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 60   お葬式とネコババ

  正月早々こんなテーマは余りふさわしくない
と思うけれど、近々の経験に重なったことを書き留めておきたい
ということだ。伊丹十三の有名な映画も、氏自身の体験が
きっかけになったということらしい(よくもあんなテーマで、
それも第一作を、しかもスター映画を作ったものだ。氏の
非凡さがよく分かる。惜しい才能を失った)。

 

  最近葬儀に出ることが多くなった。私ほどの
年代では、同世代が死ぬことはまだ稀だと思うし、
身内の死に立ち会うことも、年代によって多寡があるとも
思えない。ひとそれぞれに各年代で身内の死に立ち会う
のだろう。しかし、やはり五十もなかばを越えると、ぼちぼち、
親しくしていた、人数としても多い同年代の(事故死以外の)
死が始まるということだろうか。昨年末に時を同じくしてさほど
歳も離れていない元同僚(というより職場の元上司)が
あいついでなくなった。この事実も上記の印象を強めて
いるのだろう。直近の葬儀は近所の若い町内会メンバーの、
病弱のご母堂だった。享年68歳というから、残念だったろう。
通夜も葬儀も参列者は百人を遥かに越えて、盛大だった。

 

  川端康成の小品に[葬式の名人]というのが
あるけれど、私も,この年になれば当然かもしれないが、
祖父母、父母の葬儀(そして不慮の死を遂げた弟の葬儀)と
身近なものの葬儀すべてに立ち会って、それなりに葬儀慣れ
している(2度喪主にもなった)はずだけれど、やっぱり葬儀は
苦手だ。誰だってそうだろう。誰の葬儀であれ、進んで出たいと
いうものではない。葬儀は悲しく、辛いものだ。人の不幸の
実相など、見たくはない。しかし、人間社会の義務のような
ものだから、ひとは集まってくる。身内だけでこっそりしたいと
思っても、一般にはなかなか出来るものではない。むしろ、
出来るだけ多くのひとに参列してもらって(賑やかに)執り
行いたいと思うのが一般ではないだろうか。日本の風習は
その傾向があるようだ。もっとも、結婚式などのように時期を
選んで金をかけ、沢山招待状を発行して行う(ことが出来る)
のとは異なって、葬儀は一般にこのような時日、規模を任意で
コントロールすることは出来ない(有名人などの、時日を改めて
の告別式ではこれが出来るようだが、招待状などを出すのだろうか)。

  もちろん、悲しく、辛い葬儀というものは多分に
たてまえであって、存分に天命を完うして大往生を遂げた
肉親の死は、近親者にとってもさほど不幸ではなく、感情的にも
淡々としたものだろう。むしろ厄介払いという意味で、大いなる
幸福である場合もあるに違いない。こういうことを赤裸々に書くと
顰蹙を買うだろうから、余り普通には書かれないのだろうけれど、
上記のような個人感情を覆い隠す意味からも、葬儀には厳粛な
形式があって、皆それを踏襲しているのだろう。世間体という
ものの見事な具現が葬式というものなのだろう。しかし、有名人の
死に際して、「密葬につき、会葬不要」とかいうメッセージをよく聞く。
家族だけでひっそりとするのだろうか。それともポーズだけなのか。

 

  密葬で思い出した。こんなことを書くのは身内の
恥であるが、私の子供のころ、わが家は至極貧乏だった。
大きな借金を抱えて四苦八苦していた。祖母の死に際しても、
満足な葬儀費用がなく、事情を良く知った主治医に死亡診断書
書いてもらい、役場で火葬許可証をもらってから、大八車に
遺体を乗せ、家族全員で焼き場へ運んだ。一家が引っ越した
早々で、隣家隣人たちと馴染みがなかったこともそれを可能に
した。小学校六年のことだからかなり鮮明に覚えている。
弔いのための坊主が来たかどうかは覚えていない。多分、
家族で般若心経など詠んだのかもしれない。寂しい、文字通りの
密葬だった。しかし、こんな葬儀も悪いものではない、と最近は
思いはじめた。最低限のことでも、それをしておけば、何も
恥じることはないのである。

  我が生家は真宗で、何事によらず仏事は概して
地味である。最初に書いた盛大な葬式はさる日本最大の
新興宗教(法華宗の系統)主催による葬儀だった。信者は
全員が導師(先頭でお経を詠みあげるひと、おおかたは
僧侶が任じるけれど、この場合、一般の市民のようだった)に
従ってテキストのお経(法華経の一部)を唱和していた。
これは悪くはない習慣だと思う。真宗でも「ご詠歌」といって、
皆でテキストを詠み合わすならわしがあリ、私が一時会員になって
いた新興宗教(法華宗の系統で上記のライバルと目されている。
勢力はかなり劣る)でも法華経の一部抜粋したテキストを
唱和することは日常だった。彼等の、その経文は一般の漢文体
(白文)とは異なり、比較的平易な読み下し文になっており、
聞いていて内容が理解出来るユニークなもので、当時の私には
新鮮に感じられたことだった。そんなことから法華経に興味が湧き、
解説書などを一通り読んだ。大抵忘れてしまったけれど、
ドラマチックな挿話などにも事欠かない、退屈しない読み物だった。

