錦眼鏡余話7:No244
さくら、ありがとう
2013年(H25)の暮れも押し詰まった頃でした。
次女が、引っ越し先が決まるまで、
8畳の部屋で
暮らすことに
なりました。
寒い冬だったので、毎晩、湯たんぽを4つほどつくり、
2匹の猫たち(ルーとさくら)の居場所をつくりました。
次女が川崎のマンションに落ち着いた2014年(H26)9月20日、
最初にさくらが川崎へ移りました。
賑やかな猫だった「さくら」だったので、
いなくなったら急に
家の中がさびしくなりました。
それから、
ひと月ほどして、ルーも川崎へ移ることになりました。
私も、一緒に川崎へ行くことにしました。
さくらに会いたかったからです。
2015年11月7日、ミーヤがとうとう死にました。
21年1ヵ月、よく頑張ったね、ミーヤ。
ミーヤは、心の優しい穏やかな猫でした。
さくらが再び我が家へ。。。
2015年(H27)12月19日。
さくらの副鼻腔(ふくびくう:ふくびこう:鼻から目の後ろにある)に
腫瘍ができたらしい。
そのため、鼻血が流れ出るようになったのです。
鼻血の出ないときも、鼻をいつもグズグズさせている猫でした。
暮れから正月、
外出することが多い次女が
さくらの面倒を十分に看ることができないのであずかってほしいと。
ミーヤがいなくなり、
家の中にはまだミーヤのものがいっぱいあったので引き受けました。
2016年(H28)1月5日、次女がさくらを引き取りにきました。
「さくら」も、すっかり我が家にも慣れたころでした。
電話で、次女から「さくら」の鼻血がひどいことを聞くと、
妻も私も我が子のように心配しました。
4キロ近くあった体重も、2キロを切ったことを聞くと、
今、会っておかないと、
もう1度「さくら」に会うことが出来ないのではないかと思いました。
2016年(H28)4月2日、
妻と私は、
とうとう「さくら」に会いに川崎の娘のマンションへ行きました。
「さくら」のからだがひと回り小さくなったようです。
自分のハウスに
静かに座っていました
。
食欲もないそうです。
私が胡坐をかいて、膝をポンポンたたいて
「さくら」と呼ぶと、
ハウスの中からさくらが起き上がり、私の膝の上へ乗ってきました。
この暮から正月、私の膝のぬくもりが好きだったのです。
膝の上へのった「さくら」を優しく包みこんであげました。
胸に熱いものが込み上げてきました。
2016年5月6日(金)、
夜8時頃、電話が鳴りました。
次女が泣き泣き、「さくら」が死んだと。。。
勤めから帰ってくると、「さくら」が冷たくなっていたのだそうです。
私も、娘に泣き泣き話しました。
「「さくら」は、お前に飼われて幸せだったよ。
本当に最後までよく面倒をみたね。」
さくら、我々を癒してくれて、ありがとう!
感謝しているよ。