これは一本松から
陸のほうに向いた景色です



眼鏡型潮止め水門と言い
端の壊れた部分は
昔はL字型になっていたそうです


この水門の向こう側は
大川と大原川の二本の川が合流しています









昔そこには波根湖がありました

「昭和18年」に干拓が始まり
「昭和26年」に干拓事業は完成しました

波根湖は54ヘクタール
甲子園球場13個分の
水田に干陸されました
戦後日本初の干拓事業だったそうです

実はこの松は二代目なんです

初代一本松は
「昭和51年」に枯死してしまいました

当時猛威を振るった松くい虫の被害にあい
長く愛されてきた
一本松は枯れてしまいました、、、


町民の強い希望を受けて
有馬和吉氏が見事二代目一本松を
復活されました
「昭和52年4月」のことでした

ありし日の一本松

「平成16年」台風18号によって
一本松は倒れてしまいました

「掛戸松島」は鎌倉時代に
有馬次郎左衛門一政によって
開掘されました

当時「波根湖」は増水期になると
氾濫しており

湖水の水を日本海に
疎水するために開掘されました

長年の波による侵食で
当時とは随分
形が変わってしまったのでしょうね

昨年の「平成16年」台風18号の
暴風によって「掛戸の一本松」
と呼ばれ親しまれた松の木が
倒れてしまいました!

まだ枯れてはいないのですが
海の中に聳え立つ松島は
容易に近づくことができません

一刻も早い復旧を望んでいます