131)いのちぼうにふろうへ飛ぶ





130)国民の歴史

趣味以上のものではないけれど、歴史は好きだ。そのドラマチックでありながらもノンフィクションであり得るという重さ、性格が私には興味深く感じられるのだと思う。
もちろん、歴史は、その中で生きている私自身の存在そのものでもある。今ここにある私自身への関心、そして私をここにあらしめた過去の様々な出来事、事象や、それらを凌いできた祖先のひとびとへの興味、好奇心。もっと、もっとよく、自分に関する真実に近いものを知りたいと思うのは誰にでもある自然な心だ。そして、そのより広いつながりとして私が属する日本という国家の過去にも。よかれあしかれそれらは私自身の現在、そして未来に大いに影響を与えているわけで、おおいに興味を持って当然だろう。誰にでもあるに違いない、そんな気持ちをもつことが歴史という学問の第一歩なのだろうと思う。


歴史とは史実にもとづく科学であり、誰が書いたって、資料が同じならば原則同じものになるはずだ。そんな素朴な気分で歴史を考える立場からは、いわゆる「新しい歴史教科書をつくる会」の考え方とかいったものはどうも奇妙なもののように思えてくる。歴史は時間を遠く遡る学問であり、過去の事実の残骸である資料はとても万全ではなく、その不足を想像で補わねばならないこともあるかもしれない。分からないものは分からないなりにそのままでというのが自然体ということだ。ただ、読者がそれを読者自身の想像で膨らませるのは勝手だけれど。歴史書は、そんな読者が想像できる余地のあるものがのぞましいのだろう。
しかし歴史書によっては、その想像のなかに、ためにする史観、変ないいかたをすれば不純な思想が紛れ込むということにもなるのだろうか。不純といっていいものかどうか、「新しい歴史教科書をつくる会」の彼等の言動から受ける私の印象としては、日本人に強い民族的な誇りを植えつけるための歴史思想とでもいうのだろう。それは純粋な歴史書ではありえないのではないか。
もちろん、日本人である私は、出来れば日本という国に強い誇りを持ちたいし、そんな姿勢で世界に相対したいという気分は当然ある。しかし、それも単なる空威張りでは却って大方の嘲笑を買うだけだろう。しっかりした事実と実績にもとづいた(正当な)誇りでなくてはならないと思う。ま、大意そんな気分があったから、古書店で見つけた「国民の歴史」西尾幹二 産経新聞社 H11年刊 は長い間つん読のままでほうってあった。
今年になって、(著者には失礼だが)ずいぶん場所ふさぎで目障りでもある(分厚い本だ)し、ともかく義務意識から読み始めた。なにしろこちらは逆色眼鏡とでもいうようなもので、半身になって読んだのはよかったのか悪かったのか。800ページ近い大部の本だったけれど、勢いがついたら案外早く読んでしまった。全部で34章、古代、近代、「人間は自由に耐えられるか」という著者の哲学とでもいうような最後の章も含めて存外に面白く読めた。全体にトピックが少なめに絞られており、それらの項目についての著者独自の見方、考え方が述べられるという、従来の総花的な歴史書とは異なったつくりだったことも、読みやすかった理由なのだろう。各章でそれぞれ日本という国の世界における特殊性優越性が強調されるのは、確かに、まことに耳に快い(私も日本人なのだ)。そのどうみてもマイナス面でしかないというトピックについても著者独自のレトリックてとでもいうもので華やかな逆転劇が用意されているのだ。例えば日本には言語はあったけれど、文字がなかった。だから、文字は中国からもらうしかなかった。それは悔しいことではあるが事実としてある。しかし日本人はその漢字を普及させるにも徹底的に吟味し、洗練させてから用いるまで7、8百年を要しているという(第5章 日本語確立への苦闘)。万葉集に漢語の混入する割合は0.3%であるが、平安時代にはおおむね10%から20%、鎌倉時代では25%、江戸期では35%になり、現代では45%にも達していると。中国の言語を知る以前に日本にあった独自の豊かな言語(ただ、文字がなかった)との折り合いをつける(というより、漢字を日本語として自在に扱えるようになる)のに、これだけの時間が必要だったのだと著者が指摘するのは、なるほど深い含蓄のある思想だと思う。言語は文化の中核であり、民族そのものなのだ。日本は巨大な隣国の影響を受けつつも、懸命に独自の文化を守りきり、それらを創造してきたということだろう。
現代中国でも漢文を読める人間は少数派になり、日本へ来て研究をしなければならないという。中国文化の本質は北方狩猟文化で、農業文化の日本とは根本的に違っているという著者の持論である、中国=東洋文化圏に日本は含まれないという根拠を言語から見つけようとしているのは苦しいところではあるけれど、分からないこともない。多数の仏像、文書がよく保存されてきた日本に比べて、そんな文化財が国家の手で破壊されることが多かった古代中国の様々な悪事をならべたてた末に、結局著者自身の本音をいっているように、これは日本人に根強くある中国文化崇拝に一矢報いて、蒙を啓くという意味があるのだろうと思う。成功したのかどうか。

中国文化のわが国への影響は唐代までだと切って捨てた著者は、明治以後の、西欧文化の日本化という段で再び重要なことを書いている。日清、日露両戦争から日韓併合、満州事変と続いて巨大国家アメリカとの無謀な戦争で終止符を打った軍国日本の道が、司馬遼太郎氏などの言う日露戦争までの偶々の勝利におごって理性を失った中枢の、おろかな選択だったという大方の見方ではなく、後発の有色人種国家(アメリカへの移民で国家がらみのトラブルを起こした有色人種は日本人が最初だった。ここに民衆レベルでの異人種同士の“不幸な”出会いがあったと著者は言う)日本に対し感情的に強い違和感、危機感を持ち、中国での侵略競争など、国益からも相反する立場となった西欧の諸国、特に英国、アメリカなどが連合して様々な挑発を繰り返したことで追い込まれた日本が(石油の禁輸などで国体を維持出来なくなったことで)向かわざるを得なかった道が、先の戦争だったという。

確かにこういった見方は可能なのだろう。いや、むしろ冷静に、この時代を客観的に眺めればそんな見方の方が自然にも思える。ひどい、勝ち目のない戦争を始めたことが日本を滅ぼしたことは結果的に言えるにしても、それ以外の選択肢はなかったという見方である。もちろんハル・ノートの屈辱的な勧告を呑んで中国から日本軍が全面撤退していたら戦争は避けられた、というような机上の選択は可能ではあるけれど、当時の世論を考えればまったく空想でしかないだろう。その時点で間違いなく好戦的な国はアメリカだった。日本は戦争回避に必死だったのだ。

日本が韓国を併合したことも満州を作って属国としたことも、現代人の目から見ればまことにけしからぬことかもしれないけれど、その時代における世界の趨勢、考え方、弱肉強食の国際的な常識からはさほど外れた行動でもなかったのだろう。たとえ、それが日本の侵略という面が濃かったとしても、当時の中国や李氏朝鮮の国力でそれを敢然と押し返す力がなかっただけのことだった。今次戦争の途中で宣言された「大東亜共同宣言」、この戦争の意義をアジア諸国、そして世界へ発信した国際会議の精神は、時期的に遅すぎたきらいはあるけれど、理念としては立派なものであり、戦後も意識的に無視されるのは間違いではないか、という主張もうなずける(26章 日本の戦争の孤独さ)

