という程度ではあるけれど、以前から欲しいと思っていた資格だ。これをもっていれば、家庭内の大抵の電気配線工事が合法的に出来る。3月の末にネットから受験申し込みを済ませた9.3千¥也。自信はなくもなかったし、飛び込みで受験しようかと思ったが、とりあえず筆記試験受験テキスト1・1千¥也を買ってめくったら結構内容が多い。合成抵抗の計算やら交流理論など忘れてしまったことも多いので、ここは安全をみて専門講習をしているポリテクセンターに受講の申し込みをした。これは筆記試験のためである。これが5月の10日間X2H 計20時間で8・8千¥。夜の7時から9時まで、10人ほど受講していたが、皆若ものばかりだった。企業から仕事の一環として来ているものもいる。皆真剣だ。講師は茶髪の40〜50のくだけたひとだ。なかなか分かりやすい講義だった。

 

6月5日に福岡工大で筆記試験があり、一ヵ月後の合格発表を待たず、その直後に行われる技能試験の準備にかかる。同じくポリテクセンターでの技能講習を同じ時間受けることにした 14千¥也。技能試験問題は事前に22課題が公開され、この中の1課題が試験では出題される。この詳細が書かれた技能問題集を買う1.2千¥也。この課題群を、提供される電材を使ってひたすら繰り返し作る。特殊な工具も含めて皆自前で用意せねばならない。新たに電工ナイフ1・5千¥圧着工具3.5千¥。圧着工具は3月の時点で買った2・5千¥の赤柄のものが規格に外れているとかで黄色の柄のものを買いなおしたが、3千¥と記憶していた工具が驚くべきことにホームセンタに行って見ると7千¥に値上がりしていた!それで別のホームセンターに行き、3・5千¥也で買ったが、まことに理不尽なことであった。大体が私の現役時代黄色の柄も赤柄もなかったのだ。工具屋と結託した無体な役人どもの姿が背後にちらちらせんでもない。筆記合格通知がきたので技能試験の申し込みをした9.3千¥也。

講習が終わったあとも不安だったのでまた電材(ほとんどVVFなどの電線類だ)を追加で買って毎日練習をした。おおむね3千¥。技能試験は7月24日福岡サンパレスであった。講師が、これは出ないだろうといっていた、大きな端子台(中継器具)を使う課題だった。あまり練習していなかったが、何とか時間内に出来た。

9月6日に合格通知が来て、免状交付申請書5・2千¥也の県領収証書を買って送った。3週間後の9月27日に写真の免状が送られてきた。

結局かかった経費は5万7千円ほど。ほとんどが独立法人など役人くずれの懐に入るのだろう。

 

 

 

二年前、退職後半年通った再就職技能訓練の時についでに取った第三種冷凍機械の資格と合わせて、エアコンの取り付け工事も可能になる。しかし、いまはやりの太陽光発電工事の関係へは手出し出来ないことになっているようだ。

ま、とりあえずは何も予定はないけれど、数年前に買った二階のエアコンの電源が近くのコンセントから蛸足配線でなされてあるので、これを階下のブレーカーから直接引いてこようかと思っている。

 

自慢ではないが、私は公的資格を10ほど持っているらしい。それなりに試験をくぐって得たものがほとんどなのだが、今になってみれば、効果的に利用したものは自動車免許くらいのものだ。そういえば、私の年少の知人で大学院卒の男性は私に32の公的資格を披露して愕かせた。現在トラックの運送業務をもっぱらにしているらしい。

 

272)美術館でのコンサート

 

私の住む5万6千ほどの小都市は立派なアーケードの大商店街があるが、ご他聞に漏れず寂れつつある。その有力な商店のひとつの若店主が無類のクラシック好きで、自分でもプロ並みのチェロを操るが、彼が数年来計画してきたのは、わが町における定期的なクラシックコンサートの開催だ。コンサートにもピンきりあるが、彼のそれは日本でも一流のプレーヤーを招聘しての本格的な室内楽コンサート。街の中の施設でそれをやれば当然街の格があがり、活性化にも繋がる。培ってきた彼個人の豊かな人脈を利用して、とうとうそれを実現してしまった。

 

ホールは商店街のはずれにある元医院の小さな美術館、年4回の定期公演開催はすでに成功裏に1期を完了した。4回目のそれはドイツ在住のピアニスト占部由美子さん、そして同じくいくつものヨーロッパのコンクールに優勝歴のある新鋭ヴァイオリニスト玉井菜採さんのデユオコンサートが聴衆150名をあつめて開催された。玉井さんのストラディヴァリの名器が私のことのほか好むフランクのイ長調ソナタを美しく流麗に響かせた

直方谷尾美術館 左が本館、コンサートは右の新館で行われる

私自身もこの辣腕の企画家・興行師に多少の縁があってその計画段階からお手伝いをさせてもらう名誉を拝しているが、余人にかえがたいその行動力と緻密な先見の眼力にはいつも敬服している。市はすでに彼とこの事業の重要性に対して注目しており、1期目で彼に対して市民表彰を行ったのも当然の結果だったと思う。