 

  たまたま、最近機会があって読んだ芥川賞授賞作品
ネコババのいる町で瀧澤美恵子文芸春秋社
作者である「私」の叔母が唐突に死に、
葬儀屋によって簡単に扱われ、「私」が「人間の一生がこんなに
手早くけりをつけられるものなのか」と「感心」してしまうところから
この小説は始まる。その死んだ叔母の通夜の準備が済むまでの
わずかな時間に、彼女と「私」、そしてその二年前に死んだ祖母との
三人の、普通でない生活のハイライトが回想されるという体裁だ。
元待合、料亭の並ぶ町(ネコババのいる町)での、かつて美しかった
女性たちの振舞いなど、なにやら艶な雰囲気も我々の想像をくすぐる
ものがあるけれど、やはり叔母という、作者にとってひとかたならぬ
世話を受けた人間の死と、それを粗略に扱う葬儀に対する抗議の
ようなものととってもいいのだろう。実際、「私」は叔母(の死)と
一緒に死のうかという衝動さえ起きるほどの衝撃にうちのめされて
いるのである。祖母の死もそうだったけれど、叔母(45歳)は更に
尋常な死ではなかったのだ。

  つくずく「私」は不幸な人間だったのだ、と思わざるを得ない。
生母に捨てられた帰国子女という過酷な(言語、愛情)環境から言葉を
喋れなくなった「私」が、「猫の死」という事件を契機に再び声を取り戻す
場面は実にさりげなく、そう思わせるだけの緻密さで描かれている。
それは実の父の存在を知り、一人で会いにいくという濃厚なドラマで
すらもさらりとさりげなく、それでいて実にリアルに迫ってくる場面描写も
見事なものだ。

  寡黙な人間が急に能弁になって喋り始めるという
場面を「カラマ−ゾフ兄弟」の中で読んで興奮した記憶があるけれど、
六つの少女が言葉を急に取り戻すということも劣らずドラマチックなものだ。
その「私」がかつて母国語として喋っていた英語の成績も、結局、
並み以下になったというのもリアルではあるけれど、そういった作者の
並みでない言語体験が、このような並みではない言語作品を生み出す
原因(のひとつ)になっているだろうことは想像に難くない。

 


59.この1年

ネットにかかわるようになってから2年目が過ぎた。
この一年は飛躍の年だった
年初3万アクセスだったカウンターは今(12/31)現在十万五千を超えた
年初はたかだか60/日だったのが、
最近は500/日ちかくある。

この要因は、力のある小説リング(
ノベルリンクスーパー)に加入させてもらったこと
これをきっかけとして人気HPの幾つかと知り合い、
リンクさせて頂いたこと(「
インラン小説」様、「妄想劇場」様)が極めて大きい。
リンク当初は、2000/日を超えた日があった。
最近は落ちついてきた。
12/18に十万の大台を越えた。

わがHPも充実してきた
去年からの連載である「
ペルシャ−」は1年を超えて
もうすぐ完結をする
ちょっと更新が緩慢だったか、とは思う
しかし、その間に新作もアップさせている
(「短編「
まんだら」、評論「危険美女3」「UW」など)
まあまあというところだろうと思う。
むしろ、よそのHPに新作を載せてもらうことが多くなった
アマゾン・プりズン」様の「ダークな企画」は計5作になったし、
。インラン小説様へのリレーノベル「
女教師凌辱物語」、
妄想劇場様から依頼された「
地下水槽の人魚」。
これらはみな書き下ろしの新作だ。
今「
投稿小説」様の依頼でSFの短編を書いている。
年初にはアップする。

わがHPのみに載せなくても、
確実に読者の幅を広げられれば、
作品がどこにあってもいいと思う。

今年特筆すべきことは、
R18ノベルス」有料サイトに載せていただいたことだ。
現在3作、全部新作ではないけれど、
全くの未公開作品であり、
わずかではあるけれど、受け入れられていることで、
自信もついてきた。
まだまだここへ出したい作品はあるけれど、
事務局氏がどう対応されるか、
模様ながめだ。