日本ががアメリカに戦争を仕掛けるだろう(戦略としてそうなるように仕向けていた)という予想は、アメリカでは1910年代から織り込み済みであり、負けたのは結局、日露戦役直後からプロジェクトチームを作って対日戦争のプログラム「オレンジプラン」を作り、毎年それを見直していたという役者として1枚も2枚も上手の大国の緻密な陰謀に術もない日本がまんまとはまってしまったという当然の結果だったということだ。しかも、敗戦後も、アメリカ主導による東京裁判の粛々たる運営に同期した、徹底した国内の言論統制で、一方的に「軍国日本の批判キャンペーン」がなされた結果として、今にいたるまでその洗脳効果は色濃く残っているということだ(28章 日本が敗れたのは「戦後の戦争」である)。戦後すぐ石橋湛山氏などが指摘していたように、日本軍国主義の暴走を今次戦争の最大要因として日本を裁くのはフェアではない、それ(軍国主義)は個々人の主義主張の問題であり、それを撲滅せねばならないとすれば、米英もまたその国内の同様の主義主張を撲滅する必要があるとしたのは正論だけれど、そのような自由な発想は占領軍の検閲が始まると同時に姿を消していった。

私はこれを書く前に、この書にも紹介されてあった猪瀬直樹氏の「日本人はなぜ戦争をしたか」と「黒船の世紀」(猪瀬直樹著作集 11、12)を合わせて読んでみた。猪瀬氏の著述にはいつも透明明快な知性と詳細で丁寧な調査のあとが見えて安心して読み進むことが出来るのだけれど、結局、先の戦争の責任とかいうものは、A級戦犯氏たちだけが負うべきものではないのだということがいよいよはっきりと見えてきたような気がする。
もちろん軍部の強硬派の主戦論は強くあったのだけれど、政府中枢には今次戦争は必敗だという非戦論もまた強かったのであり、現代の日本にも共通してある政策転換の困難さという国事の仕組みの欠陥のほか、一部の民間アジテーターの主戦論が大方の世論になっていたこともあり、何が引き金になったかというようなことはあまり意味がないような気もしてきた。


また「国民の歴史」に戻る。西尾氏がこう言っていることは正しい。

「われわれは今、意識の自由を再獲得すべき時を迎えている。戦争の正義に関する旧敵国の主張はいまだになんとなく真実で、かつての自国の主張はなんとなく虚偽だという自己納得の刻印の深さは、依然としてなおわれわれの心の闇を形作っている。自分が無意識に歴史の中の何に呪縛されて生きているのか、それを絶えず検証し、超越しようと努力することなくしてこの闇を逃れるすべはないだろう。」

歴史の正しい見方ということだろうと思う。




(129)新春雑記

年末にとうとう旧パソコンに見切りをつけ、買い換えた。224Mb RAMのノーブランド品である。OSXP、さすがに使い勝手がいい。今のところまだフリーズはない。前のやつはトラブル続きで、おかげでリカバリーなどずいぶん勉強させてもらったけれど、本来PCは単なる道具であり、機能を保つために気を使い、手間を取るというのは本末転倒だろう。
それにしてもパソコンは安くなった。2年半前に買ったくだんのやつは
Meつき(最初は98Mb!だった。メモリを増設して192だったか)でやはりメーカー品ではなかったが66K\だった。今度のものはFDはなかったがCDRW機能、DVD機能までついてこの廉価(40K¥)、1年間の保証がついている。多少冷却ファンの音が大きいが、我慢できないほどでもない。何はともあれ、XPとこのPCは当面の良い環境をずっと保ってほしいものだ。

賀状も例年になく早め(24日)に仕上げた。あいかわらず仕上げは満足いくものではないけれど、体力も落ちているし、この位が能力いっぱいというところか。今年は酉ということで風見鶏をネットから探し出してアレンジした。風は未来へのひとつのキーワードだ。「風見鶏」という言葉にはある種の軽薄な印象がある(確か小派閥だった中曽根元首相の変わり身のうまさをなじった綽名だった)けれど、風を読むということ自体は必要なことだ。そして風見鶏はたいてい風に向かってその姿勢を定める。そのあたりが私には気に入っている。
2005/1/1 賀状

大晦日の晩から雪がひどくなったので山行きはやめて、元旦は怠惰に過ごした。何もしないつもりだったけれど、メイルがかなり来たのでやはりPCの前に座ることが多かった。最近よく訪れるエッセイサイトTack'nsが面白く、ずいぶん書き込んだ。
そのコンテンツの中で考えさせられたのが「なぜ災害の死者は『犠牲者』」というのか?」という設問だった。

これは興味のある切り口である。「犠牲」という言葉は結構使われるが、これには「いけにえ」と訓がふられることでわかるように、改めて考えれば、非日常的で刺激的な、異様な言葉だ。
野球などで犠打というのが特に一般的だけれど、これはわかる。自分を犠牲(ぎせい)にして仲間を生かし、チームとしてより有利な立場に立とうというのだ。
大災害の「犠牲者」とは、非業で死んだ者の霊魂を慰めるために、その災害を最小限に抑える役割りを担ってくれたと(無理やりに)考えるためにそんな言葉をあてはめたのだろうか。古代には災害時、人柱としてわざに選ばれた人間を殺して、災害をもたらすとされる天の神にささげたという事例があったのかもしれない。
熊楠の「人柱のはなし」をもう一度読む必要がありそうだ。
しかし、そうであれば、洋の東西を問わずこの言葉は使われるはずだ。私の調べる範囲では、犠牲=生贄=サクリファイスという言葉が、名誉の戦死者の意味で使われる例はあっても、英語のヴィクチム、災害の罹災
()者と同義に使われてはいないようだ。
ここで日本古来の習慣を思い出した。非業に倒れた人間の魂はとかく恨みを呑んで死ぬゆえに生者に仕返しの意味で悪さをする。それを防ぎ、そんな魂を慰めるために、日本人は彼等を神として格上げし、神社すらつくってたてまつるのだ。一番有名なのは天神さん、菅原道真をまつった天満宮が各地に多いが、他にも刑死した柿の本人麻呂の神社、切腹自殺した乃木稀典の神社など、もっとあると思う。日本にやたら神社が多いのはそんな習慣も関係しているだろう。

一神教の他国人は、一般の死者をさほど長く大切にはしない(中国人は墓すら作らないという)

けれど、ひとの生まれ変わりを信じ、死者は皆仏になるという信念を持っている日本人は、災害の死者の無念をただごととは思わず、特別扱いして聖化(サクリファイス)し、称えるのだろう。
私の弟は27歳の時事故で死んだが、棺を閉じる時、母が「家を守ってくれろな」と話しかけていたのを思い出す。


それにしても、YAHOOの登録サイトであるこのエッセイサイトは連日数千アクセス/日を豪語しているが、
相互リンクになってからも、わがHPのヒットが30/日もいかず、まったく増えないのはなぜだろうか。少なくも5%(3千としても150/日)は流れてきてもいいはずなのだが…?。隠しカウンターにしてあることもあるし、どうもそんな実力はないんじゃないかというような勘繰りも、ついしたくなる。
(こう書いたら、先方の相互リンクのここの順番が末端近くから急に上位に上がった!。気のせいではなかろう。何であれ言ってみるもんだ(^O^)/。さあ、これでアクセス数に良い影響がでるだろうか?)

