の文章は1990年代前半に、あっくんがとりとめもなく書いたものです。その時は、インターネットで公開する気など全く無く、文字通り日記のように書きました。そのデータが、偶然出てきたフロッピーに残っていました。今読み返すと、変に文章が固かったり、恥ずかしかったりしますが、昔の自分に出会えたような気がして妙にうれしい(^^;

あっくん帝国公開記念に掲載します。


そして伝説へ…


澄み切った師走の青空だ。長い長い旅の終わり、ついにその日は来た。
 

1990年12月23日 有馬記念(GI)

4枠8番オグリキャップ、鞍乗は武豊。オグリの勝負服には青い帽子がよく似合う。この日、中山競馬場には有馬記念史上最高の18万人近い観客が詰めかけていた。天皇賞、ジャパンカップと惨敗したオグリキャップは、ホワイトストーン、ライアン、アルダンのメジロ2騎に次ぐ4番人気。各専門紙もオグリには◎はおろか△もほとんど打っていない。連続単枠指定記録(ジャパンカップは除く)も13でストップした。引退を花道で飾ることはめったにできないものだ。あのルドルフでさえ、無理な海外遠征がたたって、尻すぼみの最後だった。オグリ自身は自分の最後のレースであることを知っているのだろうか…

「ねえ、本当にオグリはもうダメなの?」

若い女性が彼氏にすがるように聞いている。彼氏は無言で出馬表に目をやる。

「こいつは記念馬券や。勝っても負けても記念に取っておくんや!」

発売窓口で出会った中年の男性はこう言って9R単勝8番2000円の馬券をポケットにしまいこんだ。

パドック。一年の掉尾を飾る16頭が姿を見せる。天皇賞馬ヤエノムテキ、宝塚記念馬オサイチジョージ、無冠の帝王ライアン、アルダンのメジロ両2騎、ジャパンカップ日本最先着馬ホワイトストーン、オークス馬エイシンサニー、エリザベス女王杯馬キョウエイタップ、古豪ランニングフリー、リアルバースデー、ミスターシクレノン、ラケットボール、サンドピアリス、カチウマホーク、オースミシャダイ、ゴーサイン。

グランプリにしては少々寂しいメンバーだ。ダービー馬アイネスフウジン、菊花賞馬メジロマックイーン、桜花賞馬アグネスフローラ、そしてスーパークリーク、イナリワン。どれも故障で回避、あるいは引退してしまった。オグリが体調万全だったら、このメンバーなど敵ではない。1年前のマイルチャンピオン、ジャパンカップの連闘が悔やまれてならない。あの命を削った激走さえなければ、こんなにどん底であえぐことは絶対になかった。

「オグリー、がんばってー!!」

女性の悲鳴にも似た叫びが聞こえる。心なしかパドックのオグリは元気がない。いやそのような先入観で見るからそう見えるのだろう。そう信じよう。

「ぜんぜん走っとらん。疲れてもいないようやし、こいつが喋れるんならワシが聞きたいくらいや」

ジャパンカップ11着後につぶやいた池江厩務員のこの一言に一縷の望みがある。天皇賞、ジャパンカップと凡走したため、逆にオグリの脚はこの有馬まで温存されている筈なのだ。たとえ全盛時の走りには及ばないにしても、オグリほどの馬だったら、このメンバーならなんとかなる。あとはオグリ自身の闘争心に火がつくかどうかに掛かっている。

「楽しく走ってこい。ビリでもいいからな。但しケガだけは絶対にするな!」

オグリの背中にそうつぶやいてパドックを後にする。

本馬場入場。各馬に思い思いの歓声が湧く。

『4枠8番オグリキャップ』

この場内アナウンスに一際大きな歓声が湧いた。ものすごい大歓声だ。この歓声に驚いたヤエノムテキが放馬した。茫然とする名手岡部。各馬とも入込みが激しい。そんな中でオグリキャップだけは悠然としている。他馬とは踏んできた場数が違う。池江厩務員の手を離れる。何度もハミを噛み直しながら返し馬に入っていく。これはあのタマモクロスが大レースによく見せていた癖だ。さてはオグリ、この大歓声に闘争本能が蘇ったか!? 私自身もオグリに少しでも有利な材料を見つけようと必死だ。

噂以上の強さを見せつけた中央デビュー戦のペガサスステークス。クラシック登録が無かったために出られなかったダービーの無念を知っていたのか、ニュージーランドトロフィでの圧勝。初めて自分より強い馬がいることを知った天皇賞(88年秋)。その馬との最後の対決で見事勝ち取ったグランプリの栄冠。武豊の見事な騎乗に惜敗した89年秋の天皇賞。その武豊を絶対不可能な位置からハナ差差し返したマイルチャンピオンシップ。連闘で闘わされ、しかもそれを命燃やし、不動の世界レコードで駆け抜けたジャパンカップ(89年)。その反動で体調を崩し、ファンの悲鳴とともに馬群に沈んだ有馬記念(89年)。昨日の敵は今日の戦友(とも)、武豊を背に無敵の強さを見せつけ復活した安田記念(90年)。そして、誰よりも早く走ることの楽しさを忘れてしまった90年の秋…