年も押し詰まって、あこがれの
山本貴嗣先生のサイトを見つけた。
思ったとおりのキャラクターだった。
私の作品を氏の筆でコミック化していただければ
年来の夢貫徹なのだけれど、
そううまくはいかないだろうなー。
そっとお願いしてみようかなー。

メイルの会も好調に推移している。
年初には「
ねこばばのいるまちで」を書かれた
瀧澤美恵子氏が入会されるらしい。
どんなキャラクターなのか、楽しみである。


朝日新聞の12/30、「経済漂流」今年の総括に
日本の針路を聞く」というテーマで
山崎正和氏が書かれている。
氏によれば、過去十年の日本は
世界文明の変化が最も端的、先鋭的に現れたという意味で
大進歩の十年」だった、と喝破されている。
「個人の生き方の変化」として、
組織社会は終わり、緩やかな人間関係で
出入り自由な゜社交゜社会が中心となる。−
そこで自己表現する柔らかな個人が増えるだろう。
知的生産も社交であり、世界中の技術者がインターネットで
ソフトを無償開発しているりナックスのように、
お互いを認め合って生き甲斐を見出す」。


りナックスは知らないけれど、
まるで、私が属している「
内ネコ会」のことを言っているようだ、
と思ったことだ。




58・年賀状始末

毎年、暮れは年賀状つくりが苦になる。

去年のように、身内の忌みで出せない年は
むしろ爽やかだったりする。

なら、やめればいいじゃないか、ということになるが、
やはり止める踏ん切りがつかない。

私はここ三十年ほど、毎年木版で賀状を作ってきた。
いわゆる「下手の横好き」、
自己満足のための多くの愚行の一例ではあるけれど、
これはこれで、結構手間がかかるのである。
ひとさまよりも早めに掛からねばならない事情がある。
だからいつも、早めにスタートしようと思いながら、
やはりぎりぎりになるまでやれない。
今年も、せめて版木だけは早めに手配しようとしていたのだが、
愕いたことに、今年に限って何処も置いてなかった。

こんなことははじめてだった。

いや、来るべきものが来たのかもしれない。

万事簡便、”かね”で解決という注文印刷賀状の台頭に
偉大な発明「
プリントごっこ」のおどろくべき普及、
更にパソコンとカラープリンターが留めを刺した、ということだろう。

面倒な木版など、だれもやらなくなったのだ。

でも、私は木版にこだわりたい。
幸い去年までに買ってあった、備蓄版木があった。

材料は揃った。

しかし、それで安心したのだろうか。
それ以上には進まず数週間、
ぎりぎりまでぐずぐずして、ようやく
やり始めた出鼻を、右手指負傷(公傷)でくじかれた。
不注意で、親指の付け根をざっくり切って、
8針も縫ってしまった。
いつもながら我が身の不運を嘆き、
意気消沈、2日ばかり停滞した。

しかし不屈の精神が頭をもたげた。

妻の協力もあり、版は完成した。

しかし、賀状は版を作るだけでは出来あがらない。
刷り込みが必要なのだ。
作戦を変更した。
きりっとした作品、刷り込みを1枚だけ作り、
これをパソコンでスキャン、トリミングを経てカラー印刷する。
それでオリジナルの木版の味が出せれば言う事はない。
妻を叱咤し、ようやく作品は完成した。
これをスキャナーで取りこみ、
様々なトラブルを克服しつつ、
キャノンのプリンター(BJF620)で刷り上げた。

結論として、
発色が悪い。

いろいろ調整はしたけれど、
思うようにならなかった。
添付映像はオリジナルに近いけれど、
吠えろ羊!。
プリントアウトしたものは、
主として赤系統が黒ずんで良くなかった。
やはり、廉価カラープリンターに問題があるのだろう。
もっとも、手刷りよりも格段に仕上がりは早かった。


ともかく、パソコンのおかげで、賀状は完成した。
有史来最悪の12/28投函。
なんとか間に合わせた。
すっきりした。
これで歳が過ごせる。


総括。
いうまでもないことだけれど、
やはり品質上も、その味わいも
手刷り賀状にはかなわない、と思う。
しかし、早く、数がこなせ、手間が掛からないことは魅力である。
来年は、どうするか。
パソコンの誘惑に取りこまれてしまうのか。
自信がなくなってきた。

ますますパソコンに頼る生活が進むのだろうか。


57・技能立国

朝日新聞夕刊のコラム(時のかたち)に、小関智弘氏が
機械工場現場の今昔といった内容で書いている。
工場の中心に鎮座する巨大な電動機が
掛け声とともに力強く回転をはじめ、
その回転動力がベルトとプーリーで天井のメインシャフトへ伝えられ、
更に隣り合うシャフトどうしで回転力をリレーし、
最後にカウンターシャフトを通じて他の多くの工作機械へ
下ろされ、分配される。
電動機が高価で貴重だった時代、
工作機械はそれ自体単独で動くことができなかった。
各々の作業状況がその伝達機構を介して
他の機械に影響することもある。
勿論力は小さくて能率は良くない。
私も学生時代、そんな工場で三年間実習した。