昼から近くのスーバー銭湯へ行った。好みである露天のバブル風呂に浸かっていい気分でいたら、バランスを崩して裏がえり、あやうく溺れそうになった。
情けないことであった。




(128)最もセクシーな世界の美女

PLAYBOY誌(2005/2 No.360)をGET。ここ数年買った記憶がなかった。確か300号記念(日本版としての?)を買って以来のように思う。もう5年間ご無沙汰だったのだ。
ええかっこしーで言えば、私は開高健のアマゾン釣り紀行の名作「オーパ」など(えらい昔だが)で印象深い、一流作家たちによる楽しい読み物や、ビル・ゲイツなど世界一流人のインタビューが毎号あって、それを目当てに買うこともあった(300号には作家のガルシア・マルケスのインタビューがあったような)。しかし、一番の目当てはやはり「センターフォールド(真ん中の綴じ込み巨大西洋美女垂涎ヌード全身写真)」で代表されるエロチックなビジュアル群なのだ(ようやく本音(^O^;)。
しかし、私自身何年も食指が伸びなかったことに象徴されるように、かつてはえらい人気だったこの豪華な世界標準ビジュアル誌も、昨今はめっきり部数を減らし、勢いが弱ったように聞く。原因はさまざまあるだろうけれど、多くの追従週刊誌がこぞって解禁のヘア・ヌードグラビアを記載しはじめたこと(むしろ本家の方-もちろん日本版だが-が遅れたのではなかったか?)、アダルトヴィデオの跋扈が更に痛手となったほか、やはりインターネットの普及が大きいのではないか。今ではインターネットで世界中の美女のヘア・ヌードなんぞぱくり放題なのだし。何にせよ、昨今の国産美女の品質がぐーんと向上したことも、旧来の日本人男性の舶来依存体質を大きく変えたことは疑いない。

書かずもがなの前置きはそのくらいにして、今度食指が動いた主因である表題について紹介したい。PBの読者が選んだ「最もセクシーな世界の美女100人」それを一位から順々にここに写していこうと思う。これでひとつのコンテンツが完成するのだから楽なものだ。当然なのかどうか、ここに現れる美女は世界、というより100パーセント舶来(それもほとんど白人、アメリカ)なのだ。かくいう私も初めて聞く名前が多かった。もちろん私の勉強(?)不足なのは間違いない。一応簡単な肩書きを添えておく。では一位から…。赤字は写真あり(順番に)


1・シャーリーズ・セロン(女優、南ア出身、75年生まれ、もとモデル、‘04年度オスカー女優)、2・ジェシカ・シンプソン(歌手、テキサス、80)、3・ブリトニー・スピアーズ(歌手、ルイジアナ、81)、4・モニカ・ベルッチ(女優、伊、68ペルージャ)、5・レベッカ・ローミン(女優、もとモデル、72加州)、


6.アンジェリーナ・ジョリー(女優、ジョン・ボイドの娘、75加州)、7.パリス・ヒルトンTVタレント、ホテル王ヒルトンの孫娘、81ニューヨーク)、8.エヴァ・メンデス(女優、74テキサス)、9.ハル・ベリー(女優、66オハイオ、03のオスカー女優)、10.ナオミ・ワッツ(女優、68英)、11.リヴ・タイラー(女優、77ポートランド、エアロスミスのS・タイラーの娘)、12.スカーレット・ヨハンソン(女優、84NY)、

13.ジェニファー・ロペス(女優、シンガー、69NY)、14.サラ・ミシェル・ゲラー(女優、77NY)、15.ジェシカ・アルバ(女優、81加)、16.エリザベス・ハーレー(タレント、65英)、17.ヒラリー・ダフ(歌手、87TX)、18.アンナ・クルニコワ(テニスプレーヤー、81ロシア)、19.アシュレィ・ジャッド(女優、68加)、20.ナタリー・ポートマン(女優、イスラエル出身81生)、21.マリア・シャラポワ(テニスプレーヤー、87ロシア、04ウィンブルドン覇者)、22.デニス・リチャード(女優、71イリノイ、夫がチャーリー・シーン)、23.リンゼイ・ローハン(女優、元モデル、86NY)、24.ダイアン・レイン(女優、65NY)、25.エリシャ・カスバート(女優、82カナダ)、26.キャサリン・ゼタ・ジョーンズ(女優、69英)、27.ケイト・ウィンスレット(女優、75英)、28.ペネロペ・クルス(女優、74スペイン)、29.キーラ・ナイトレイ(女優、85英)、30.ジゼル・ブンチェン(モデル、80ブラジル、レオさまの恋人だと)、31.ミラ・ジョボビッチ(女優、75ウクライナ)、32.ニコール・キッドマン(女優、67ハワイ)、33.ヴィルジニー・デヂュー(シンクロ選手、79仏)、34.へザー・グラハム(女優、70ヴィスコンシン)、35.ビヨンゼ・ノウルズ(シンガー、81TX)、36.カイザー・ミノーグ(TVタレント、68豪)、37.ケイト・ボスワース(女優、83加)、38.キャメロン・ディアス(女優、72加)、39.クリスチーナ・アギレラ(シンガー、80NY)、

40.アドリアナ・リマ(モデル、81ブラジル)、41.ソフィー・マルソー(女優、66仏)、42.シャロン・ストーン(女優、58ペンシルヴァニア)…。
とまらなくなった。もうやめよう、と思ったけれど、このあともひいきのビュウティが目白押しなので、かいつまんで紹介する。


44.
パメラ・アンダーソン(女優、90/02のプレイメート、67カナダ)、45.エマニュエル・ベアール(女優、65仏)、46.アン・ハサウェィ(女優、82NY)、47.キム・ベイシンガー(女優、53ジョージア)、49.シャキーラ(シンガー、77コロンビア)、69.チャン・ツイィー(女優、79北京)、70.マドンナ(シンガー、58ミシガン)、あと79.マライヤ・キャーリー(シンガー、70NY)、83.ヴィクトリア・ベッカム(もとシンガー、74英、デヴィッドの妻君)…。

 更に詳細を知りたければ、PLAYBOYNo.360を買ってくだー(全員の顔写真あり)

こうして並べてみるとやはりハリウッドはあいかわらず世界の美女をほぼ独占し続けているという感が久しい。もっとも、ハリウッドが美女に折り紙をつけているということも出来る。例外はあるが、白人優位は揺るがないようだ(東洋系は2人)。
金髪(47/100、上位50人中30人)はこんなものだろうか。
ま、こんな分析に意味があるのかどうか。はるか彼方の異国、その世界最高の銀幕で脚光を浴びるまぶしいような価値ある美女はわれわれの夢のまた夢であり、あこがれなのだろう。単に美しいだけではだめなのだ。