走馬灯のようにオグリといた瞬間(とき)が蘇ってくる。そしていよいよファイナルランの瞬間が迫ってきた。

スターターが台に上がる。中山競馬場にこだまする1990年最後のGIファンファーレ。期せず沸き起こる大歓声。入込みが激しいヤエノムテキから先にゲートインが始まる。なかなか入りたがらず、尻っ跳ねを繰り返す。

"何でオレがまた走らなければいけないんだ!? オレは天皇賞が最後だと思って頑張ったんだぜ"

いやがるヤエノムテキを係員が無理やり押し込んだ。オグリは4歳時に見せた"さあヤルぞ! "という武者ぶるいは最後まで見せずに、おとなしくゲートに納まった。

ゲートイン完了。

「オグリ、なんでもいいからケガだけはするな!!」

ガシャッ!!

気持ちの整理がつかない私を尻目にゲートが開いた!

ミスターシクレノン、オースミシャダイが僅かに出遅れる。オグリはどうだ!? きれいにスタートしたようだ。無理なく馬群の中段につけている。先頭はオサイチジョージがとった。2番手に掛かったヤエノムテキ。逃げると思われていたミスターシクレノンが出遅れたため、信じられないようなスローペースになった。体調不備のオグリにとって、このスローペースは大歓迎だ。1周目のスタンド前、大歓声が起こる。この大歓声とスローペースに1番人気ホワイトストーンが引っ掛かった。鞍乗の柴田政人は抑えるのに必死だ。

目の前を走るオグリの位置どりを見てハッとする。淀みない馬群の中段やや外側、この位置は2年前の同じ有馬、4歳だったオグリが、岡部を背にタマモクロスを下した時と全く同じ位置どりだ。GIクラスの馬を相手にしたとき、馬群をさばくときにやや手こずる脚質のオグリにとって、最ももまれにくいベストポジション! 武豊、あのレースを何度も見て研究していたか!?

「これはひょっとすると、ひょっとするぞ!」

ケガばかり気にしていた私だが、このとき思わず身を乗り出した。

2コーナーを回った向こう正面、あいかわらずオサイチジョージがマイペースで逃げている。この馬にとっては、願ったりのスローペースだ。スタミナ自慢のランニングフリーやメジロライアンはこのスローペースをもてあましている。こういう典型的なステイヤーはこのペースでは持ち味を発揮できない。キョウエイタップやサンドピアリスといった牝馬達は、徐々に遅れだす。やはり牝馬にとって、2500mの距離はきつい。このとき、馬群に大きな変化がおこった。出遅れたミスターシクレノンが一気にハナを奪った。シクレノンにとってはイチかバチかの賭けだ。これでオサイチジョージの目論みが崩れた。

3コーナーから4コーナー。ミスターシクレノンが捨て身の逃げを討つ。急にペースが早くなった。悲鳴のような歓声が上がる。オサイチジョージ、メジロアルダン、リアルバースデー、そしてオグリキャップ、脚を溜めていた各馬がここが勝負所と踏んだか、一気に仕掛けてきた。器用な脚を使えないメジロライアンはここで僅かに後手を踏んだ。

さあ4コーナーを回って中山の直線はゴールまで300m。先頭アルダン! 一瞬河内アルダンがハナを奪うが、リアルバースデーとともに急に失速する。アルダンはレース間隔を大きく空けたのが裏目にでて、前走時と比べて馬体が16kg増! 明らかな調整失敗だった。後でわかったことだが、リアルバースデーはなんとこのとき骨折していた! 変わって先頭は再びオサイチジョージ。外をついて、来た! オグリが来た!! オグリキャップが一気に先頭に立った!!! 大歓声が湧く。オグリが懸命に走っている。彼の闘志は燃え尽きてはいなかった! オグリキャップ最後のがんばりだ。走れ、 オグリ!走れ!! 18万人の歓声が後押しする。残り200mを切った。オサイチジョージもがんばっている。最内を突いてホワイトストーンがすごい脚でやってきた。引っ掛かったストーンを最内につけた柴田政人の好判断、一気にオサイチをかわした!そして、大外一気に、ライアン来た!ライアン来た!!ものすごい末脚で突っ込んで来る。スタミナ自慢の本領発揮だ。ストーンとライアン、4歳の2騎がオグリに襲いかかる。しかし交わせない。先輩のオグリキャップが交わさせない!

"いいか、よく見ておけ。これがオレの最後の走りだ!"

自らの蹄鉄をも吹っ飛ばして、オグリが走る。命燃やしオグリが懸命に走る! オグリ先頭!!

オグリキャップ栄光のゴールイン!!!