懐かしく読ませて貰った。

小関智弘氏は、町工場の旋盤工(こっちが本職)をしながら、
コラムニストとして健筆を振るってこられた異色の作家である。
随分昔、職場でとっていた雑誌「
技能士の友」に氏の職場を題材にした
小説を連載しておられたのを思い出した。
最近その職場を定年まで勤め上げられ、退職されたという。

まずはおめでとうといってあげたい。

しかし、私とさほど違わない年恰好だったとは意外だった。
この40年の日本の技術革新、製造業の大発展と衰退の
天国と地獄を見てこられたことは疑いない。

私の若い頃、
技能オリンピックというものがブームになった。
世界的に優秀な各種機械工技能者が輩出し、
金メダルを独占し続けた時代があった。
私の職場でも、オリンピック出場とまではいかなかったけれど、
公的資格である技能士の取得に燃えた頃があった。
私も旋盤2級に挑戦したが、
日々の会社の仕事が忙しく、
なかなか練習も準備もままならず、
筆記試験に合格しただけであった。
しかし、そんな経験を経て、
それなりの旋盤技能と一般加工のノウハウのようなものは身についたと思う。

最近の技能オリンピックは、韓国など後発国の独壇場らしい。
日本は出場者をそろえることも難しいと聞いた。
確か、年齢制限があったと記憶している。
小関氏に代表される中小の町工場にはまだまだ、
優秀な旋盤工などがおられるはずだけれど、
それも、もうリタイアの時期だろう。

うちの会社でも、最近は余り加工をしない。
簡単な図面だけでそこそこの精度の部品を
短納期でやってくれる全国組織の請負会社がある。
もちろん、外国でつくらせているものも多いに違いない。
コンピュータの異常発達と普及に伴う、
電脳旋盤、電脳フライス盤、その他インターネットの発達、
宅配便など流通機構の進歩もこれらを支えている。

もちろん自前で作るより概して高いし、
納期もかかる。
だから私達良き時代の生き残りが存在する限り、
わが社では自前で作ることが多い。

しかし、私達の時代も終わりだ。
いや、もう終わっている。

「技能士の友」を職場でとらなくなってから数十年、
最近の若い課長などは技能のことには無関心である。

枝葉末節のことと思っているらしい。

彼は、自身、技術的には卓越していると思っているようだが、
我々の技能的なアドバイスを受けつけないし、
理解できないらしい。

技能立国は、多分、大昔の話だ。

私個人では、そう思わないのだが。

技術立国なら可能なのか?



56・さよならだけが人生か?

  メイルを打っていて気が付いたことがある。
送って、返事が戻ってくる。ひとつの会話である。
大方はここで終わる。この二回の往復メイルが基本だろう。

  行ったきりで、戻ってこないものもある。しかし、
大抵は戻ってくるはずだから、二回が一番多いに違いない
(一般にはどうか。行ったきりの手紙の方が多いのかもしれない。
そうでないと思いたい。)。

  いい足りないことがあって、また返事を打つ。
これは新しい会話の始まりなのかもしれないけれど、
会話の継続ということでもある。
もちろん、その返事が戻ってくることがあり、
戻ってこないこともある。統計的には、多分、
回を追って返事の可能性は少なくなるのだろう。

しかし、可能性として、これではきりがない。
どこかで切らねばならないことである。
いや、切る必要はないかもしれない。
相手が切ってくれるのを待ちつつ、自分自身では切らない。
大げさに言えば、切る勇気がない。
相手がどう思っているのか、
迷惑なのかもしれない。
それが判れば切る理由もできる。
迷惑を顧みず送ることもあるのかもしれない。
こっちは書くこと、会話することに愉しさを感じているのだけれど、
それを苦痛に感じている人間もいるのだろう。
それを感じ取れない方が悪いばあいだってもちろんあるだろう。

基本的にはそんな状況なのだ。

 

  個人的には、私が受け取って終わりということは
少ないと思う。大抵は私が打って終わることが多い

そういう性格なのである。
そう思っているけれど、
客観的にはどうなのか。

普通の生での会話も、私の方で打ち切ることは少ない。
そう思っているけれど、
客観的にはどうなのか。
別に調べたことはない。
(誰でも、そう自分では思っていることなのかもしれない。
いや、こんなことを意識する人間自体少数派だろう。)
もちろん私でもいつも意識しているわけではない。
一般には時間切れなど、状況のせいで終わることが殆どだろう。
余り身分が違わない相手では、相互主義ということで、
大体対称的な会話が成り立つわけだが、
私の方で沈黙する場合は、よほど気安い友人か、多くは
肉親のばあいに限るようだ。もちろん、目上の相手と話す時に
こちらの方で打ち切るのは失礼というものだろう。