127)「イスラム原理主義と日本

前回と同じ文芸春秋新年号の記事から入っている。せっかく買った雑誌だからとことん利用しようというさもしい気分もなくもない。記事の表題は「日本人斬首が問うイラク派遣」だけれど、ちょっと刺激的過ぎるので上記の表題に変えた。記事の副題は「より困難な問い『日本は日本を守れるのか』。筆者は池内恵(国際日本文化研究センター助教授)」。

内容をかいつまんで書くと、十月に起きた香田証生さんのイラクでの惨殺事件原理主義テロの分析をまじえて考証し、彼を救うために日本がしなければならなかった「よりましな」ことを提言(もっとも、それは、現実として彼を救うことは、考えられる最善のことをしても、なお極めて困難なことには違いなかっただろうと氏自身も書いているが)し、今後のこととして、日本の自衛隊がイラクから撤退(当然ながら、いずれはそうなるだろう)するための条件などを考察している。とかく忘れっぽい日本人たちにはもう過去の、むしろ積極的に忘れてしまいたいだろう不快な、忌まわしい事件だったことは確かであり、氏自身も「ご遺族の心情からは、この事件が議論の的にならず、速やかに風化していくことが望ましいのだろうが」と断りをいれながらも、この事件が示す今後の日本にとっての重要な問題を、忘れることなく考え続けていかなければならないとしているのは正論だろう。偶然ながら犠牲者の香田さんは私の棲まう地域の一市民だった。それだけにこの事件は私にとっても忘れられないよりショッキングなものであった。

香田さん自身の行動についての是非はこの際議論はしないけれど、それが社会規範を逸脱した結果の難であっても、日本当局はやはりできる限りの救出努力をするべきだろうし、実際それをしたのか、という分析は今後同じような悲劇が起こる可能性は高いわけだから、なされなければならないだろう。白紙のパスポートしか持たない私自身のご近所でも、イ・イ戦争直前のイランを含む外国で数年間をビジネスで過ごされた先輩がおられるし、また、その息子たちはアフガンを含む中東、インド、チャイナ地域を結婚前の5年近い青春時期、冒険という感覚もなく遊行されていた。香田さんだけが日本と日本人の特殊な例外ではないのである。われわれは、選択すべきか否か以前の問題として、今後は更に世界、イスラムを含む外国とより濃密に関わっていかざるを得ないのだ。
さて主文に戻ろう。

筆者は香田さんの惨殺シーンを含む例の11/2にインターネットで流された「正視に堪えない残酷な映像であり、研究者としての義務感がなければ一度たりとも見ようとは思わない性質の」ヴィデオシーンを丹念に観察し、冷静に分析して、彼を殺害した人間たちの正確な像に迫ろうとしている。この微に入り細に亘った分析部分は読み応えがある。氏は結論として次のように書く「犯行グループによる意図を明確にしたこの長いバージョン(全編2分53秒)を分析してみれば、この事件は猟奇的殺人や精神逸脱者による行動でではなく、明確な戦略と計算に基づいており、犯行グループには(イスラム教の)宗教的な知識や映像技術を総合的に駆使する能力が備わっていることがわかる。行為の残虐さだけでなく、その背後の準備や能力、波及効果の大きさにこそ戦慄すべきだろう」。
彼等をあなどることはできない。無視することなく、論理的に話し合い、妥協できる接点のようなものはあるのだろうか。
筆者は、ではこのような一部テロリストがイスラム教本来の流れとどんなかかわりを持つのかという疑問を問うている「イスラム教信者の多くが平和を願い、殺人を忌避する感情を持っているのは間違いないところではあるけれど、しかし、こういった事件の犯行グループがイスラム教の規範の特定の要素に巧みに訴えて正当化を図る場合、多くの一般市民は表立って反対を表明することなく口を閉ざしてしまう」。
それは長い年月抑圧され続けた彼らの悲しい習性だろう。ほとんどの宗教指導者たちが旧弊な現実主義であるなかで、どうして無力な市民が声をあげることができるだろう。現在の北朝鮮人民がその見本だ。もちろん彼らの教育環境もそのベースになっていることは当然だけれど。
イスラム教は、教団創設者であるムハンマドが政治指導者、軍事指揮官を兼ね、周辺の勢力を征圧して帝国の基礎を築き、支配権力の側の宗教として発達した経緯がある。その状況下で軍事や政治に関わる規定が規範の中に組み込まれたことは自然な流れでもある。政治や軍事と距離を置く生活こそ宗教的なものと見る価値観はキリスト教や仏教に特有のものだろう。」

更に筆者は、一般にテロリズムと宗教思想が結びつく原因として、貧困をあげるものが多いけれど、しかし、イスラム原理主義の思想には、少なくも当事者の主観からは常にイスラム世界と異教徒の世界との間の力関係の不正常なありかたが最大の問題なのであり、それを是正するジハード(聖戦)を正当化している。貧困や経済格差の是正を目標にするような発想はほとんどないという。
安易な相互の妥協が見通せないほどの隔絶を含む異質な価値観が並存する状態を前提とし、一定の摩擦や衝突は不可避に生じてくるものとしたうえで、破滅的な決定的対立を回避するための手だてをみいだしていくことが今後の課題だろう。
最終的解決はなく、不満足な状態が続くだろうが、仕方がない」。
「現在のアメリカによる対テロ戦争も、価値対立が最終的には解消されるという前提の下になされてしまっている。しかし、イスラム原理主義者を相手にした対テロ戦争に最終的な勝利の可能性はほとんどない。彼等の存立根拠は、イスラム世界に共有され、社会秩序を根底で定める価値基準に深く根ざした異教徒殿の関係をめぐる宗教的な問題意識に根ざしている。

短期的な観点からは確かにそうだろう。しかし、一握りの誤った信念を持った(裕福な)指導者だけでテロが継続できるはずもない、とは思う。長年月抑圧され、貧困と禁欲を強いられ続けた無教育で無知なアラブのひとびとが鬱憤のはけぐちとして誤ったジハードの掛け声につい応じてしまうという構図は否定できないのではないか。人命軽視のイスラム社会の悪と誤謬の根は深いかもしれないけれど、教育の普及と貧困底上げの地味な長い努力は絶対必要なのではないだろうか。
テロルの脅しに対し、あの時の日本が取った対応として、筆者は首相の対応のまずさを指摘する。藤原新也氏も書いていたが、首相は新潟地震慰問のための作業服のまま「自衛隊撤退はしない」「テロには屈しない」という2点をぞんざいな態度で言い捨てただけだった。

