錦眼鏡余話8:No284
ミャンマー紀行:その10 
 
6日目(12月22日)の朝、
ホテルでは弁当でなく、朝食を用意してくれた。
とても、ありがたかった。
朝食を食べ終わると、コテージにもどりトイレをすませた。
 
リュック一つ、身軽になって、フロント前の船着き場へ行った。
舟はもうスタンバイしていた。
 
集合時間まで30分ほどあったので、
コテージと花の写真を撮った。
 
インレー湖のホテルに来る時と同じ1号舟に乗った。
朝の光の中、舟は飛沫をあげて全開で走り始めた。
私は最後尾(5番目)の椅子に乗った。
朝早いので、すれ違う舟もないためか、傘を広げる必要もなかった。
また、ダウンジャケットを着る必要もないくらい暖かかった。
 
約1時間半後、舟から降りた。
船着き場には、我々をヘーホー空港へ運ぶバスが待っていた。
 

ヘーホー空港からヤンゴンまでは、経由便でなく直行便だと知らされた。
ガイドさんから航空券をもらって、待合室でしばらく待った。
15分ほど待ってから飛行機に乗り込んだ。
 

ヤンゴンまでの所要時間は、約1時間10分だ。
適当な場所に座ると、隣の席に友人のIさんが座った。
 

ヤンゴンの空港に着くと、降りた人のあとに従って歩いた。
ターンテーブルに自分の荷物がすぐに出てきた。
外へ出る出入り口の前に
ガイドさんが待っていたので、
友人のIさんと何となく集まった。
 

皆がそろうと、すぐにバスに乗り込んだ。
途中、スーチーさんの家の前を通った。
厳重な警備がされていた。
また、公園のような場所にスーチーさんのおじいさんの銅像があった。
ガイドさんの説明では、
おじいさんはミャンマーの「建国の父」だそうだ。

 
ヤンゴン市内をしばらく走ってから、立派なレストランに着いた。
今日の昼食は「飲茶」(ヤムチャ)だった。
我々は団体だから、皆同じものが次から次へと出てきた。
お腹一杯になった。
 

昼食が終わって庭園を散策した。
 

バスに乗ってヤンゴン市街地へと入った。
はじめに、ボージョー・アウンサン・マーケットを見学した。
 
マーケットの中を歩き過ぎて疲れたので、
集合場所に指定された場所にあった長椅子に腰をおろした。
長椅子には、ヤンゴン市民の人も腰をおろしていた。
友人のIさんが疲れた顔をしてやってきた。
私の横が空いていたので、並んで腰をかけた。
 

マーケットでは、残したドルを意図的に使わなかった。
あとで、ガイドさんにお世話になったお礼にしたかったからだ。
 

マーケット見学の次は、
ティータイムだそうだ。
ティータイムの場所は、
「さくらタワー」だった。
「さくらタワー」は、マーケットから見えた。
近いので、皆で「さくらタワー」まで歩いた。
「さくらタワー」は、日本人が建てたそうだ。
見晴らしのよい場所で、
長々とティータイムの時間があった。
 

その後、
バスに乗って、夕食を食べるレストランまで移動した。
レストランはスーチーさんゆかりの家のようだった。
歴史的な
写真などが2階に掲示されているというので見に行った。
スーチーさんのお父さんは、会議中に軍人に射殺されたことが分かった。
 

夕食後、空港へ向かった。
トランクをあずけたので、
冬物の衣服を詰めたビニル袋と、リュック1つになった。
飛行機に乗り込む直前に、冬物に着替えておく必要があった。
 

ガイドさんともお別れだ。
ツアーの仲間達も、それぞれ散っていった。
我々を見送っていたガイドさんの周りに誰もいなくなったのを
確認して、
お礼を言うために近づいた。
特にトランクの鍵の件では、大変お世話になった。
残ったドル紙幣をいれた封筒を差し出したが、受け取ろうとはしなかった。
そこで、ガイドさんが腕に下げていた手提げバックの中に封筒を押し込んだ。
私は小走りに友人Iさんの後を追った。
 
手荷物検査も終わり、いよいよミャンマーともお別れだ。
ビジネスクラスだと特別の部屋で、出発時間までのあいだ、過ごすことができた。
この間に冬用の洋服に着替えることができた。
 
飛行機に乗りこんだ。
ミャンマー旅行は、ずいぶんハードな日程だった。
おかげで帰りの機内では、よく眠ることができた。
 
<ミャンマー紀行>