メイルでもそんなエチケットがあるに違いない。

返事を期待して、戻ってこないことがしばしばあるので、
このエチケットはさほど一般化していないように思える。
そんなときは私も余り釈然としないけれど、
そんなものかもしれない、とは思う。
もちろん私の方で打ち切ることもあり、
お互い様という気分があるのだろうけれど。

この心理の等価回路を単純化すれば、
返事を打つ手間の苦痛の方が、相手に対する済まなさ、
収まりのつかない気分よりも大きい時の現象なのだろう。
いつも顔を合わす人間同士とのメイルでもこれはあるから、
顔も知らない遠隔の、単なるメイル仲間で、別に
あとで経済制裁などを受ける可能性がない場合はなおさらであろう。
それに、エチケットに違反した相手にまた制裁を加えるのは、
更なるエチケット違反になるはずだから、それを知っている相手は、
なおさら面倒な返事など打たないだろう。

  何か、愚痴のようになった。

  こんなことをぐだぐだ思う人間はわれながら不幸だと思う。
しかし、これは性格である。一度徹底的に書いて(考えて)
みようと思っていた。
人間は会話をしながら生きていく動物である。家族同士はなおさら、
やむにやまれぬしがらみのなかで、打ち切ることもできない関係を
続けているのが人間社会のミクロな実態なのだろう。
人間同士の交際は、もちろんこれが楽しい場合が大半なので、
これを辛いしがらみ(柵)と取るのは病的な思いなのかもしれない。
しかし楽しければずっと続ければいいので、楽しくなくなれば、
ばさっと打ち切ればいい、というものでもないのがこの
しがらみのしがらみたる所以なのだ。

  関係を人為的にばさっと打ち切ることが出来る性格の人間もいる、
とは思う。しかし、大抵はそれで(切る人間も、切られる者も)
悩むものなのだ。
だから、人間関係はだらだら続き、殆どがその死で終わる。
自然が否応無しに、それで”おとしまえ”を付けるのだ。
さよならだけが人生だ」という言葉は、そのことを言っている、
と私は解釈している。

 

  誰でも、一つだけ作品を作って死んでいく
自身の人生を、と言った作家は誰だったか。芸術家は、
そんな完結した作品を幾つも作る幸せな人種だといえる。
もちろんそれが上手な作家ばかりとは言えない。
未完なまま放り出したり、ともかく終わっても、全く収まりのつかない
終わり方をしたり、めちゃめちゃにしたあげく、唐突に終わったり、
様々だ。
M・ラベルの器楽曲「ボレロ」など、その典型だ。誰かが、
カタストロフに向かってひたすら突き進む」といったような、
不思議な曲だ。音楽は、やはりモーツアルトのように、優雅に、
納得ずくで終わらねばならない。ベ−ト−ベンなど、全く優雅とは
いえない、のたうちまわったあげくの無残死といった印象の
曲もある(ファンにはそれがたまらないというのだろうが)。

  常動曲(無窮動)という種類の曲が古典にあって、
私は、ずっとこれが終わりのない曲だと思っていたけれど、
これは間違っていた。翻訳が間違っているように思う。

  日本経済は、終わりのない作品、
永遠のいきものであるべきだから、「ボレロ」のようなひどい
終わり方へは持っていって欲しくない。

こんな拙文の終わり方はありだろうか。

 


55.チャット・ルーム

 まいった。
友人からお誘いを受けて、余り気が進まないまま訪れてみた。

大変な世界だった。

最大6名ほどのメンバーが、
あたかも同じ部屋で話し合うような雰囲気で
それぞれのメールサイトからリアルタイムで発信しあう。
その発言内容群が、多くは相手を特定してひとつの画面上に競うように現れ、
流れ去っていく。
慣れない私など、それら各位の多様な、夥しいメッセージを追うだけで精一杯で、
各位の心のこもったエールにただおろおろして不器用に対応しつつ、
ひとつの手ごろな相手の発言を目に止めて返事をつくっているうちに、
そのメッセージはあっという間に下のほうへ流れていき、
やがて消え去ってしまう。
全くその凄まじいスピードに追いつけずに、
焦りっぱなしのまま時間だけが過ぎてしまう。