これは国内向けとして、首相がなにげない普段の姿を見せたということだったのだろうが、それは唯一中東諸国へ配信される日本代表の生の姿だったのだ。もちろん当のテロリストたちも注目してその姿をみつめていただろう。
結果として彼等が論理をわれわれと共有するはずがないという木で鼻をくくったような、相手を馬鹿にしたような日本代表の態度は、日本人以上に面子を重んじる彼等をいたく刺激しただろうことは、藤原氏が指摘した通りだと思う。筆者も書くように、「この首相の態度と内容は彼等の恫喝を真っ向から受けて立ち、『どうぞ、殺してください』と言ったに等しい」「たとえどんな交渉術を用いたところで(自衛隊が撤退できないことは明白であり)おそらく人質は殺されただろう。しかし、世界の注目が首相に集まったこの千載一遇の機会に、もっと日本の立場を雄弁に語るべきだった。」

日本の自衛隊が治安活動もしない(平和憲法に縛られてできない)団体であり、サマーワで市民相手に給水活動などの人道支援をやっており、一人のイラク人も殺してはいないこと、香田さんがまったくの民間人旅行者であることなど、日本人としてはごく常識的なこと、そして、日本がアラブの発展と平和に多大の貢献をしてきたし、テロの対象となるのは不当である。更には、アラブ諸国がテロ活動を黙認するのであれば、今後は援助も出来なくなるだろうと言った点も示唆するべきだった。」

日本とアラブ諸国との間には大きな情報ギャップがあり、こんなあたりまえのことも、責任ある立場の人間がはっきり口に出して主張しなければ届かないのだ。」
こういった配慮ができる外交の情報通が外務省にはいるのだろうか。
国際主義とはいつにコミュニケーションであろう。最近もイラクで人質になったフランス人が開放されたが、彼等はアラビア語を話せたという。
小泉首相にアラビア語を話せというのはもちろん無理な話だろうけれど、相互理解は難しいという前に、どんな場面、相手であれ、常に丁寧な会話をはじめなければはじまらないのではないか。それをせずはなから諦めていては相手に対し失礼であろう。メンツをたてるというのはやはりお互いに分かり合えるという尊敬の態度なのだ。とはいえ、北朝鮮の態度などやはり頭に来る。国際主義は難しいものなのだ。


筆者は今後の自衛隊の「イラクからの出口」について、よほど最悪の日本人犠牲者の続出というような事態にでもならないかぎり、やはりイラクの政治プロセスの区切りに合わせて関与の性質を(軽めに)変えていくしかないだろうという。
日本のフリーハンド化はもちろん望ましいことだけれど、例えば対米追従を批判する立場の側は、日本の米国への依存(特に安全保障面での深刻な依存)から脱却するための施策を支持してきただろうか?
例えば、日本の自立には必須である国連の常任理事国に立つことにすら彼等は反対なのだ、と筆者は疑問を投げかける(ぼかしているけれど、氏の目線はどうも9条改悪のことや、軍備増強に向かっているような気がする。これは読みすぎだろうか?)。批判勢力が政府の無力を更に促進してきたという。しかし、無力なことは認めねばならないだろう。ない袖を無理に振って強がる必要は更にないのだし。
筆者は今後のイラクと日本の関係について悲観的である。

イラクの政治プロセスが進むほど、それを頓挫させようとする活動も激化する。…これまでは『自衛隊は自衛隊を守れるのか』『自衛隊が死者を出したら自衛隊は撤退か?』といった議論が主だったが、これからは『日本人が何人殺されたら自衛隊は撤退するのか?』『そもそも、日本は日本人を守れるのか?』という、より困難な問題に直面することになる。」

筆者の意図するところは明白なように思える。日本人が何人死んでもそこに留まれるように、自衛隊を対外国戦闘が可能な軍隊に変更しようというのだろう(読み違えだろうか)。どちらが実質の犠牲者が大きいか。これも明白なように思えるのだが、どうだろうか。

 

 

 

 



(126)禁欲の国富論

国の財政改革で猪瀬直樹氏の成したことはどんなものだったろう。よくやったというひともいるかもしれない。が、たいがいは期待はずれだったというだろう。それは予想できたことだ。大きな組織の中で平の個人ができることは限られている。旧弊の村集団の中での意識の改革ほど難しいことはない。それはやはりトップダウンが必須だろう。トップが動かなければ、自分がトップになるしかないけれど、そんなことが可能かどうか。
ともかく日本の意識改革は焦眉の急だけれど、小泉さんもやっぱだめだと氏は思ったに違いない。
二百年前に実在した著名な俊英、二宮尊徳(金次郎)、彼もまた猪瀬氏とよく似た立場にあって社会の改革に挑戦し、成功し、また挫折した。「人口減少社会への挑戦」と副題のついた文芸春秋1月号(‘05に猪瀬氏が幕末近い小田原藩で金次郎の行った行政改革を百枚のリポートにまとめている。

二宮金次郎は子供のころから勤勉(薪をかついで読書)で、身近なところで工夫(空き地に菜の花の種を蒔き、油を得た)をしてよく勉強(その油で灯をともし、夜なべ)もした。これを読むまで私にはその程度の知識しかなかったが、彼は、実は利殖の天才で、拾ってきた薪を売った金で田を買い、小作させて自分は町へ奉公へ出、更に儲けて、貯めた小金を同僚に貸し、利息を取って更に殖やし、同僚間で金次郎ファンドともいうべき資産運営をはじめたし、米などの相場取引きもした。この時期には大阪では世界にさきがけて先物取引きの市場がはじまっていたのだ。一応封建社会であった江戸時代後期の不思議な活気に満ちた貨幣経済の先進性に驚かされる。もちろんそれらでうまく儲けていた人間は豪商などほんの一部のことだろうけれど。金次郎も小田原では例外的で、その才覚は目立った。小田原藩家老服部家の用人山本英左エ門に目をつけられ、頼まれて主家の借金返済計画を立案するにいたる。金次郎26歳のときだ。その方法論が新しい。それは歳出に対する歯止めを明確にする「分度」という考えだ。
服部家はいわば破綻寸前の地方自治体と似たパターンである。過疎地は少子化で収入増が望めず逆に高齢化で支出は増えるばかりだ。金次郎は、歳出の限度をあらかじめ決めてから余剰分を投資に当てるという考え方をした。支出が増えた分は中央からの補助金や地方交付税交付金で埋め合わせてくれる、と期待していてはいつまでも自己責任の考えは育たない。」
服部家の財政再建に辣腕ぶりをみせた金次郎の名は藩内に知れ渡り、やがて次の大仕事を任せようということになる。それが表題の「人口減少社会への挑戦」である。