さて、2期目に入った早々から、事業は2つの困難にぶちあたった。ひとつは、第一期に百人を越えた定期会員が半減したことだ。ある程度想像されたことではあったけれど、一期目のお祝儀会員がこれほどもあったとは想定外であった。私たちは更に新規の会員を開拓するべく行動にかかったのだけれど、実際聴きに来てもらった会員さんの半分が更新しなかったことは、クラシックの、それも地味な室内楽の良さというものが、生演奏においてもなかなか伝わらないという現実を物語っているといえなくもない。最後のコンサートでもフランクのソナタのほかにはポピュラーなものといえるのはS・サーンスの「序奏とロンドカプリチオーソ」くらいのもので、J・ブラームスのソナタ3番とモーツアルトのソナタ変ロ長調K454 などは初めて聴いたひとが殆どだったろう。

そういった硬派のコンサートの限界というもの、そして昨今世界的に囁かれるクラシック音楽ファンの減少という流れを考えれば、いまどきはやりのポピュラーとクラシックの融合とか、そういった観客への妥協というものも観客減への対応策の選択肢になるのかとも思えるけれど、この辣腕の若き興行師はそんなことはまったく考えていないようで、私などは非常に頼もしく思える。大体が、この美術館コンサートは観客数が150を超えると不可能になるほどなので、60〜80名位が経営的には苦しくとも妥当な規模なのだろう。様々な文化補助金を利用しながらも、今後も何とか純粋なクラシックコンサートを追求して行って欲しいと思う。

 

さて、2つの困難といったが、もうひとつはこの9月に予定していた第二期第一回のコンサートに招聘した九響の主席クラリネット奏者タラス・デムチシンさんが、自転車で転び、延期を余儀なくされたことだ。

ま、これは減った会員の補充のための猶予期間が与えられたということかもしれない。

第二期第一回はそれで 11/3(祭日)川上徹さんのチェロ・リサイタル ピアノは三輪郁さん である。ドビュッシーのチェロソナタが私の期待の目玉だ。




(271)「私の中のあなた」

 

 

2009年に公開されたキャメロン・ディアスなどが出演した話題のシリアスなドラマをDVDで見た。

白血病で自力では生きられない娘ケイトを延命させるためにその親は先端医学の助けを借りてもう一人の娘アナを作る。アナは生まれながらにして姉に血液を含む自分の体のさまざまな部品を提供することを本分とすることになるわけだ。

もちろん突飛な設定なのだけれど、ありえないことではない。これで姉が健康になり、病気が完治すればいいのだけれど、ドラマはそういうふうにはいかない。血液だけ、骨髄移植(結構ドナーにも負担がかかる)まで、と言う風に進んできたが、とうとう腎臓の機能にも問題が出たことで、妹は2つある自分の臓器のひとつを移植しなければならない運びになる。弁護士というキャリヤーを捨てて娘の治療に懸命な母(C・ディアス)は今度も何の疑問もなく妹の献身に期待する。

 

ドラマはそこから意外な展開をする。アナが自分の臓器提供を拒むのだ。

姉は姉、私はもう限界!これ以上の献身は出来ない。腎臓がひとつになったら私の未来は少なからず辛いものになるし、それに、移植が成功したところで、姉が救われる可能性も疑わしい…。

アナは自身の腎臓を要求する実の両親から自身を守るために、彼らを告訴する意思を固める。凄い展開。

 

米国ドラマらしく、11歳の娘が自ら敏腕の弁護士にその訴訟を依頼するのも凄い。弁護士がそれを受けるのも凄い。

 

母は自らの身中の血肉(私の中のあなた)だった娘の思いがけない反乱に驚き、戸惑い、怒る。

「アナ、姉さんを救いたくはないの?ケイトを愛しては居ないの?」

母の気分も分かる。それ以上に、娘の自己主張も理解できる(彼女は最も切実に自身の命を賭けているのだ)。米国の法律はどうなっているのかということもあるけれど、個人主義を基調とする先進国の流れから行けば、これだけで結果は明らかなような気がする。しかし、社会正義は必ずしも個人には味方しないのも保守的な世間の通弊だ。多くは通弊というか慣習が力を振るう。アメリカもそうだろうし、裁判というものが判例に沿いやすいのもその例だ。それに近い母の思いは分かるし、あるいは母が、家族が最初に思い描いた従来の流れの中で姉、妹両方が救われ、健康になる可能性だってあるわけで、年少の娘の身勝手な反乱は社会的倫理的、そして一般感情としての弱い面は否定できないだろう。

 

このままなら、最悪の事態として、家族の崩壊、反抗者の社会的な制裁といった悲劇もありえたに違いない。実に悩ましい困難な問題であることは確かだ。

 

しかし、ここはアメリカ映画であるから、すっきりした解決の道が用意される。アナの勇気もケイトの幸福も不幸も、それぞれ予定調和のもとパターン化されてシンプルに美しく、まっとうに描かれる。いずれ、映画の最後はハッピーエンドにならなければならないのだし。

 

現実がどれほど複雑であれ、人間はいずれ死ぬのであり、映画作品として辛くも醜い場面は極力避けるという方向は私も賛成だ。どこまでの延命治療がOKで、それ以上は無駄だというような一般的判定基準をつくることが不可能に近いということは常識なのだろうし、娯楽映画ではとても描ききれない。ともかくこの映画が示したざっくりした方向は私も妥当なのではないかと思う。最後近くまで大勢に逆らう母の態度はこの映画のせめてものリアリズムであり良心なのだろうとすら思える。

 

とはいえ、映画は丁寧につくられていて感銘深く、いくつもの論点を提起した。私も余韻を感じながら観終えることが出来た。良心的な佳作だった。

 

 

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