多分、私の接続が最(遅)速の「
ダイアルアップ」だったこともあるのだろう。
皆の発言内容と私の返信にかなりの時差が生じているのを
いらだたしく感じてしまう。
幾つものテーマが平行して進んでいくこともあり、
また途中でメンバー(皆常連のようだった)が出入りして、
その挨拶も交錯し、
更に複雑になっていく。
はては途中で私のPCがプッツンして中断するありさま。

大体から、
相手が何びとかわからないまま会話をするという事自体、
実に(相手に対して)失礼なわけで、
これは事前にたいした調査もせずに飛び込んだ私が悪かったのだろう。

もっとも、これは後から気がついたのだけれど、
ネットで2年近くやっておれば、
知らぬはずはないという、
そうそうたるメンバーが揃っていたようで、
これは私の世間知らずのせいだったのだ。

「眠猫」氏

「彩音」氏

「巽」氏

「イネ」氏

他にもおられたかもしれない。

「イネ」氏は私を誘っていただいたメンバーであり、
もちろん存じていたけれど、
他の諸氏も、皆わがチンケなHPなどおよびもしない、巨大なアクセスを有する
個性的で見事な小説HPのオーナーだったのだ!。

ずいぶん失礼なこともあったのではなかったかと、反省しきりである。

結局、1時間ほどお付き合いして、野暮用もあって脱けさせてもらった。

気になることがある。

雰囲気に呑まれて、つい、
わがチンケなHPにもBBS(
掲示板!)を、大台達成をしおに
設けることを約束してしまったのだけれど、

困ったことになった。
余り気が進まないのである。
でも、
約束は約束だしー。


あっ、大台、10万ヒット通過はもう数日内のことなのだった。


54.「いい女の法則」

 

  知人がHPに「メルマガからの転載」と断って上記の
小文をアップしている。「いい女」に目がない小生としては
いたく興味があったので覗いてみた

ブルースカイ「いい女の法則」)。参照

案外(?)真面目な、結構ボリュームのある連載ものだったようだ
(その中の抜粋)。
秋人というハンドルネームのカメラマン(自称?)のエッセイ群だった。
転載時にすくなからぬ編集がなされてあることを視野に入れながら、
私なりにまとめて見ると、いい女の条件とは、

  1.Hが上手なこと。

  2.料理が上手なこと

  3.男に積極的であること

  4.男に批判精神を持てること

  5.身だしなみに気をつけていること

  6.太らないこと

  7.スカートであること

なんだ、いいたい放題ではないか、と思うけれど、
グラビアの女性専科であるとおっしゃる秋人氏は、当然ながら
女にはもてるのであろう。その他にも、

  8.自立していること

  9.男と対等にする

  10.自分に自信を持つ

  11.セクハラなど意に介しない

  11.年収は800万円以上

などなど、実に細かい。これでは「いい女」ならぬ、スーパーウーマンでは
ないか。氏は何を女性に求めているのか。

  男として最高の希有な環境の中で経験を積み重ね、
醸成された氏の異性の見方は、当然ながら尊重に値するものなのだろう。
まことに羨ましい限りだけれど、もちろん、氏自身も言っておられる通り、
こんな女性は滅多にいないのであって、男としても、それに釣りあった
(一流の)男性でなくては、こんな理想の女性にアタックする勇気など
もてるわけもないだろう。つまりは絵に書いた餅というところか。

  もちろん氏自身もそれを承知で、理想論をぶって
おられるところが痛々しくも感じられる(一流男性秋人氏は、
ついに、このような「いい女」を獲得できるのだろうか?いや、多分……)。

いい女、絵そらごとに過ぎないと言ってしまえば身も蓋もないわけで、
秋人氏なりの具体的なイメージを創造して、それなりの満足感に
ひたってるといったところだろうか。
私がせっせと理想の女性を物語に具現しているのと
良く似た作業なのかもしれない。

 

  話は変わるけれど、芸能界のいい女の代表格
HITOMI」と「内田有紀」が結婚したという。それぞれにこの
業界では珍しい、個性的な純愛の末の結び付きであると言われる。
圧倒的な美女であり、私の好みでもあったお二人だけれど、
イメージとしては、純愛には結び付かない、派手で妖艶な女という
感じがあったし、それだけに今度の結婚は意外だった。

  もちろん、純真無垢でひたすら真面目な実人生を
経営しているこの私が、このようなHPを開いていることもある。

事実は小説より奇なり

案外、意外性が世界の真実なのだろう。

 