江戸時代はおおむね人口は停滞した。世界最大の都市江戸だけがひとり膨張し、近郊の人口を吸収した結果、関東平野の村々は人口流出が著しく、1/3以下にまで落ち込んで疲弊した地域も多かった。そのひとつ野州・桜町領は実質小田原藩のもちものだったけれど、そんな地域で年貢などの収入がままならなかった。その小田原藩にとっての不良資産、お荷物だった桜町領の復興を任された金次郎の奮闘ぶりがこの百枚の本筋である。
金次郎がこの人心荒廃してやくざものが多く治安の悪い地方でどんな再建計画をたて、実行していったかどうかをここに事細かに書き出す気はないけれど、その手法の中心はやはり「分度」である。最初の一年間を村々の調査にあて、過去百年間(最盛期含む)の年貢米の平均値と直近十年間の平均値を調べ、最近年の年貢高を今後十年間の年貢高の限度とし、それ以上収入は増えることはないとし、その意味を「分度」として予算の中心にすえ、金次郎は支出を決めた。分度が明らかになれば、これを上回る収入があったとしてもその収入は桜町領の復興資金として投資される。その結果、十年以降はそれまでの倍の年貢収入が期待できる。その根拠は最盛期(優に3倍あった)と最衰期の平均値である。
金次郎が服部家の財政再建で初めて発案した『分度』という概念を、もう一度、現代に蘇らせてみたい。『分度』という禁欲は、倹約とは逆だ。支出を明確にするからこそ、余剰は投資に当てられるのだ。われわれは右肩上がりの成長の経験しか積んでこなかった。右肩上がりの経済では、国政規模においても、地方自治体においても歳出は歳入に応じて増大していくものとされていた。…
…景気が回復しさえすれば税収が増える。だから大量の国債発行もいずれつじつまが合う、との杜撰な見通しは、人口減少社会を前提に考えれば、かってのような拡大基調の需要は見込めない…。」
猪瀬直樹氏がこのあたりを繰り返し書く気分は充分私たちには伝わってくる。もちろん金次郎はこの基本的な理論だけではない、やる気を失った農民たちの活気を取り戻すための褒賞制度をはじめさまざまな工夫をし、主家からは毎年復興資金を出させたり、それを低利融資制度の元金にして村人の借金を借り換え、整理させたりしている。それでもなかなか改革は進まない。金次郎と小田原藩との間に交された「桜町復興仕法議定書」には十年間は経過の報告を求めず小田原への引き揚げも命じない、特別な災害に見舞われた場合には年貢を求めないという条項も入っていたけれど、それは無視された。
そこで、十年目に金次郎は自分の経済的な面に限定されていた権限を拡大するために、年始にあたって行方をくらます。そのサボタージュ、強行策があたり、彼は一転桜町領の司法権、行政権を掌握することに成功し、歳出面も握ることになる。「…改革には、リーダーシップを保証する権限委譲が不可欠なのだ。」


以後、桜町領の生産高は加速度的に上向く。人口増加率は2割、3割増になり、生産高は二倍を維持出来た。「人口減少社会ではパイの大きさには限界があっても、一人当たりのGDPが増加すれば成功である。」
金次郎の成功の評判は全国に伝播し、多くの再建依頼が舞い込んだ。自身財政が火の車だった小田原藩も彼の方法を採用することを検討するが、台所を金次郎に実質裁量されることを嫌った守旧派の反対で結論が出なかった。
彼を取り込んだのは天保の改革を進めた水野忠邦である。彼は以後幕臣としていくつもの改革案を上申するけれど、結局、実際に用いられることはなかった。彼のその時期の労作、日光御神領復興計画を念頭においた標準改革マニュアル「仕法雛形」には180年間のケーススタディが展開されてあり、幕府は扱いかねて放置した。その精神と考え方の流れを引き継いだ豊田佐吉から続く現代の工場がトヨタ自動車であると。



(125)相田みつを


ドラマスペシャル「にんげんだもの」朝日系12/11 を見た。以前からメール仲間では話題になっていたけれど、さほど心が動かなかった。平明な常識的人生訓などを妙な字体のひらがなで書く宗教人?くらいの知識しかなかった。最近、メール仲間の一人が聴講された禅宗の老師の話に出てきたというみつを氏の思い出が気になった。PTAの世話人として、講演のために学校を訪れた師を狭い自宅へ招いて泊めたこと、書の反古が沢山ある中でその師と枕を並べて寝たこと、そんな反古のありさまを見て、みつを氏が(自己の芸術で)ずいぶん苦労しているようだったという師の印象が語られていたという。

相田みつを氏が知られた書家(確かに、知人からたまたまもらった、あれは「書」だった)で、既に故人(H3年死去)であること、作品が最近の人気TVドラマ「金八先生」に取り上げられていて、結構ポピュラーであることなどはそのあとで知った。

無知蒙昧であった。



ネットで見つけた「相田みつを美術館」から氏のもっとも有名な著作「にんげんだもの(‘84初版、これは156刷!文化出版局)を取り寄せた。そのすぐあとでこのTVドラマをみることになったのは幸運だった。多分、このような出会いがなければTVドラマは見ていなかっただろう。私は普段TV、特にドラマはほとんど見ない。
首記のエピソードは実話だろうし、ドラマはあくまでもフィクションには違いない。しかし私は実際の相田みつを氏がそのドラマで充分生きていたと思った。心底善良で不器用で、しかしひたむきに情熱的な芸術家の姿が生き生きと描かれていた。みつを=木梨憲武、一緒に苦労して自分の芸術に悩み続ける夫を支える妻に薬師丸ひろ子、その姑で2人の息子を戦争でなくし、残された末っ子みつをを溺愛する母に室井滋、それぞれ好演であった。

書家として、みつを氏はこの字体を発明する前に“まともな”書体で既に認められており、毎日新聞社の書道展に連続して入賞している。しかし、それで満足することなく、生活に苦労しながらも新しい境地と芸術を見出していく。そんな絵に描いたような苦労話と成功譚も、周囲の彼を見守る暖かい人々の存在があってはじめてなしえたことだという、まれに見る美談がこのドラマの感動の芯になっている。素封家の娘からこの貧乏な男のもとにきて姑のこころない仕打ちにもめげずに夫を支え続ける奇跡のように見事な妻、彼女と反目しあう姑ですら、その存在はみつをの芸術生活を励ます、前向きの力として働いたのは間違いない。理解のある友人たち、菓子の包装紙のデザインを依頼して売れない芸術家の生活を支えてやる町のひとたち。まさしくドラマチックな美談なのだ。

初期のみつを氏の書を認めた高名な書家が、後年の氏の芸術を庶民におもねる堕落だといって斬る場面も私には納得がいく。
みつをの書は本当にわかりやすい。
ごく普通の弱い人間の心を素直に代弁しているところがある。わかりやすい芸術、それは誤解を生じやすいものかもしれない。たとえば白樺派の小説にも比べられるかもしれないけれど、もっとよく、沢山読めばさらに深い、仏教的な境地がうかがえるものも多いのである。

