初夏の思い出


1988年6月5日、競馬の祭典日本ダービーが終わって一週間が過ぎた。この年の春のクラシックも終わり、GIは来週の宝塚記念を残すだけとなった(当時はダービーの2週後が宝塚記念)。皐月賞は伏兵ヤエノムテキが、大混戦のダービーはサクラチヨノオーがメジロアルダンの強襲を振り切って制した。そろそろ夏競馬の季節、当時夏競馬は府中では発売されなかったので、何となく寂しさを感じる季節だった。そんな時、競馬ファン(正確には関東の競馬ファン)の間で、ある噂が流れていた。

関西に強い4歳馬(現3歳馬)がいるという。地方競馬の笠松からやってきたこの馬、皐月賞を制したヤエノムテキを子供扱いしたと聞く。クラシック登録が無いためダービーには出れなかったが、もし出ていれば間違いなく勝てたという。その馬が今週、初めて関東にやってくる。当時この馬の強さを知っていたファンは、声を揃えてこう呼んでいた。

シルバーメタリックの重戦車、その名はオグリキャップ

 

第6回ニュージーランドトロフィー4歳S 東京 芝1.600m(GII)

これほど位置付けの変わるレースも珍しい。元々このレースは「断念ダービー」といった意味合いで、ダービー当日の前座レースとして行われていた。つまりトライアル等で敗れ、ダービーに出れなかった4歳馬達が出走するレースだった。これがグレード制が導入されGIIになってから、はじめからダービー出走資格の無い外国産馬が主流を占めるようになってきて、春の4歳マイル王決定戦といった様相を呈していた。この流れが2001年現在ではNHKマイルカップに受け継がれ、ニュージーランドT自体はそのトライアルになっている。

この日初めて生で見るオグリキャップ、パドックで厩務員が抑えきれないくらいに引っ張る。やんちゃな馬だ。顔に注目すると貧相なしゃくれ顔(爆)、お世辞にもいい顔とは言えない。テレビではもちろん、デビュー戦のペガサスS(現アーリントンC)から見ていたが、生で見ると迫力が全然違う。誰の目にも明らかだった。これは間違いなく走る。当然の一番人気。

ゲートインの時、オグリが立ち止まった。あれっ、ゲート入りを嫌がってるのかな?初めて生で見るあっくんには、これが何なのか分からなかった。ファンの方なら、この時あっくんが何を見ていたのかお分かりでしょう。4歳当時のオグリには、ある癖があった。ゲートイン時に必ず立ち止まり、「行くぜ!」と言わんばかりに、ぶるぶる首を振る。笠松の安藤勝巳騎手の話では、3歳時からこの癖はあったらしい。

なんという勇ましい癖!

残念ながらオグリが古馬になったら、この癖は見ることができなくなったが...

オグリはスタートがうまくないことは、テレビを見て知っていた。ゆっくりと馬群後方につける。アイビートウコウがハナをきる(←確かこの馬、ホスピタリティの子供だった)。その後にリンドホシ、ダイワダグラス、ハヤブサモン。トマムの後ろにオグリがつけ、向こう場面を流れる。緩みの無いたんたんとしたペース、4歳のレースにしてはハイラップだ。

3コーナーを回った大けやきの向こう、オグリが徐々にポジションを上げはじめる。残り600mで馬なりで4番手まで進出、この時オグリの勝利を確信した。後は直線でどんな競馬を見せてくれるか?

4コーナーを回った府中の直線、各馬いっせいにムチが入る。坂の上りにかかった時点で、オグリが馬なりのまま先頭に立つ。思ったとおりだ。この馬は強い!.....えっ?
圧巻はここからだった。2馬身、3馬身...1間歩ごとに他馬との差が開いていく。しかもオグリは馬なりのまま!必死にムチを振るう他馬がこっけいに見えるほどのギャップだ。追っていない!鞍上の河内の手は手綱をしっかり抑えたまま、ピクリとも動かない。

何だあ〜っ、この馬!?

結局最後まで一発のムチも振るうことなく、馬なりのままでゴールイン。2着のリンドホシにつけた着差は7馬身!強いなんてもんじゃない、怪物だ!
着順掲示板に目をやる.....!!

1分34秒0

この時の衝撃は今でも忘れない。3週間前、同じ条件で行われたGI安田記念の勝ち時計をコンマ2秒上回っている!つまり当時の現役最強マイラー、ニッポーテイオーの記録を馬なりのまま、関東初見参の4歳馬が上回った!

なんちゅー奴じゃ!

体の震えが止らない。何でこの馬にクラシック登録がないんや?皐月賞への東上最終便毎日杯、ダービーへの東上最終便京都4歳特別、完全に征しても歩めなかったクラシックロード。やむなくやってきたニュージーランドT。そこで、

「真の最強馬はオレだ!」

と言わんばかりの圧勝!まさに彼に魅せられた瞬間だった。

この時、怖いもの知らずの「若僧」だったオグリキャップ。この後、2年半にわたる激闘の始まりだった。伝説が幕を開けた1988年の初夏、アツい一日の思い出。


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