(53)交通標識など

20年来同じ道を車で通退勤している。
片道ほぼ10Km、遠い気はしない。
ちょうど良い距離(お互いの世界の気分転換に)だと思っている。

変なことがある。

途中、すれ違いに難渋する、民家の密集する間の
曲がりくねった狭い道路を通過せねばならない。
その間およそ100メートル超。
その道は、JRの定期バスの路線道路でもある。
通学路でもあるので気を遣う。
もちろんバスが道の全幅を使って、両側ぎりぎりで進んでくる時は、
後退するか、退避コーナーで停止して待つことになる。

大抵は徐行するのが普通なのだ。
飛ばし屋を自認する私も、さすがにスピードを落とす。
前方のコーナーを常に注意しつつ、
精々が20Km/時くらいで通過する。
バスはいつも徐行している。

しかし、である。
驚いたことに、この道は制限時速40Km
はっきりとその標識が道端に掲げてある。

とてもその速度は出せない。

そこからしばらく行ったところで分岐するバス路線外の道路、
なかなか見通しの利いた広い立派な道がしばらく続き、
私はそこで鬱憤を晴らし、7,80Kmで飛ばすこともあるのだけれど、
そこは制限時速30Km!。

つかまったら免停疑いなしだろう(30Km超?)

もちろん道路を走るのにいつも、制限速度一杯まで
出さねばならないというものでもないのだが。

何か変だ、という気がしている。

  (52)プチ・モラル

 

  うちはモラルが低いのだそうである。いや、
私が勤めている某カンパニー、ゲッゼルシャフトでのことである。
モラルを向上せよ、とのお達しがあった。
そのきっかけを聞くと、「外部からの客への社員の
応接がまず
」かったからということだそうである。

  さもありなん。女子社員の電話対応などの講習は
最近あったけれど、社員そのもののその種の訓練は、
以前から皆無である。もちろん社員規範などの具体的な文書は
存在しない。今回、訓令のような、枝葉末節にかかわる書類が
回っていた(曰く朝礼には参加せよ、着帽せよ、曰く名札を付けよ、
曰く便所を汚したら掃除せよ、云々、云々……
)けれど、文書に
あることだけ守れば社内のモラルは向上したといえるのか、着帽の
範囲は?、名札以外に付けるものはなかったか?他にも守るべき
ことはないのか?。つまりは常識(良識だろう)で対応せよ、
とのことであるらしい。

  社員の良識とは何か。利益団体であるわが社で
(他の会社も似たりよったりだろうけれど)会社を儲けさせれば良い、
という、それが最大で唯一の良識だった。いまでもそうである。
だから、環境への対応など、ちょっと難しい局面では、随分混乱がある。
どうでもいい、という面が沢山あって、お座なりになっている。トップの
方で異なった哲学に対応できる頭がないのだろう。名札の他にも、
いくつも付けねばならないバッジのようなものがあって、なぜつけねば
ならないのか、判然としないまま何年間も漫然とつけている。当然
つけていない人間も出る。幹部社員でもばらばらである。
着帽にいたっては、守っている人間のほうが少数派である。

 

  会社社会でのモラルというのは、いちにかかって
伝統なのである。つまり、社員は皆先輩社員を真似て、彼等の持つ
レベルから外れないようにしているということだろう。先輩社員は、
創業者であるか、歴代であるか、ともかく社長の真似をしてきた
はずだ。もちろん、会社として示す具体的な規範があれば、
それに従うのが普通だけれど。

  要は、トップ・ダウンの最たるものが、モラルと
いうものなのだ。そして、その伝統のない会社でこれを根付かせるのは、
相当の覚悟なくしては難しいことだろう。幹部社員から規範に外れる
行動を日常しているようでは、部下に当っても直るはずはない。
彼等は皆、部下、社員全員の規範として身を処さねばならないのだ。

 

  「常識」だろうけれど、かような一片の書類ですぐ
モラルが向上するはずはない。本意気でモラルを向上させたいと
考えているなら、そして、幹部社員はこれまで通りやりたいのなら、
理路整然とした規範文書を作ると同時に、社長室、管理棟を
隔離させることだ。社員は幹部連中の写真だけを見ることに
すればいい(北朝鮮のように)。

 



1.コンテンツについて

 

  安直に「読後感想」ばかりを続けたので、
ちょっと初心に帰りたい。「激白」もちょうど50篇の切り番を越えて、
1篇/2週のペースを取り戻しつつあることでもあり、ま、個人的な、
ローカルなことを書き殴るのにはいいタイミングであろうと思う。

 

  激白」とは本来、赤裸々な自己告白のことだろう。
しかし、なかなかひとは赤裸々にはなれないものなのである。
かくいう私自身もそのとおり。自己告白は、やはり赤裸々でなくては
意味をなさないものだ。もっとも、赤裸々になったはいいが、
なってみたら醜いばかりで何の内容もなかった、というのでは
しゃれにもならない。いや、芸術、あるいは芸術家(もちろん私が
そんなもののかたわれだというのでは全くないのだけれど)
というものは、本来そういったものなのかもしれないと
私は最近思いはじめた。