(124)「自衛隊が軍隊と呼ばれないのはなぜか?」

このごろは新聞のチェっクばかりだ。気になる記事が多すぎる。
毎日新聞の12/6の文化欄、「平和の作り方」というシリーズものだ。「平和安全保障研究所理事長」という肩書きを持つ東大出のひとが書いている。
前回(123)の例にもあるとおり、洋の東西を問わず肩書きが凄くてもしっかりした記事を書くとは限らない。日本でこんな大新聞に堂々と論陣を張るには、やはり東大を出ていなければならないようだけれど、もちろん吹けば飛ぶような私なども、そんな肩書きだけでは、はなから信用することは出来ないという悲しいさがが身についているのだ。常識からみれば、私が馬鹿なのだろうけれど。さて、記事の内容だ。
最近の政治、総理の言動、有事法制の動きに右傾化の兆しが感じられる向きが多いというのは私もそんなひとりとして同感だけれど、この論者にはその感覚に「当惑を覚える」という。そんな論者の論旨はきわめて明快だ。
自衛隊を「軍隊」とはっきり認めて、日本を「普通の国」にするべきだ、という。軍隊は「自国の自由と独立を守るための組織であるはず」(そんなこと当たり前だ、ピストルを持てば撃ちたくなるように、趣味的にそれを整えていけば暴走する危険があるから我々はそれを破棄すべきといっているのである。)だし、個々の国家の安全を超えた国際安全保障の観点からの「軍事力として日本は自衛隊を使いたい」ために、「彼らをそれらしく扱いたい」、つまり軍隊として世界に認めさせたい。
なぜだ?
という根拠として論者は次のように書く「軍隊は軍隊だと正直に認めて、それらしく扱ってこそ、真のシビリアン・コントロールが機能するのである…。」本当だろうか、それならば立派に軍隊と認めていた旧日本軍が暴走したのはなぜだろうか。論者の論旨は私にはまったくわからない、いや正反対だと思う。自衛隊は自衛隊といいくるめていれば、暴走はまずないだろう、と常識的に思う。軍隊は他国を侵略する暴力組織にもなるけれど、自衛隊は、言葉通りの自衛隊である限り,、他国へは攻め込まないはずだからだ。これは人間は人間だというように、ごく当たり前のことだ。

自衛隊は立派な名称である。それゆえにイラクではオランダ軍に守られて安全に人道支援を遂行できる。彼らは平和日本のシンボルとして「軍隊」を持つ他国の羨望のまとなのだ。それを軍隊だ、とええかっこしーの馬鹿な一部日本人が(正式に)認めたら、すぐ「もと自衛隊」はアメリカ軍の弾よけに投入させられるだろう。
このひとはそんなみじめな「軍隊」に鉄砲をもってはせ参じるつもりなのだろうか。


123)ラ・マンチャの男

11/28
(‘04)の読売新聞(朝刊)一面を読んで驚いたのは私だけだったろうか。「地球を読む」という連載コラムにアメリカ人が衝撃的な記事を書いている。「石油依存からの脱却」と題された小文の内容は、近い将来、アメリカ(USA)が石油の消費を劇的に減らせる可能性とその提案だ。これは凄い!全世界の石油消費の四半分を消費しているアメリカがこれを実現すれば、石油危機、そして地球温暖化の元凶であるCO2の問題はもう解決したも同然だろう。自身の勤める会社でもその「省エネ問題」の一端を担わされて悩んでいた私は、(とりあえず影響はないと思ったが)躍る胸を抑えてその内容をよく理解しようとした。つまり、こういうことだ。
日本の自動車会社で開発されたハイブリッドエンジン車がアメリカでブームを呼んでいる。トヨタ、ホンダなどのハイブリッドエンジン車がどんどん普及する一方、アメリカの自動車会社でもその技術を取り入れ、バスなどに搭載する機運が高まっている。このエンジンの燃費効率は驚異的であり(35.5Km/リットル当たり と説明されている)、この普及により、アメリカの自動車社会のガソリンの使用量は半分になるだろう、と言う。また、世界的に高まってきた風力発電技術とその普及によって、全米の電力消費をそっくりそれに充当させることも可能だという。その余った(あるいは風力というむらのあるソースを吸収するために)電力をハイブリッドエンジンのバッテリーに注ぎ込んで、更にガソリン消費を減らす(試算では計70パーセント減)ことが出来るだろうと。
確かに、アメリカでは石油消費の2/3が自動車に充てられているという、まさに自動車社会。また、米国の風力発電事業は早くから世界をリードしており、ドイツ、デンマーク、スペインなどの西欧に次いで普及を誇っている(2002年度で4位)。コラムに書いてあった、1キロワット当たりの買い上げコストが3セント(日本の1/3以下)というのも事実らしい。米国は’70年代から風力発電に注目して、着々と政府主導でその実力を伸ばしてきた。今後もずっと、いや急激に伸び続けるだろうと思われる。

これは素晴らしい夢であり、うまくいけば日本も追随することは間違いない。しかし、問題も多い。

まず、風力発電が全米の電力消費をまかなうまでにはとてもならないだろう。欧州がその電力消費の半分を2020年までに風力発電でまかなえるようになる、とここでは書かれてあるが、これだって怪しいものだ。最大の風力発電国家であるドイツでも、2003年現在で3.5がやっとなのだ。ここ数年はかなり絶対数で数をふやすだろうが、既に立地に難がでているという。アメリカの風力の現状はなおドイツの40%程度であり、既に100万世帯をまかなう力があるとはいえ、全体の需要が大きい(ドイツの2倍)ので、そのシェアはたかだか0.7%ほどにしかならない。これでは私たちが求める原発の代替(20%)にもほど遠いではないか。まして膨大な数の自動車の動力にあてるには、どれほどの数の風車塔が必要であろうか。

われらがハイブリッド車に話を移そう。ハイブリッド車は確かに素晴らしい。しかし、その実力はどうだろう。ちょっとネットで調べてみても、「35.5Km/L」の燃費は怪しい事がわかる。もちろん理想の走行状況ではそのようなデータがあるのだろう。しかし、ごく普通の使い方をする以上、そんな低燃費は実現しないことが常識になっている。大方は21〜18のあたりをうろうろしているようだ。
もちろんアメリカ産の大型車のすさまじいガス大食いエンジンに比べれば夢のような数字ではあるけれど、このデータは、多分、日本車でも1200CCていどのコンパクトカーが既に実現している数字ではないだろうか。大型バス用のエンジンをハイブリット化することで、どんなデータが出るのか、私には分からないけれど、高価なハイブリッド車が必ずしも最高というわけではないのである。まして、これに充電用のプラグをつけて準電気自動車的な改造をするにも、バッテリーの補強という困難な問題がある。バッテリーには寿命があり、大きくなればなるほど重さが増して燃費を圧迫するだろう。問題は大部分のアメリカ人のライフスタイルに帰することだと思うのだが。

もちろん、私はこの素晴らしい肩書き(米地球政策研究所理事長)を持つレスター・ブラウン氏の高邁な夢を冷笑するものではまったくない。むしろ、間違いではない、出来ればそうあってほしい、と切に願うものである。かの夢多きアメリカ人ブッシュ氏がイラクに理想郷を計画して、ラ・マンチャのひとのように
(^O)悪戦を戦っているのに比べれば、この壮大なエコ理想卿計画はまったく罪の無いものだろう。日本政府が風力発電をほとんど無視し、民間の力で急激に増えてきたのに驚いて、その策定計画を慌てて十倍にした馬鹿さ加減に比べればその素晴らしさが良く分かる。


(122)裏サイト

 年来の計画=(年があけると丸四年になるわがHP物語舘アマゾニアの、非小説部分を分離して別の新しいHPを立ち上げるという)は案外スムーズにいった。目下一番の問題は、容量がちいさいこと<基本1M+M(有料)=5M>で、映像の多い評論部分(ちょっとやばいものもある)は本体(物語舘)に残し、直リンで凌ごうと思う(ルール違反か?)。