オグリ1着! オグリ1着!! オグリ1着!!! 武豊左手を上げてガッツポーズ! 18万人の絶叫が中山競馬場を揺るがす。

「オグリッ!オグリッ!オグリッ!」

歓声はいつしかオグリコールになった。日本競馬史上始めてのコールだ。誰もみな興奮を、感動を隠せない。飛び上がってジャンバーを振り回す青年、ガッツポーズでターフビジョンを見つめる中年の男性、ワッと泣きだす女性…

「やったオグリ!オグリーッ!」

よく覚えていないが、私も叫んでいたようだ。

「見事に、引退の花道を勝利で飾りましたっ!スーパーホースです。オグリキャップ!さあ、みなさんも一緒にオグリコールをご唱和くださいっ」

場内アナウンスも我を忘れて、この感動を伝えようとしている。

オグリが場内を一周してスタンド前に帰ってきた。さあウイニングラン!

「オグリッ!オグリッ!オグリッ!」

一段とオグリコールが大きくなった。何度も拳を突き上げてこたえる武豊。

"どうだ、オレは勝ったぞ"

オグリも誇らしげに胸を張って駆け抜ける。笑顔で迎える池江厩務員。勝ち時計は2分34秒2。昨年のイナリワンのタイムからは3秒以上も遅い。やはりペースは超のつくスローペースだった。しかしそんなことはどうでもいい。オグリは勝ったのだ。奇跡が起こったのだ。そう、なんという奇跡だろう。

ヤエノムテキの放馬。出遅れた先行馬ミスターシクレノン。そのためのスローペースに引っ掛かったホワイトストーン。同じくスローペースに折り合いを欠いたメジロライアン、ランニングフリー。出遅れたミスターシクレノンに競りかけられ、ペースを崩したオサイチジョージ。馬体調整に失敗していたメジロアルダン。骨折していたリアルバースデー…

オグリ以外の有力馬には全て何らかの不利やアクシデントがあった。そしてなによりもその中を、体調不備ながらソラを使うこともなく、一所懸命に駆け抜けたオグリキャップ。まさに千載一遇のチャンスをものにしたのだ。これを奇跡と言わずしてなんと言おう…

 

その感動、褪せることなく…


もうあの日から数年もの歳月が流れているが、今でも昨日のことのように思い出すことがある。後に井崎脩五郎氏もこのように回顧している。

「今でもあの日の出来事は夢じゃなかったのかと思うことがある。あのレースはまさかということが幾重にも重なって起こったレースだった。オグリキャップが強い馬であることはみんな知っていた。しかしオグリが体調万全でないこともみんな知っていた。〜中略〜 もうオグリ以外の馬たちに次から次へと不運が重なって、夢のような勝利がオグリに転がり込んできた。オグリみたいに一所懸命ないいヤツにあのような花道が用意されていて本当によかった。世の中まだまだ捨てたものじゃない。頑張れば夢は叶う。あの歓声はこんな思いが一つになったものだったんだろうなあ。一生忘れることはないと思う」

同感である。私も一生忘れることはない。オグリが我々に見せてくれたのは、生命の躍動だった。言うまでもなく彼は一頭の馬である。生まれながらにして走ることを宿命づけられたサラブレッドである。我々は時としてサラブレッドの走る姿に、ギャンブル以上の何かを見ることがある。シンボリルドルフの無敵の強さに自分にはできないことに対する尊敬と驚異を覚えた。ミスターシービーの栄光と挫折に自らの青春の影を重ねた。しかしオグリキャップはそのどちらでもない。なぜ他のどの馬よりも彼が一番好きなのだろう。彼が引退した後も、なぜ毎年彼に会うために新冠まで足を運ぶのだろう。長い間その理由をうまく言葉にすることができなかった。

ある時、散在するオグリキャップ関係の書籍の中に、オグリの魅力について問いかけられた武豊のこんな言葉を見つけてハッとした。

「普通の馬なんですけどねえ…」

「えっ!?」

「馬はみんな走ることができるんです。他の馬たちよりも早く走ろうとする本能と能力はどの馬にもあります。オグリだけが特別なわけじゃない。だからオグリはそんな普通の馬の代表だったと思うんですよ」

幼いころから多くの馬と接してきた彼がこんなふうに言った。偶像崇拝とも言える巷のオグリキャップ賛歌に流されることなく、この青年は"普通の馬"と言った。この言葉を聞いたとき、どうしてオグリがこんなに好きなのか、はっきりとわかった。オグリキャップは友達なのだ。どんなときも決して裏切ることのない、心からつきあえる普通の友達なのだ。だから懸命に走る彼の姿から目が離せなかったのだ。前脚が外向して生まれてきたため、自分で母乳を飲めなかった彼は人間に支えられて育ってきた。だから彼は人間を信頼しているのだろう。だから我々も彼が大好きなんだろう。こんな素敵な人と馬とのふれあい、彼と出会えて本当によかった。心からそう思う。

元気かいオグリキャップ、また今年も会いに行くからね。のんびり長生きしてくれよ…


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