  作家というのは、物を作るから作家なのであって、
作家からその作物を取ってしまったら、あとには何も残らない
ものかもしれない。
もちろんそれが悪いというのではない。それが当然なのであり、
作家は百パーセント作物で勝負しなければならない運命を持った
生物なのである。
あの作家は、なかなかいい作品を作るのだけれど、
人柄がどうも……、とか言われるのは、その作家へのこの上ない
賛辞ととっていいのだろう。この場合、「いい作品」の内容が問題
なのだろうけれど、たとえば、悪人のことを見事に書き尽くして、
読者に感銘を与えるということもある。作家は「見事に書き尽くした」
ということに対して賛辞を受ける権利があるのだろう。
これは誰にでもできることではない。
悪人たちの代表として、見事にその
メッセンジャーとしての任を全うしたということだ。
悪人、とまではいかなくても、作品には敬意を表するが、
どうも、日頃の彼とは付き合いたくない、と言われる芸術家は、
さほど珍しいものではない。

  空想の産物(である人間模様)で成り立つ小説
というものをつくる作家の場合、その人柄と作品の善し悪しとは
本来関係ないものなので、人柄が作品に影響することは、
当然あるにせよ、逆に、影響させないように、意識的に頑張って
いる作家もまた数多いだろうと思うのである。
何故か?と言われるか。
それは、作中の人物が善人ばかりで成り立つ小説は余りない
ということから拝察願えるだろう。

 

  ここまで書くと、聡明なる読者は、ハハア、
おまえは、自己弁護を始めたのだな、と思われるだろう。
その通りなのだ。
始めた、というのではなく、もともとこの欄を作る
にあたって(去年の七月に)意図したことが(いや、意識しなかった
のだが)多分、そんなことだったのだ。
つまり、私のコンテンツの大方が非常に好色で刺激的、
かつ殺伐として汚れていることの中和剤として、
バランスを取るためのページとしてスタートした面があり、
それに便乗して、私(の鬼畜的な骨柄?)に対する見方も、少しは
変えられるかもというような卑小な期待も、なくはなかったことは
認めねばならない。

 

  しかし、その意図は見事に裏切られた。
私は既に(作品の中で)何もかもあらわに見せて終っていたし、
小手先の細工物でその確固たる印象を変えることなど不可能
だったのだ。そして、それは、訪問者諸氏のこの欄に対する冷淡さ
からもうかがい知ることは出来る。アクセスカウンターは、訪問者
全体の2%(1724/88880
  11/27現在)しかこの
ページを開いていないということを示している(注・5000からスタートした=
コンテンツ全体の5%がここの情報量であるに係わらず……)。
やはり、私の狡猾な意図に、皆は本能的にうさんくさい物を
感じたのだろう。

 

  確かに、私自身、多くの小説家が、例外はある
にせよ、その小説の雰囲気にも似つかわしくない人生論をぶったり、
さして面白くもない随筆を綿々弁々書き並べたりという昨今の
風潮にはどうも親しめないでいる。もちろんそれら(の芸)が、
また、うまい作家もおられるが、多くはないようだ。小説と
随筆とは別の才能なのだろうと私には思える。喩えとしては
うまくないけれど、美少女アイドルが下手な歌を唄わされるのと
似ていないこともない。

 

  もちろん、作家がまた素晴らしい音楽家だったり、
サッカー選手(しゃれではない)だったりするのは、一向にさしつかえ
ないないのだろうけれど、それによって作物自体の値打ちが更に
高まるということはないはずだ、と思う。これも喩えとしては唐突
だけれど、例えば、大江健三郎氏がノーベル賞を貰ったところで、
彼の小説の価値が跳ね上がるなどということは、あるはずも
ないのである。もっとも、原稿料が高くなる(従って彼の
著書の値段があがる)ということはあるのかもしれないけれど。

 

  結局、小説家は、当然ながら小説で勝負しなければ
ならないのであり、私も、やっぱりメインコンテンツを充実することに
努力を傾注していこうと思う。以前に比べて、確かに更新の頻度は
落ちている。しかし、出し惜しみする理由はない。私が書き溜めている
作物はなおこのHPに出しているもの(小説に限って言えば)と同数量あり、
まだ一年以上このペースでも枯渇することはない筈だ。
新しいものを書いていくペースが(ネット活動のせいで)落ちていることは
確かだけれど、それも、貧すれば何とやらで、心配はないのかもしれない。
要は(続けられる限り)書き続けることだ。

 



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