錦眼鏡余話8:No294
沖縄本島への旅:その6 

いよいよ沖縄の旅も終わりに近づいてきた。

 
途中、「沖縄北」で高速へ登り、
ずっと南下して南風原(はえばる)南で降りた。

 
さらに道を南下して「平和の礎(いしじ)」へ向かった。
道はほとんど1本道なので、運転しやすかった。
 
Iさんの話によると、
このまますぐに「平和の礎(いしじ)」へ向かうと、
食事をする場所がないということなので、
途中で昼食を食べていくことにした。
 
賑やかなお土産兼食事処があったので
誘われるまま駐車した。
私は焼きそばを注文した。
お水とおしぼりが出てきた。
お水はただだった。(昨日の食事処を思い出した)

 
注文の品が出てくるまで、店内のお土産を見てまわった。
「紅いもタルト」をお土産にしようと思った。
でも、この店で買うと、ずっとお土産を持ち歩くことになるので、
最終日に那覇市の繁華街で買うことにした。

 
食事処で十分休息したので、
沖縄南部の観光へ出発した。
最初は「平和の礎」、それから「ひめゆりの塔」、最後に「工芸ガラス村」だ。

 
「平和の礎」は平日だったのか、ほとんど人がいなかった。

 
 
沖縄戦で死んだ人たちの名前が刻まれていた。
たくさんの民間人が逃げまどい犠牲になったようだ。
辛い重たい沖縄の歴史だ。
Iさんと言葉を交わすことなく黙って、平和祈念資料館へ向かった。
 
私はまっすぐ図書館へ行った。
Iさんから聞いた絵本「つるちゃん」(金城明美)があった。
書庫の前の絨毯の上に腰をおろし一気に読んだ。

 
涙が自然と出てきた。
涙を流しながら。。。最後まで読んだ。
途中で、お父さんが爆弾で死んだ。
一緒に逃げまどった姉ちゃんが
「この場所を覚えておくんだよ。」
と、つるちゃんに教えた。
その姉ちゃんも傷がもとで死んでいった。

 
幼い「つるちゃん」が生き残ったことは奇跡に近いと思った。

 
次の訪問地、「ひめゆりの塔」へ行った。
ここもまた、沖縄の辛い歴史があった。
忘れてはならない日本人の歴史が刻まれていた。
参観者は皆、黙って展示物を見たり読だりしていた。

 
入口で、懐かしい花を見た。
棚の上を這って、たくさんの大型の花を咲かせていた。
「ベンガルヤハズカズラ」
小笠原で仕事をしていたとき、
橙色の可愛いヤハズカズラが林の縁などに
咲いていた。
ところが、中学校裏の繁みを覆いつくすように咲いていたカズラがあった。
大型の花をもつ「ベンガルヤハズカズラ」だった。
薄紫の花だ。
 
ひめゆりの塔の慰霊塔の横で、
Iさんと私は陽の日差しを浴び。。。
しばらく言葉もなく佇んでいた。

 
 
繰り返してはならない
重い歴史を胸に刻んで。。。次の観光地へ向かった。

 
「琉球ガラス村」
ガラス製品をつくるところを直に見ることができた。
ガラスが柔らかいうちに手を加えて、製品にしていく職人の熟練した技を見た。
 
 
ガラスの
熱いうちが勝負のようだ。
ハサミで熱いガラスを切ったら継いだリしている。
隣のガラス製品を売る売店へ足を向けた。
出来上がった作品は素晴らしいものだが、
手の出ない値段がついていた。

 
「琉球ガラス村」から那覇は近かった。
那覇市内へもどり、最後の宿泊ホテルに無事到着した。

 
最後の日は、那覇市内の繁華街をよく歩いた。
なかでもマーケットがおもしろかった。

 
最後、
この旅行中ずっとお世話になったレンタカーを返しに行った。
そのあと、レンタカー会社のマイクロバスで那覇
空港まで送ってもらった。

 
帰りの飛行機の中で、空港の売店で買ったお弁当を食べた。

 
昨夜、那覇のホテルの売店で、キャリーバッグを宅急便で送ってしまった。
最後の日は、貴重品を入れたリュック1つの身軽さになった。

 
縄本島の旅は、初めてレンタカーを借りての旅だった。
慣れない場所と、カーナビが若干古かったために運転に苦労した旅だった。
 
残念ながら、写真は期待したものが撮れなかった。

 
◇沖縄本島への旅
◇終わり