とりあえずリンクは本館からと書・U・記様の「化け猫本舗HP思いがけず、素敵なバナーを頂いた、感激!)からにとどまっているけれど、ぼちぼち新しいリンク先を探して行こうと思っている。世の中にはアダルト嫌いが多いし、リンクをお願いしようとして、この条件に引っかかって諦めたことも何度かあった。このコラムを主軸にした非18禁サイトは、そんな堅苦しいグループにも受け入れてもらえるはずだ。それで、まず第一にYAHOOにと登録申請した。もちろんだめもとの気分だけれど、この最大の検索サイトに出せれば、飛躍的にカウントが伸びるのは間違いない。そういえば、YAHOOも一時よりアダルトを随分整理して、締め出してしまったようだ。「綾綴人形」とか「眠猫舘」とか私の知る範囲でのしっかりした人気小説サイトは残っているようだけれど、これも世の趨勢だろうか。

2つ目のHPを作ったのは、確かに18禁でないサイトでフリーハンドになれるという魅力もあったけれど、本来小説と非小説(エッセイなど)は別物で、読者もそれぞれ異なったグループのはずだという思いがあったので、それぞれがお互いを補完するということを期待せず、余計な雑音を入れないで、ストレートにそれだけを読んでほしいと思ったからだ。
もちろん、別個にしたことで私の2面性を隠そうという気分はないし、両方それぞれを行き来して愉しまれる方がおられるのは結構だと思う。生真面目なサイトのオーナーがちょっとふざけたアダルトな別のサイトを手慰みで創り、裏サイトと称されることがあるらしいが、私の場合、最初に作ったアダルトの方が表サイトだと思っている(ま、どちらでもいいけれど)。それだけの熱情をかけている積りだ。


2面性は誰にでもあると私などは思っているし、当然だろうとも思う。あるいは矛盾することが同一人物の中に同居する。それは人間性を複雑にするけれど、混沌ではあっても、必ずしも混乱ではないと思う。それは外部から見れば奇怪で、面白くはあっても不思議ではないし、好奇心をそそられる方がおられても構わないし、それは本心から光栄だと思う。2面性を不誠実ととるご仁もおられるかもしれないが、私はそう思わない。むしろそれを蔽い隠そうとする方が不自然だろう。

好色小説の大家K氏は小説の他に多くのエッセイなどを書かれ、そのなかでいかにご自分が常識的な紳士で、自作小説の世界から遠い人間であるかを強調しておられるが、私などが見れば、やっぱり氏のエッセイは小説の世界とさほど変わらないようにみえる。もちろん言われるとおりの紳士であられるのではあろうけれど、エッセイにそれが書ききれていないだけなのだ(もっとも、面白くなければならない商業的エッセイであるせいもあるだろうが)。それはそれで誠実さのあらわれなのだろう。


121)ダ・ヴィンチ・コード

知人に勧められて買った本だけれど、なかなか読みはじめることが出来なかった。大きな本はやはり勢いというものが必要であり、もちろんその前に、これを読まねばならないという動機づけがいるのはいうまでもない。この場合、新刊で、結構な投資(上下各¥1800越前敏弥訳 角川書店’04.7 第6版)をしてしまい、早く読んで回収せねばもったいないということ。それ以上に、「おい、あれ、読んだか!」という推薦者の催促。

ダン・ブラウンという、何か気安いとなりのあんちゃん(失礼)のような名前でも損をしているのだろう。推薦者からして前作(「天使と悪魔」)に比べて、どうもいまひとつ…、という気弱さ(おい、おい)では、勢いも動機も下降気味になるのはいたしかたない。
それでも読んだ。読むうちにもひきつけられて下巻は車の中で一気呵成に読了した。私自身は正直いって前作よりも面白かった。もっとも、私などよりもはるかに該博で大読書家である推薦者(荒俣宏ではない)の気分も分かるような気がした。
前作のドラマチックなストーリー、スペクタクルな幕切れに比べて、本作はいかにも竜頭蛇尾、おおぶろしきを広げながら、あっけない肩透かしにあったような感がなくもない。でも、作者のおおぶろしき、おおぼらは前作の「反物質爆弾がバチカンの地下で爆発する」というようなめちゃくちゃな設定自体にもあるわけで、更にその解決もずいぶんマンガチックだった。


本作も、正統派の推理小説の読者からみれば、かなりルールをはずしたトリック(非常識などんでんがえし)が見られると思う。それでも、私は今度の小説の方に好感を持てた。というのも、結構前作よりもロマンチックな場面が多く、あまりはめをはずしたところが無かったように思えたからだ。もちろん、あやしげな金持ちエロ学者に主人公が全面的によりかかりすぎてひっくり返るというところは本筋にかかわるものであり、やっぱりこの小説の一番弱いところだろう。

私が面白かったのは、小説の基調をなす西洋の宗教についての最新の動向、「聖杯伝説」をはじめとするニッチな話題の豊富さだった。誰もが知っていて、当然のことと思っている“常識”が疑わしいとされ、その“明白な証拠”が現れたりするセンセーショナルな話題を世間は好むけれど、世界で一番有名で、尊敬もされている神のような歴史上の大人物、イエス・キリストの“あやしげなゴシップ”(彼に妻があったということは、親鸞を宗主とする私たちにはさほどインパクトはないけれど、むしろ、なぜそれが慎重に長期間に渡って隠されていたのか、なぜそれが可能だったのかということのほうが私たちには驚きだし、興味のあることだ。)がこうしてあらわにされれば、やはり立場によっては実害も多々あるだろうし、抑えたいと思うのも当然だろう。それらの暗闘があったということは、部外者には興味森森というのも当然だろうし、これからもそんな状況は続いていくのだろうか。最近の話題映画でも露出されたイエス・キリストのセックスライフがこうして巧妙に推理小説の味付けに使われることを、敬虔なキリスト教信者たちはどんな気分で見ているのだろうと少々気にもなる。もちろん真実というものはいずれ主流になるのが歴史の示すところであり、どちらがいいか悪いかという問題ではないとはおもうけれど。

歴史上の著名人物が多く会員になっていたという、いわゆる秘密結社についての話題は彼らが好んで小説の題材に取り上げるテーマで、エーコの「フーコーの振り子」などでもあったように思う。キリスト教に懐疑的だったひとびとがずっと昔から欧州には存在して、地下活動にいそしんでいたということは実際にあったことなのだろうし、その補強材料として歴史的な有名人たちを列挙するというのもよくなされたことだ。

これはこれでなかなか興味あることだけれど、その非キリスト者たちが、なぜ集まって怪しげなセックス祭儀をしなければならないのか、という、そのあたりがどうも私には理解できないことではある。
性は確かに人間の大いなる一部ではあるけれど、そして従来のキリスト教のように敵視、あるいは無視するべき物ではないと思うけれど、また、その反対に、針小棒大に聖なるものとしてたてまつるほどのものでもないとも思う。要するに自然流が適当なのではないか。

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